四章 地獄の天使 Lost Angel
「――レヴィア。僕と一緒に戦ってくれないか」
彼女が起きるのを待って、僕はミントと共に考えた反乱とも言える計画を全てレヴィアに話した。
仕方がないこととはいえ、彼女か、もしくは彼女の兄を僕は、武器として「使う」必要がある。彼女達は自分の意思を持ち、人の姿を持つと言うのに、それを道具として扱う。当人達の誇りを大いに傷付ける行為だ。僕なら間違いなく憤慨している。
だから、説明の時の言葉はいつもよりずっと慎重に選び、口調も出来るだけ優しくした。まるで子どもに言い聞かせるような丁寧な言葉で、まるで老人に語りかけるように穏やかに、瞳の中を覗き込むように彼女をしっかりと見て「お願い」をした。
「わかりました。どうぞ、あたしを使って下さい。あたしはエリス様にとっても使いやすい武器である剣ですから」
驚くほど簡単にレヴィアの首は縦に振られ、拍子抜けするような、ある意味肩透かしを食らったような気分になる。
彼女が僕に恋していて、比較的こんな話でも切り出しやすいのはわかっていた。でも、まさか即決で自分の体を差し出すなんて。
「本当に良いのか?修理は出来ると言っても、本当に傷が残らないとも限らない。それに、もし折れたりしたら、修理出来るかどうかも……」
「良いんです。あたしは、エリス様を信じています。エリス様にこの体をお預けしても、何一つ心配はいらないと」
「……どうして?」
「エリス様は、自分の危険も顧みず、初対面のあたしを助けてくれましたから」
頭を殴られるような衝撃。いや、不意に抱きしめられるような、意外な驚きがあった。
たったそれだけ、たった一度きりの助けられたという事実で、レヴィアは僕をそこまで信じてくれるのか?
恋愛感情も影響していたのかもしれない。でも、彼女が本当に純粋で、僕の行動を素直に尊いものだと評価してくれたということだ。
僕が同じことをされて、同じように恩義と全幅の信頼を寄せられただろうか……?少なくとも、天界にいた頃の僕は他人の善意を裏のあるものと決めてかかり、可能な限り孤独であろうとした。
それがある意味で天使らしい振る舞いだったのだから、仕方がないとも言えるかもしれない。……でも、そんな自分が恥ずかしくなる。
「……レヴィア。ありがとう。絶対にきみを傷付けたり……いや、傷付けさせたりはしない」
「エリス様……っ。あたしのこと……」
「おかしいな。完全に無意識だ。でも、僕のことをこんなにも信頼してくれる相手に対して、お前とかこいつとか言うのは、あんまりに酷いだろ?」
「ありがとうございます……エリス様」
「お、おいっ」
何を思ったのか、唐突にレヴィアは僕の腕に縋り付くように抱きついた。
柔らかな腕や胸に腕が包まれ、次いで彼女の体温が伝わって来る。レヴィアの体に、ちゃんと触れたのはこれが初めてだ。助けた時はそれどころじゃなかったし、今までも触れたことはなかった。
……人魚ということで、もう少しひんやりしているのを想像していたが、普通に温かくて、女の子らしい感触だな…………。ミントはさすがに疲れたということで寝ているし、もうしばらくこうしていたいかもしれない。
「では、一度だけあたしのもう一つの姿を、見ておいてもらえますか?……醜悪な姿だとは思いますが」
「そんなの……レヴィアがなる剣なら、それもきっと奇麗だろ?」
ちょっとキザったらし過ぎたかな……。以前にもレヴィアの容姿や性格が好きだとは言っているので、あんまり本人も意識していないだろうけど。
「ありがとうございます……」
彼女がそう言うと、僕の腕に抱きついたままのレヴィアの体が発光して、辺り一面を照らし、僕の視界もまた白に塗り潰された後、僕の腕に感じるものは何もなくなり、代わりに一本の剣が宙に浮遊していた。
比喩ではなく、身の丈ほどもある大剣、全長は百五十センチあるだろうか。剣身の幅もかなり広く、パーツだけを見ていれば、戦闘用としても、装飾用としても高い価値を持っているとは思えない。……でも、その全体像を見ると全く違う印象を受ける逸品だ。
巨大な水晶を切り出し、極限まで磨き上げたような剣身は、鏡のように僕の姿を映し出し、後ろの景色がうっすらと見えるほど美しく澄みきっている。表面はうっすらと濡れているようで、光輝いていた。
反りのない剣でありながらも、柄にはサーベルのようなナックルガードがあり、その材質は銀か白金だろうか。青っぽい銀色に輝き、よく見ると精巧な彫刻が施されている。
鍔にも同じく銀色の金属が使われていて、繊細な意匠も一致している。その他には装飾もなく、武器としての機能を妨げるような物は何一つとしてない。
機能的でありながらも、無骨な印象は受けず、美術品としても通用するような美しさを持ち、これだけ大きな剣なのに、あまり重そうには感じられないほどだ。
「――レヴィア。手に取って、良いか?」
神器になっても意思は残るが、さすがに言葉を話すことは出来ないらしく、上下に小さく剣が揺れる。肯定の意味だろう。
伝説のレヴィアタンが変化した武器なら、会話ぐらい出来ても全く不思議ではないのだが、変なところで武器らしく不便なようだ。
一歩進み、柄を両手で握り締める。まるでレヴィアの手を握るような、優しい感覚だ。剣身を実際に持ち上げてみても、重さは羽ほども感じられない。レヴィア自身がこの剣を宙に浮かせているのだろうか?
