これこた
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9.「メガネっ娘」というコンセプト

編集部:「ルリ萌え」を断固として主張しても、誤配どころか配達すらされないわけで(笑)。ギャルゲー特集も、内側には問題なく通じる言葉がまるで通じない、その困難さから企画をスタートさせていますが。とはいえオタクの欲望は、なにかもう少し物質的なもので、東さんが言われるようなコンセプトとは遠いものに思えますが?

東:僕は単純にはそうも思わない。例えば僕は実は、「メガネっ娘」はコンセプトだと思ってるんですよ(笑)。いや、冗談じゃなくて。だってね、メガネっ娘萌えを自称しているオタクは多いけれど、本当にメガネっ娘を生まれたときから好きなやつがいるかっていったら、いるわけないでしょう。しかもいま、メガネっ娘って言えばだいたいデザイン決まっていて、こんな丸っこい顔に、髪型もこういうふうに決まってるじゃないですか[と東氏は、手近のノートにはづきっちを思わせる絵を描き始めた――編集部注]。こんなんでしょ、すごい簡単な特徴に凝縮されている。だからもうこれは、単にメガネをかけてる女の子に魅力がある、というのでは絶対にない。いくつかの特徴からなる、ひとつのコンセプトなんですよ。そもそも「なぜメガネっ娘萌えなの?」って言ったら、それはだれにでも学んだ過程があるはず。メガネっ娘への萌えは、とても人工的な欲望なんです。おそらくはほかに、「ネコ耳」なんかもコンセプトでしょうね。それで、その二つのコンセプトを操作して、ネコ耳をもってメガネをかけた新しいキャラを作り出したり、けっこうそういう欲望で動いているわけですよ、オタクというのは。

たとえば、今日ワンフェスで見つけたこのフィギュア。メガネっ娘がカンブリア期の生物をモチーフにした何かをかぶっている。この衣装といい、首の傾げ方といい、頭についた目といい、ペニスだか尻尾だか首だか分からない後ろの造形といい、そもそもメガネっ娘をカンブリア紀の絶滅した生物になぞらえているところといい、これはもう、完璧にコンセプチュアルでしょう。とくに自分で書く気はしないけど、このフィギュアがいかにオタク的欲望を批評しているかなんて、きっといくらでも解説できるよ。なんでこういう作品が出てくるのか、これはすごく面白いよね。

だから、オタクたちは、自分では欲望のままに生きている気になっているけど、本当はもっと抽象的な世界で生きてると僕は思っているんです。逆に、『ナデシコ』のようなオタク的な作品がなかなかメジャーで取り上げられない原因も、実はそこにあるんだと思います。そしてそれはつまり、文脈を変えれば、オタクの先端が何気なく行っていることは実はとても複雑で実験的なことで、文化的にリスペクトされるべきだということでもあるわけですよ。僕がことぶきつかさ的なデフォルメが好きなのだって、実は、そこにすごくコンセプチュアルなものを感じるからですよ。身体をコンセプトでしか捉えられない、そういうラジカルさ。

編集部:抽象的で、しかもコンセプチュアルだと。

東:オタク文化については普通は、コンセプトや抽象化とは無縁のところで、身体的な快感原則だけで突き進んでいる、子供っぽいものだと思われている。でもね、コンセプトっていうのは言葉だけで表現されるものではないと思うんです。

たとえば、ISSEYが昨年に作った折り畳めるスーツ。滝沢さんに訊ねたら、おそらく「つぶそうと思ったからつぶしただけです」っていう答えが返ってくると思うけど、僕に言わせれば、そもそもつぶそうと思うってこと自体がコンセプトなんですよ。だって、普通の発想だったら、そもそもスーツをつぶそうなんて絶対に思わないんだから。さきほどのカンブリア少女も同じですね。ああいう発想が出てくる、ということ自体が、オタク文化がいかにコンセプチュアルかを示していると思います。

はづきっち
『おジャ魔女どれみ』の副主人公、藤原はづき。CV秋谷智子。カルト的な人気を誇る。本誌の発行人もはずきっちファンで有名。


CDジャケット
(c) ABC・東映アニメーション


ワンフェスで見つけたこのフィギュア
オパビン。カンブリア時代の生物オパビニアをモチーフにしたガレージキット・オリジナルのキャラクター。
デザイン:中北晃二/bing[→
関連サイト]。
モデル製作:バサロキック[→
関連サイト


ことぶきつかさ的なデフォルメ


折り畳めるスーツ
ISSEY MIYAKE MENが1999年1月にミラノで発表したコレクション「PRESSED」。立体縫製のジャケットが、特殊技術でわずか数ミリにまで圧縮されている。

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