真恋姫無双 幻夢伝 第五章 3話 『歴史の諧謔』
「まあ、その、なんだ……悪かったよ」
華雄に“連行”されて、アキラが汝南に戻ってきたのは、師走の半ばであった。そして戻ってきた彼は、早々に戻ってきたことを後悔していた。
帰って来てから数日の出来事を振り返って、アキラは頭をポリポリと掻いて愚痴をこぼす。
「まいったな」
「あんたのせいでしょ!何とかしなさいよね!」
詠に叱責されて、ため息が出る。彼女の後ろでは、腕を組む華雄は眉間に皺を寄せてイライラとしていることが見受けられ、月はそっぽを向いてしまっている。二度目のため息が出た。
深刻な状況であった。非番の時は必ずと言っていいほど霞は、酒瓶片手に「アキラのあほー!」などと喚き散らし、その隣で真桜や沙和も赤ら顔で「そうや!たいちょうのドスケベ!」「たいちょうのヘンタイ!」と大声で相槌を打つ。
そして大抵の場合、酔いつぶされて寝っころがっている凪は、アキラの姿を認めると、四つん這いで追いすがって来て
「たいちょう!なんでもやりますから!ワンと鳴けと言われたら、ワンと鳴きますから!」
と支離滅裂なことを必死に主張しているのが、通例になってしまっていた。
その他の武将はというと、
「それで……って、いい加減、恋をどかしなさいよ!」
「恋、どいてくれない?」
「……いや…!」
アキラの膝の上に座って抱きついている恋は、かたくなにそこから降りようとはしなかった。抱え込まれたアキラは、腕もろくに動かせない。
最初は、この事態を良く理解できなかった彼女ではあったが、霞に「アキラが盗られてしまうで」と諭されたことで、彼女なりに飲み込んだようだ。2日ほど前からずっと、アキラの傍を離れようとせず、座った時はいつもその膝の上を陣取る。凹凸の激しい彼女の身体に、アキラは正直、性欲を持て余していた。
勿論のことながら音々音は、アキラと恋を離そうと努力したが、恋に「じゃま」と言われて大変落ち込んだ。それが昨日の出来事である。それ以来、近くの柱の陰から、歯ぎしりしながらそれを憎々しく見ている。今もだ。
詠もため息をつく。
(こんなことをしているなら、自分で聞けばいいじゃないの)
他の武将・文官たちにしろ、実はアキラに直接、「どちらと結婚するのか、もしくはしないのか」と尋ねた者はいなかった。普段から強気な華雄や霞でさえ、それを聞くことを躊躇っている。
要するに、怖いのだ。
(肝心なところで、だらしがないのだから)
しかしこの事態だ。彼が出した結論を聞く必要がある。こうなれば軍師である私が聞かねば、と詠は決意し、恋を無視してこう切り出した。
「まあ、いいわ。それでね、アキラ」
「なんだ?」
「あんたは、どうするつもりなの…?どっちと、け、結婚……するつもり?」
こわばった表情の詠を見透かすように、アキラはニヤリと笑う。
「そうだな……詠は、どうしたらいいと思う?」
「あ、あんたが決めなさいよ!さっさと答えなさい!」
「分かったよ」
月や華雄、そして恋や音々音も息を飲んで注目する中、アキラは結論を出した。
「俺はどちらとも結婚しない」
「本当に……?」
「ああ」
それを聞いた途端、月はホッと安堵して胸を撫で下ろし、華雄はそれでこそ、と言わんばかりに微笑みながらゆっくりと頷いた。恋は一段と力強く抱きついてくる。まだ柱の陰にいた音々音は「ちっ!さっさと、どっかに行ってしまえばいいのです」と悪態をついたが、嬉しそうなその表情は隠せていなかった。
詠も笑みをこぼしそうになったが、ブンブンと首を振ってようやくごまかし、何か言われる前にアキラにその理由を聞いた。
「理由か?そうだな、一番はこの三国同盟の均衡が崩れることだな。俺としてはこの形のまま天下が治まることが理想的なんだ。あとは」
「あとは?」
「結婚したら遊郭に通いにくくなるし」
あきれた、と詠が言って、全員が苦笑いを浮かべた。穏やかなその空気に、アキラも笑った。