屋内でこんな剣を振るう訳にもいかないので、実際にその使用感を確かめることは出来ないが、かなり扱いやすい剣だというのはわかる。重さがない以上、苦労するのはそのかさ高さ、小回りの利かなさだが、それぐらいは技量で何とでも出来る。そして、僕にはこの剣を百パーセント使いこなせるほどの腕があるという自負があった。
「ありがとう。もう戻ってくれて良いぞ」
剣から手を離すと、それは床に転がり落ちる訳でもなく、宙に留まって発光すると、再びレヴィアが姿を現した。
改めてレヴィアの人の姿を見てみると、なるほど……彼女のイメージをそのまま剣にしたようなデザインだったな。
鍔や柄の青みがかった銀色は彼女の髪、剣身の水や氷を彷彿とさせる部分は彼女の人魚である部分の反映か。大振りな剣だというのは、レヴィアがやや長身であるところや、巨大な海蛇と伝えられるレヴィアタン自身をモチーフにしているかもしれない。
いずれにせよ、とても彼女らしい、美しくも派手過ぎない剣だった。
「どうでした……?」
「何も文句はない、良い剣だったよ。本当にありがとう、協力してくれて」
「そんな……。感謝するのは、あたしの方です。大事な戦いに、あたしを連れて行ってくださって……。粉骨砕身の覚悟で挑ませてもらいますね」
「いや、身を砕かれたら困るんだけどな……。そう言えば、まさか神器になっている間も痛覚はあったりしないよな?」
「さあ……。あたしは元から、逆鱗を怪我しない限りは痛みを感じませんから」
そうだったな……時々忘れそうになるが、彼女は絶対に死なない不死の怪物なんだ。
どんな武器も、炎も効かないという強靭な肉体を持ち、唯一の急所である逆鱗に怪我を負っても、しばらくすれば治癒してしまう。
どうやら守りに特化し過ぎたためか、神器の姿にならなければ攻撃は出来ないみたいだが、どれだけタフかは、生み出されてからの途方もない時間をこうして生き抜いて来たことからわかる。
「それならまあ、大丈夫かな……。ちなみに神器になっても逆鱗に相当する部分はあるのか?」
「わかりません……。神器の姿になること自体、ほとんどありませんでしたし、鏡でも見ないと自分の姿は確認出来ないので……」
「それもそうだな。けど、もし逆鱗が存在するのなら、そこだけは絶対に守り抜かないといけないな。柄の部分にあったりしたら良いんだけど」
人や人魚の姿の時の逆鱗が、足や下半身にあるのなら、剣の下の方にあると考えるのが自然ではある。
けど、そうなると配色的に頭の部分は柄、下半身は剣先の方だ。相手と斬り結ぶとしたらよく消耗する部分で、そこが弱点ならそこから剣が折れてしまうことも考えられるだろう。
敵の技量がどれほどのものかわかっていないが、相手の攻撃を全て避けた上で打ち込めるほど、実力に差はないだろう。むしろ僕がレヴィアの力を借りて、やっと相手に追い付けるレベルと考えた方が良い。
その中でこのハンデは大きいな……しかもその弱点を使用者である僕も把握していないなんて。
「エリス様。すぐにでも出発されるのですか?」
「ああ。ミントが起きたら、すぐに発とうと思う。心の中で言うのも良いかもしれないが、兄にはちゃんと顔を合わせてお別れをしておくべきかもな」
「はい……そうですね。では、少しお暇させてもらいます」
もちろん、レヴィアをきちんと生還させてやる自信がない訳じゃない。さっき僕が彼女に言った言葉は真実だ。
でも、そうであったとしても、家族はきちんと「いってきます」と「いってらっしゃい」を言って別れるべきだと思う。
僕に家族はいないけど、それを想像してみることは出来る。友達よりもっと身近で、かけがえのない存在。それは、時としてないがしろにしてしまうのかもしれない。
だけど、数十年も数百年も連れ添った親友より、恋焦がれる相手より、優先すべき時だってあるに違いない。それがレヴィアにもわかっているのだろう。原初の双子とも言える二人なのだから、それは当然か。
彼女はすぐにミントの家を出て、兄の待つところへと走って行った。
実はレヴィア達の家の場所も聞いてなかったが、きっとそう遠くはない場所だろう。それでも、戻って来るにはそれなりの時間がかかるに違いない。
英気を養うため、僕も自分のベッドに潜り込んだ。ああ、人肌に温められたら布団がすごく気持ち良い。これならすぐに眠れそうだ。
……人肌?
そんな馬鹿な。このベッドには暖房機能も保温機能もあるはずがない。普通の中材不明の布団だ。とすると、この生温かさは……?
