真恋姫無双 幻夢伝 第五章 2話 『ショック!ショック!ショック!』
凍える寒さの汝南の冬。山々は白くなり始めた頃だというのに、城の中は熱くなっていた。
「いい加減にしなさい、凪!」
ドンドンと凪の部屋の扉を叩きながら、詠は怒号を上げた。ガチャリとその扉が開く。少し空いた隙間から凪が、青白い顔を出した。
「詠さま、すみません……気分が悪いので、休ませて下さい……」
「華雄。よろしく」
詠の後ろにいた華雄が、その扉を力任せに開いた。驚いた様子の凪が、その全身を表す。
「邪魔するわよ」
「詠さま!」
ずかずかと入ってきた二人は、中にあった椅子にそれぞれ座った。凪にも席に着かせると、詠は大きなため息をつく。
「凪!まだ結婚すると決まったわけじゃないんだから、しっかりしなさい!」
母親のように叱りつける詠に、凪も子供のようにぐずった。
「で、でも、曹操さまにも求婚されたのですよね……じゃあ、どちらかと結婚するのでは……?」
「……やっぱり知っていたのね」
使者には正使と副使がいる。先日、曹操の求婚の文を持ってきた桂花は“急病”になってしまったが、副使は主君の密命を受けていたのか、やはり汝南中に婚儀の噂をばらまいたらしい。
ところが、孫権との噂もある。二つの噂に民衆が騒ぎ出していた。
『曹操領内に特権を得ているというのに、それをみすみす手放すというのか?!』
『だが、南海の産物を交易出来ないのも大きいぞ』
といったように、市場では毎日、曹操派と孫権派に分かれて激論が繰り広げられていた。
当然、その噂は武将たちの耳にも入る。
「それはアキラが決めること。お前はお前の仕事をしろ!」
「しかし華雄さま、隊長のお側でお仕え出来なくなることを考えてしまって、それだけでもう……」
重症だ。うつむきがちの凪の前で、詠と華雄は顔を見合わせて、再びため息をつく。こうなればアキラに説得してもらうしかない。
「お二人は」
「うん?」
二人の様子を見ていた凪が、今度は逆に質問してきた。
「お二人は、隊長が結婚されてもよろしいのですか?その、利害とかではなくて、感情として……」
「どういう意味?」
「はっきり申し上げますと、お二人は隊長のことが好きではないのですか?!」
思わぬ反撃に、詠は少し身をのけぞらせた。
「な、何を言っているのよ?!」
「詠さまだって好きですよね!怒りながら隊長と話されていても、こころなしか嬉しそうですし」
詠の顔がボッと赤くなる。まさに追い詰められたネズミに噛まれた形となった。恥ずかしさに身が縮こまってしまう。
そんな中、隣にいた華雄はぼそりと発言する。
「好きさ」
二人の視線が華雄に集まる。「でも」と彼女は続けた。
「あいつの人生を決めるのはあいつ自身だ。どんな選択をしたとしても、頭であるあいつに従う。それだけだ」
「さすがです、華雄さま。でも、私は……」
その時、扉が勢いよく開いた。息を切らして入ってきたのは、真桜と沙和だった。
「隊長から手紙が来たの!」
沙和から詠に渡された手紙に、全員の視線が集まる。ゆっくり開いた手紙には、簡潔にこう書かれていた。
『ちょっと考える時間が欲しい。しばらくよろしく』
絶句。真桜が一言だけぼそりと言った。
「隊長、これはないわ」
そして全員、詠の顔を見られない。プルプルと震えてくる彼女に止めの一発が、部屋に入ってきた。
「え、詠ちゃん。霞さんたちが帰ってきちゃったのだけど」
すくりと立ち上がった詠は、感情を爆発させて叫んだ。
「あの、バカ君主!!」
一方、呉でも騒動が巻き起こっていた。何を隠そう、蓮華がこの事態に気付いたのだ。
柴桑の訓練場で兵士の動きを見ていた祭の元に、亜莎が近寄ってきた。
「祭さま。これは一体?」
「別に対してことではない。権殿が騒いでおるだけじゃ。ほれ」
祭が指で示した先には、城門前の広場で部下に対して、怒鳴るように命令を下す蓮華の姿があった。
「思春!姉様を急いで探せ!冥琳でも構わん!とっちめてやるのだから!」