実を言うと、本当の理由はもうひとつある。ずっと前に華琳に話したように(十四話参照)、天下が治まれば自分は消えようと、彼は今でも考えていた。そんな彼に結婚などもっての外だ。
そのような悲壮な思いを抱いていることは、ここにいる誰も想像していない。
しかし、と詠が心配ごとを口にする。
「どうやって断るつもりなの?まさか今話したことを、そのまま言うわけじゃないわよね」
「当たり前だ。それはだな……」
「た、隊長……夏侯淵さまがいらっしゃいました」
元気なく報告に訪れたのは、凪だった。曹操の使者と聞くだけで、不安になってくるのだろう。いつもの凛々しさが影も形も無い。
そんな彼女に華雄が伝える。
「安心しろ、凪。アキラは結婚しないそうだ」
「えっ!!ほ、ほんとうですか、隊長!」
アキラが頷くと、凪の目からポロリと涙がこぼれた。「わっ!わっ!」と驚いてそれを止めようとした凪ではあったが、涙は止まらず、ついには華雄の胸の中で号泣し始めた。華雄は優しく抱きとめる。
その光景を微笑ましく見ながら、アキラは詠に伝える。
「ちょうどいいや。まずは華琳の方を断ってくる」
「心配だけど……いいわ、しっかりね」
椅子から立とうとしたアキラではあったが、どうにも重いものが乗っかって動けない。
「恋、仕事だからどいてくれ」
「………アキラは……どこにもいかない…?」
「ああ」
「……本当に…?」
「本当に、本当だ!」
アキラの顔をじっと見ていた恋だったが、突然、その顔をペロリと舐めた。
「なっ!のわっ!」
「れ、恋殿!なにを?!」
音々音が急いで走り寄って引きはがそうとしたが、構わず彼女は舐め続けた。赤い舌を使って、アキラの口元を中心にぺロ、ぺロ、ぺロ。顔をそむけようとするアキラの周りでは、詠たちが顔を真っ赤にしてその光景を見つめていた。凪もすっかり泣き止んで、唖然としてそれを見ている。
そしてしばらくなめまわした後、やっと恋は膝から降りた。皆が見ていることに気が付くと、彼女はボソリとこう言った
「……ホクトのまね」
「恋の飼っている犬のこと?」
詠の問いかけにコクリと頷いて、彼女は部屋を出て行った。犬が飼い主の口をなめるのは、上位者に対して「一緒にいてね」という意思を表しているという。彼女は無意識のうちに、そういう意思を示したかったのだろうか。
その後ろ姿を見送る部屋の中、我に返ったアキラも席を立つ。
「さ、さあ!会って来ようかな!」
謁見室へと早足で向かうアキラの耳に、「いいな」と誰かがつぶやく声が聞こえてきた。凪の声に似ていた。
謁見室に入ってきたアキラに、秋蘭は頭を垂れた。冬の淡い光が、南側に向く窓から入ってくる。
「久しぶり、と言うほどでもないか、秋蘭」
「突然の訪問、失礼しました。お元気そうで、アキラさま」
椅子に座るアキラと、立つ秋蘭。身分の差はあれども、お互いに親しげな表情を浮かべる。アキラと曹操軍の武将たちは、官渡で一緒に戦った経緯から、互いの真名を交換していた。
この謁見室は先日、蓮華の態度に激怒した詠が、城内に作らせたものだった。使者として扱う際、相手を立たすことで身分の差を示す意図がある。もっともアキラの意向で、手狭に作られていて、互いの距離が遠くならないようにしている。
アキラの目の前に立つ秋蘭は、さっそく本題に入った。
「今日は婚儀の返事を頂きに参りました」
「ああ、それなのだが……」
と、ここでアキラは秋蘭の後ろにいた小さな影に気が付く。
「そちらは副使かな?」
「ああ、これは」
「曹叡と申します。字は元仲。この度は副使に任ぜられました。お見知りおきのほどを」
と言葉少なく自己紹介をした。
彼女の全身は白い衣に覆われていて、そのフードが顔半分まで覆っていた。辛うじて小さな口と金色の長い髪が見えるぐらいだ。聞いたことのない名前であったが、曹家の一門衆かと、アキラは考えをめぐらせた。とこかで見た覚えもある。しかし思い出せない。
