京、二条御所。
「なんじゃと…?どういうことじゃ!?」
一葉の声が響く。
謁見の間、御簾を上げた状態の上座に、一葉、双葉が並ぶ。一段下には控えるように幽と、帰省の途上であった雫の姿がある。
下座正面には織田家からの使者、麦穂が居た。
その麦穂が今まさに、駿河消失を伝えたところだった。
「そ、それは本当なのですか?」
双葉は青い顔をして、麦穂に尋ねる。
「はい。駿河が消失したことは、松平家、武田家双方からの情報ですので、間違いはないかと」
「剣丞さまはっ!剣丞さまはご無事なのですかっ!?」
御前である事も忘れ、雫は身を大きく乗り出す。
しかしそれは全員の関心事だったのだろう。この場の全ての耳目が、麦穂に集まった。
「…残念ながら、駿河にいた剣丞どのの所在は、剣丞隊の面々も含め……未だに不明です」
「そ、そんな……」
がくんと、腰が抜けたようにへたり込む雫。
ほんの数日前まで一緒に居た仲間たちの、大事な人の行方が知れない。
目の前が真っ暗になった雫を絶望感が襲う。
「で、でも…もしかしたら剣丞どのの事ですから、異変を事前に察知して、きっとどこかで無事に…」
「気休めはよせ」
ぴしゃり。
一葉は、最近耳にしなかった、将軍としての威厳ある声で麦穂の言葉を遮る。
「武田、松平からの報せの中に主様の所在がなかったということは、その領内に主様は入っていないということ。
仮に北条領へ逃げ込んだとしても、身の危険に変わりは無い。それに、もし主様が消失の前兆を感じ取ったとて、駿府館に居ったとしたら、駿河のど真ん中。どこへも逃げられん。それくらい、お主とて分かっておろう」
「はい……申し訳、ありませんでした」
平伏する麦穂に、一葉は面を上げよと一言。
しかし、上げた麦穂の顔は沈痛としか表現できない表情で、一葉から目をそらす。
双葉は全身から血が抜けたような、真っ青を通り越して真っ白な顔をし、身体を凍らせる。
逆に雫は、全身の力が弛緩し呆け、
幽は一人、姿勢を乱さず目を閉じている。
そして上段中央、一葉はしばし瞑目。
と、突として目をカッと見開く。
「……幽よっ!」
「はっ」
「主様なき世に未練はない。余は切腹するっ!介錯せぃ!!」
がばっと前垂れを外し、艶やかな腹部をあらわにする。
「お、お姉様!?」
「かしこまりました。では僭越ながら、それがしが介錯つかまりましょう。辞世の句はいかがなさいますかな?」
「そうじゃの…………『主様や あゝ主様や 主様や』……うむっ、名句が出来たな」
「……下の句がございませんが?」
「…おぉっ!」
「ちゃんちゃん、と。……さて皆々様、少しは落ち着かれましたかな?」
幽は座を見渡す。
主従漫才に笑う者は誰一人無く、全員呆気に取られていたが、肩に力が入ったり悲愴な顔をする者も無くなっていた。
「さて麦穂よ。駿河消失についての調査等はどうなっておる?」
「は、はい…松平・武田両家による追跡調査と、織田家独自に調査隊を派遣する手筈となっております。
また時機を見て、諸国の当主が一同に会し、それまでに集めた情報を元に細かな所を詰めたいとの、我が主よりの提案です」
「うむ。それについては良きに計らえ。して、我ら足利家は何をすればよい?」
「我が主、織田上総介は、一葉さまには畿内の安定をお願いしたいと…」
「あい分かった。幽!」
「はっ。万事、手配しておきましょう」
と、幽は諸々の指示を出すため、間を後にする。
「それから、雫の処遇はいかがする?」
「…………え?」
雫の所属は、慣れてしまっているので忘れがちだが、複雑だ。
元々は小寺家の将であるが、一葉が請う形で将軍家預かりとなっており、そこから雫の意思で剣丞隊の所属になっている。
しかし現在、剣丞隊は所在不明。
こうなった以上、元来の主家に戻る、預かり先の将軍家に仕える、あるいは所属先の主家である織田家を支える。
いくつかの選択肢が雫にはあった。
「久遠さまは、雫本人に任せる、と申しておりました」
「そうか…どうする、雫よ」
「わ……私は………」
呆けていた瞳に光が戻り始める。
ピシャッと両頬を一叩き。大きく深呼吸を一つ。
新鮮な空気が体内の澱んでいた血を廻らせ、雫の灰色の脳細胞を動かしだす。
(しっかりしなきゃ!しっかりしろ私!…今……今、私が為すべきことは…)