柴桑城に乗り込んだ蓮華は、額に青筋を立てながら、姉たちを探し回っていた。一番の武闘派である思春がたじろぐほど、殺気立っている。明命に至っては、自分が怒られているわけではないのに、涙目になっている。
「遠慮をするな!縄で縛って、猿轡をはめて、私の前に引きずり出すのだ!!」
「はっ!!」
「明命も!返事!」
「は、はい!!」
辺りを走り続ける蓮華やその部下たちに、祭はあくびが出た。あの要領の良い二人が捕まるはずがない。無駄なことである。
「それにしても」
と、つぶやいた祭に、亜莎が振り向く。
「政略結婚などつまらぬ真似などしなければ良いものの。李靖ごとき、儂が行って捕まえて来れば、それで仕舞いじゃろう?」
「さ、祭さま。それはちょっと……」
祭を諌めつつも、亜莎は「でも」と言葉を継いだ。
「もうすぐ戦争が始まることは間違いないと思います」
「む?」
「李靖にとって、どちらかを選択するということは、どちらかを選択しないということです。断られた方が反発することは必至。いずれにせよ、この三国同盟はこれで破綻するでしょう」
「なるほどのう」
袁紹が支援を求めた時など、あいまいな態度を取ってきた自国の外交政策に嫌気がさしてきた祭にとっては、敵味方が分かりやすくなるのは好ましかった。
しかし強気な彼女もひとつ心配をしてみる。
「ただ、李靖が曹操に付いたらどうするのじゃ?1対2はちと厳しいぞ」
「ここだけの話ですが……」
亜莎は祭の耳元に口を寄せる。
「穏さまが現在、劉備に接触しているようです。あくまで保険ではありますが」
「ふん。公謹もやりおるわい」
風が吹き始めた。祭は機が熟しつつあることを感じ取っていた。
それらに比べると、魏の人臣は落ち着いていた。華琳を慕う者の中には反発するのもいたが、彼らは一様にこう考えた。
『荀彧さまが賛成なさったのだから、自分たちがどうこう言っても仕方がない』
「まんまと桂花は利用されたわけですか」
「可哀そうなことをしたわ」
そう言う華琳ではあったが、その顔に反省の色は見えない。自分の策が当たり、満足げにお茶を飲む華琳の隣で、秋蘭は桂花に本当に同情した。
(我が主君ながら、むごいことをなさる)
愛する主君の婚儀を進める役目を、知らず知らずの内に見事に果してしまった。それ以来、床に伏せている彼女の心中は察するに余りある。
「私が訪ねて行っても返事さえくれないのよ。困ったものね」
「……どうか、桂花をおいたわり下さい」
春蘭も袁家の残党掃討戦に赴いている。彼女がいるはずの南皮は今、大雪が降っていて、こちらの噂が届くまでにはあと数か月はかかるであろう。
こう考えると残りの障害は、孫家だけとなった。もっとも、これが一番の障害ではあるが。
「それで、アキラからの返事はまだ?」
「はっ!何度も催促しておりますが、不在とのことで、返事はまだ貰っていません。ただ、年末は汝南に帰ってくるはずですので、その辺りには返事が来るはずです」
「それだと決着がつくのは年越しになってしまうじゃない。それは嫌よ」
「そうは言いましても」
華琳はグイッと湯呑を傾けてお茶を飲み干す。それを置くと、秋蘭にこう告げた。
「汝南に行くわ」
「か、華琳さま?!」
「秋蘭。あなたも同行しなさい」
華琳の命令に、秋蘭は口澱みながらも諌めてみる。
「さすがに本人の目の前で返事をしろというのは……」
「それもそうね。では、こうしましょう」
そう言った華琳はおもむろに、自分の髪留めを外した。カールがかかった長い金色の髪が、彼女の背中に伝う。
「私は変装していくわ。正使はあなた。副使は私」
「いや、それは…………分かりました。参りましょう」
策を弄し過ぎるのは自分の主君の悪い癖と知ってはいたが、それを講じる彼女は容易に止められないことも理解していた。こうなれば、従うほかない。
『秋蘭!お前まで華琳さまのご結婚に協力したとは、どういうことだ?!』
と姉にどやされることを予想しながら、楽しそうな華琳を後目に、旅支度をしようと部屋を出て行った。
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