TINAMIX REVIEW
TINAMIX
ルネッサンス ジェネレーション<未来身体>

しかし他方でじこの人気は、いまや端的にでじこのデザインがすぐれている、そうした見方が優位になっているからではないか――そこで「いったいなぜそんなことが可能になったのか、というのがわたしの疑問です」という東氏の解釈は、オタクのフェティシズムを以下のようにふたつに区別する。こんな具合に。

・自己投射型のフェティシズム(80年代:オタク的シニシズム)
・知覚訓練型のフェティシズム(90年代:キャラ萌え)

前者は上述したような、作品の過剰解釈をとおして主体の優位を確認する、一種の変形したナルシシズム。そこではコンテクストを能動的に解釈し、ときに捏造することで戯れるといった態度が中心となる。

が、後者はもっと端的に作品へ没入する。これはでじこにリミックスされた諸要素を主体の側が意識的に解釈するのではなく、意識下において一気に見る能力=知覚の訓練の結果ではないか、あるいはどれだけ多くのコンテクストや要素を一瞬で知覚し、その組み合わせの妙を先行作品に送り返すことができるか、そうした能力を高めることにむかっているのではないか、と東氏はいう。その特徴的な例に、オタク的に奇形化したデザインを追求し、より過激化する方向、つまりあたらしいフェティシズムの要素の開発・登録として、具体的には「触覚」(『痕』の柏木初音、『ラブひな』の成瀬川なる)、「円形の瞳」(後藤圭二のキャラクターデザイン)などがあげられる。

さらに注目すべきことは、こうした理解が認知的な解釈の可能性を拡げるものに思えることだ。認知心理学の実験によると、人間の顔の認知は、たくさんのベクトルコードの組み合わせで捉えられるという。(ケネディとクリントンの要素を抽出し、二人の顔の中間をつくりだす実験を参照)美意識、ひいてはオタク的図像に対して訓練された認知のモデル化として例示された、80次元のベクトルコードで顔認識をするためにつくられたニューラルネットワーク――オタク的デザインを判断するときに、ほとんど認知心理学的な、頭のなかのニューラルネットワークが、ネコ耳ならネコ耳にバシュッと反応するように頭を訓練するようになっているのではないか――という東氏の主張は、冗談みたいに刺激的だったように思う。

……とはいえ個人的には、おそらく「属性」と呼ばれているキャラクターの概念も、図像を構成する要素+性格素の多元的な組み合わせとして捉えられるし、またそうした方がキャラについてもっと多くのことがわかってくる、そんな感想を持った。ことオタク系文化に限った場合、私たちが「ハマる」メカニズムは、無数に分解された要素とその再統合の手つきに求められるのかもしれない。>>次頁

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