阿部和重 INTERVIEW
TINAMIX
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砂:『湾岸』の話に行く前に、もう少し表現の話をしておきたいんですが、『頭文字D』では、たとえば車を描く時に、常に車の縦揺れを、こう、クリアな輪郭の上に縦線を入れることで示すんですよね<図版1>。こういう描写は『湾岸』ではあまりないんですよ。たいていクリアな輪郭でのみ描かれている<図版2>。

図版1 図版2

さらに『頭文字D』で大事なのは、マンガにおいてスローモーションに相当するような描写は逆に極力なくしている。1巻のここくらいですね<図版3>。この後すぐに、これはダメだとしげのは判断したんだと思うんですよ。図版3あるいは別のマンガの例で言うと、山田貴敏の『ONE&ONLY』(小学館)に見られるような、車の輪郭がギューンとぶれるといった描写。これはつまりシャッタースピードの低い写真で撮った時のスピード感の再現ですよね。ところが、これもやらない、っていうのがしげのの描写なんです。輪郭自体はクリアで、ひたすら止まって見える。

つまりしげのの描き方というのは、ハイスピードシャッターの写真でバシッと撮り静止したものとして車を描き、それに縦の揺れを入れる、ということですよね。縦揺れというのは触覚的なもの、つまり乗り手の再現なわけで、一方写真的定着というのは外部から見たまさに視覚的なものです。車の内部と外部、触覚と視覚を同時にマンガ的視覚で再現する、これがしげのの描写だと思うんですよ。これはかなり良い、というか他にはないセンスだと思います。

東:そういう主観的な揺れは、映画ではフレーム自体の揺れで表現されるほかないですね。

阿部:そうだね。映画にできないマンガ表現について言うと、『D』を読んでいて特に感じたのは、マンガってコマを拡大させたり、縮小させたりすることで、絵の印象の強弱をつけられるでしょう。その使い方がうまいと思った。

砂:たとえば、コーナーからの立ち上がりの加速の速さを、縦のコマとかでガツーンと表現できるわけですよね。

阿部:すごいローアングルで、普通の映画じゃ絶対撮れないような絵をばんばん見せてくれるから。これは映画好きが見てもすごく嬉しいのよ。

図版4砂:ハイスピードシャッターで撮られた写真のように、車が徹底的に止まって見える描写から、あたかも車がガードに突っ込みそうな絵を作り出したりするわけですよ。しかしそれがまさにドリフトの外見ですよね。この描写は『頭文字D』のなかでも進化していくんですけど、たとえばガードとドリフト中の車体の間隔に注目すると、はじめは車がガードと必ず離れて描かれてるんですよ<図版4>。これがたしか10巻くらいから、ガードの向こう側に車があるということなんでしょうが、まさにぶつかって見えるように描写し始めるわけ<図版5>。

図版5これは作者自身が発見していくわけですよね、そういう視覚を。描写の前にまずイメージが制約して、当初は常に自分が走っている時のガードとの距離を視覚化してたということだと思うんですよ。資料で写真を撮る時すら、ガードと車が離れて見える瞬間をベストショットにしていたかもしれない。それが描いていくうちに「違う、ぶつかるように見えるんだ」と考えたか、あるいはミスショットと思っていた写真があるとき不意に腑に落ちるとかして、そうした先入観を超えたまさに写真的な認識を必死に定着させていく。

とにかく『頭文字D』は、読み進めると同時に描写が進化していくし、そもそも当初から従来のクルママンガの描写に対する作者の批評的な意識が高いと言える。そうですね、古い例として『サーキットの狼』(池沢さとし作、MCCコミックス)を持ってきたんですが、さすがにこれは古いマンガだな……たとえばこうなわけですよ<図版6>。

図版6阿部:こうだったんだね……でも当時はこれがすごいと思っていた。実際すごいんだけど、これ自体が(笑)。

砂:『湾岸』の走りの描写もクリアなものですが、いずれにせよ『頭文字D』はものすごく進んだっていう感じがするんです。特にカーブからの立ち上がりの加速をコマと構図で支えていく、といった例に見られるようなモンタージュの進化は素晴らしい。

そういえば『頭文字D』はアニメにもなってましたよね。私が『頭文字D』に出会ったのは、実はマンガよりアニメの方が先なんです。で、アニメ版は車がフルポリゴンだったことで話題にもなったんですが、最初はゲーム画面の再現みたいで違和感を感じつつ見ていました。しかしやがて、これはアニメーターの夢が叶っているのかな、と思い直した。つまり、走りにつれて少しづつ車体の角度が変化していくといったセルアニメならきわめて高度で困難な描写、それゆえ自在に組めなかったようなカーバトルシーンが、ポリゴンによってガンガンできるようになったわけですよね。これは『頭文字D』がマンガにおいてなした描写上の技術革新に対応しているのかな、と。

阿部:そういう部分では、あのアニメには意味があったんだね。僕はマンガから入ったから、まず拓海の声が全然ダメだ! と思ってそれ以降見る気をなくしたんです。こんな声じゃない拓海は、と思って許せなかったんですよ。

砂:ちなみにあまり関係ないかもしれないけど、タイトルすごいじゃないですか。『頭文字D』って。

阿部:これは謎にもなっているわけですよ、第二部以降の。

砂:これの前が何かと言ったら『バリバリ伝説』(講談社)ですから、何か独特なんですよ、しげの秀一のタイトルにおける言語感覚は。でもそれを言ったら楠みちはるもそうで、『湾岸ミッドナイト』は普通かなという感じですが、この前が『シャコタン・ブギ』(講談社)でしょう。

阿部:その前は『あいつとララバイ』(講談社)でしたよね。

砂:明確に、ある走り屋の共同体というか、『CARマガジン』とかで流通している言語にまっすぐ向けてタイトルがつくられているのかな、という感じがするんですけど。

東:走り屋関係の雑誌は、僕もこの対談の準備用に覗いてみましたが、『D』や『湾岸』そのままの世界でしたね。GT-Rが32から、33そして34になることがいかに大きな問題であったか、あるいはカルロス・ゴーンのCOO就任で工場が閉鎖されたけれど、GT-Rの将来はどうなるのか、そういう問題が熱く語られている。でも俺たちのGT-Rは死なない、とか、そういう文章は涙を誘いましたよ。

阿部:GT-Rはあれが最後だって言われているね。それに実際、日産は今のところ負け組ってことになっているでしょう。環境問題にしても、トヨタがプリウスを早々と発表しちゃって。

『頭文字D』はアニメにもなって
1999年10月14日-2000年1月6日フジテレビ系で放映。阿部さんが指摘する拓海の声は、三木眞一郎。

CARマガジン
四輪系月刊誌。発行ネコ・パブリッシング。

GT-R
日産が誇る高速ツーリングカー・スカイラインGT-Rシリーズ。1999年1月にR34型GT-Rが発売された。

カルロス・ゴーン
1999年6月、日産自動車COO(最高執行責任者)就任。筆頭株主仏ルノー社から派遣された日産再建の切り札。

プリウス
トヨタが他社に先駆けて発売したエコロジーカー。ハイブリッド(電気モーター+ガソリンエンジン)が特徴で、二酸化炭素排出量を半減させている。

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