※アフロディーテに対する妄想満載の作品です。
※スウェーデンの町や気候、芸術品に関する表現はある程度調べて書いていますが、妄想部分も多いのでご注意ください。
広大な草原を一頭の白馬が颯爽と駆け抜けていく。観光地シグトゥーナからさらに南の方角、幾重にも連なる壮大な山々に囲まれ、鏡のような湖を臨む夢のように美しい風景。その大地を澄みきった青い空がまるごと包みこんでいた。風と一体化して走るリピッツァナー種の愛馬にまたがり、アフロディーテは自慢のパールブルーの髪が乱れるのも気にせず、この瞬間にすべてを委ねている。故郷スウェーデンは6月に入り、一年で最も過ごしやすい夏を迎えようとしていた。
アフロディーテは聖域で唯一、爵位を持つ聖闘士である。実家は中世から続く伯爵家で、3歳の時に当主であった父を、次いで8歳で最愛の母を亡くした。兄弟姉妹はいない。そのため、彼は幼くして貴族でも稀にみる莫大な財産を相続する事となった。優しく身体の弱かった母は熱心なキリスト教信者だった。アフロディーテを身籠った時、彼女は生まれてくる子が「異国の神の戦士」となる夢を見た。実際、アフロディーテはその予言通りの力…小宇宙を持って生まれたが、その事を誰よりも喜んだのは母であった。アフロディーテが聖闘士への道を選んだのは愛する母への強い想いからでもある。聖戦後、奇跡の復活を果たした彼は迷わず聖域を離れ大切な故郷へ帰還した。
現在住んでいる高台の屋敷は、彼が15歳の時に建てたものだ。クイーンアン様式の優雅で可愛らしい建物で、薔薇色のレンガが庭園の豊かな緑に対比して鮮やかに映える。屋敷の窓からは下方の湖畔に建つ古城を眺める事ができた。彼が幼少期を過ごした城で、もちろん今も手入れが行き届いているのでいつでも滞在可能である。新しい屋敷の方には20名ほどの信頼の厚い使用人たちが代々家族で仕えており、敷地内に一緒に住んでいる。皆、自分たちの若き当主が「神の戦士」である事を知っており、全員がこの事実を外部の人間に漏らさないという誓いを固く守っている。有り余る財力を持つアフロディーテだが、特権階級の人間がやりそうな傍若無人な態度などは一度としてとったことがない。彼にとっては全員が自分の親や兄弟姉妹であり、屋敷内はいつも明るく笑い声が絶えなかった。
アフロディーテが門前に着くとすぐに厩係が出てきた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。少し遅いので心配していましたよ。」
「ごめんごめん、つい楽しくてね。今日のキュプロスは絶好調だったよ。よく走ったからたっぷり水を与えてくれ。」
アフロディーテは愛馬に顔を寄せて優しく撫でると、笑顔で手綱を渡した。両側を満開の薔薇が彩る長い通路を歩き、屋敷の中へと入る。今日はこれから客人が来るのだ。とても大切な人たち…そのうちの一人は最愛の人である。久しぶりに会える喜びに朝から落ち着かず、つい馬で遠乗りをしてしまった。そろそろ支度をしなければ……彼は鼻歌まじりに自室へ入ると、汗を流すために奥のバスルームへ向かった。
姿見の前でお気に入りのピンクのブラウスの胸元を直し、ウェーブする髪の具合も念入りに確かめる。はやる心を押さえつつ窓辺に腰かけていると、馬車の音が次第に近づいてくるのがわかった。途端にアフロディーテは子供のように部屋を飛び出しあっという間に門前に駆けつけた。馬車の窓から2人が手を振っているのが見える。到着するとすぐにドアが開き、アフロディーテは客人に飛びついてその頬に挨拶のキスをした。
「ようこそ我が屋敷へ!サガ…会いたかった!」
「久しぶりだなアフロディーテ。元気そうで良かった。」
間近に見るサガの潤んだエメラルドの瞳に思わず顔を赤らめる。美を誇るアフロディーテから見てもサガの両性美はとても神秘的で説明しがたい。特に、彼独特の憂いを含んだ切れ長の眼差しには心底魅力されてしまう。我慢できずにアフロディーテはもう一度強くサガを抱きしめ、その頬に深くキスをした。
「おいおい、私を忘れないでくれよ。」