「う、うーん。ちょっと、なんでいきなりわたしのベッドに入って来てるのー?」
まあ、ミントだろうな。ちょっと考えればわかることだ。
「なんでも何もなく、これは僕のベッドだ。僕の方がなんでお前が寝ているのか訊きたい」
「えっ、うそ。あっちのベッドは別の子の匂いがしたから違うと思ったのに」
「レヴィアが寝てたからな。お前、一週間家に帰らなかったぐらいで自分のベッドも忘れるのか?」
「うっ……そ、そうかも。なんと言うかわたしって、細かいことにはこだわらないタイプ、みたいな」
仮にも女が男の寝ていたベッドで眠るって、十分大事じゃないか……?他人には色々と気を回す癖に、自分のことには意外に無頓着な奴だ。
逆に僕のベッドで眠ることになったことを、僕のせいにされて抗議されても困るが。
「お前がぼーってしてるのはよくわかったが、ともかくそこをどいてくれ。僕もちょっと横になりたいんだ」
「別にぼーっとしてる訳じゃないよっ。それに、エリスもちゃんと確認してなかったでしょ?明らかに布団が膨らんでたし、髪も見えてたのに」
「そ、それはだな……。って、僕も悪いみたいな流れに持って行こうとするな!」
「むむむ。そのまま流されれば良かったのに。はい、じゃあわたしのベッドに戻るね。……わたしの匂いを嗅いで興奮しないでよ?」
「誰が興奮するか。板材の香りぐらいで」
「い、板っ……。だからわたし、そこまで無乳じゃないって!」
いよいよ、胸が小さいことは認めたな。周りが大きめだから余計目立つのかもしれないが、一般的に考えても十分小さいと言えるだろう。
それを悪いとは言わないし、まあ、ミントが巨乳だとそれはそれで似合わないと思うので、今の板材で良いのだが、僕の好みからはかけ離れているとだけは言わせてもらおう。
「はは、じゃあおやすみ。板材」
「だから板材って言わないでよっ。エリスのおっぱいマニア!」
ふっ、罵倒のつもりで言ったのかもしれないが、僕にとっては褒め言葉みたいなものだ。大きな胸を愛する。それに何の問題がある?伝説に聞く限りだが、聖母もかなりの巨乳だそうではないか。つまり、巨乳好きとは天使として当然の性癖。
そして、多くの天使の女性もある程度以上大きな胸を持つ傾向にある。逆に天使の男で貧乳好きという方が少数派な訳だ。
よって僕は誇りを持って巨乳好きを名乗ろう。レヴィアのような女性こそが最高だと声を大にして言おう。
仮にそれが、生殖方法を持たない天使や悪魔にとっては、運動を阻害する要因でしかない脂肪の塊としても、だ。
眠りの底にあった意識が覚醒する。誰かに起こされる訳ではなく、自発的にだ。
僕はかなり寝起きが良い方に分類出来るだろう。体感での睡眠時間は五時間といったところか。これが正しいかどうかはわからないが、気分はすっきりとしている。
ベッドから起き上がり、軽く体を動かしてみると、活力がみなぎるのを感じた。エネルギー補給の必要のない天使は、それなりの睡眠さえ取れば活力を回復出来る。悪魔にはない利点だ。
ミントはもう起きているらしく、またあの紅茶もどきの香りがして来る。依存性があると聞いて以来、怖くてあのお茶は飲む気すら湧かなくなったな。
「おはよう、ミント。レヴィアはもう戻ってるか?」
居間に顔を出すと、モーニングティーと言ったところだろうか、カップに注いだお茶をミントが上品に飲んでいた。そこにレヴィアの姿はまだない。
「うん、おはよう。レヴィアが戻るのにはもう少しかかるみたいだね。……後、鍵閉め忘れてた。泥棒が入ったらどうするの?」
「戸締りは僕の責任なのか?一度は起きたんだから、その時に気付いて閉めてくれれば良かったのに」
「……はて、自分を地獄の住人と認めろと言ったのは、誰でしたかな。地獄の住人、つまりこの家の住人。自分の家の戸締りぐらい、普通はすべきじゃない?」
ぐっ、的確に正論をぶつけて来る……。僕と同じように寝起きの癖に、こいつもよくやるな。
すごく腹立つが、この頭の回転の速さがこれからも役立って来るだろう。身を持ってその恐ろしさをよく理解出来ているんだから、まあ良しとしてやる。
「ふふっ。まだまだ口ではエリスに負けないよー」
「言ってろ。一応言っておくけど、お茶は飲まないからな。普通のお茶なら飲んでみても悪くないとは思ったが、お茶の中毒者になるつもりなんてない」
「あ、その話はもう聞いてたんだ。でも、中毒になってみるのも案外悪くないよ?飲めないと辛いけど、飲む時の喜びが半端じゃないもん」
「そうやって抜け出せなくなって行くんだろ……お前がもし人間なら、とっくにアルコールかタバコの中毒で破産してるな」
本当、のほほんとしているように見えて、発想は完全に駄目人間のそれみたいな奴だ。これがワルキューレなのだから、他の北欧神話関連の連中はどれだけ末期な奴が揃っているんだろう。
でも、地獄に住む以上はこれぐらいおかしなところがあっても良いのかもしれないな。常識人でいる方が疲れる世界な気もする。
