Ⅰ 駆り出される者たち-2
「おーさまに僕が着いたこと、ほうこくして無いから、行っていい?」
突如、クリスナは頭を傾げて訊いてくる。涙も収まってきたようだ。国王には一応報告するべきだろう、呼んだのは王達であるようだし。
別に怒っているわけじゃない。胸の何処かで沸々と怒りに似た何かが湧き上がっているのは否定しないが。
「ほら、着いたぞ」
イリルは抑揚の無い声で言う。その態度にさすがのクリスナも面食らって顔を見返してくる。
「ほへっ?」
その反応にイリルは目を細めた。不機嫌なわけではないが上機嫌なわけでも無いのは確かだ。――どちらかと言うと不機嫌な方だ。
「うゆ……。イリル、ふ機嫌ー」
クリスナはイリルの顔を見て言い放った。さきほど、自己嫌悪に至っていたイリルにとってその言葉は追い討ちをかけられている事になる。
「……」
変に沈黙した。いや、妙にか。
「イリル? え。ちょ、待ってよ。ぼくが居づらいんだけどぉ!」
少々、論点がずれた反応。心配するのは自分の事だけ。
「って、何を心の中で口走ってるんだ俺ー!?」
ようやく立ち直った様子。明らかに変な立ち直り方だが、そこは置いておこう(クリスナの鈍さは天下一品ものだからこれ位気にしない)。気にするのはせいぜい見習い騎士たちや参謀総長であるケシスくらいだろう。
(陛下は、……気にしないか)
ふとそんな事を思った。こう考えると、陛下に会うのが少しずつ嫌になってきて、クリスナ一人で行かせようかとイリルは考え込んだ。だがしばらく考えて、止めておくか、と答えを出した。
じっ、と立っていても何も変わらないのでイリルは扉のノブに手をかけた。だが次の瞬間、
ごんっ。
「痛! おいっ、誰だ! いきなり扉開けやがったのは!」
扉の角が、イリルの額に直撃した。
「おおっ。悪い、悪い。ん。クリスナ、もう着いたのかっ」
扉の向こうの人物はイリルを避けてクリスナの元へ近づき、その頭をぐしゃぐしゃにする。
「こ、こくおう様ぁ! 止めてくださいよぉっ」
クリスナは精一杯、抵抗する。だがそんなのお構い無しに相手はその手を止めない。
「陛下っ。玉座を御離れになって、何処へ行くのですか!」
クリスナは相手を国王様と呼び、イリルは目の前の相手を陛下と呼んだ。しかもイリルは敬語になっている。
「はは。何処へって、ちょっと城下へお忍びに行」
「――駄目ですよ、陛下! 城から陛下が消えてしまっては大騒ぎになりますっ。考え直して玉座に御戻り下さい!」
言い切る暇も与えずイリルは言う。
「別に良いだろ? 秘密にしておけばよぉ」
そう、のんびりとした物言いで陛下は返してくる。イリルは思考の何処かがくらり、としたのを感じた。
――だから嫌なんだ……。陛下に会うのは。
目で訴えかける。だか、それを見ても陛下はにこにこと笑顔を見せているだけだ。……今直ぐここから逃げ出していいだろうか、イリルは本格的に思い始めた。捜索に出されるのは何時も騎士である自分等だ。
「へーか、へーか。ぼく着いたけど何処に居ればいい?」
きゃんきゃんと鳴きながら駆け寄る子犬――を連想してしまう光景。まあ精神年齢が幼いから仕方ない。
「んー? 取りあえず前とは違うが部屋が残ってるから、そこに荷物置いて、そこら辺ぶらついてていいぞー」
「そんな適当でいいんですか、陛下……」
にかっ、と笑って陛下は、
「息子の親友だろっ。それくらい割り切れよな!」
なんだか、とてつもなく戦争の事が心配になってきた。ティスが居る限り、なんとか国は持つだろうけれど。
ティスは陛下のご子息であられる。早くに亡くなった王妃様に似て経済によく感心を持ち、国を支えている。こういっては失礼だが、陛下とはとてもじゃないが似つかない。
「父様! また玉座から離れようとしましたねっ。いい加減にしてください、もうすぐ戦争が始まるというのですよ!」
