TINAMIX REVIEW
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藤本由香里「少女マンガのセクシュアリティ 〜レイプからメイドへ〜」(後半)

■JUNEとは人間の二面性のことだ

は: やおいのレイプ論に話を進めたいのですけど。

サ: わたしはやおいにはぜんぜん詳しくなくて、JUNEのほうが。

藤: JUNEにもレイプ表現は多くないですか? 栗本薫さんの作品なんかでも多いでしょ。

サ: 多いです。

は: あれは不思議なんですよね。性の中には権力関係があったほうがいいのかどうか、実際よくわからないんです。

相: シロウト考えですが、やおいは男性が抱えている権力関係を暴き出す形で作られている。つまり何かしら落差がないと発生しえない、たとえば男性の力学関係が全部フラットだったら、たぶんやおいって発生しないと思うんですよ。するとレイプはあからさまに立場の上下があって成立するものじゃないですか。これがポイントであるような感じがするのですが。

藤: 「エロスに権力関係は必要か」ということですね。でも逆に、上野千鶴子さんは「権力のエロス化」っていうことを言ってるんです。つまり既存の権力関係をエロス化させる方向に権力は常に働きかける。権力関係の中にエロスを感じるように刷り込みをしていくわけです。だからそれがレイプファンタジーになったり、「私はこんなに欲望されているんだわ」と読み替えて「あん♪」と思ってしまったり、そういうファンタジーの色づけがされることはあると思う。

やおいについては、中島梓さんがやおい論『タナトスの子供たち』で言っているのがおもしろくて、やおいは恋愛闘技場だっていうのよ。要するに男は力で戦うけど、女の子は恋愛力で戦う、と。

は: 恋愛力!

藤: 登場人物が、武力ではなく恋愛力で勝つか負けるかの闘いを繰り広げている場が、やおいなんです。今はふつうに最初からラブラブっていうのもあるけどさ。でもやおいの醍醐味は、最初からラブラブっていうのではなくて、精神のコロキウムで向こうの恋愛に引きずり込まれるか引きずり込まれないか、みたいなところでせめぎ合いをやること。

相: そのときに強烈に攻め込んだらレイプに見えるということですか。

藤: そういうこともある。そして中島梓さんは、やおいには黄金パターンがある、っていうんです。受けの方は、必ず最初にイカされてしまう、と。

相: レイプされるほうがイカされてしまう?

藤: そう。一回イカされてからおもむろに……っていう感じなんだよね。

サ: 『小説道場』で言ったことですね。必ず白いシーツのベッドで……とかパターンがあるという。

は: 『風と木の詩』はそうか。

サ: あれもたしかに冒頭は白いシーツのベッドが出てきますが……(笑)。

藤: 『風木』はやおいではないと思うけど(笑)。あれも性を間においた精神のコロキウムでの二人の人間の強烈なせめぎ合いだよね。権力関係やレイプとはちょっと違うけど。

最近『竹宮惠子のマンガ教室』という本を作ったんですよ。

サ: 竹宮先生があれだけ他のまんが家さんについて語ったのは初めてですね。

藤: ええ。その最後のほうにJUNE論があって、その中で竹宮さんは、今まで誰も言っていなかったことを言ってる。「JUNEというのは男同士の恋愛が主眼じゃなくて、人間の二面性を描くところにある」と。思わず「なるほど!」なんだけど。

サ: つまり要約すると、強そうに見える人がちらっと弱いところを見せるところがいいとか、男っぽい人が実は女っぽいところがあるいう瞬間に惹かれるってことで。

藤: そう。相反するものがギリギリのところで釣り合っていて、それがひっくり返るかひっくり返らないかくらいギリギリのところにある、そこにエロスがある、っていうのよ。

相: じゃあ、ひっくりかえてしまっては……。

藤: ダメなの。

相: 反転するんだってことが予期されつつ……ですか?

サ: 絶対落ちない人はいらないけど、ちょっと行けるかもと思えるといいということですね。

相: グラグラって感じがいいんですね、バランスが崩れるぞっていう。

藤: 崩れてはダメなの。ギリギリのところに踏みとどまっているところにエロスがある。

相: そこには苦悩や葛藤があるからですか?

