紅と桜~小さな約束~
雨泉 洋悠
生徒会室の窓の向こう、黒い雲と、そこから落ちてくる雨の音が、うちの周りを包んでる。
こんなに強い雨の降る日は、あの日のにこっちを想い出すなあ。
窓に打ち付けて、流れ落ちる、幾筋もの水の、奏でる音色。
私の心を、撫で付けて、この部屋の静寂の奥に溶けてく。
今ここに居る今に、心を砕く日々を、失ってしまったのは、何時だったかな。
もう、そんなものは、既に記憶の彼方。
私らしかった日々も、今はどこかに。
お父さんから貰った、生来の前向き思考で、やってきたけれども、擦り減る想いを止められなくて、悲劇のヒロイン、柄じゃないけど、もう私には、それが似あってしまうぐらいに、何もないよ。
去年の今頃は、正確にはもうちょっと先だけど、今日が楽しみだったな。
にこっちの、初めて本当の笑顔を見ることが出来たんは、二年前の今頃からもうちょっと先の、にこっちの大切な日やったな。
にこっちの、大切な部室で、窓からは夏の強い陽射しが差し込んでいた。
「希ちゃん、これって」
ちょっとばかり、きょとんとした感じのにこっちが、びっくりした時の、うさぎみたいやった。
「にこっち、今日誕生日やろ?うちからのプレゼント」
うちが渡した、ピンク色の紙袋と、うちの顔を交互に見る仕草が、嬉しかったな。
「ありがとう!希ちゃん!開けるね!」
嬉しそうに包みを開く、にこっちの小さな両手が、何や両親からのプレゼントを喜ぶ子供みたいで、柔らかそうやったな。
「わーリボン、真っ赤だ」
桜色のにこっちの傍にいると、いつもその香りが、心地よく胸に届く。
「うちな、にこっちの色はピンクやと思うし、いつも着てるその色が大好きなんやけど。うちがあげたいと思ったのは赤色何よ」
首を傾げるにこっち、好奇の目で、うちの言葉の先を促してくる。
「あのな、ピンクに一番映える色はな、赤なんよ。これは、日本古来から、ずっと変わらない事実なんよ」
にこっちが、感心した表情を向けてくる。
「希ちゃん凄い、何でも知ってるね!」
あんな素直なにこっち、もう見れへんな、今のにこっちの方が、うちはずっと良いけど、それでもちょっとな、残念やね。
「にこっち、覚えておいてな、にこっちが持ってる、にこっちに似合う、一番素敵な色。それに一番映える、今日あげた色のことな」
ちょっと得意げになった、うちの言葉。
にこっちは、後ろから夏の陽射しの差し込む中で、今も色褪せない、うちに見せてくれた中で、一番の満面の笑顔を見せてくれた。
「希ちゃん、来年の希ちゃんの誕生日には、私もちゃんとプレゼントあげるからね。この場所でね!忘れないでね!」
うちと、にこっち、二人だけの、小さな約束やった。
それから一年後、今日から丁度、一年前やね、あの日のこと、今も忘れてない。
にこっちの大切な部室に来てみると、電気が着いてないみたいで、真っ暗な雰囲気やった。
それでも、この大雨の中、まだ帰ってないだろうと思ったし、それに、何となく、にこっちはあの約束の通りに、待っていてくれているような、そんな確信があったから、うちはその、勝手に開けてはいけないドアを、うちの意志で、開けさせてもらうことにした。
ドアを開けて、中に入ると、思ったとおり真っ暗で、隅っこの方に、にこっちが丸くなっている気配がした。
「何で来たの?」
にこっち、多分本気で驚いていたんかな、か細い中にも、放心したような気配が感じ取れた。
「そんなん、にこっちとの約束やん、来るに決まってるやん」
うちは、変わらない調子のままで、にこっちの隣りに座った。
にこっち、毛布被っとった、今考えると毛布を部室に常備しているにこっちが不思議やけど、その時はそんな違和感よりも、震えてそうな、そのにこっちの雰囲気のほうが、ずっと気にかかることやった。
「にこっち、うちな最近もずっとそうやったけど、いよいよ生徒会とバイトが忙しくてな、そうそう遊びに来れなくなりそうなんよ、ごめんな、今日だって久々なのにいきなりこんな話で」
今でも、この時に既に迷うことなく選択していた未来を、後悔はしてなくても、どうしても、もうひとつの可能性、少しだけ考えてしまう。
「うん、そうよね仕方ないでしょ。希はもう生徒会に必須の人間だもの。頑張って」
何時からか変わっていった、うちの呼び方。
にこっち、そう言って、うちの胸に顔を押し付けてきたんよ。
ついででうちも毛布の中に入れてくれた。
優しいんよね、にこっちは、本当は。
静かすぎる空間、雨音だけがうちとにこっちの周りに響いていて、この世界に二人だけになったみたいやった。
「希、これ、誕生日プレゼント」
