TINAMIX REVIEW
TINAMIX
めがねのままのきみがすき〜恋愛少女マンガの思想と構造(3)

・有機体的若者集団マンガ

図14
[図14]『アイドルを探せ』
(c)吉田まゆみ

『アイドルを探せ』には、主要なキャラクターが3人登場する(ひとりが眼鏡っ娘)。3人はそれぞれに性格が異なっているのだが、宮台真司はこれを「一つのマンガにタイプの異なる<彼女>がさまざまに登場して、他者の類型性が強く意識され始めます」と説明している。読者は自分にいちばん近いキャラに感情移入し、他者との差異や距離を確認することになるというわけだ。このあたりの事情は、4人の個性的なキャラを登場させた『純情クレイジーフルーツ』[図14]の作者である松苗あけみが自ら「極端なタイプに分けちゃったから、読者が「私は誰々に似てるわ」って決められるらしい」と語っていることから傍証できるように見える。『アイドルを探せ』も、3人のキャラを極端なタイプに分けたから、読者が「私は誰々に似てるわ」とモデルを決められたというふうに説明できる。

図15
[図15]『おはようポニーテール』
(c)吉田まゆみ
図16
[図16]『センチメンタル』
(c)吉田まゆみ

しかし、複数のキャラが極端なタイプに分割されるマンガは1980年以降に突然登場したわけではない。宮台真司も、60年代に西谷祥子がそういうタイプのマンガを描いていたと指摘しているところである。宮台の指摘を待つまでもなく、西谷祥子と吉田まゆみの類似性はしばしば指摘されている。例えば『スピーチバルーン・パレード』では、吉田まゆみ本人へのインタビューで「作品に、西谷祥子さんの学園物みたいな感じを受けたんですが」(p.94)と聞いている。西谷と吉田との類似点は、主人公が<単数>視点で語るのではなく、複数の登場人物が<複数>の視点で物語が展開していくところにある。私はこのタイプのマンガを一人の主人公が<単数>視点で語る物語と区別し、「有機体的若者共同体マンガ」(または単純に「有機体モデル」)と呼んでいる。

この有機体モデルは、60年代から90年代を通じて途切れることなく描かれ続けている。60年代には巴里夫がさかんに有機体的若者共同体マンガを描いた。一条ゆかりも70年代の『こいきな奴ら』や『ティー・タイム』、80年代の『有閑倶楽部』など、さかんに有機体モデルを採用している。『純情クレイジーフルーツ』を描いた松苗あけみも、『夏は人魚とパラダイス』や『女たちの都』など、しばしば有機体モデルを採用している。吉田まゆみも、70年代から80年代にかけ、さかんに有機体的若者共同体マンガを描いた。70年代の『雨にぬれてホットミルク』から『おはようポニーテール』シリーズ[図15]、『センチメンタル』[図16]が挙げられる。80年代の『アイドルを探せ』は、この有機体的若者共同体マンガの流れの中に位置付けるのが妥当だろう。要するに、80年代に突然登場したわけではない。吉田は80年代終盤の『ガールズ』でも有機体モデルを採用しており、吉田の方法論として一貫とした手法であることが解る。>>次頁

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「一つのマンガにタイプの異なる<彼女>がさまざまに登場して、他者の類型性が強く意識され始めます」
宮台前掲『サブカルチャー神話解体』p.23。

『純情クレイジーフルーツ』
(c)松苗あけみ
『ぶ〜け』1982年7月号〜12月号。

「極端なタイプに分けちゃったから、読者が「私は誰々に似てるわ」って決められるらしい」
『スピーチバルーン・パレード』河出書房新社、1988、p.78。

『おはようポニーテール』
(c)吉田まゆみ
『週刊フレンド』1977年1〜4号。

『センチメンタル』
(c)吉田まゆみ
『月刊ミミ』1978年2〜4月号。この作品は短編連作形式で、3人の登場人物が交替で主役を張る。短編連作は『りぼん』系の田渕由美子なども得意としていたが、主に講談社系の少女マンガで発展した。

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