笑いながらアイオロスが馬車から降りてくる。アフロディーテはサガに抱きついたまま、悪戯っぽい笑みを浮かべてアイオロスに手を振った。アフロディーテがこんな姿を見せるのは愛しい先輩にあたるこの二人にだけである。名残惜しそうにサガの頬を撫でた後、彼はアイオロスの両頬にも挨拶のキスをした。今日のアイオロスは白いインナーに青い七分袖のジャケット、ヘーゼルのスラックスという格好である。真冬でもランニングと短パン姿でアイスを食べ歩くのが平気なアイオロスなので、このような姿はとても珍しい。「ラフな服装でいい」と言われてたものの、アフロディーテの屋敷に泊まるというので少し気を使ったようだ。サガもアイオロスとお揃いの服装で、色違いの白いジャケットにライトブルーのスラックスを身につけている。それぞれよく似合っていた。
「びっくりしたよ。駅からタクシーを使おうと思ったら馬車が来てるんだから。」
「二人をびっくりさせたかったんだ。楽しかったでしょ?」
「馬車なんて初めて乗ったよ。けっこう早く走るものだな。素敵な演出をありがとう。」
二人を前にしてアフロディーテはとても嬉しそうだ。使用人たちも、自分たちの主人が子供のようにはしゃぐ姿に笑顔を浮かべた。
「さあ、中へどうぞ。二人には見せたい物がたくさんあるんだ。」
アフロディーテは二人の真ん中に入り、腕を絡ませて庭園を進んでいった。
「もっとヴェルサイユ宮殿みたいな、派手な大邸宅を想像してた。」
アイオロスの素直な感想にサガもあちこち見渡しながら頷いた。広い玄関ホールを通ると、建物の外装とは異なって白と金を基調色としたロココ調の優雅な内装に目を奪われる。華やかではあるが宮殿のような派手さはなく、窓枠や扉などあらゆる装飾にさりげなく薔薇のデザインが取り入れられていた。廊下の両側の壁には本物と思われるバルビゾン派の風景画が美術館のように並び、各部屋ごとにも、古典から近代まで実に様々な名画やアンティークのオブジェが飾られていた。家具一つとっても宮廷様式の一級品ばかりだと見てすぐ分かる。アフロディーテは可愛らしい金色のキューピッドの飾りがついたドアを開けた。
「二人のお部屋はここ。荷物も全部届いてるよ。」
案内された二人は中を覗いて思わず口をつぐんでしまった。この部屋だけまるで女子専用みたいだ。内装も家具も迫力あるキングサイズのベッドも、何もかも美の女神のシンボルである薔薇と白鳩とキューピッドの装飾だらけで、金色とピンク色しか目に入ってこない。室内は香がたかれているらしく、すでに甘く良い薫りがたちこめていた。
「この部屋は特に頑強な防音壁で作ってある。大声を出しても大丈夫だからね。」
アフロディーテの実に無邪気な言い方にサガは顔を真っ赤にし、アイオロスは照れ笑いをしながらボリボリと頭をかいた。アフロディーテはまるで気にせず、ずっとはしゃいでいる。
「あぁ楽しみだなあ〜来週には白夜も始まりそうだし、これで夜通し遊べる。馬で遠乗りもしたいし。あ、とりあえず明日は湖で釣り大会をやるからね。湖畔に昔の屋敷があるからそこで休めるよ。」
「アイオロスは釣りが得意なんだ。」
サガの言葉にアイオロスは得意気な顔をした。
「釣名人と謳われてきた老師に勝った事がある。私が釣糸を垂らすと魚が吸い寄せられてくるんだよ。」
「それは楽しみだ。魚座としては絶対負けられないな。あ、もちろん小宇宙はナシで頼むよ。」
リビングに向かう途中、急に廊下を右へ曲がる箇所が現れ、突き当たりに扉が見える。両側の取っ手を合わせるようにして金細工の薔薇のツルがからみつき、溶接されている。どうみてもこれでは開けられない。今まで見た部屋とは明らかに違う特別なものだとアイオロスとサガは思った。
「これだよ、二人に一番見せたかったものは。ここは私しか開けられないんだ。」
アフロディーテは嬉しそうにその扉の前へ進み、金細工にそっと触れた。彼が触れると金細工のツルがほどけるように動き、扉は完全に開けられる状態になった。彼は両方の取っ手を掴んで重たげにゆっくりと開けて中に入った。
