序章
「い……イリル=ファラスト選手っ。な、なんと優勝候補であったデルガス選手を抜きんでた実力で、優勝を勝ち取りました!」
少したどたどしさが感じられる司会の言葉が発せられ、何処からか喇叭(らっぱ)の音が耳を劈くように聞こえてくる。剣闘大会ではありがちな、日常茶飯事と言ってもいいほど当たり前の事だ。ただ、何時もと違うのは優勝者として祀り上げられる人物だけ。
ラッパの音が聞こえ、少し大きめの音楽隊が何処からとも無く、白いドームの中心部を目指して楽器を鳴らしながら歩いてくる。それを見て、
「い、よっしゃぁ!」
飛び跳ねながら声を発した優勝者。飛び跳ねるたびにその黒髪が騒ぐ。浅縹色の目は、笑うたびに目蓋に隠される。
その姿は何処から見ても、普通よりも痩せているだけの十五にも満たないただの少年。その横で倒れているのは優勝候補であった、筋肉がびっしりとついた三十代男性の現役騎士、デルガス総隊長。比べれば一目瞭然で、確実に総隊長のほうが強く見える。だが、それは〝見える〟だけで、実際は少年のほうが強かった。
未だ幼児のようにはしゃぐ少年。その戦いの結果に呆気に取られていた観客たちもすでに立ち直っているようで、まだ幼き優勝者に歓声を挙げる。
彼がこの大会に出場したのは今回をあわせてたったの二回。去年の大会は二位を勝ち取っていた。大会主催者は『新しい風を吹かす者たち』と、彼らの事を言った。
彼ら、と言うことは、彼一人の事では無くて。
「イリルぅ、良かったね? ゆうしょー出来て。うん、本当によかったねえ」
ドームの隅から出てきた栗色の髪を持つ少年が訛った言葉を発する、恐らく同い年であろうが身長の差が頭一個分はある少年が、彼にタオルを差し出す。そのタオルを差し出した少年に向かって、イリルと呼ばれた彼は、
「んあー? クリスナだって一応三位だろ。良かったのはお前も一緒」
「だけども君は一回目のちょーせんで二位だったでしょぉ。ぼくは今回の一回目のちょーせん、三位だからイリルに負けたもーん。だからおめでたくないよー」
そう言って頬をむくれる少年を見て、「まあ、いいじゃねーか。お前は俺に敵わないってこと、良く分かっただろ?」にこっと笑って頭をぐしゃぐしゃと撫でる。嫌がる彼のことなど知ったことじゃないと、言わんばかりに。
「うー。イリルばっか、ずるー! ぼくは好きでこんなちっちゃい訳じゃないのにーっ」
撫でられた彼が、ぎゃいぎゃいと騒ぎたてる。だが、それもイリルは笑顔で返した。
――だがそれ以来、彼らが大会という表舞台に名を轟かせることは無かった。
一人は現在も騎士をしており、策士として名を轟かせていた。だがもう一人のほうは既に退役し、騎士の中で行方を知っているものは居ない。残った一人に問いかけても、「さあ? どっかで元気にやってるさ」の一点張り。何か知っているのか知らないのか、それすらも分からない。
彼らは大会の記憶の中に残ってはいたが、存在を気にする者は既に居なくなっていた。
それから三年と四ヶ月。剣闘大会は戦争という名の舞台で繰り広げられることになる。
戦争の原因は、ただ一つの願いが理由で。
どうして伝わらないのかと君が謂う。
言葉にしなきゃどうしようもないと彼は云う。
Ⅰ 駆り出される者たち-1
どたどたと、だだっ広い廊下を駆け抜ける若者の姿があった。「こらっ。廊下を走るな!」と、かなり低級な注意を受けても彼の足は止まらない。むしろ速くなっている。
一つの扉の前で彼は急に足を止めた。いきなりの事で床がききぃーっと鳴り、彼の一つに束ねられた長い黒髪は暴れるのを、薄茶の制服はなびくのを止めた。そして彼はノックも無しに勢いよく扉を大きく開け、其処に居るはずあろう人物に向かって、
「おいっ。これから隣国と戦争になるって本当か!」
叫んだともとれるが、違う。彼は怒鳴った。中に居た二十代中ごろといった感じの人物は面倒くさそうに顔を上げ、
「なんだ、うるさい。扉を開けるときはノックぐらいしろと、言っただろうが」
明らかに不機嫌だった。青墨色の髪は整っていたが、その碧の眼は細められている。だが、その苛立ちは先程のことだけでは無い様子だった。
「だから訊いてるだろうがっ。スール国との戦争は、マジであるのかって!」
