わずか1時間という少ない時間の中で、川神市民の避難は無事に完了した。九鬼の協力があったお陰だが、もともと住民の多くが不測の事態に慣れていたということもあっただろう。特に慌てる者もなく、避難はスムーズに行われた。
「結界も無事に張れたようじゃ」
「何だ、地味に終わったな」
避難誘導を終えてやってきた川神百代は、腰を叩きながら一仕事終えた様子の鉄心の台詞に、肩すかしをくらった顔を浮かべる。
「種明かしをすれば、気を大地に流して、結界装置を起動させるだけじゃからの」
「装置? いつの間にそんなものを?」
「道祖神じゃよ」
「ああ……あの、『川神院』って掘られてる石碑か。そういえば、街のあちこちで見かけるな」
「さすがに川神市全域を覆う封印なんぞ、人力では無理というものじゃからの。万が一に備えて、当主にのみ伝えられる秘儀じゃよ」
鉄心の話に、百代は感心したように頷く。
「ご先祖様も、色々と考えてくれていたんだな」
「まあ、使わずに済めば、それが一番だったんじゃろうが……」
そんな話を二人がしていると、九鬼揚羽を筆頭に英雄、紋白の三人と従者部隊の面々がやって来た。
「とりあえず市民の誘導は終わりました。血の気の多い者が何十人か、中に残ったようですが」
揚羽の報告に、鉄心は息を吐く。
「自分の意志で残ったのなら、仕方あるまい」
「それよりも、詳しい話を聞かせてもらいましょうか。非常事態ゆえ協力はしましたが、川神市はどうなるのでしょうか?」
「そうじゃの、結界のことも説明せねばなるまい」
鉄心はこれまでの経緯について、簡単に説明を始めた。
さすがというべきか、一番幼い紋白ですら顔色を変えることなく、鉄心の話に耳を傾けた。
「なるほど、事情はわかりました。それでこの結界は、どれくらい持続するのですか?」
「一度の儀式で、一週間というところじゃろうな」
「一週間……」
「その間は出ることも、入ることも叶わぬ。たとえ百代といえども、力尽くで破壊することすら出来まい。それほど強力な結界じゃよ。なんせ、龍神対策じゃからの」
その言葉を試すように、百代は力を込めた拳を宙に放った。しかし見ることは出来ないが、確かに存在する結界により、その拳ははじかれてしまう。
「なるほどな……」
「確かにこれならば、地獄とやらから得体の知れぬモノが現れても、一週間は問題ないでしょう。しかし、その後はどうすればよいのでしょうか?」
「一週間後に、再び結界を張る。そのために儂は、これより力を蓄えるつもりじゃ。それを繰り返せば、あと2回は儀式を行えると思う。だがこの老体では、それが限界じゃろうな」
揚羽は頷く。
「つまりそれまでに、何とかする必要があるというわけですね」
「中に入る方法はないのか? 何をするにも、中に入った方がいいだろ」
百代が訊ねる。
「結界を張り替える時なら、一瞬のチャンスがある。出入りをするなら、その時だけじゃろう」
「次は一週間後か……」
すると、突然揚羽が笑い出した。
「地獄、おもしろい! 我は行くぞ! 一週間後、中に入る。お前もそのつもりだろ?」
揚羽が百代を見て問いかける。だが、百代は黙ったままうつむいてしまう。いつもなら当然、喜んで窮地に飛び込んだはずだ。しかし今は、そんな気分にはならない。
「私は……」
百代の脳裏に、大和の顔が浮かぶ。
避難してきた住民を見たが、大和の姿はなかった。今は京たちが念のために怪我人が搬送された病院を回って、身元を確認してくれている。
見つかればすぐに連絡があるだろうが、今のところ誰からも知らせはなかった。
「私は、行かない。すぐにでも、大和を探したい」
「何か訳ありのようだな……まあ、いい」
揚羽も無理強いをするつもりはなく、話を区切るように息を吐いた。そして帰ろうと英雄たちを振り返ろうとし、動きを止める。
「ん? 誰か、いる?」
不意に、視界に動くものが映った。しかもそれは、結界が張られた中にいる。
「あれは……」
「ん? 何……あっ!」
揚羽の視線に気付き、そちらに視線を向けた百代は思わず目を疑った。そこにいたのは、彼女が探し求めていた人物だったのだ。
「大和!」
「釈迦堂!」
百代と鉄心が、ほぼ同時に声を上げる。そう、そこには大和、釈迦堂を含め、5人の姿があった。
一人は凶悪そうな目付きの男、残りの三人は女性である。百代たちは素性を知らないが、板垣姉弟たちだった。
「大和!」
百代が叫ぶ。近寄ろうとするが、結界が見えない壁となって進むことが出来ない。
「くそっ! 大和! 大和!」
普通ならばくらった者を天高く飛ばすほどの威力を持った拳ですら、結界の前には無力だった。百代の叫び声も、向こうに届いているかどうかもわからない。ただ、虚ろな眼差しの大和の姿が、百代の心に嫌な感情を呼び起こすようだった。