レヴィアも比較的普通に見えて、あの二面性があるし、セレストなんかはアンバランスの宝庫。まだ詳しくは知らないが、レヴィアの兄であるバハルドも曲者だろうし、調教師のベレンもただ事務的な悪魔、とだけでは言い表せないような変人だろう。
僕がいかに常識的で、良識的なのかよくわかるよ。そして、それに馴染もうとしている辺りから、僕も変人の仲間入りを果たそうとしているんだろうな。それがある意味で、精神的な堕落の一つなのかもしれない。悪い気はしないけど。
「遅くなってすみませんっ。エリス様、ミントちゃん。大変なことが起きたんですっ」
――なんて、物想いにふける時間は与えられていないようだ。家に飛び込んで来たレヴィアから、決して良くはないニュースがもたらされた。
「セレスちゃんが、しばらく前から暴食者の地獄に帰っていないみたいなんです。もうとっくに休暇は終わっているのに、何の連絡も、目撃証言もなくて……」
「休暇と言うのは、以前あいつがこの家に来た時のものか?それとも……」
「一週間前のあの休暇です。一日休んで終わりのはずだったのに、まだ帰らないなんて明らかに異常だと、ベレンさんが」
セレストが僕達と会った後、すぐぐらいにその姿を消したということか。そして、未だに帰って来てもいない、と。
「エリス……あいつをやる直接的な理由が出来たみたいだね」
お茶をそのままにして、ミントがすっ、と椅子から無表情で立ち上がる。
これが、ワルキューレとしてのミントか。炎を連想する赤い髪を持ちながらも、冬の凍て付く冷気のような空気を放っている。
「別に、あいつがこのまま僕や僕の知る相手に何かをしなくても、気に入らないからという理由だけで十分戦えたよ。――でも、士気が上がったのは確かだな。絶対に殺す」
立ち上がりながら、軽く体が震えるのがわかる。恐怖じゃない、戦いを前にした興奮。武者震いだ。
僕はまだ、セレストとレヴィア、どちらが好きなのかを告白した訳ではない。どちらかに決めかねているのも事実だ。けど、僕は思う。それだからこそ今は、二人を同等に大切にするべきだと。
結果として、どちらかを傷付けることになるだろう。二人から愛されている以上、これは仕方のないことだ。だが、僕は気持ちに整理が付く時まで、二人を同時に恋人にしているがごとく、優しく、大事に接する。それが出来ない奴に、愛される資格も、愛する資格もないと断言しよう。
「良い男の顔だね。相手が知り合いだからとかじゃない。愛し、愛される勇士の顔だ。……あなたが人間で、戦場で倒れたなら、間違いなくわたしがヴァルハラに導いてるよ」
「勘違いするなよ。僕は、あいつが勝手に僕のことを好いているから、助けたいと思っただけだ。別にあいつのことが好きだという訳じゃない。……だからレヴィア、怖い顔はやめてくれ」
こんな状況なので、あえて触れようとは思っていなかったが、もう一人の僕を愛する女性の目からは、光が消えて行っていた。
このままだと、生きながら悪霊と化してしまいそうで、かなり怖い。
「冗談ですよ。エリス様。……セレスちゃんは、あたしにとっても大事な友達です。あたしの力を使って、助けてあげて下さい。お願いします」
いや、冗談じゃなかったろ。むしろ嘘であんなことが出来るなら、今一度レヴィアの認識を改めないといけない。
「ああ。僕に力を貸してくれ。ミントも、信頼しているからな」
「もちろん、ばっちり任せて。わたしも悪ふざけで堕落して、今まで遊んで来たんじゃないんだから」
そう言えば、まだミントの堕落した理由も聞いていなかった。全てが終わったら、本人から打ち明けられるだろうか。
「よし、じゃあ行くぞ」
「……あれ、エリスが前歩くの?道わかる?」
「そのために、この前の地獄巡りがあったんだろ?堕天使がいたのは、もっと下層の地獄だ。そこまでの行き方ぐらいは完全に覚えてる」
本来は地獄から出るために教えられた道順だが、もうその目的でこの情報が活かされることもないだろう。だから、この地獄で生きて行くための知識にする。
その第一歩として、僕は僕自身で道を選んで前へと進んだ。
*
「うーん、こんなことしてて、本当に良いのかな……」
堕天使に連れられて来た部屋にいたのは、数人の悪魔。それ等は罪人であるから、鞭で好きなだけ打って良いと言う。
その言葉のまま、セレストは彼等を打ち続けた。
鉄の鞭で打たれることに慣れていない彼等は、暴食者の地獄の人間より、ずっと新鮮で大きな叫び声を上げてくれる。
それがセレストにとってはたまらない快感で、夢中になって打ち続けた。来る日も来る日も打ち、やがていつもと勝手が違うことに気付いた。
相手は生身の悪魔であり、既に死んだ人間の魂ではない。食事も与えられず、休息も与えられずに苦痛を受け続ければ、衰弱して最後には死んでしまう。
そのことにセレストが気付いた時、六人いた悪魔はどれも酷く弱り、もうまともに声も出さなくなっていた。