藤: そうですね。だから制服組とか軍服の人間がどうしてエロスを発するかというと、中に押し込められている生身の人間というものがあり、その外に規律というものがある、そこにせめぎ合いがあるからだ、と。制服というのは生身の人間に外から課せられたものだからいつかひっくりかえる余地がある、それを緊張感をもって支えている。そこがそそる、と。

それでいうとウィーン少年合唱団のある時期の声っていうのがすごくエロス的だったというのね。14、5歳くらいが声変わりの時期だった頃のウィーン少年合唱団。その年齢だと自我があるのよ。自我はあるのに、まだ少年のような声を持っていて、それがひっくり返るかひっくり返らないかギリギリのところを感じさせた。だけどいまは声変わりの時期が早くなったから、そういう葛藤や緊張が感じられなくなった。まだ12歳くらいの男の子たちが無心に歌っているところにはすでにエロスはない、と。

相: 14、5歳くらいで自我があるってところがポイントなんですか。

サ: 歌で自分を表現したいけど合唱で揃えなければならないという。

相: そのあたりに疑問のない子どもじゃダメなんですね。

藤: そう。ただ言われるままに歌っているんじゃダメなんですよ。だから解放への欲求と自己抑制が微妙なところで釣り合っているところにエロスがある。

相: なるほど。ぼくが女の子を好きになるときがだいたいそのパターンなので、感心してしまいました。ぼくはわりと気が強い女の子が好きなんですよ。

藤: 気が強い女の子がホロホロッといくのがいいの? 気が強いままの方がいいの?

相: 男性のあいだでもよく言われる話なんですよ。「わたしとて弱い女なのだ」と反転したときの反転具合がいい、みたいに。ただそれは女性の基準よりも、より定式化している感じ、まさにパターン化している気がしています。武道なり規律の世界に属していて、それを守らなきゃいけないんだけど、自分の自我は何か別のものに、たとえば恋愛に向けられている、抑圧された女の子にぐっと来るというようなかたちで。

藤: そうそう。それもやっぱり抑圧しようとするものとそれを突き破っていこうとざわめく何かがあるって話だから、同じですね。70年代から80年代のファンタジーとしてのレイプ表現ってのも、ある種の抑制とそれを突き破ろうとするものとのせめぎ合いから起こってきたとも言えるわけですよね。そういうところにJUNE的なものがあるんじゃないかな。本質的なところってたぶんそうだと思うのよ。今のやおいには最初から最後までラブラブで、何の緊張関係もないやおいもいっぱいありますけどね。

サ: そういうのは「キミタチは将来どうするつもりだ」って説教したくなります。

JUNEとやおい
どちらも女性向け男性同性愛の作品群に対する呼称。もともと「JUNE」(→公式サイト)しか専門誌がなかったため、ジャンルそのものの呼称として定着。その後、同人誌「ラヴリ」の批評ノートで自然発生した「やおい」という呼称が広まった。「JUNE」は「JUNE」という雑誌が嗜好した傾向の作品群を、「やおい」は出自が同人誌であるせいかパロディ作品または同人誌的嗜好の作品を指すという棲み分けができたかのように一時は思われたが、この呼び分けは時期的、個人的な差異が大きく定説はない。ただ、明かなちがいとしては下記の2点が指摘できる。
・「JUNE」はJUNE的雰囲気が感じられるものであれば、男同士に限定されない
・「やおい」は商業的にはほとんど使用されない
なお、書店でコーナーができるの「JUNE」以外の雑誌(「ALLAN」をのぞく)が登場して以降のことである。当初は「耽美」であった。これはJUNE」という特定雑誌を想起させる呼称を避け、「JUNE」がかつて謳っていた「耽美」をジャンルの名称としたと思われる。ただ、これだとジャンルの最大特徴である男同士が前面に出ていないところがいまいちだったらしく、「ボーイズラブ」という造語にとってかわられた。会話では「ボーイズ」「ボーイズ系」などと略されることもある。
『タナトスの子供たち−過剰適応の生態学』
中島梓著。筑摩書房、1998年、1,700円。「やおい」とはいかなる状況の下でいかなる価値の下にいかなる機能を果たしているのか。第一人者が生物学の知見なども用いつつ語る、人類規模のやおい評論。『コミュニケーション不全症候群』(筑摩文庫)の続編的性格の著作。
(c)中島梓
『風と木の詩』
竹宮惠子著。週刊少女コミック1976年10号〜1984年。フラワーコミックス全17巻。1987年に安彦良和監督によってアニメ化。19世紀後半のフランスを恋の闘技場として少年達の生が展開する。
(c)竹宮惠子
『竹宮惠子のマンガ教室』
マンガを描く人にも読む人にもおもしろい本。マンガの技術論だけでなく、その技術の発達史にも言及されており、歴史資料としても重要。藤本由香里氏は編集者として活躍。筑摩書房刊、1500円。
(c)竹宮惠子
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