清浄な室内の空気と限界まで落とされた照度。ほの暗い異空間の中でそれは幻のように浮かび上がって見えた。目の前に広がる光景にアイオロスとサガは驚きを隠せない。
「すごい………初めてこんな近くで見た………」
「私の宝物なんだ。手にいれた時は興奮しすぎて数日眠れなかったよ。」
円形状に作られた壁が6点の巨大なタぺストリーを両腕で守っているように見える。鮮やかな緋色を背景に、目も眩むほど織り込まれた無数の花々。その中で気ままに遊ぶ動物たち。中央に立つ美しき主人公。そして彼女を守るように寄り添う聖獣……その白い身体が一際輝いて見えた。
「世界の至宝、”貴婦人と一角獣”。フランス政府にかけあってようやくこの屋敷に迎える事ができた。交渉に半年はかかったかな。」
「芸術音痴の私でも知ってるよ。スッゴいなあ……これ、本物なんだろ?」
「もちろん。」
「高いんだろ?……けっこう無理したのか?」
「うーん、まあね。でも投資の配当金もあるしそんなに困ってないよ。」
アフロディーテの言葉にアイオロスは思わずため息を洩らした。
「信じられん。こんなものよく買えたよなぁ……スッゴいなぁ……」
「だって欲しかったんだもの。」
子供のように言うアフロディーテの様子にアイオロスはただただ「スッゴいなぁ」を繰り返し、サガはタぺストリーに見入ったまま何も言えない程の衝撃を覚えていた。タぺストリーに描かれるすべての生き物の目がこちらを見ているように感じる。その生々しささえ感じる視線に二人は圧倒されていた。永い時を紡いできた芸術品が持つ独特のオーラは、百戦錬磨の彼らでも畏れを感じるほどである。まさに神の化身。「神」というものは常に人の形をしているわけではない……そう言わんばかりの神聖さだ。
「嬉しい反面、緊張感もすごくあるよ。持ち主に重い責任がかかってくるからね。室内の状態を徹底的に管理しないといけないし。購入はしたけど、個人的にはレンタルしてるイメージかな。大切に保管して、私の最期が近づいて来たらまた元の場所にお返しするつもりだよ。」
「その最期が相当後になるんだよな、私たち聖闘士は。政府もつくづく厄介な相手に売ったもんだ。」
まったくその通りだと、三人は笑った。サガは夢見るような瞳でタぺストリーを見上げた。
「私たちが消えた後もずっと生き続けるんだろうな……それこそ、地球が本当に寿命を終える日まで。」
「そうだね…でも、できれば遠い未来、ついには地球を離れて宇宙都市のどこかのお屋敷に飾られていると嬉しいよ。」
「お前の子孫なら出来そうな気がするな。」
アイオロスは半ば本気で言うと、しばらくタペストリーに見入っていた。
ピピピピピ……と、室内に小さな呼び出し音が響いている。アイオロスはポケットの携帯を取り出し名前を確認すると、「ちょっと失礼」と言いすぐに廊下に出ていった。二人だけになると、先ほどよりさらに室内が静かに感じた。サガは6点のタぺストリーの前を何度も行き来し、人間技と思えない細部の表現を間近で堪能している。タぺストリーに見入るサガを気づかってアフロディーテはしばらく黙っていたが、アイオロスがなかなか戻ってこないのでそっとサガの横に並んだ。
「我が唯一の望み。」
サガはアフロディーテの方を見た。
「Mon seul desir……我が唯一の望み。6点中最も謎とされるこの作品のタイトルだよ。ほら、青いテントの上の部分にちゃんと書かれてる。 」
「ああ、本当だ……」
アフロディーテがその部分を指差すとサガは新しい発見をしたように笑顔を見せた。
「この貴婦人が箱からアクセサリーを出そうとしてるのか、その逆なのかよく議論されてるけど。まあ、真意はさておき、貴方自身はもう手に入れたんでしょうね。」
「何を?」
「唯一の望みを。」
いつの間にかアフロディーテは一輪の赤い薔薇を手にし、口元に当てていた。じっと見つめてくる澄んだターコイズブルーの視線に、サガはその言葉の意味を理解して少し赤くなった。6歳も年上なのにアフロディーテよりずっと恋愛経験の少ない自身に恥ずかしさを感じる。サガの初な反応にフフッとアフロディーテは笑うと、持っていた薔薇をサガの胸元のポケットに差し込んだ。