ベレンのような監視する者もいないということで、とりあえず悪魔達の手当てをしようとしたセレストだが、扉には外側から鍵がかけられており、どうやっても開かなかった。
仕方なく、死者をも生き返らせるケルベロスだけの使える秘術を用い、彼等を救うことは出来たが、あらかじめセレストに与えられていた食糧はそう多くもない。七人で分け合うと、三日と持たなかった。
毎日食事を得られなくても、人よりずっと強い生命力を持つ悪魔は簡単には死なない。それでも、ベレンに迷惑をかけているという思いはあるし、あまりに栄養が不足してしまえば、いずれ死んでしまう。日にちが経つほど、セレストの不安は募るばかりだ。
「エリス……寂しいよ……。助けて……」
助けを求める相手は、ただ一人の天使。
一番恋しく想い、一番の理想だと思う相手だった。
*
レヴィアを助けた血の大河を越え、人間の魂が変化したという樹木の森を越えて辿り着いたそこには、血の雨が降っていた。
血の河は隣人に暴力を振るった者が浸けられ、樹木になるのは自殺者。そして、血の雨に打たれるのは神に暴力を振るった者……堕天使がいるのに、ここほど適した場所もないだろう。
罪ある者にとっては、高熱に感じるというその雨の降りしきる中には、大勢の人間、そして何人かの天使達の姿が見えた。
当然ながらその全てが黒く穢れた翼を持ち、人間達を監視する任に就いている。
その中に一人、明らかに他とは見た目の違う天使がいた。
竜から翼を取り去り、地上を走ることに特化させたようなトカゲの化物を駆り、腰には一本の剣を佩いている。それが神器だというのは、見ただけでわかった。通常の武器にはない威圧感がある。
「あれが、アルフレド……。かつて神に反乱し、堕とされた天使か」
僕と同じ金髪は長く伸ばされ、その体格は僕よりずっと大きく、頭一つ分以上は身長が違う。
見た目の年齢は、三十代前半といったところか。天使と言うよりは、腕利きの傭兵と言った風貌で、相当な技量の持ち主だとその姿を見ただけでわかる。思わず気圧されてしまいそうだ。
「エリス。まずはわたしが……」
「いや、僕に行かせて欲しい。同じ天使として、言いたいことがある」
向こうもとっくに僕に気付いている。ただ挨拶に来た客じゃないということも。
そもそも、前にもここには来たが、その時にあいつはいなかった。どこからか僕達が動くことを聞き付け、わざわざ待っていてくれたのだろう。親切な奴で助かる。
「アルフレドだな?僕はエリス、お前と同じ天使だ」
赤い血の霧に包まれた中、僕は遂に堕天使アスタロスと対峙した。
つかの間の沈黙の後、想像よりずっと低くしがれた声が返って来る。
「いかにも。オレがアルフレドだ。お前が新しく来たと言う堕天使か。想像していたより若いな」
「何歳かわかるのか?」
「三百だ。違うか」
さすが老人、それぐらいのことはわかるか。実際、僕は三百と五年ほど生きている。
天使としては、ほんの生まれたてのようなものだけど、どれだけその三百年が長かっただろうか。
「当たりか。その年、その程度の力では、自らの意思で堕ちた訳ではあるまい。オレと同じか」
「魔王アスタロスもボケたか?どうして僕がお前と同じ理由でここに来なければならない」
「同じだろう。オレもまた、望まずして堕ちた身だ。ここに来てしばらくの間、どれだけ地獄と悪魔を呪ったことか。お前の気持ちはよくわかるぞ」
「……お前ごときに同情されるなんて、反吐が出る」
しかし、どういうことだ?アスタロスは神に反乱して地獄に堕とされた。それが天界に伝わる伝説だ。
それが必ずしも事実と限らないのも確かだが、それならそれで、自分から地獄から逃げ出していてもおかしくはないだろう。かつての地獄は、逃げ出すことも可能だったのだから。
それなのにも関わらず、奴は今もこうして地獄で、支配的階級として君臨している。
詳しい事情はわからないが、地獄に残り続けたんだ。野心あっての行動としか思えない。
そして、今こうして地獄を奴が侵し始めていて、地獄が地獄として機能するための秩序は崩壊に向かっていた。
堕落の理由はどうであれ、奴は既に堕天使といて扱われて当然の悪徳を積んでいる。今更何を言われても、惑わされる必要はない。
「それより、問おう。セレストをさらい、隠したのはお前だな」
「なぜにそう思う?」
「お前がこうして僕の前に姿を現している以上、お前は既に僕達が来ることを知っていたと考えるのが自然だ。そして、その情報を手にすることが出来るということは、僕の交友関係も調べていて当然。ならセレストと協力されることを危惧してさらってしまうことも考えられる。
そしてお前は天使。神器以外では死なない存在だ。そのお前がセレストを隠すのなら、彼女の持つという魔剣は、神器に匹敵する力を持ち、お前の天敵となり得るに違いない。違うか?」
返事はなくとも、感心したような、逆に小馬鹿にしたような表情でわかる。こんな推理ごっこで得意気になるなとでも言いたいのか?
