日本ゼロ年展
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人型自動機械アトムスーツ
ヤノベケンジ
1965年生まれ。核戦争後のサバイバル生活をテーマにした作品を制作する。97年には鉄腕アトムを思わせる「アトム・スーツ」を着用し、チェルノブイリを訪問。現地の無人の幼稚園や遊園地などに自身が佇んでいる連作写真を発表した。日本ゼロ年展では、サバイバル生活に必要なグッズをガチャポンに入れて、一回200円で販売する『サヴァイヴァル・ガチャポン』や放射線を感知するガイガーカウンターが取りつけられ、300円で操縦可能な『アトム・カー』などを出品。その創作の原点は大阪万博取り壊し工事の光景にあるという。

ヤノベケンジは廃墟にとりつかれている。そこで廃墟とは、長崎軍艦島のように、ただ荒れ果てて、人が棲まなくなった場所をさすのでもなければ、第三次世界大戦の幻想が生み出した、ファンタジー世界のことでもない、進歩的な未来への夢が破壊された――にもかかわらず、人がこれからも「生きのびていかなければならない」場所を意味する。アトムスーツを身につけ、チェルノブイリ原発の廃墟に残る、保育園や遊園地を撮影した『アトム・スーツ・プロジェクト』は、けっして原発事故の悲劇性を物語らない。そこに物言わぬ死体はない。廃墟を生きのびる=サヴァイヴァルする、アトムスーツたちがいるだけだ。

こうした作品を撮るヤノベ自身の原風景は、70年の大阪万博――しかもパビリオン群が取り壊される風景だという。すると僕たちは、少年時代の彼が見た廃墟のあとに生きのびている、アトムスーツだとでもいうのだろうか。けれどそんな考えもなく、小銭を投入することでサヴァイヴァルグッズを手に入れられる『サヴァイヴァル・ガチャポン』、一定の宇宙線を計測するまで運転することができる『アトム・カー』、それらを前に思わずはしゃいでしまう僕たちは、チェルノブイリ原発汚染地の遊戯施設で快調に戯れているように見える、アトムスーツそのものをつい演じてしまうわけだ。

そして美術館を離れ日常に戻るのだが、僕たちの振る舞い自体はやはりそう変っていない。なぜなら日常においても、ヤノベ的サヴァイヴァルを、それと気づかぬうちに生きてしまうからだ。ダイオキシン汚染、バブル経済崩壊、東海村臨界事故の日本とその廃墟を。そのときアトムスーツ自体は、いったい何と呼ばれるべきだろうか?またあのアトムスーツのなかに入っているのは、本当に人間なのだろうか?

(編集部/相沢 恵)

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