「……もっとも、私も半分は手に入れたようなものだけど。」
「半分?」
言葉の真意が今ひとつ読めず、サガは首を傾げた。それでも不思議とアフロディーテは満足そうだ。
「今度は自分で発注してタぺストリーを作るつもりなんだ。寝室に飾りたい。その時はサガにモデルになってほしいな。サガは羽根が似合うから天使の姿がいい。一角獣はアイオロス、獅子は…やっぱりアイオリアかな。ほら、彼ってたまにあんな顔をするでしょ?」
アフロディーテは作品の1つ「触覚」に描かれる獅子を指差した。雄々しい身体の割にどこかきょとんとした眼差しの獅子を見て、サガはアイオリアがたまに見せる子供みたいな顔を思い出して吹き出した。
「二人はぴったりだな。しかし私が天使はないだろう。お前の方がよっぽどそれっぽいと思うが。」
「私はミルフルールで結構。」
「周りの花でいいのか?」
「ええ。そのかわり全部薔薇にするけどね。」
「それはお前らしいな。でもやっぱり真ん中はお前が似合うよ。最も美しい聖闘士なんだから。」
「さあ…どうかな?…昔はとにかく美にこだわって生きてきたけど、色んな敵に会って痛い目にもたくさん合ったし。これでも少しは寛容になったんだ。過酷な聖戦を経てね。」
またしても不可解な言葉にサガは少し困惑したが、そんな雰囲気をガラリと変えるようにアフロディーテは揚々とタぺストリーの細部を説明し始めた。サガも話に聞き入り、しばらくすると再び作品に心を捕らわれたように沈黙した。柔らかな室内の明かりに照らされ、星のように青く瞬くサガの髪をアフロディーテは後ろからじっと見つめている。
ああ、やっぱり母の髪に似ている……
最愛だった母の姿がサガに重なる。今すぐにもその背中にすがりつきたい、そんな衝動にかられたアフロディーテは再び指先に薔薇を作り出すと、気持ちを抑えるようにその花びらに口付けた。
サガ……私が心から愛する”唯一の望み”。初めて聖域で貴方に会った時、私が手のひらの上で作ってみせた薔薇の花を貴方はとても喜んでくれた。聖闘士になる不安でいっぱいだった私にとって、貴方の優しい笑顔は母そのものだった……あの時から私の気持ちは今も変わっていない。貴方が聖域を偽っていたあの時も、私は最後まで絶対的に貴方の味方だった。貴方は私の知るあらゆる美を超えた神秘の人だ……叶うなら、アイオロスと一戦交えてでも貴方を手に入れたかった。毎日貴方を抱きしめて、日夜を問わず愛せたらどんなに幸せだっただろう?……でも、貴方自身がアイオロスを選んでしまった。あの時はすごく悲しかったな。それでも…私は完全には諦めてないよ。恋人にはなれなかったけど、私は貴方の一番近い親友としてこれからもずっと側にいるつもりだ。
貴婦人を囲む無数の花たちのように。
増殖していつの間にか人物さえも飲み込んでしまうような千の花のように。
隙があればすぐにでも貴方を……
急に扉が開き、アイオロスが笑顔で入ってきた。
「やれやれ…アイオリアからだった。書類の事を聞かれて時間がかかってしまった。」
「彼は真面目だからね。お兄さんが恋人と旅行中でもお構い無しなんて、彼らしいね。」
アフロディーテはそう言うと、アイオロスの胸ポケットにも薔薇を差し込んだ。
「さあ、そろそろお茶の支度が出来てるだろうから、リビングに行こう。」
「あれっ、もう行っちゃうのか?……まだあんまり見てないよ。」
「1ヶ月も滞在するんだから、まだまだ好きなだけ見られるよ。後でまた一緒に見させてもらおう。」
ぷうっと頬を膨らめたアイオロスだったが、それもそうだとすぐに元の笑顔に戻り、サガの肩に手を回した。二人が廊下へ出ると、アフロディーテは一度室内を振り返った。穏やかな明かりの中、白く光る一角獣がこちらを見て微笑んだような気がする。それに応えるように悪戯っぽくウインクすると、アフロディーテは両手でゆっくりと扉を閉めた。
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