第二部:パネルディスカッション
司会進行に下條信輔氏、すでに登場したタナカノリユキ氏、廣中直行氏、東浩紀氏に加えて、樋口真嗣氏(特撮監督)が参加したパネルディスカッションは、二つのレクチャーをふまえつつ、いくつか興味深いポイントで議論が展開された。
・時間(軸)があると気持ちいい?
気持ちいい(つまり快/不快)を基準に判断するのは、相手にするメディアによってずいぶん違っているのではないか。これはタナカ氏の「グラフィックを描いているときに比べて、時間を使った表現、映像の編集のときの方が『気持ちいい』ことを判断の材料にしている」という発言から盛りあがった話題。とりわけ「映画をつくっているときに一番脳が痺れるのは、あるものが爆発することだ」という樋口氏も「映画のひと」であることから、主に編集において「切ること」を決定する要因をめぐる議論に。
脳科学的な立場から廣中氏のコメントは「ひとつにはリズムの問題」というもの。樋口氏も現場の意見として「編集のときに、こいつ鈍くさい編集しやがって! と感覚があわない場合の個体差」に言及するが、廣中氏の話だとひとりの人間ですらこうした差異が生じるようだ。たとえば「時差ボケ、徹夜明け」で作業をすると「普段と違う切り方」をしてしまう、といったように。実際、樋口氏も「より刺激を求める方向で、切ってしまうことがある」というのだから、徹夜続きはやはり感覚が(良い意味で?)狂ってしまうのだろうか。
東氏はこれに「文字メディアにハマること」という別の角度から発言。要約すると、同じ言葉でも、講演でひとをアジテーションすることが可能な話し言葉(パロール)とは違い、文字(エクリチュール)というのは一番ハマりにくいのでないか。フランス現代思想で文字が注目されていたのも、端的にそういうことだろうと東氏はいう。さらにいうと、なぜ映画の鑑賞を中断されるのは腹が立つのに、小説だと読書をやめても苦痛に感じないのか。ハマるには、時間とかリアルタイムで共有することが大事だと思うが、文字を読む行為とハマることは大脳生理学的に遠いものなのか。
廣中氏の出番だ。やはり「文字は遠くて、音楽の方がはるかに近い」と指摘。とすると脳内の情報処理レベルで、感覚によって「ハマる」傾向に違いが出るのだろう。その場合、同じ視覚でも映像と文字がなぜハマり方が違うと感じられるのか。そのあたりが明らかになるとしたら、非常におもしろいだろう。
また少し余談だが、個人的にはタナカ氏の「音楽や映像をつくるときに、物語的なものをけっこう排除している」という発言を興味深く聞いた。その理由として「時間軸を構成するものがあるストーリーだったりすると、時間の演出になればなるほど、それが言葉化していく」からだという。ポートレイト撮影において「写ってる/写ってない」を基準にする方の発言だけに特殊な意見だとも考えられるが、制作者の態度としてひとつの境界線を見たように思えた。>>次頁
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