そう言って、うちの前に差し出す、ピンク色の紙袋。
「ありがとな、にこっち。開けさせてもらうな」
にこっちから教えて貰った、贈り物を受け取った者の礼儀。
「うん」
開けてみると、出て来たのは、二つ。
「これ、うちがいつも使っているのと似てるな」
鏡の中で見慣れた、私を飾るもの。
「いつか希が言ってくれた私の色、それを私から希に渡したかったのよ、悪い?」
ああ、うちは、今のにこっちも、昔のにこっちも、どっちも、好きやなあ。
「ありがとう、にこっち。うちもずっと着けるな、切れても縫い直して、ずっと着けるな」
にこっちはうちの胸から、顔をあげずに答える。
「別に、そこまでしてもらわなくても良いわよ。でも、喜んで貰えたなら良かった」
これは、うちにとっても、にこっちにとっても、大事な儀式なのかも、知れんな。
にこっちは、言葉を続ける。
「希、私もね、いよいよバイト忙しくなりそうなの。お母さん今大変そうで。何とか力になりたくて」
にこっちはなあ、本当に優しい子なんよ。
「もうね、一日中部活のことだけ考えていればいい時間は、終わっちゃったのかな」
いつもの桜の香りの中なのに、うちの胸に押し付けられたままの顔。
感じられる、にこっちの心の温度。
こんなに弱ってるにこっちなんて、うちでも最初で最後、この時しか見ていない。
「私、もう、……あ」
にこっち、その先は、にこっちが絶対に言っちゃいかん言葉よ。
生涯一度だけやな、あんな風に抱き留めたんは。
今はもう、うちがそれをしてはいかんからな。
「……にこっち、がんばれ」
何や、うちの頬まで、熱くなってきよったんよ、不思議やね。
「……うん」
本当に最初で最後、あの時だけ、でもそれできっとうちらには充分だったんよ。
「にこっち、がんばれ、うち、何時だって見てる。何時だって応援してる。何時か必ず、にこっちの頑張りが、絶対に、報われる時が来るから。負けないで」
もううちの胸と頬が、熱いやら冷たいやら、静かだった部室に、二人の声が響いて、何やもう、色々あかんかった。
「うん」
にこっちのその言葉、掠れてたわ。
あの後結局帰れないまま、二人で部室で朝まで寝てしまったんよね。
「せめて今日ぐらいは、私の傍にいなさいよね。こんなこと、もう二度と言わないんだから」
そんなにこっちの言葉、今でも覚えてる。
感傷的な気分ってこういう時の事を言うんやろなあ。
そんな事思っていたら、にこっちからメール。
『誕生日おめでとう、希』
思わず頬が綻ぶやん、うちとにこっちの関係、随分シンプルになったなあと思うと同時に、深まった何かを感じる。
にこっちは、まだまだ色々はあるやろうけど、大丈夫やんな。
やっと、にこっちに映える色、来てくれたからなあ。
あの日の選択、やっぱり一片の疑いもなく間違ってなかったと思っとる。
もう一つの未来、想像だけはしてしまうのは、生きている限り、しょうがないと思うんよ。
特ににこっちにとってうちらの関係は、二人きりの時間が長かったからなあ。
そんな事考えていると、えりちが生徒会室に、入ってきたんよ。
「希、良かったまだいた。誕生日おめでとう、これプレゼントよ」
そう言って差し出される、えりち色の包み。
何や今日は、嬉しい事続きやな。
「ありがとう、えりち!開けさせてもらうな」
丁寧に、その四角い包みを開けてみると、出て来たのは、写真立て。
やっぱり、うちにはえりちがいてくれて良かったなあ。
えりちがいなかったら、えりちに先に出会えていなかったら、うちもしかしたら、にこっちのこと、台無しにしていたかも知れんなあ。
「希、あんまり写真は撮らないって言っていたけど、きっとこの先、ずっと飾っておきたい一枚が、絶対に希にも出来るわよ。家になんて、一枚と言わず一杯あるもの」
こんなえりちだからうちは、やっぱりえりちとずっと一緒に居たいと思うんよ。
「もう少し待ってみて、雨がもう少し弱くなったら帰りましょう」
にこっちはもう大丈夫だから、後はえりちやね、二人とも、世話のかかる困った子達なんよね。
次回
桜色
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結局30分ぐらい過ぎちゃいましたがどうしても書いておきたかった希ちゃん誕生日記念です。
本当は桜色の季節と同時に出したかったのですが無理でした…。
にこちゃんと希ちゃんの関係って、凄く私が大好きな関係です。
希ちゃんは絵里ちゃんとにこちゃん、両方救いたかったから多分相当頑張ってたと思うんですよね。
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