今回日本ゼロ年展に展示された数作品を忠実に展評することで、岡本太郎の持つ今日的なアクチュアリティを語ることは出来ない。岡本太郎は、彼が20代にパブロ・ピカソやジョルジュ・バタイユらと交流した30年代のパリ、『太陽の塔』が聳え立っていた70年万博の大阪、「川崎市岡本太郎美術館」が開館した99年の川崎(そこは彼の生地でもある)――それら岡本太郎が生きてきた総体でもって評価しなければならない。それは岡本太郎という、ひとつの型を語ることでもある。
とはいえ岡本自身は型、とりわけ封建的な日本という型、芸術で言えばモダニズムの型を否定して、常に前衛的であることを主張し続けた人だ。だから僕はここでいささか矛盾したことを言っている。岡本太郎という総体、つまり一種の型を語らなければならないとしておきながら、一方で岡本を型を否定し続けた人として、評価してもいる。しかし日本という型を批判するために岡本太郎が拠り所としたのが「日本という現実」だったとしたら、どうだろうか?
似たような問題系に直面している小説がある。阿部和重のデビュー作『アメリカの夜』だ。主人公の唯生は、この小説の冒頭で、ブルース・リーが体系化した武道=載拳道の型が、実戦においては最終的に放棄されねばならないという、武道が陥る不可能性について批評しつつ、最後にこう呟いている。
「日常性」とは、「型」=形式化によってはみだしてしまったもののことであり、それをとり戻すことで、「武道」が、「載拳道」が、再び開始されることが可能となるだろうと、リーはいっているのだ。(中略)そのときはじまるのは、すべての「型」を無効にしてしまう現実との、たえることのない闘争ではないのか……
岡本太郎が型を批判するために「日本という現実」を根拠にするのは、けして「日本という場所」に回帰することを意味しない。あまねく型は、回帰すべき場所は、「現実」によって思わぬところへとずらされてしまうからだ。そのことから成田亨がデザインした怪獣ブルトンが四次元空間をループすること、会田誠が描いた『美しい旗』のおかっぱ少女が幽霊的に「RETURNS」していることを連想するのは間違っていない。ゼロ年展を見ると「時空が溶ける」のだ。最年長で、すでに没人ですらある岡本太郎が、日本ゼロ年展に名を連ねている理由がここから見えてくる。岡本太郎の型については別の人が語ればよい。岡本太郎を語るということは、語る人自身が、「現実との、たえることのない闘争」にむかうことだ。いかなることさえも、そこからしか開始されることはない。
(編集部/相沢 恵)
パブロ・ピカソ スペインの画家。キュビスムを創始、その後は新古典主義、シュルレアリスム、メタモルフォーズと膨大な作品群を生んだ。代表作に『ゲルニカ』『アヴィニヨンの娘達』『スターリンの肖像』
ジョルジュ・バタイユ フランスの小説家、思想家。37年にクロソウスキー、カイヨワらと「社会学研究会」を組織。このグループに当時パリ滞在中の岡本太郎が加わっている。代表的な著作に『呪われた部分』『エロティシズム』
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