こちらの事など、まるで聞いてはいないので彼は反論を諦めた。溜め息を一つ吐いて答える。
「ああ、そうみたいだな。……全く、面倒なことだ」
戦争となれば騎士である自分等は確実に駆り出されることは間違いないし、下手すれば一般人も出兵しなければいけない場合もあるのだ。国民を守りたいが為に騎士になったというのに、危険に向かわせるのは心許ない。彼らは自分の家庭を守らねばならないのに。
それに此方のシェスティ国側としては戦力の違いがある。今、城に居るのは見習い騎士と、国務官や王佐や国王などの戦力外の人物、そして参謀総長のケシスと目の前に居る策士、イリル。
「お前――三年前の大会、優勝したんだって?」
いきなり話題を変えるのは悪かったのか、相手は呆けた表情を浮かべていた。だが直ぐに話に追いついたのか、平然な顔に戻っている。
「え、大会の時? ……半分寝てたよ。マジで」
嘘ではないようで、飄々とした顔で言った。それに相手は動揺を隠せない。「お前っ、寝てたって、大会の本番だぞ! 寝ていていいのかよっ」目を見開いて机につっぷつ。そんなことお構いないようにイリルは続けた。
「いいだろ。一応優勝したら良いんだから、その他は自由でも」
何処か間違っている反論。すでに相手をする気も起こらないと、彼は話を少しずらす。
「……一応でも優勝者だ。この戦争、お前が策を練ることになるだろうし、実際に行く羽目になるだろう」
その言葉を聞いても動揺することなく、イリルはそれを聞き流す感じでいた。ちょっと経ってからイリルは口を開き、それくらい騎士になる時に覚悟してるから大丈夫だって、と言う。それも、笑って。
「だけど心配なのはこっちの戦力かな。遠征とか行ってて全然こっちに戦力残ってないだろ? 呼び戻してるそうだけど戦争が始まるまでに帰れるかどうかだし、それに――」
言葉は最後まで紡がれなかった。相手が口を開いた訳でもなく、唐突に口を閉ざした。大体は予想できる事だが。
「クリスナ、か。城に居る騎士らの中でもお前と対等に戦いあえた奴だったな。今は確か退役して、それで」
分からなかった。彼は退役して、それで、何処へ行ったのか。――分からなくて、知らない。他の騎士も大して気にしてなど居なく、こんなことで悩むなんて考えても無かった事が分かる。
結局、どうでも良かったのだと。辞めた騎士など、騎士では無いから、戦争で駆り出すことも無いだろうと思っている。そうだというのに、このような時に必要になるなど。〝一般人〟を捲き込まないと、思っていたはずであった。こんな事言っても、今更遅いことも分かってた。その証拠に、彼はもう――。
そんな考えを読んだのか、イリルはぽつりと彼に向かって呟いた。
「クリスナは、故郷に戻ってるよ。母親が病気になって倒れたからって」
何処か子供っぽくて、投げやりな言葉。らしくない言い方で、彼も出来るだけ普通の家庭を壊したくはないのだろう。
「クリスナは無理に呼び戻さない方がいいよ。あっちの意思で決めさせてあげてよ」ちょっと苦し紛れの表情で、目線は合わなかった。彼は誰よりもクリスナの事を分かっていて、彼の事を心配して言っているのだろう。ならば強制的には呼び戻さないのが一番なのだが。
「その件……。もう既に、居場所を探していた上が話を付けてきていてな。どうやら」
背後で大きな音がした。そして、
「ひさしぶりぃー。元気してたぁ? イリルぅ」
懐かしい、声がした。
「クリスナ?」
そうイリルが言うと突然クリスナと呼ばれた青年は頭一個分も身長の違う目の前の友人を蒼の瞳で見上げながら抱きつく。お前らはそんなに大きな音を立てて扉を開けるのが好きなのかと、声が漏れて聞こえたが、二人はそれを無視する。
「遠路はるばるやって来たよぉ。最近出来た、リニア? を利用して大体じゅうに時間くらいかなぁ」
微妙なところが平仮名発音で少々聞き取りにくいが、なんとか理解は出来た。だが、ここまで平仮名発音をしていると、わざとでは無いかと思い始めるほどである。
突然の友人の襲来に、驚きを隠せないイリルは横目で、今まで話しをしていた相手に説明しろと、目で訴えかける。
「クリスナ=グラフィ。いきなり現れ」
そう言い掛けるが、
「あ、ケシス参謀そうちょーだ。お久しぶりですねぇ」
