■明治の恋愛と戦後少女マンガの恋愛は似ている
相: さきほどからの話を受けると、一方でエロスはいかなる場所でも立ち現れうる、多様な可能性のなかにある。他方でそれが少女マンガにおいて主にレイプで描かれたことには、何かイデオロギー的な理由が考えられませんか。本来ならいろんなところにあっていろんなやり方があったはずなのに、なぜそれがレイプに局在化して描かれていくことになったのでしょうか。
藤: それは過去、遍在化していたエロスが統制された時代があって、そうやっていったん統制されたエロスがもう一回穴を開けられるときが、70年代から80年代くらいのごく限定された20年間なんですよ。そこで噴出してきたのがレイプ表現なんでしょうね。
相: ともあれ70年代ぐらいにいろいろな多様性が吹き出したという話は、社会的、思想的なパラダイムの転換とも関係がありますよね。近代的な機制がはずれた、ポストモダン化したともいえますけど、そのなかで性器的なエロスも変わっていたのでしょうか。
藤: 実は人類史を通して見ると、前駆快感的なものが普遍的だった時代っていうのがすごく長いんじゃないかと思うんですよ。性器に集中するようになったのはここ100年くらいなんじゃないかな。特に日本なんか、一般的な性道徳がいきわたったのって戦後だったりするのかもしれないし。
相: 明治期からの近代化と敗戦を機にした再近代化みたいな。
藤: そういえば明治期の日本近代文学で目指された恋愛観と戦後の少女マンガの恋愛ってすごく似てるんですよね。恋愛が憧れになって、命をかけて愛の深さを追求する、というのが少女マンガに出てきたのが戦後じゃない?
は: それは70年代くらい?
藤: いや、もっと前。60年代末くらいから75年くらいまでのドラマチック・ラブなんだけど。同じように明治期って、そういうお互いを思いやる恋愛とか、肉の愛と精神の愛を区別して精神の愛のほうが気高い、みたいなものが出てくるでしょう。
は: キリスト教に影響を受けて、明治25(西暦1892)年頃に出てくるやつですね。
藤: 巖本善治とか。
は: 北村透谷とか、あのあたりですね。
藤: ああいう人たちが言っていた恋愛観と初期の少女マンガの恋愛観って似てるよね。最初はそういうインテリの男に広まった恋愛願望みたいなものが庶民の女の子たちにダーッと広がったのが60年代末から70年代初め。
は: そういう近代恋愛の成立に大きく関わっているのが「人格」という概念だと思っています。「人格」という言葉も「恋愛」という用語と同じくだいたい明治25(西暦1892)年頃に定着するけど、それがどうも「恋愛」という概念と密接に結びついているらしい。「人格神」に使われるパーソナリティは東洋には存在しない概念で、人間は神の似姿として造られているから人間もパーソナリティを持っていて、それが他の動物にはない人間の特徴とされる。で、神様の愛が人格概念と結びつく。
藤: いまも「性」と「人格」が結びつくかっていう議論があるじゃない? 少女マンガの場合は神様じゃないけど、でも人格ってことでいうと、「早くすてきなレディになりたい」っていうのが60年代後半から始まる初期恋愛ものにはあるわけよ。というか、人格が成長していった先に恋愛が可能になる、っていうふうな。
は: 大和和紀さんとか。
藤: もっと前。本村三四子さんとか、あのあたりの作品になるんだけど。「私たちはこうやって成長してくんだ」っていう、人格の成長への期待と恋愛への憧れが重なっているんですよ。
は: ビルドゥングス・ロマンってことになりますね。
藤: そう。そういうふうにして人は成長していくんだ、という描き方なわけ。少女マンガでも最初は輸入恋愛。外国の女の子が主人公だったりするのよね。明治時代の恋愛だって、最初は輸入恋愛なわけじゃない。恋愛というものがまだ新しい概念で、西洋人もすなる恋愛というものを我もしてみん、みたいな、そういう感じ。
相: 恋愛に限りませんが、恋愛はメディアが教えるという側面はありますよね。
藤: 自己暗示だからね、ああいうのって。
は: 恋愛は近代の発明品だ、みたいなことを言うと小谷野敦さんに怒られそうなんですが。
藤: 小谷野さんは恋愛っていう現象は昔からあるって言っているよね。片想いはずっと前からあるとか、「恋愛は近代の発明だ」ってのはウソだとか。ただ彼が佐伯順子さんを徹底的に批判しているのも遊女をことさらに持ち上げるような江戸幻想についてであって、精神の愛と肉体の愛を分離させて、精神の愛がより高次である、というような考え方が江戸時代からある、という形の批判ではないと思うけど。
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巖本善治 1863年-1942年。明治19(1886)年に、後の『文学界』の母胎となる『女学雑誌』の編集人となり、女性の人間解放などを訴えた。明治25(1892)年には明治女学校の校長となり、教師に島崎藤村や北村透谷を迎え、キリスト教精神に基づく芸術至上主義的教育を実現しようとした。当時の少年少女たちに近代的恋愛観念を伝導する上で重要な位置にある人物。
北村透谷 1868年-1894年。自由民権運動に挫折した後、作家・詩人を志す。明治期に近代的な恋愛観念を輸入した人物として有名。「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ」という「厭世詩家と女性」の一節、また「処女」の価値を声高に説いた文芸批評は、近代恋愛観を語る上で必須の文献。恋愛の理想と現実の結婚とのギャップに失望して自らの命を絶ったのも、あまりにも詩的。『北村透谷選集』岩波文庫に主要文献が収録されている。
人格概念の成立 佐古純一郎『近代日本思想史における人格観念の成立』1995年を参照。「人格」という観念が、カントやグリーンの倫理学説が日本に紹介される過程において、明治中期に成立したことを論証している。
大和和紀 1966年にデビュー。『はいからさんが通る』や『あさきゆめみし』など歴史大河ロマンを描かせたら当代随一の大和和紀も、1960年代後半にはロマンチック・コメディ(略してロマコメ)の旗手だった。洗練された絵と確かな物語構成で、60年代後半に恋愛少女マンガの可能性を切り拓く。
本村三四子 貸本時代末期にデビュー。『おくさまは18歳』(1969年週刊マーガレット)などラブコメを得意とした人気作家。おてんばな女の子がレディへと成長してゆく物語を描いたら天下一品。この定型は1960年代後半に本村などによって確立した。
小谷野敦 1962-。東京大学非常勤講師の、もてない男。「恋愛は近代に輸入された」という学界の定説と成りつつあったテーゼに対し、ひとり果敢に立ち向かった。『もてない男』『男であることの困難』『<男の恋>の文学史』など著書多数。『江戸幻想批判』(新曜社)では、佐伯順子を苛烈に批判した。『もてない男』ではレイプの問題に関しても言及。
(c)小谷野敦
佐伯順子 1961-。帝塚山学院大学教授。「恋愛は近代に輸入された」というテーゼを主張。近世の「色」という概念と近代の「愛」という概念の相違を軸に議論を展開し、その議論は広く受け入れられた。『遊女の文化史』『美少年尽くし』『「色」と「愛」の比較文化史』『恋愛の起源』など、著書多数。小谷野の批判はシカトしている。
(c)佐伯順子
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