つかつかと、廊下向こうから音がした、声からしてティスだろう。もしかしたら弟君の真似っこかもしれないが。
「父様が玉座から離れる度に此方は大混乱なのです。お蔭でイリルたちを捜索に出さなければいけないのですよ。騎士達の事も考えてくださいっ!」
そう。彼は騎士達を、イリルを誰よりも想っている。イリルのことは親友だからでもあるが。だから騎士達の信頼も全て殿下に向けられている。――国王には悪いが。
「っと、イリル!? ……久しぶりじゃないか、しばらくの間会っていなかったもので寂しかったぞっ」
殿下は先程のゆっくりとした歩調から速くなる。状況が理解できないのか、クリスナは陛下が「息子の~」のくだりの処からほけぇ、とした顔つきでつっ立ったままだ。
「……お前が、クリスナ=グラフィ――か? 私はティスウィンリーク=S=シェスティア・ルーラスカだ。宜しく頼む」
長ったらしくて、とてつもなく覚えにくい名前をティスウィンリーク、ティスは申した。
「え、あっ。クリスナ=グラフィですぅ、でんかぁ」
たとえ国を支える殿下の前でも訛るものは訛る、そんな性格で一つ年下の、十五歳の殿下よりもすこし小さいクリスナ。平仮名発音はわざとでも無ければ故意でもなかったようだ。
「……クリスナ」
なんでお前はそうなのだと、言葉は続かなかった。
「あ、イリルぅ。なんで殿下にタメ口、だっけ? なわけぇ?」
多分クリスナの凄いところは毎回、訛るところが違うところかと思う。さっきまで『殿下』が平仮名発音だったくせに、なんで今度は――。そうぶつぶつ考えていると怪しまれるので仕方ない、渋々ながらも答える。
「ティスと俺は〝友人〟なんだよ。勿論、あっちが持ちかけてきたからな」
自分から友人話を持ちかけたなんて変な思い込みは嫌だから否定しておく。あっちが勝手に友人と決め込んだんだ。
「ふへぇ」
クリスナの、感心したのかそれとも呆気に取られているのかよく判らない返事が返る。何時も通りだから別に気にはしない。だがクリスナの場合――、
「でんか、でんかぁ。ぼくもお友達にいれてくれませんか?」
こんな展開になる。で、相手も相手だから、
「いいぞ。宜しくな、クリスナ」
「はいー」
大体、予想通り。ティスは友人が増えたから嬉しそうだけども。ここまで来ると陛下も――、……あれ。
イリルの思考は唐突に、ぷつりと切れた。
「ティス……、陛下がいないぞ……」
陛下という言葉にティスは素早く反応する。そして辺りを見回してから、
「くそっ、逃がした!」
悪態を吐いた。公での気品溢れる将来有望な王子の姿など、欠片も無く。
「すまない、父様を探しに行くから詳しい事はあとでだ。慌ただしくてすまない」
ティスは駆け出した。城下町から城に繋がる通り側の出口に向かって。
取り残された二人は、しばらくの間その場で動かなかった。
「……ここ、だったか?」
「多分そうだったはずだけどねぇ」
目の前に在るのは扉、妙にでかいような気がする扉。――いや、確実に普通より異常に大きい。
「うん。へや、違うかもしれないねー」
表面上だけ、笑顔を浮かべるクリスナ。絶対内心、焦っている筈だ。でなきゃこんな乾いた笑みを浮かべて数十秒間も立っているはずが無い。
どうしようかどうしようか。このまま引き返すか? だが帰ったところで陛下もティスも居ないわけで。結局、選択肢なんて存在しなかったのかもしれない。
イリルはノブに手をかけた。そしてゆっくり扉を開く。
「……うん。やっぱり、――ここ何処の世界ですか?」
目の前いっぱいに広がる部屋。有り得ない位、豪華。
ばたん。
イリルは扉を閉めた。それも力一杯。
「ふう。――で、これからどうするよ」
部屋の事などすっかり忘れてしまったかの様に、イリルは爽やかな笑顔で振り向いた。
