阿部和重 INTERVIEW
TINAMIX
==========
*
*
*

4.

砂:基調報告で私は誘惑するメディアとしてのマンガ、という視点を提示しています。すぐれたスポーツマンガというのは、主人公がまったく無関心なところからはじまる話も結構多いんですね。素人だけど、天才の下地が意外な形で作られている、というパターンです。『あしたのジョー』(高森朝雄作・ちばてつや画、講談社)、『タッチ』(あだち充作、小学館)などの他にも、たとえば比較的最近だと、『シャカリキ!』(曽田正人作、秋田書店)という自転車競技モノのマンガがあったんです。これは、何も知らなかった素人の主人公が最終的にはツール・ド・フランスに行くという話で、自転車マンガとしてはついに出たという感のある金字塔的な作品なんですが、このマンガも、モンタージュの進化によって競技の進展を支えるところとか、主人公は坂の多い街に暮らしていたために素人でありながら天性の登り屋としての下地がいつのまにかできていた、という設定など、『頭文字D』と通ずるものがある。『D』の場合、知らないうちに峠の走り込みをさせられていた。『あしたのジョー』だとケンカがジョーの下地を作っていた。『タッチ』の場合は、ボクシングでしょうか。

阿部:『タッチ』の場合、いきなり野球部入ってすごいピッチャーだっていうのは嘘だから、ボクシングやらせといて準備期間だ、ということだと思うんですよ。もともと幼少のころはタッちゃんの方が野球の飲み込みが早くて上手かった、という伏線があったわけだし。

砂:『D』に話を戻すと、私は免許を持ってない上に、それほど車に対する関心もなかったんで、はじめから期待とともに読んだわけではないんですよ。けれども『D』を一巻から読んでいくと、はじめこそ車に無関心な主人公の拓海に俺も同感だみたいな感じで読み進むわけですけど、やがて主人公の身内を巻き込んだファーストバトルが明らかに近づいてくるのに、本当はすごく走れるはずの主人公のあいかわらずの無関心ぶりに、ついやきもきしてきてしまった。「いいから乗れ、走れ、闘え!」みたいに。これは作者の術中にハマってますよね。ところでこうした、主人公をはじめは競技に対して無関心な素人として設定し、競技に関心のある読者だけでなく無関心な読者も共感させておいて、しかるのちにその共感を競技の側に移させていくというような作劇術は、すぐれたスポーツマンガに共通して見られる特徴だと思うんですよ。実際にも、マンガを読んだ影響でそのスポーツの選手になるケースって多いじゃないですか、特にサッカーとか。

阿部:野球もそうだろうね、『ドカベン』(水島新司作、秋田書店)が大きかった。

砂:これまたマンガならではか、と思うんです。かつて文学が恋愛を教えていた、という話を基調報告のなかでしたんですけど、文学や映画に独特の誘惑方法というか、関心の伝達方法は、マンガのように手法化したりしてるんでしょうか。

阿部:どうなのかな……それは個々人の問題になっちゃうんで。映画そのものに引き込むっていう点であれば――それはどのジャンルでもそうだと思うんだけど――やってきたと思う。そこで話を元に戻して、僕自身がなぜ『D』や『湾岸』に引き込まれたかを話すと、最初『ヤングマガジン』は別のマンガを目当てに購読していて、この二つは読んでいなかったんです。車のマンガだな、程度の認識しかなかった。でも読むマンガを制限しちゃダメだ、という思いがあって、途中から無理やり読んでみた。そうしたら、やっぱりわかんないんですよ。専門用語ばっかりで、全然話についていけない。でもね、『湾岸』の方にちょっと引っかかったんですよ。それはなぜかと言うと、悪魔のZという言葉が出てきた。この言葉に引かれて読み進めるうちに、ようやく何が起きているかがわかってきたんですね。悪魔のZという幽霊みたいな車があって、みんなそれに引き寄せられるように湾岸に集まってきて、事故ったり事故らなかったりしてると。僕もそれに呼応するように悪魔のZに引き込まれたわけ。

『D』の場合は、なつきという娘が出てきていきなり学園マンガにもなるし、これは車だけじゃないんだなとわかった。それからマンガ喫茶に行って最初から読んでみて、これで見事にハマってしまった。『D』の魅力というのは、これは『湾岸』にはない魅力なんですけれども、カーバトルだけじゃなくて、主人公と周囲の人物との関わりがすごく丹念に描かれていること。第一部は夏からはじまって、春の卒業で終わる。そのあいだの経緯が詳細に描かれている点。拓海がカーバトルのなかで成長していく過程と、なつきとの関係が見事に対応して描かれている点。この辺がすごくおもしろかった。そして僕が一番感心したのは、『D』の第1話って、すべての場面がその後の伏線になっているんですね。まったくムダがない。拓海の性格や友人関係、なつきを巡る物語背景から車の話まで、この第1話で物語設定上の説明要項をほぼ満たしているんです。

砂:10巻分くらいの射程はすでにあるという感じですよね。

阿部:じゃあここで何が問題なのかというと、拓海が走り屋としての自覚がないところなんです。現実にはすごい走り屋としての腕を持っているのに、本人の意識はそこから離れている。その距離を埋めていく過程が第一部なんですね。それが同時に、拓海となつきの関係にもなっている。僕はこれがうまいと思ったんですよ。

ツール・ド・フランス
世界最大にして最も過酷かつ偉大な自転車レース。約1ヶ月にわたりフランス全土を一周する。

*
*
*
*
prev
4/10 next