ウルトラシリーズ初期3作(『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』)の怪獣デザインからなる成田亨の作品群は、おそらく様々な生物を絶妙に混交させることによって生まれており、その芸術的領域にまで達した絶妙さは、同じく60年代以降に制作されたいくつかの特撮諸作品と比較した時、見る者に圧倒的な凄みを感じさせる。
それは一方で、元となっている恐竜/人間に混交された「様々な生物」を容易く想像しえないまでに、成田の描く怪獣/異星人デザインが見事に抽象化されているからだ、といえるだろう。ケムール人、ブルトン、メトロン星人がいったいどんな過程を経てデザインされたのか、それらを還元できる場所があると考えること自体が、すでに間違っているのだろう。成田の創作機械は――四次元怪獣ブルトンのように――僕たちを思いもかけない場所へと送り出す。とすると同じ特撮作品でも、デザインの由来が簡単に名前に記されてしまう(黄金狼男、イカデビル、ガラガランダ……)『仮面ライダー』の怪人デザインは、その点いかにも単純だった。
他方で子供向け番組であるウルトラシリーズにおいて、なぜ成田がシュルレアリズムにも比される凄まじいデザインを行ったのか、という疑問が生じてくる。これについてはすでに、東西冷戦と高度経済成長の歪みに象徴される、60年代の社会状況との緊密さを根拠にした社会学的な読解が行われ、言説化されてきている。しかし90年代―2000年以降のオタク文化との接合をはかるために、僕はむしろ成田のデザイン「そのもの」が持つ凄みにある種の反復性を見てしまうのだ。
つまり抽象化され何物にも還元不可能な怪獣、あるいは『ウルトラセブン』に登場する異星人=ありえたはずの人間とは、まさしく『エヴァンゲリオン』の敵たる「使徒」のことではないか?――そう考えると、劇場版『エヴァ』のなかで葛城ミサトから聞かされた「使徒は人間である」という言葉の唐突さが消え失せていく。怪獣と呼ばれる異形化した生物が人間でないとする保証など、実は最初からなかったのだ。『ウルトラマン』に登場する怪獣ジャミラが「ヒトの姿を捨てた」元宇宙飛行士であったように。人間を異形化する想像力がここまで苛烈な凄みを有する場所は、間違いなくオタクとアートが交差する一つの接点だろう。
(編集部/相沢 恵)
ケムール人 ウルトラQ第19話に登場。人間を誘拐し、人間の身体へと乗り移る宇宙人。
ブルトン ウルトラマン第17話に登場。時空を移動したり、怪現象を引き起こす四次元怪獣。
メトロン星人 ウルトラセブン第8話に登場。煙草に人間を狂わせる薬物を混入して、人間社会を混乱させ征服しようとした宇宙人。
ジャミラ ウルトラマン第23話に登場。遭難した宇宙飛行士が、宇宙の異常環境によって怪獣化した。
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