「城の中の探索しようかなぁ? 取りあえずぅ、荷物は置いとかないと流石にヤバイから、この部屋に放り込んじゃえ」
また扉を開いて荷物を入れた後、クリスナは物凄い速さで扉を閉めた。荷物を置いてしまえば、入っても入らなくても同じことと言う事に、クリスナは気付かなかった。
勿論、イリルも。気付いてはいたが、言う気は無かった。
この城の中は広い。最近、改築して部屋数や食堂が増えたり広くなったりした。
――本来、城という物はその人の財産や権力の見せしめであるから、大きければ大きいほどその人の権力などは強い、と言うことになる。
どの城でもこれだけは共通していて、王族となれば無論、権力は見せしめなければならない。下手に小ぢんまりしていても、その王族は力が弱いと見られ、国民が反乱を起こす危険性が高くなるからだ。
つまり、王城は何においても立派で大きくなければならないのだ。
この城も、例外では無い。これでもか、と言うほど、とにかく無駄に広い。他の国々と比べても、五本の指には入る。
どう考えても、一日中で回るのは無理なのだ。
「……で。これを差し置いて、何処へ行くんだ?」
「――。改ちくした、って言ったから、まあ適当にぃ。……探索?」
「で、この有様か」
イリルは辺りを見回した。見たことの無い灰色の壁に囲まれた、光など通さないが、かろうじでなんとか見える多分、通路らしき場所。そこに、二人は立っていた。
長年、城に勤めているイリルでも見たことの無い場所。勿論、そこまでこの城に勤めていなかった(クリスナは半月しか勤めていない)クリスナがこの場所を知っているはずが無く。
文字通り、二人は迷子なのだ。既に、もう少し前からか。
「と言うかむしろお前はさ、戦争の為にわざわざ呼び出されたんだよな。……探索するために来たんじゃないんだよな」
イリルはぼそりと、クリスナに聞こえるように呟いた。クリスナは、それに答えない。
答える、答えない以前に、そこに居なかった。
一拍遅れて、イリルは居ない事に気がついて、驚いた。クリスナの姿は、前方遥か遠くに見えた。愉快に、彼は此方を向いておーい、とでも呼ぶように手を振りつつも空いた手で、おいでおいでと手を小さく振った。
少し溜め息を吐いた。それからイリルは、その指示に従って前へ駆け出した。
「ねえねえ、あれ何かな?」
クリスナの元へ着くと、何処かへ指を指していきなりそう尋ねられた。指さされた方を見ると、そこには大きな十字架があった。様々な宝石があしらわれた十字架、丁度全ての線が交わるべき部分には、紅く大きな宝石が飾られてある。
どうやら、誰かの墓のようだ。それも、かなりの権力と経済力があった誰かの。
そう言う前に背後から、小さな音がした。
無条件反射で、イリルはクリスナの口を防いで物陰に隠れた。その行動に、クリスナは驚く。そして、なにぃ、とイリルに尋ねた。
イリルは真剣な顔をして、答えなかった。ただ、通路の奥を一点張りで見続けている。――ふと、人影が現れた。その影は小柄で、イリルよりも小さく、クリスナと比べても少しだけ小さい。
その人影は、イリルたちの気配に気付いたのか、すぐに去って行ってしまった。
「あれは、……誰だ?」
イリルとクリスナは、物陰から姿を出した。イリルは最初こそ疑問を口走ったが、
「――まあいいか。クリスナ、帰るぞ」
直ぐに切り替えた。先程の人影の気配を辿れば、出口が分かるはず。そう思って、イリルは歩き出した。
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騎士と王子、城に勤める者たちが織り成す、願いと思惑の物語。
第一章です。
Ⅰ駆り出される者たち は、4つに分けて投稿し、Ⅱが始まり次第まとめます。