読者の方は気が付いているとは思うが、彼女は言うまでもなく、華琳である。
「話に戻りましょう。いかがですか」
秋蘭は再び彼女の前に動いて、アキラに質問した。彼は一回息を吸うと、次のように“事情”を話し始めた。
「自分が言うのも変な話だが、俺は性欲がかなり強い方なんだ。一度に何人もの女、それも一晩中抱いていないと収まらない。自分でも大いに困っている」
えっ、と目を丸くする秋蘭に、立て続けにこう言った。
「それに普通の抱き方ではつまらなくてな。なんというか、こう、言うのもはばかれる特殊な抱き方が好みでさ。大抵の女は、一回抱かれたら、次からは断固として嫌がってしまう」
秋蘭が絶句する一方で、アキラの背後に置かれた衝立、その後ろに隠れていた詠が感心して聞いていた。
(なるほどね。国家の問題を個人的な問題にすり替える作戦か)
アキラ個人が結婚に不適合と分かったなら、この話は自ずと破綻するだろう。彼の狙いとしては、相手から断らせることにあった。どうしようもない男だと思わせて断らせたなら、お互いの感情も傷ついにくい。これなら大丈夫だろう、と安心した彼女は、静かに部屋を出て行った。
本当に困っているのだ、といった苦笑いを浮かべる“演技”をするアキラは、締めの言葉を口にする。
「さすがの華琳とはいえ、きついだろう。どうだ?こんな俺と結婚で「できますわ」
えっ、と今度はアキラと秋蘭2人そろって驚いて振り向く。副使であるその女は口元に笑みをたたえていた。
「華琳さまは包容力のある方ですから、どんな殿方でも対応できますわ」
おいおい、とつぶやいたアキラは、あわてて問いただす。
「本当に特殊なんだぞ?」
「大丈夫でしょう」
「縛ったり、服を引き裂いたり」
「構いません」
「おもらしさせたり、外でやったり」
「だ、大丈夫です」
アキラは頭を抱えた。これは予想していない。確かに、こいつらの仕事は結婚をまとめ上げることだから、その後の夫婦生活などどうでもいいに違いない。“この場に華琳がいない”から、こう食い下がることが出来るのだろう。
ここで彼はハッと思いついた。
(“この場に華琳がいない”ことを、こちらも利用すれば!)
そう考えた彼はこう、言ってしまった。
「……実を言うとな、俺は華琳のあの体には興奮できないのだ」
空気が固まった。秋蘭の顔は青白く染まり、あの副使も何も言わない。部屋は静まりかえる。
我ながら酷いことを言うとは思うが、さすがに個人の性癖には関与できまい。それに、こんなことを華琳に報告できるはずもない。
(これはいける!)
と思い込み、アキラはさらに言い続けた。
「本当に申し訳ないのだが、俺はあの幼児体型は無理なんだ」
「あ、あの」
「胸もある程度、大きくないとな。どうしても抱く気にならない」
「いや、その」
「秋蘭ほどの体型なら文句は無いのだが、いやぁ、なんとも残念だな!」
「あ、あきら!」
悲痛な面持ちで発言を止めようとした秋蘭に構うことなく、アキラはケラケラ笑いながらつらつらと述べていく。
その時、地獄の釜の底から呼ぶような声が聞こえた。
「アキラ」
天性の勘が危険を察知し、彼は笑うことを止めた。先ほどとは質の違う沈黙。背筋に悪寒が走る。この声は聞いたことがあった。
副使が秋蘭を押しのけて、前へと進んでくる。押しのけられた秋蘭は、よろよろと壁の方へと退避した。その顔は今にも泣きそうだ。
アキラの目の前まで来た彼女は、ゆっくりとそのフードを脱ぐ。
そこには、彼が見知った顔があった……。
歴史は時々、とんでもない歩み方をする。後世の人々が皆、首を傾げる曲がり方をするものだ。もし歴史の神様がいるとするなら、非常に諧謔が好きに違いない、と筆者は思う。
こうして華琳との婚儀の話は、彼らに悲惨な記憶だけを残して、ご破算となった。
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結婚話ラストです。こんな流れになりました。