板垣辰子は、気遣うように大和の手を握る。心を閉ざしたように目を伏せた彼は、手を引けば歩くが、放っておくとその場に立ち尽くしてしまう。地獄の扉が開き、住民が避難し始めた時に、亜巳の指示で見つからぬよう潜んでいたのである。
「おお、空が真っ赤だよ」
「すっげーなあ!」
辰子と天使が空を見上げながら、楽しげに話していた。ピリピリと肌を刺すような空気には、心地よい緊張感とゾクゾクする怖さがある。普通なら尻込みするだろうが、板垣姉妹にはこちらの方が居心地が良い感じすらしたのだ。
「何人か、残ってる連中もいるようだな……」
気配を感じたのか、竜兵は薄く笑みを漏らす。
「大方の連中は、九鬼と川神院で避難させたからな。残っているのは、自分の意志で決めた奴らだ。つまりは、俺らの側の人間さ」
釈迦堂が言う。
「へへっ、それってさ、好きにヤッてもいいってことだよな?」
「そうさ、邪魔する奴も、止める奴もいない。好きなだけ、喧嘩し放題ってわけだよ」
天使と竜兵が話すのを聞きながら、辰子が溜息を吐く。
「もう、ダメだよ。怪我したら大変なんだから」
「無茶はしねえさ」
「そうだよ、タツ姉。せっかく、こんな楽しいことになってんのにさ」
辰子はそれ以上何も言わず、隣の大和を見る。ぼんやりと宙を見て、精気が抜けたようだった。声を掛けても、反応がない。
「あれを見てごらん」
不意に、亜巳が声を掛けて来た。見ればそこには、川神百代たちの姿がある。
「じじいもいるじゃねえか……へへへ」
釈迦堂が楽しげに笑う。
辰子は興味なさそうにしながら、ふと、百代に気付いた。声が聞こえないが、大和を見て叫んでいるようだ。そういえば、二人は知り合いだったと思い出す。
突然、辰子の心に強い想いが生まれた。無意識だったのか、見せつけるように大和の腕を抱く。自分も好きだから、わかるのだ。
(あの人も、大和くんが好きなんだ……)
「ねえ……宣戦布告してもいいかなあ?」
「へえ、タツがそんなこと言うなんて珍しいね。地獄の空気にでも影響されたのかい。いいよ、おもしろいじゃないか」
「いけいけ、タツ姉!」
辰子は頷いて、大和を抱き寄せると唇を奪った。横目で見ると、百代は人を殺せるような目でこちらを睨んでいた。
「来てごらん、待ってるよ」
大和は渡さない。その気持ちを表すように、辰子は強く大和を抱きしめた。
川神市には鉄心により結界が張られ、政府により近づくことが禁じられた。周囲一キロに渡って、自衛隊によるバリゲートが設置されたのである。
世界は緊迫しつつも、大きな混乱はなく時間だけが過ぎていった。そして結界を張り替える一週間後、噂を聞きつけて中に入る強者たちが集まった。
まず、九鬼揚羽が単身で乗り込む。当初は残るはずだった英雄も、中に入ることを決めた。榊原小雪が、どうやら中に残ったらしいという情報を掴んだためだ。英雄は忍足あずみ、ステイシー、李の三名を供にした。
そして周囲の反対を押し切り、紋白も中に入ることを決めた。
「九鬼の子として、我だけ留守番はできませぬ!」
だが、ヒュームやクラウディオは万が一のことも考え、外で対応することになった。そこで紋白は、代わりの従者を選んだのである。
「我の供は、この二人だ!」
そう言って現れたのは、西から来た松永燕、そして護り屋の鉄乙女だった。
その他にもいくつかのグループが、それぞれの思惑で中に入ることにしたようだ。当然、大和が中にいると知った風間ファミリーも中に入ることを決めた。
たった一週間、されど一週間。その間に中の様子がどうなったのか、まだ、誰もその本当の姿を知らない。そしてそれを知った時、『地獄』の意味を知るのである。
あとがき
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。ここでとりあえず、一区切りです。
人間離れした人たちが大勢登場する作品なので、それにふさわしい舞台ということで、こんな感じの展開にしてみました。もともと、『魔界都市』とか好きだというのも、影響しているかも知れません。
次回から、地獄と化した川神市が舞台となります。少し文体とかも、陰鬱とした感じにしていこうかと思っています。
「まじこいS」の新キャラも登場してきます。
みなさんのコメント、すべて目を通しています。とても嬉しいし、活力となっています。かなり遅いペーズでの更新ですが、原作の良さを失わないよう、オリジナル展開もしつつ楽しんで続けていければと思っています。
もしも気に入っていただけましたら、応援してもらえるとうれしいです。
それでは、また。
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真剣で私に恋しなさい!を伝奇小説風にしつつ、ハーレムを目指します。
ここで一区切りです。ようやく、舞台が整ったという感じです。
次回より新展開?
楽しんでもらえれば、幸いです。