にこにこと笑顔を振りまきながら相手、ケシスに挨拶をかける。言葉を遮られたケシスは額に青筋を見せていた。だが異常なくらい鈍感なクリスナは気付くことなど無く、あははーと笑っている。
ぷち。
可愛らしい音がした。だが、絶対に可愛くないものの音。
「お前ら、いい加減に人の話を聞け! 出来ないのなら帰れっ」
この位で収まるのならまだいいほうであった。クリスナはまだ気が付かないようで、きゃいきゃいと騒いでいる。
ぶち。第二段階とつにゅう。
「てめぇら、とっとと出てけ! 気が散んだよ!」
半ば強制的にぽいっと扉の外に放り出される。さすがのクリスナもこの事にはぽかんと口を開けてイリルを見て訊く。「きれたの? ケシス参謀そうちょ」最後の『う』も無く、かといって伸ばしてなどいなくて、未完成な形の言葉で訊いてくる。
当たり前だろ、そう言う気も失せて何も言わずにいたら長い沈黙が二人を包んだ。こんな状況でも、気まずい雰囲気ではないと感じたイリルは、妙に笑った。それを見ていたクリスナは安心したように微笑んだ。そして二人は思った、『この人が友人だから楽なんだ。そうに決まってる』と。
ふと思い出したように、イリルがクリスナに視線を向ける。
「なあ、なんで城にいるんだ。母さんが病気だから帰ったんだろ」
尋ねられた本人もぽけぇとした顔で此方を見て瞬く。「うにゅ、きーてないの?」
訊いて答えられる前に遮られたような気がしたが、イリルはこれ以上話をうやむやにしたくなかったため、黙っていた。
「ま、いーや。えっとね、こくおう様直々にごめいれーがあってね、きゅーきょ戻ってきたの」
平仮名読み率が高くなっていた。そのため、『ご命令』の部分が少々聞きにくい。
「命令? 国王直々の」
なんだが腑に落ちない様子で、イリルは考える。国王がわざわざ、もう退役した騎士の下へと命令を出すのは極めて珍しい(今まで無かった)。
「あ、期限付きでぇ、もっかい騎士になるはめになったの。ちなみに期限はせんそーが終わるまでだよ」
クリスナは顎に指を付けて、ぽわんとした表情で付け足した。少し首を傾げている。
いくら戦力が不足しているからってこれは酷いんじゃないか。クリスナは言うことを素直に聞いてなんでもこなしているが確かに人間だ。母親を一人置いてこちらへ来るように、なんて自分勝手な命令に付き合わされるなど迷惑な話だ。
クリスナにとっても、母親にとっても。……母親?
「そういやクリスナ、お前の母親、どうしたんだ?」
病状やその原因、その他全部聞いたことが無い。一方的に『母さんがびょーきで寝込んでいるから騎士やめて家かえる』そう言って勝手に行ってしまった。聞いたのは理由と居場所と騎士を辞めるということだけ。
「うん。だからびょーきだって」
くわしく言わないという事は、言いたく無いのだろう。
「……一人にして、大丈夫なのか」
人は誰だって、独りぼっちは寂しい。不安に苛まれる。だから一人じゃないように仲間を探そうとする。その問いかけにクリスナは一瞬、表情を失った。だが直ぐに笑顔をつくる。
「あはは。――母さん、しんじゃった。ちょっと前に、そのびょーきで」
顔に作り上げられた表情は確かに笑ってはいたけど、だんだん哀しさが混じっていって、本当は最初から笑ってなどいなかったんじゃないかと思う。最後の方では顔を下に向けて嗚咽が微かに聞こえてきた。今は廊下に放り出されていて、通りかかる他の騎士たちに怪訝な目で見られていたがクリスナは泣くのを止めなかった。勿論こちらも止める気なんて更々無かったが。悲しいときに泣けるのはいいことだ。世の中では辛くても泣かないように、強く居ようと変に頑張っている人もいるから。そう、誰とて例外は居ない。
「クリスナ、行こう? もう、行こう」
そろそろ潮時かと思い、思い切って声を掛けてみる。クリスナの涙もだいぶ収まったようだった。
「……」
声を出さず、こくりと頷いて返事をした。立ち上がって歩き出すとそれに付いて来て服の裾を掴んできた。まあ、どうでもいいか。
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騎士と王子、城に勤める者たちが織り成す、願いと思惑の物語。
第一章です。
Ⅰ駆り出される者たち は、4つに分けて投稿し、Ⅱが始まり次第まとめます。