全く、天使らしく傲慢な奴だ。僕もそうだから、奴の心理がよくわかってしまうのが余計に腹立たしい。
「彼女は無事なんだろうな?」
「ケルベロスもまた、海と陸の怪物と同じく不死の存在……神器を用いたとしても、その息の根を止めることは不可能だ。適当な牢屋を用意し、そこに監禁させてもらっている」
「安心した、とは思わないぞ。むしろ、余計にお前が憎くなった。可憐な少女を監禁するとは何事だ?いよいよ腐ったな」
アルフレドに表情の変化はない。ただ、面白おかしそうに僕を見下ろしている。
それから、その視線が僕ではなく、ミントの姿を認め、まっすぐに見つめた。ミントはあれだけ実動班として地獄中を駆け巡っていたんだ。そこから相手は情報を得たのだろうな。
「堕天使と、戦女神が手を組んだ訳か。天より追放されし者同士、身を寄せ合って今まで生きて来たか」
「……色々と訂正したいこともあるけど、これだけは絶対に譲れないから、言っておくわ。わたしはオーディン様の怒りに触れてヴァルハラを追放されたんじゃない。人のために離反したの」
睨むようにして見られながらも、ミントは毅然と言い放つ。気が付くとその手には槍があり、今にもそれで斬りかかりそうなほどの闘気を発していた。
武器を構えながらも、決して激することはなく、ただ打ち込む隙を伺うような、静かな殺気だ。
激情に身を任せて僕が剣を向けたあの時とはまるで違う。これが、戦士を神の城へと導き、自身も戦場で勇猛果敢に戦うワルキューレの勇姿なのだろう。
「なるほど。自分を正義の反逆者とでも言うか」
「その安っぽい言葉は気に入らないけど、大体そうかもね。でも、わたしはあなた達の神の正義も、わたしの神の正義も、あなたの理想も信じてはいない。――ただ、この身と武を人の未来のために捧げる」
「神に仕える身でありながら、神を信じず、人に尽くすか。それもまた堕落者のあり方の一つ、少しは理解も出来よう。だが、一人孤立して吠えても、何一つとして変わらないのは明らかだ」
「だから、こうしてわたしはここに立っている。今まで迷って来たけど、あなたと戦うことを決めた」
再び、アルフレドの目が動く。僕を見て、実力を値踏みしているようだ。僕がミントの力になり、自分を倒すことが出来るだけの器か測ろうと言うのか?
なら、残念ながらその行為は無意味だ。僕自身の力は堕天使の長とも言える奴に遠く届かないかもしれないが、レヴィアがいてくれている。そして、彼女とは強固な信頼関係も作ることが出来ている。
思いの力を実際の戦闘のための力として数えるのは、愚行かもしれない。不確定要素を過信するのは、決して堅い策ではないだろう。でも、負ける気がしていないのも事実だ。
「熱意はよく伝わったが、ここでオレの考えも聞いてみないか?主張もなくオレが凶行を繰り返しているとも思わないだろう」
「確かに、興味はあるな。冥土の土産代わりに話させてやっても良いが」
「天使の台詞には思えないな。殺すことに抵抗はないのか?」
「あるに決まっているだろ。――その対象が、殺すのに惜しい相手の場合だけだけどな」
「オレはそうじゃないと言う訳か。なら、何のためらいもなく言えるな。オレは今の地獄の体制を壊す。そして、新たな地獄を作る。考えてみるほど、時代遅れな古い仕組みだろう?それを新しいものに作り変えるんだ」
「悪魔をも責めの対象にする、新しい地獄と言うことね」
首肯。消えた悪魔達は、人間にそうするように、責め苦を受けていたのか?
なら、セレストもあるいは……。あの少女の姿をした番犬が死も与えられず傷つけられる姿を想像するだけで、軽い吐き気を催す。もしそんなことをしているなら、八つ裂きでは済まさないぞ?
