第一章 チョルル港(パート8)
「本当に、お父様はお話が長いのだから。」
疲れ果てた様子を見せながら、フランソワがそう言った。あれから数時間が経過した、時刻は既に昼時を過ぎた頃合である。
「確かに。」
苦笑を見せながら、詩音も同意するように頷いた。あの後、アウストリアの質問は詩音の経験談だけに留まらず、日本の文化論や政治論、果ては軍事、治安の関係まで、文字通り根掘り葉掘りの内容にまで及ぶことになったのである。それから開放されたのがおおよそ三十分前、漸くこの時間になって詩音とフランソワは館を抜け出すことに成功したのであった。
「今日のお昼は、お魚にしようと思っていたのに。」
まだ不満、という様子でフランソワはそう言った。因みに昼食は殆ど必然としてアウストリアと同席することになり、出された料理は会話しながらでも食べやすいように、というアウストリアの温かい心遣いによってサンドウィッチの詰め合わせになったのである。それはそれで、新鮮なレタスやトマト、それにローストビーフや鶏の燻製が挟まれた、見た目にも豪華なサンドウィッチは詩音が普段食べるコンビニのサンドウィッチとは比べ物にならないほど美味しかったから、詩音としては文句がないのだが。
そして二人は今、チョルル港へと向かう大通りを歩いている。昨日は混乱していて、街並みなど殆ど眺める余裕もなかったが、自らの置かれた状況を理解した今はある程度の冷静さを取り戻したのだろう。改めて観察すれば街並みはそれまで詩音が触れたことのないような景色ばかり。教科書やテレビで眺めるような、石造りをメインとした、西洋風の建物が並ぶ景色に詩音は無意識の内に魅せられ、気付けば自然と、詩音は周囲の景色を興味津々とばかりに眺めているのであった。その間も、フランソワは父親に対する愚痴を途切らせることはなかったけれども。
「それで、今日はどこに行くんだ?」
チョルル港に到達すると、詩音はそれまで適当に聞き流していたフランソワの言葉を一度遮りながら、そう訊ねた。相変わらず、のんびりとしたカモメの声が、暑い日差しに照らされた青空の彼方から鳴り響いている。このあたりの様子は日本と殆ど変わらず、ほんのりと生臭さが混じった強い潮の香りはどこか、湘南あたりの海に近い雰囲気を詩音に感じさせた。その香りが混ざった潮風に、さらりとした、長めのストレートヘアを靡かせたフランソワは、漸く今日の目的を思い出した様子で軽く両手を合わせるように叩き、そしてこう言った。
「そう、見せたいものがあるの。」
「見せたいもの?」
「そう。本当は昨日行く予定だったのだけど、予定がずれちゃったから。」
フランソワはそういうと、詩音に向かって悪戯っぽい笑顔を見せた。成程、と詩音は考え、軽く頭を掻きながら答える。
「それは悪かった。」
「気にしないで。人命救助が第一だもの。」
フランソワはそう言うと、詩音の前で軽くステップを踏んだ。まるで踊るようなしなやかな足取りでフランソワは方向を変えると、正面方向で荷卸し作業に勤しんでいる大型商船には眼もくれず、左手の方角、即ち西向きに位置を変えながら、詩音に向かってこう言った。
「じゃあ、ついてきて、シオン。」
そのまま、暫く詩音とフランソワは何気ない会話を交わしながら港を横切るように歩き出した。途中、昨日も見た軍艦らしき船の前を通過したところで、なんとなく見覚えがある景色だと詩音が口に出してみると、どうやら昨日詩音が倒れていた場所の近くを歩いているらしい。成程、昨日のフランソワはこれから赴く場所へと向かう途中だったのか、と詩音は納得し、それから更に歩いて二十分程度。到達した場所は港の外れ、人気も少なくなり、波の音ばかりが響く寂しげな一角であった。その中に、海に隣接するような格好で、小屋というには巨大すぎる、三階建て程度の高さを持った木造の建築物が建てられていた。
「良かった、無事みたい。」
小屋に近付くと、フランソワは外観を丹念に調べて、そしてそう言った。聞けば、一昨日の嵐でこの建物が痛んでいないかを案じていたという。
「この小屋が一体、どうしたんだ?」
「入れば分かるわ。」
隠し事を楽しむ幼子のように、詩音の問いに対してフランソワはそう答えると、まだ取り付けられたばかりらしい、新品に近い扉に手をかけた。そのまま、扉を開く。僅かな、木材が擦れ合い軋む音と共に開かれた扉の奥に、詩音はフランソワに続いて足を踏み入れ、そして言葉を失った。
