そろそろまとめに入ることにしよう。1960年代まで、「おとな/子ども」関係は厳然と存在していた。マンガは<子ども>の読むものだった。そして<恋愛>とは、<子ども>から<おとな>へと脱皮するための手段のひとつであった。だから<恋愛>自体が目的として扱われることはなかった。一方、眼鏡は<おとな>の象徴であり、だからこそ権威を保ち得た。
しかし高度経済成長が一段落した1969年頃から<おとな>の後退が目立ちはじめる。メディアとしてのマンガが確立し、文字文化の相対的衰退が始まる。それに伴い、<おとな>の権威も失墜する。勉強も揶揄の対象となる。<おとな>の象徴であった眼鏡も後退を余儀なくされた。
しかし1970年初め頃から、眼鏡を「ほんとうのわたし」の象徴として使用する試みが多数登場する。これは、<恋愛>が「手段」から「目的」へと昇格したことが要因だろう。連載第1回で詳述したように、1970年代初頭、<恋愛>において「告白」という儀式がクローズアップされる。「告白」という儀式が近代的自我を生んだという柄谷行人とフーコーの議論は第1回で紹介しておいたが、「告白」を導入した<恋愛>は少女マンガも近代化させた。眼鏡と「ほんとうのわたし」と「告白」の関係は、第2回で詳述したとおりである。70年代少女マンガが展開した「ほんとうのわたし」という個人的な自意識は、すぐれて近代的な産物である。
そもそも、<恋愛>という概念自体が近代的な産物であった。優れた翻訳論を数多く残している柳父章は1982年にこう言っている。「私たちはかつて、一世紀ほど前に、「恋愛」というものを知った。つまり、それまでの日本には、「恋愛」というものはなかったのである」。この見解は、学界ではほぼ常識となっている。帝塚山大学助教授の佐伯順子も「巷にいささか過剰なほどあふれている「恋愛」や「愛」という言葉は、実は日本で古くから用いられてきた言葉ではない。明治になってから新しく、今のような意味で普及した言葉なのである」と言っている。<恋愛>とは、明治維新とともに輸入された西洋近代の概念だったのである。この学界の常識に果敢に反抗しているのが、もてない男、小谷野敦である。が、江戸時代に<恋愛>がなかったことは小谷野も認めているところである。敢えて言えば、1960年代の少女マンガにも<恋愛>は存在しなかった。西谷祥子や大和和紀など先駆的なラブコメ作品はあったが、それは「おとな/子ども」関係の秩序の下での手段としての<恋愛>だった。目的としての<恋愛>は1970年以降、「告白」の導入に伴って開始されたのであり、「ほんとうのわたし」という近代的自我もここから発生した。
そして近代的自我は、そもそも<おとな>が持つべきものだった。近代的自我は近代的市民にふさわしい様式であり、訓練中の<子ども>は自我が確立されていない未熟な存在だと考えられていた。しかし、「おとな/子ども」の境界が破壊されるとともに、<おとな>の専有物だった近代的自我が<子ども>にももたらされることになった。そして、その近代的自我は、しばしば眼鏡を用いて表現された。<おとな>の象徴だった眼鏡は、<おとな>の後退とともに権威失墜を余儀なくされたが、そのかわりに近代的自我の表現手段として復活した。「おとな/子ども」の境界の喪失は、<子ども>にも<恋愛>を与え、近代的自我を与えることにより、<子ども>の<おとな>化を促進したのである。
また、近代社会でも長らく女性に選挙権が与えられなかったことに注意しなければならない。選挙権が与えられないということは、近代市民としての資格がない未熟な存在と考えられていたことを意味する。つい50年ほど前まで、<子ども>と同じく<女性>も近代的自我にふさわしくないと信じられていたのである。しかし太平洋戦争の敗戦を期に、女性も選挙権を獲得する。男性に遅れること約60年、形式的にはついに近代市民としての資格を手に入れた。そして日本の女性は、1970年以降、ついに近代的自我にふさわしいオリジナルの内容と表現様式をも発明した。それこそが少女マンガであり、眼鏡っ娘マンガであった。60年代までは少女マンガ雑誌に描いていた作家の半数近くを男性が占めていたのに、70年以降は男性作家をほとんど追い出すことに成功する(第1回参照)。女性特有の近代自我の表現手法を手に入れたことの顕著な象徴である。
そして少女マンガにおける近代的自我は常々萩尾望都や大島弓子などの24年組の表現に見出されていたが、むしろもっと大衆的なマンガ、つまり眼鏡っ娘マンガにこそ近代的自我の神髄が存していることは、本論が最も示したかったポイントである。不当な偏見によって虐げられていた眼鏡っ娘たちこそが、近代的自我を小さなレンズに体現していたのである。近代的自我は、一部のエリートや歴史に残る大傑作や高尚な文化だけが表現し得たのではない。大衆的なマンガ家が、評論家たちが取り上げることのなかった作家たちが、読み捨てられる娯楽作品の中で、近代的自我の様式をレンズの輝きに表現していたのである。そしてそういう表舞台に現れない地道な活動こそが、表現の裾野を広げ、土台となり、近代を支えてきたのだ。
しかし、少女マンガの近代も1980年代に入って急速に衰退する。ポスト・モダン思想の流行を告げる浅田彰『構造と力』の出版が1983年だったが、少女マンガはその数年前から近代の終わりを予感させていた。それは眼鏡っ娘登場率の急速な低下が物語っている。80年代初頭、眼鏡っ娘マンガ浮上の最大の功労者だった田渕由美子も表舞台から姿を消した。歩調を合わせるように、近代的自我を扱う少女マンガは急速に廃れていった。代わりに目立つようになったのが、第3回で扱った有機体的若者共同体マンガの洗練化過程である。これは、「告白」という儀式のリスクの高さ、そして「ほんとうのわたし」という近代的自我のリスクの高さを回避していこうとする動きとして理解できる(第3回参照)。
アイドルで言えば、70年代を代表していたキャンディーズや山口百恵が起承転結構造(第2回参照)で華麗に引退したのに対し、1980年にデビューした松田聖子の現在を見よ。これが境界を喪失した80年代的状況である。そして1985年デビューのおニャン子クラブは「アイドル/一般庶民」の境界を破壊した。彼女たちにあっては、もはや素人臭さ(一般庶民的であること)こそが売りになったのである。シロウトがやたらとテレビに出るようになったのもこの頃からか。ポスト・モダンとは、一言で言えば「境界喪失(ボーダーレス)」の状況を意味する。境界を視覚的に明示する眼鏡は、ポスト・モダン状況では、出番はない。
60年代から70年代への急速な近代化過程、そして80年代の近代的自我の後退。眼鏡っ娘は、常にその中心にいた。では、90年代はどうなのか。我々はどこに行くのか。最後に概観し、21世紀へ向けての展望を示すことにしよう。>>次頁