「悪魔と人間の両方が堕天使に支配される地獄、か。支配する側からすれば、さぞ楽しい世界だろうね。それに、今の人間により強い責め苦を与えるという主張も、まあ筋は通ってる。わたしが愛した頃の人間も、その精神を受け継いだ人間ももういないしね。……じゃあエリス、どうする?」
「論外だな。これ以上この醜悪な地獄を最悪にしてどうする。そんな中で生きる僕の身にもなってみろ。本格的に精神が参ってしまうだろ」
「あくまで、今のままの地獄を残そうと言うんだな?」
「ああ。誰かに頼まれた訳でも、悪魔どもを思いやって言う訳でもない。僕自身の意思で、今の地獄を守ると言っているんだ。後、第一お前のことが気に入らない。どうして地獄にいるのか知らないが、堕天使風情が誇り高き天使である僕を差し置いて勝手をするなんて、許せる訳がないだろう」
聞くべきことも、言うべきことも全て言った。後はもう、力で決着を付けるだけだ。
久し振りに大きく翼を開き、大きく風を受ける。空は飛べなくても、バランスを取るためにまだまだこれも使える。
「レヴィア。勝つぞ」
「はいっ。エリス様のことは必ずあたしが守ります」
まばたき一つの間にレヴィアが剣の姿になる。重さを感じないため、片手でも扱えるそれを持ち、構えると改めて剣の力を実感することが出来た。
以前僕が使っていた剣とは、まるで比べ物にならない。間違いなく最高の剣だ。それでいて、剣の方が僕に寄り添って来ているような、逆に僕が包まれているような、不思議で心地良い感覚もしている。深く考えなくても、剣が、レヴィアが僕に合わせて動いてくれる。手足のように扱うこともたやすいだろう。
降りかかっては体や服を汚す赤い雨も、剣身の雫が洗い流し、剣自身が赤く汚されることはない。絶対的な「清浄」の中にいる気がしていて、地獄にいて天界にいるような安心感もあった。
「それが、かの……。剣だけの相手とはいえ、本気で対峙する価値はありそうだな」
「手を抜いてみろよ。その瞬間に斬ってやる。――ミント!お前はセレストを探しに行け。馬鹿なことをされる訳にもいかないからな」
「でも……ううん、そうだね。すぐに戻って来るから!」
戦力ダウンは気にしなくて良い。一人で囲まれても、二人で囲まれても、結果は同じだからだ。
予想していた通り、散り散りになっていたアルフレド配下の堕天使達が一斉に神器を手に向かってくる。
それと反対にアルフレド自身は下がって行く。消耗したところを片付けるつもりだろうが、読み違いだ。僕はいちいち、ザコの天使ごとき相手にはしない。
振りかぶった剣を、一気に振り下ろす。僕の期待にレヴィアは応えてくれて、多量の水分を含んだ突風が僕を中心に全方向に吹き抜けた。大波にも似たそれは途中で水分を凍り付かせ、一本一本が氷の槍のようなツララとなり、天使達を牽制すると同時に浅く傷付ける。そこから、ツララの毒が回り、堕天使達は動けなくなる。
その隙に僕は一気に駆け抜けた。もし僕が一人でもあの天使達を殺してしまえば、その時点で僕は簡単に死ぬ存在となってしまう。そうなっては勝てる戦いにも勝てない。こうすることは初めから決めていたことだった。
一気にアルフレドに肉迫し、剣を振り下ろす。それを阻害したのは相手の神器。柄に蛇の意匠のある長剣だ。レヴィアほどではないが、相当格の高い剣なのだろう。僕が見たこともない神器だ。
「神経毒か……。蛇と伝えられるレヴィアタンだけはある。だが、この剣もまた蛇の毒を持つ神器だ。一度傷付けただけで、相手を殺すほどのな」
「天使も殺すほどの毒なのか、試してみたいけどな。あいにく僕は自分を実験台にしたくはない。このまま、押し切るぞ」
一度飛び退り、すぐに踏み込んで剣を振り下ろす。さっきの風圧もそうだが、本来は四十キロはありそうな重い剣だ。押し付けた時の重圧も並大抵のものではない。あの堕天使と言えども、押し返すのが精一杯で防戦一方に回らざるを得なくなる。
単調にも思える攻撃を繰り返し、相手の力を削いで行く。地味で非効率的で、長期戦になれば僕にも疲労は溜まって来る。それでも、天使を相手にする以上は、これが最も合理的だ。
僕もそうだが、天使の力は人間や並大抵の悪魔のそれとは一線を隔する。その気になれば一秒の間に数十回と武器を振るうことも出来、相手にそれを許せば、僕はすぐさまにでも殺されてしまう。それを封じるためには、こちらの武器の大きさを活かし、相手の速攻の意味をなくす戦いをしなければならない。
相手がどれだけ早く剣を振るっても、僕にはそれを見切るだけの目がある。本来ならそれが見えたとしても、全てを回避するのは至難だが、こちらの剣は幅広で、軽く動かすだけで全てを防ぎきれる。しかも、剣身は濡れているため、素早く攻撃をすればするほどよく滑り、その狙いは甘くなる。
結果として、力比べをするような鍔迫り合いが互いにとって最善の戦い方だ。そして、この戦いでは剣の重さに勝る僕が優勢になる。僕が相手より早く力尽きてしまってはどうしようもないが、全くそうなる気はしない。
そうして、斬り合いが続くこと、二十回、三十回。緩やかに戦局は移って行く。
もちろん、僕が有利な方に……だが、気を抜いたらそこに付け込まれるかもしれない。これが相手の作戦という可能性もある。
「剣を持つ手が震えているぞ。そろそろ握力の限界か?」
