朝靄の中で差し込む光に、北郷一刀は目を細める。大きく深呼吸をし、確かめるように義手を動かしてみた。
「よし!」
満足したように頷いた一刀が振り向くと、厳顔が立ってこちらを見ていた。
「おはようございます、えっと、厳顔さん」
「桔梗で構わない」
そう言うと、厳顔――桔梗が近寄って来る。
「前に曹操が処刑される場で会っているのだが、覚えてはおらぬじゃろうな」
「すみません。会った事のある人は、だいたい覚えているつもりだったんですが」
「仕方なかろう。遠目であったし、混乱してもおったからの」
桔梗は懐かしそうにしながら、一刀の義手を見た。
「よく出来ている。あの時、失った腕の代わりか」
「はい。まだ慣れないですが、やっぱり助かります」
「……後悔は、しておらぬのか?」
「しましたよ、色々と。でも、何とかやってます」
「そうか」
どこか照れくさそうな笑みを浮かべる一刀を見て、桔梗も笑った。そして心の中で、再会を誓ったのである。
静かに動き始めた兵士たちを眺めながら、一刀は気合いを入れるように両頬をパンッと叩いた。そして並ぶ仲間たちの顔を見渡す。
「よし、行くか」
どの顔にも、迷いや怯えはない。
「恋がねねと一緒に空から攻めて、何進軍の注意をひく。その隙に俺たちは森に潜んで、奇襲を掛けるんだ」
「ん……」
「ねねと恋殿に任せるのです!」
「わかったで」
「ウチも了解や」
「わかりました!」
「がんばるのー」
全員が声を上げる。そしてすぐさま、各々の準備に動き始めた。一刀も義手を確認しながら、森の近くまで移動を開始した。
念のため、かなり離れた位置に身を潜める。他の仲間の姿は見えないが、おそらくどこかで同じように潜んでいるのだろう。一刀からは、かろうじて見張りの兵士が見える。その一刀の頭上を、セキトの影が通り抜けた。
(気づいたみたいだな……よし!)
見張りの兵士たちが上空を見上げながら、なにやら叫んでいた。それに気づいたらしい他の兵士たちも、武器を持って慌ただしく動き始める。注目を集めながら、恋と音々音を乗せたセキトが大きく旋回しながら動き回った。
一刀は素早く移動して、敵の陣に接近する。
「いくぞ」
小さく自分に言い聞かせ、木陰から飛び出すと近くにいたオーク兵に襲いかかった。振り回す棍棒をかわし、義手に力を込めて大きな腹に叩き込む。厚い肉の壁は、通常ならまったくダメージを与えられないが、一刀の義手から繰り出された拳はえぐるように食い込んだのである。
「グオオオオオ!」
叫び声とともに、オーク兵はお腹を抱えて倒れ込んだ。そして涎と舌を口から垂らし、意識を失ったのである。
次々と、一刀はオーク兵を倒してゆく。あちこちで、戦いが始まっていた。身を潜めながら、飛び出して一気に襲いかかる。そして再び、隠れるのだ。
こちらの手勢を悟られてはいけない。攪乱するように、とにかく動き回った。
(これで、何人目だろう)
一刀は肩で息をしながら、ふと考えてみる。きっと剣での戦いなら、こんなことは考えないはずだ。
打ち所が悪く死んだ者もいるかもしれないが、それを意識することはない。剣で切るのと、拳で殴るのでは、感覚が違うだろう。
「どれほど大勢の人間を殺したとしても、それに慣れることなんて出来ないのよね。もしも何も感じなくなったら、私は本当に狂戦士になっちゃうんだろうな」
以前、雪蓮がそんなことを話していたのを思い出す。きっと自分も、永遠に慣れることはないだろう。しかしそれでも戦わなければならないのだとしたら、せめて誰かのためでありたい。
「ハッ!」
義手の調子はよい。凪に教えてもらったいくつかの技も、形になっている。ただ、気を溜める技だけは無理だった。岩を破壊する技を教えてもらったが、義手の一刀では岩の前に義手そのものを破壊してしまうからだ。
それでも、体を動かし方や力の入れ方など、役に立つことは多い。呼吸法など、工夫一つで小さな差だがハッキリと表れるのである。
「ウオオオオ!!」
オーク兵の振り下ろした斧をかわし、背後に回り込む。巨体のため、細かな動きにはついて行けないようだ。振り返ろうとするオーク兵の脇腹を狙い、拳を叩き込む。
「グオッ!」
身をよじらせ、バランスを崩したところへ一刀はジャンプをして顔面に回し蹴りを放つ。オーク兵はそのまま太い幹に顔面をぶつけ、意識を失った。
(そろそろ退いた方がいかも知れないな)
優勢の時に退けば、敵は警戒してしばらく様子を見るだろう。その間に、逃げればよい。長安がもぬけの殻だろ気づいた頃には、十分な距離を稼いでいるだろう。
一刀は合図の口笛を吹く。そして、身を潜めた。
撤退する劉備軍の動きは、長安の住民たちを率いているためにとてもゆっくりだった。そのため、北郷一刀たちが時間を稼いではくれたのだが、小柄なオーク兵で構成された騎馬隊に追撃されたのである。
数がわずか百名ほどだったのが幸いし、最後尾で警戒していた桔梗たちによって何とか凌ぐことが出来た。諸葛亮の予想した通り、追撃にはさほど熱心ではなかったようだ。とりあえず長安を手に入れたことで、先発隊は満足したのだろう。
「ハア……」
負傷者はあったが、死者はいないという報告に、桃香は安堵の息を漏らす。すでに夜も更け、追手ももう来ないだろうということで、天幕を張っての休憩となった。
桃香は自分の天幕で負傷者の治療を行い、ようやく一息ついたところである。侍女の用意してくれた湯で手を洗っていると、慌てた様子で兵士がやってきた。
「遅くに申し訳ありません! 妻の様子がおかしくて、診てもらえないでしょうか」
「わかりました。すぐに中に入ってください!」
夫らしき兵士が、女性をひとり支えて天幕に入ってきた。かろうじて自力で歩いているが、全身に汗をかき、明らかに辛そうである。
「いったい、どうしたんですか?」
「実は追手の矢を、背中に受けたのです。その時は何でもなかったのですが、夜になってから急に苦しみだして……」
「わかりました。彼女をここに寝かせて、あなたは外で待っていてください」
夫は不安そうにしながらも、桃香の指示に従った。
仰向けに寝た女性の服を脱がし、背中の傷を見る。肌が紫に変色し、まるでカビのように広がっていた。
「これは――!」
思わず桃香は息を呑む。女性が受けたのは、ただの矢ではない。毒が塗られた矢を受けたのだ。
(すぐに解毒すれば助かったかも知れない。でも、もう……)
手の施しようがなかった。顔を横に向けた女性が、わずかに目を開ける。桃香に気づき、すがるように手を伸ばした。そして――。
「た……たす……け……て……」
桃香はたまらず、その手を握る。じっと見つめる視線を受け止めながら、けれど何も言葉を掛けることが出来ない。やがて女性は力を失い、そっと息を引き取った。
桃香は唇を噛みしめ、しばらくそのまま動くことが出来なかった。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。