桃香は、街で会った人々の顔を思い浮かべた。最初は固く険しかった表情も、徐々に柔らかく笑顔に変わっていく。それは、彼女にとって喜びであり、自信にも繋がった。
(私は、あの笑顔を守らなくちゃいけない)
それが、長安を託された責任だった。
(どうすればいいのかな……)
自分が決断しなければならない。見守る仲間たちの視線を受けながら、桃香は迷いを断ち切ることが出来ずに眉をひそめた。そんな時である。
「劉備様に申し上げます! ただいま、天の御遣い様がお越しになられました!」
「えっ!?」
突然のことに驚いて言葉が出ない桃香に変わり、桔梗が兵士に問いかける。
「その者は本当に天の御遣いなのか?」
「はい。あの、呂布様がそうだとおっしゃってまして、ただいま一緒にこちらに向かわれています」
その言葉に、星が納得したように頷く。
「恋は天の御遣いと共に旅をしておったようだし、信用してもよさそうだな」
「ふむ、どういたしますか桃香殿?」
再び全員が桃香を見る。しばらく考えるようにうつむいていた彼女は、何かを決意するように顔を上げた。そして全員の顔を見渡して、こう言ったのである。
「私、決めたよ。長安のみんなを連れて、ここを離れる。撤退するよ」
異議を唱える者はいなかった。しかし、桔梗は理由を聞いてみたかった。
「なぜ、決断されたのですか?」
「天の御遣い様が来たと聞いて、思い出したんです。長安の人たちは、元は洛陽の人たちだっていう事を――」
その事件は、桔梗も耳にした事がある。確かに長安は元々、うち捨てられた場所だった。それを袁紹が人の住める場所に戻したのである。
「私たちが本当に守らなくちゃいけないのは、何だろうって考えたの。確かに洛陽や長安といった歴史ある場所、自分たちの先祖の土地は大切だけれど、一番は今を生きる人たちなんじゃないかって思ったんだ」
「……」
「でも、これは強制は出来ない。ようやく安息の場所が見つかったと思っている人たちに、また移動しますとは簡単に言えないもん。だから説得はするけど、最終的な判断は本人に任せるつもりだよ。みんなは、どう思う?」
桃香が全員を見回すと、星が口を開いた。
「ここに残れば、確実に命の保証はありますまい。万が一、生き残っても惨めな奴隷生活でしょう。だがかといって、無理強いも出来ますまい。桃香殿の案で良いかと思います」
「うむ、そうじゃの」
桔梗が同意し、諸葛亮と鳳統の二人は安堵したように顔を見合わせた。
「問題は誰が殿を務めるかということじゃのう。住民を連れて行くとなれば、行軍は遅々として進まぬじゃろう。時間稼ぎも必要になる」
「先程お話ししたように、追撃部隊は少数だと予想されます。それ自体はさほど驚異ではないはずです。むしろ我々が撤退するという事を悟らせないよう、時間稼ぎをする方が重要でしょう」
諸葛亮がそう言うと、先を争うように星、桔梗、焔耶が手を上げた。だがそれを制するように、突然、天幕の中に入ってきた人物がいた。
「その役目、俺に任せてもらえないかな?」
「えっ?」
全員が驚いて振り向いた先には、恋に腕を掴まれた北郷一刀の姿があった。
「悪いと思ったけど、話が聞こえたんだ。天幕の外で終わるのを待とうと思ったんだけど、丁度、こっちの目的とも一致するかなあって」
「目的ですか? あの、あなたが天の御遣い様?」
桃香がおずおずと訊ねる。実際は黄巾の戦いの際に変装した一刀と会っているのだが、気付いてはいなかったようだ。
「えっと、劉備さんだよね? 初めまして、北郷一刀です。天の御遣いなんて呼ばれたりすることもあるけど、出来れば名前で呼んでもらえると嬉しいかな」
「あ、はい。それじゃ……北郷様?」
「……」
一刀は黙って首を振る。
「えっと……一刀、さん?」
「うん、よろしく」
にっこり微笑む一刀を見て、桃香はわずかに頬を染めた。
「それで一刀殿、目的について聞きたいのだが」
待ちきれぬ様子で星が訊ねる。それに頷いた一刀は、隣の恋を見た。
「長安が落ちれば、涼州は孤立する。もしもここで何進軍を防ぐことが出来ればそれが一番なんだけど、もしも無理なんだとしたら俺たちは涼州に向かうつもりなんだ」
「涼州に? でも、一刀さんが言うように孤立することになるんじゃないですか?」
「だからだよ。俺たちが行くことで少しでも、力になれればって思ったんだ」
すると、恋が一刀から腕を離し、桃香を見た。
「馬超と馬岱……恋の家族を守ってくれていた。だから今度は……恋が守る」
「まあ、そんなわけで恋とねねは残るつもりらしいからね。俺もそのつもりで来たからさ、劉備さんが気に病む必要もないし、俺たちだって死ぬつもりはないよ」
「一刀さん……」
一刀の決意に、桃香はそれ以上何も言うことが出来なかった。
撤退作戦は、諸葛亮と鳳統の指示によって速やかに進められた。星や桔梗たち武将は殿として残ることを希望したが、一刀がそれを断った。
「関羽さんと張飛さんがまだ動けない今、一人でも多くの武将が劉備さんのそばにいた方がいいと思う。それに俺たちは、時間稼ぎをしたら馬超さんの所に行くつもりだしさ」
また、諸葛亮の提案もあった。
「一刀さんたちが涼州にいれば、長安を二方向から攻めることが可能です。戦略の幅も広がりますので、こちらにも十分な兵力が必要なんです」
共に逃げる住民の護衛もおろそかにするわけにはいかない。仕方なく、殿は一刀とその仲間たちに任せることとなったのである。
作戦は、まず住民の避難から始まった。街の中に住民を、外に出すのである。こちらの動きがバレないよう、散発的な攻撃を仕掛けて注意をひいた。幸いにも敵は森の中に陣を張ったため、街の動きはわかりにくい。劉備軍の陣が長安の外に展開しているので、それが目隠しにもなった。
「明日の早朝、日の出と共に本隊が動く。それに合せて、作戦通りに奇襲を仕掛ける」
一刀が集まった仲間たちに告げる。恋、音々音、霞、真桜、凪、沙和の6人が彼の頼れる仲間たちだ。
「こちらの人数を知られないように、森の中で隠れながら攻撃する。合図があったら撤退だ。出来るだけ敵を混乱させるんだ。ただ、火には気をつけて欲しい。長安を一度は手放すが、必ず取り戻す。その時に森が焼けていたら、困るからね」
「うん……」
「わかった!」
恋と霞が一刀の言葉に応える。
「隊長、旅をしながら調整したとはいえ、実戦は初めてや。義手の調子に気をつけるんやで」
「わかってるよ。凪に武術を習ったしね」
「教えたのは簡単な動きだけですが、隊長の身体能力なら問題ありません!」
一刀は義手の腕を軽く動かす。さすがに以前のようにはいかないが、それでも長安までの旅の間で訓練を繰り返した成果はある。後は、真桜の技術と自分を信じるだけだ。
久しぶりの戦闘に、一刀の心は震えた。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
更新が遅くなって、すみません。
体調が悪く、どうにも上手くまとまりませんでした。
楽しんでもらえれば、幸いです。