「どうだろうな?」
はったりと見るべきか、実際に限界が近いと見るべきか。いずれにせよ、詰めの段階で油断は許されない。再び構え直して、一撃一撃に全力を込めて打ち込んで行く。
刃こぼれを心配していたが、この剣にもまたレヴィアと同等の耐性があるのだろう。どれだけ激しく打ち合っても、傷一つ付くことがない。むしろ一方的に相手の神器を傷付け、いかにこの剣が優れているのかを見せ付けてくれる。
この剣となら勝てる。予感は確信になり、心の中に描いた未来が、現実のものになろうとしているのがわかった。
唯一、気がかりがあるとすれば、相手の騎乗していた竜だ。僕が最初の一太刀を浴びせた時には既にその姿を消していて、どこに行ってしまったのかわからない。
挟み撃ちをするという訳ではなさそうだが、どうにも気になってしまう。
ミントを追尾したとしても、あいつなら上手くやってくれるだろうが……そう言えば、結構な時間が経ったはずだ。そろそろセレストは見つかっているだろうか。
「おい、一応もう一度聞いておく。セレストは監禁しているだけだな?」
「まだあの女が帰って来ないのが気がかりか?オレはいらないことに労力は割かない。埋葬のために時間がかかっている訳ではないだろう」
「もし嘘だったら、一センチ刻みでバラバラにしてやる。覚えておけよ」
その言葉を信じるかどうかは別として、かなり追い詰めているはずなのに、まだまだ言葉には余裕が見える。くそっ、確実にこっちが攻めているのに、そんな気がしない。そもそも、まだ一度も相手を傷付けることが出来ないという事実があり、それも気を急かせる要因となった。
剣の扱いでの実力は拮抗、武器の性能ではこちらが勝っているのに、どうにも心が邪魔をして守りを抜けない。そして、四十、五十、剣を重ね合い、相手の動きの癖まで読めるようになって来た。それは向こうも同じ、あまり良い状況ではない。
これだけ攻めて、まだ相手の死のカウントの一つも減らせないなんて、いい加減焦りと同時に、不安が芽生え出す。
僕は相手の力量を見誤ったのか?変にセレストに気を回し過ぎずに、素直にミントと共闘するべきだったか?
今になって後悔が噴き出し、太刀筋に粗が目立つのが自分でもわかった。そこを狙われないのは、相手が疲労をしているからに過ぎない。
そう、いつ勝負が決められてもおかしくない状況なのに、後一歩が届かず、渾身の一振りは狙いを逸らされ、攻めのために振るっていた剣は、防御に回らざるを得なくなる。
体力はまだまだ大丈夫なのに、精神が擦り減らされていくようだ。
「エリス!ちょっと下がって!」
剣を交えること、七十?もう数え切れないほどになった頃、こんな状況にも関わらずどこか冗談っぽいそんな声が響いた。
この相手と、この指示。何をやりたいかは予想が付く。置き土産とばかりに思い切り剣を叩き付けて、翼も利用して大きく跳び退った。すると、さっきまで僕がいて、今は距離を取られまいと、思わず一歩踏み出したアルフレドのいる場所に、一本の槍が矢のように放たれる。
オーディンの神器、グングニルは絶対に標的を外さないという投げ槍だ。ならば、その部下であるワルキューレのミントの持つ槍も、それに似た能力を持っていると予想出来る。どうやら下位互換ゆえに追尾能力はないようだが、高速で投げられた槍はアルフレドの胸を貫き、一度目の死を与える。
「結局、最後までお前の世話になることになったか。でも、一応感謝してやる」
「あはは、素直じゃないなー、本当。セレスは無事だよ。すごい泣いちゃってたし、エリスに会いたいってぐずってるけど」
「後でいくらでも会ってやるし、抱きしめてやっても良いって伝えろ!僕にはまだするべきことがあるからな」
アルフレドの胸に突き刺さった槍は、ひとりでに動き出し、さっきの映像の巻き戻しのようにミントの手元へと戻って行く。既に槍によって付けられた傷は治っているが、一度勢い付いてしまったものは、もう止まらない。
大剣を可能な限り素早く振るい、五回、十回、二十回と連続して傷を刻む。重さを感じない剣とはいえ、腕にかかる負担も並大抵ではなく、筋肉が一本一本千切れて行くようだ。当分は腕を使えなくなるだろう。でも、それで良い。
百、二百、三百、さすがに抵抗もして来るが、剣ごと断ち切るように切り付け続ける。
血の雨だけではなく、返り血が僕の体を汚して行くのがわかった。このままこいつを殺せば、僕はいよいよ完全な堕落者だ。天使特有の不死の特性も失い、悪魔と同じように殺せば死ぬ体となってしまう。
そうなったら、もう天界には戻れない。堕天使とはいえ、同族を殺した天使が地獄から天界に戻れる理由などないからだ。
でも、悔やむことも嘆くこともない。これから僕は、この地獄で生き続けるんだ。どれだけその体が汚れ、天使と呼ぶに値しないほどまで堕落したとしても、心だけはいつまでも、かつて天使だった時と同じ。いや、それ以上に高潔な、慈愛と勇気に溢れた堕天使として――――。
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主人公はとことんツンデレ毒舌にしよう、と思って書いていましたが、この辺りになるとデレ多発により、ただのお人好しみたいになっていますね
逆に序盤は、読んでいてウザイレベルになっていれば、狙い通りなんですが