小屋の大部分を占めていたのは、船だった。それも、船舶には詳しくない詩音でさえも美しいと思うほどの、船。まだ造船途中ではあったが、既に外観は完成されている。スマートで鋭利な船首がぐい、と詩音に向かって伸び、船底も下部に進んで均整のとれた逆三角形に伸びていた。その下には造船の土台となる丸太の骨組みが、相当の重量があるだろう船体をしっかりと支えている。
「私が造っているの。」
詩音が思わず見とれて立ち尽くしていると、フランソワが自慢するように、だが少し照れるように、そう言った。
「フランソワが一人で?」
驚いた詩音がそう訊ねると、フランソワは首を白く、形の整った歯を見せながら首を横に小さく振った。
「まさか、私は設計と監督をしているだけ。時間のあるときに、グレイスとか、港の皆に手伝ってもらっているわ。」
フランソワが造船を手がけている、という事実にも驚愕したが、それ以上に詩音を驚かせたのはフランソワの為に、仕事の合間を縫いながら、これほどの巨大な船を造り上げようと奮闘している人間が多数いるらしい、という事実であった。貴族だから、という理由はこの場合無粋というべきだろう。フランソワの財力がどれ程のものであるかは分からないが、恐らく全員が、無報酬で働いているに違いない。
「どうしてまた、造船なんて?」
「ん、とね。」
そこでフランソワは答え辛そうに、少しだけ視線を詩音から逸らした。その時である。
「やや、これはフランソワ姫さま。お待ちしておりましたぞ。」
突然響いた、年齢を重ねた者だけに許される野太い、しかし落ち着いた声に、詩音はフランソワの言葉を瞬間忘れて視線をずらした。その視線の先にいたのは詩音の半分程度の身長しかない、見事な髭を蓄えた老人、に見える人物である。
「ごめんね、昨日来る予定だったのだけど。」
その老人の姿を見ると、フランソワは一度悩ましげに歪めた表情を普段の明るい表情に戻しながら、そう言った。
「昨日はいつ来られるのかとお待ちしておりましたぞ。」
「悪いことをしたわ。」
「まぁ、構いませぬ。しかし姫さま、この男性は?」
老人はそう言うと、詩音の姿を物珍しそうに眺め始めた。特に彼の興味は詩音の頭髪と瞳に向かっているらしい。まだ異世界に来て二日目、このように好奇の目で見つめられることにはどうにも慣れない。
「シオンというの。」
代わりとばかりに答えたフランソワに合わせて、詩音はその老人に向けて軽い会釈をした。続けて、フランソワに訊ねる。
「フランソワ、この人は?」
「オーエンと申す。」
フランソワが答えるよりも先に、オーエンは自らそう自己紹介した。それに合わせて、フランソワが補足を加える。
「オーエンはドワーフ族の方なのよ。」
「ドワーフ。」
驚きを隠さないままで、詩音はそう言った。ドワーフという種族を見るのは、勿論詩音にとっては始めての出来事である。
「そんなに珍しいかのう。」
驚きに瞳を見開いた詩音をからかうように、オーエンは詩音の表情を覗き込むように下から見上げ、見事に蓄えた髭をさすりながらそう言った。
「はい。初めて見たので。」
「儂は珍獣の類かのう?」
「いや、そんなことは。」
む、と口元を結んだオーエンに迫られて、詩音は弁解するように両手を軽く振りながら、慌てた口調でそう言った。その様子を見て微笑ましそうに笑ったフランソワは、詩音のフォローとばかりに口を開く。
「詩音は異世界から来たのよ。オーエンも、黒髪の人間を見るのは初めてでしょう?」
「おう、言われなければこちらから訊ねようと思っておりましたぞ。ふむ、なるほど。」
オーエンはそう答えると、何かを思い巡らす様に軽く首を傾げた。そのまま、続ける。
「シオンとやら、お主、剣は扱えるか?」
唐突な問いに対して、詩音は軽く瞳を瞬かせた。そして答える。
「一応は。」
「ふむ。これは期待じゃ。」
にやり、と不敵な笑みをオーエンは漏らした。その意味を測れず、詩音が何のことかと訊ねた答えに対して、しかしオーエンは笑みを崩さぬままに一言、こう答えた。
「時期が来れば、な。」
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第八弾です。
よろしくお願いします。
黒髪の勇者 第一話
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