「私は……公方さまの元に残ります。元々私は公方さまのお預かりという立場ですし、いま私が為すべき事は、いつ剣丞さまがお戻りになられても良きよう、畿内安定のためのお手伝いをさせて頂きたく思います」
「うむ。良い目じゃ」
今の雫の眼は先ほどまでの光なき眼ではなく、智恵者の小寺官兵衛の眼だった。
「そういうことだ。久遠によろしく伝えておいてくれ」
「承知いたしました」
「連絡は密にしよう。頼りにしておるぞ、麦穂よ」
「はっ!」
…………
……
麦穂が部屋を辞してしばらく、幽が戻ってくる。
と同時に、
「ごめんなさい……失礼しますっ」
と、双葉が部屋を駆け出る。
その目には光るものが見えた。
「双葉さまっ!」
その様子に、雫は慌てて立ち上がる。
追って良いものか逡巡していると、
「頼む。妹の側に居てやってくれ」
一葉が言葉で雫の背中を押す。
「は、はいっ!」
パタパタと軽い足音が遠ざかる。
残されたのは一葉と幽の二人。
「やれやれ、しかし困ったことになりましたな。もし他国に剣丞殿の不在が知れれば、畿内もきな臭く…」
「ふっ…幽よ、分かっておらんな」
「はぁ……と、申されますと?」
「きな臭くなるからこそ良いのではないか!久遠は再び呆けるじゃろうし、美空・光璃はさしてやることもなかろう?ならば重要な任務があるのは余だけじゃ!」
武田家は調査があったと思いますが、という言葉は飲み込んでおく。
「それが貧乏くじだと、それがしは思うのですが…」
「だから分かっておらんというのじゃ!畿内の安定という苦難を余が見事乗り越えればじゃ、主様が帰ってきた暁には、正妻の中で余だけが褒められるのじゃ!こんなに嬉しいことがあるか!?」
いっそのこと、誰か謀反でも起こしてくれんかの?
と不穏当な発言をする主に対し、幽は呆れとも感嘆とも取れる溜め息をつく。
「しばらくは主様を独り占めじゃ!…まぁ、双葉には少し分けてやっても良いがの」
自分に都合の良い未来を夢想し、よろしくない笑みを浮かべる一葉。
「…剣丞どのを、信じておられるのですな」
「当然じゃ。余の主様であるぞ?例え国が一つ消えようと、その身が砕けようと、最後には必ず、余の元へ帰ってくるに決まっておる!」
「そうですか…」
幽はその言葉を聞くと、すっと立ち上がる。
「さて、それがしも双葉さまのところへ顔を出そうかと存じます」
「うむ。双葉は余と違い気の弱い女子じゃ。支えてやってくれ」
「えぇ。一葉さまとは似ても似つかぬ、素直で純真な方ですからな。誰かがお側で支えて差し上げねばなりますまい」
そのまま所作鮮やかに、足音一つ立てず、滑るように部屋を出ようとする。
が、敷居のところで、ギッ、と床を鳴らして立ち止まる。
「そうそう。只今、それがし以外の幕臣は諸所へ出払っておりまして。それがしが去りますれば、御殿には誰もいなくなりますので、あしからず…」
そう言うと、ギッ、ギッ、と床を踏み鳴らしながら部屋を出る。
やがてその音は小さくなり、聞こえなくなった。
「うっ……うぅっ……」
一葉以外誰もいなくなった御殿に小さく、息を引く音が響く。
「主様……主様ぁ………っ!」
一葉は上体を折ると、己が身を抱くように、小さく、小さくなる。
自分の半身とも言える剣丞が消えた。それ即ち、世界の半分が消えたと同義。
この世界は、自分一人には大き過ぎるから、小さく、小さくなる。
三千世界と繋がる一葉には分かってしまう。
『この世界』から剣丞が『消失』してしまったことが。
他の者は、状況証拠からの推測で事態を受け止めているが、一葉だけは確信を持ってしまっている。
しかし、逆にこの事も分かる。
ここではない『別の世界』で、剣丞が確実に生きているということが。
その確信だけが、彼女の心の灯火を、わずかに残していた。
その灯火を護るように、今は小さく在り、小さく泣く。
泣いた後で、再び種火を強く燃え上がらせるために。
いつもの強気な自分に戻るために……
Tweet |
|
|
14
|
0
|
追加するフォルダを選択
DTKです。
恋姫†無双と戦国†恋姫の世界観を合わせた恋姫OROCHI、第3話目です。
まだまだ序章。なんのこっちゃ分からないと思いますが、お暇ならお付き合いくださいm(_ _)m
なお、戦国†恋姫をクリアした人用に作っています。
続きを表示