No.318661

黒髪の勇者 第七話

レイジさん

第七弾です。

よろしくお願いします。

黒髪の勇者 第一話

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2011-10-15 14:38:05 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:566   閲覧ユーザー数:551

第一章 チョルル港(パート7)

 

 鈴虫が鳴く。美しく、そして少しだけ寂しそうに。

 

 ゆっくりと見開いた視界には何も映らない。明かりが消えた、暗い寝室の中でそれを期待することは幾分か酷な話かも知れない、と思いながら、詩音は仰向けに寝そべったまま、視線だけを窓際へと移した。あの後、結局ビックスの勧めるままに日本酒を二杯ほど飲み干した詩音は、食事の終わりと共にビジネスホテルのシングルルーム程度の広さを持つ寝室に案内され、そのまま就寝してしまったのである。昨日の台風から一転してフランソワに救われ、見ず知らずの世界に降り立ったことを理解して、どうやら無意識の部分では相当の疲労を感じていたらしい。アルコールが入ったことも相まって詩音は信じられない程度に深い眠りに付き、恐らく深夜になって漸く目が覚めたらしい。

 窓の外は室内に比較して随分と明るく見えた。月でも出ているのだろうか、と詩音は考え、身体を起こして窓際へと向かう。三層立ての館、二階部分に寝室の案内をされた詩音は、地面よりも高い位置にある、片開きの小さな窓をぐい、と開いた。

 肌寒い風が、ふわりと詩音の身体を包む。季節は詩音が日本から消失した頃合と同じ、秋口に当たるのだろうか、と風の冷たさを感じた詩音は、そのまま天空を見上げて、驚いたように瞳を瞬きさせた。

 それは地球から見るよりも、遥かに雄大な月であった。月の一部が欠けているところを見ると、どうやら地球の月と同じように満ち欠けをするのだろうが、相対距離が近いものか、或いは絶対的な衛星としてのサイズが巨大なのか、見慣れた月よりも二周りは大きい。勿論、詩音が見慣れた、月兎の模様もそこには存在していなかった。肉眼ならば見えないはずの、巨大なクレーターがいくつも見える、青白い月。

 「本当に、ここは異世界なんだな・・。」

 或いは、宇宙の何処かにある、地球そっくりな天体なのか。和食や日本酒を食べて、いつしか心のどこかで安堵していたが、いずれにせよ、詩音にとっては見知らぬ、地球とは全く異なる世界であることは最早疑いようもない事実であった。目が覚めてみれば夢だった、というオチでも期待したいところではあったが、一度寝て、目が覚めてしまった以上、そんな軽い話は最早起こりそうにない。そう考えて、詩音は一度、大きな溜息を漏らした。考えることは二つに一つ。地球に戻る方法を考えるか、或いはこの世界で適応するか。後者なら割合簡単だろう、と詩音は思う。運良くフランソワと出会えた以上、生きていく上で必要なものはすぐに手に入れることが出来そうだ。だが、戻らなければ。

 「真理に心配かける訳には、行かないよな・・。」

 やがて、詩音はそう呟いた。今頃、真理は何をしているのだろう。心配しているだろうか。ちゃんと休めているだろうか。せめて、自分が無事であることだけでも伝えられれば。

 「やっぱり、帰らないと・・。」

 肌寒さのためか、それとも寂寥を覚えたためか。何かに耐え切れなくなったように詩音は小さく震え、開放したガラス窓を閉めながら、詩音はそう呟いた。

 

 翌朝、今回は一人で昨日と同じ応接間に通された詩音は、既にソファーに腰掛けてくつろいでいたフランソワに笑顔で迎え入れられることになった。

 「おはよう、詩音。昨日は良く眠れた?」

 見るとフランソワは、昨日の、見るからに動き易そうなワンピースではなく、簡素ながらきちんとした桃色のドレスに身を包んでいた。昨日は少しお転婆な少女に見えたものだが、こうして服装を整えるといかにも貴族らしい、蝶よ花よと育てられた箱入り娘に見える。

 「おかげさまで。」

 フランソワに勧められるままにソファーに腰を下ろしながら、詩音はそう答えた。一方詩音の服装と言えば、昨日と同様、ビックスのお古を借り受けているだけの状態である。

 「それは良かったわ。」

 詩音の言葉に、フランソワは心なしか安心した様子で、軽く口元を緩めた。そのまま、言葉を続ける。

 「お父様との面会は午前中に予約を取ったわ。」

 「何を話せばいいのかな。」

 緊張を隠せない、という様子で軽く吐息を漏らしながら、詩音はフランソワに対してそう言った。

 「一通りの説明は昨晩、私からしているわ。だから挨拶と、補足の説明があれば。」

 わかった、と詩音は軽く頷いた。フランソワが同席すると聞いて、心なしか不安が解消されたのである。

 「それから、午後なのだけど。」

 そこでフランソワは、一度声を落とした。そのまま、慎重に周囲を探りながら、ソファーから身を乗り出して、小声で続けた。

 「チョルル港に、ついてきて欲しいの。」

 「港に?」

 詩音がそう聞き返すと、フランソワはそこで悪戯っぽい笑顔を見せた。

 「ビックスに見つかると、五月蝿いから。」

 そこで成程、と詩音は考えた。確かに昨日の様子では、ビックスは城を抜け出すお姫様に向かって小言を言う役目も負っているのだろう。その役目が自主的なものであるのか、或いはフランソワの父親、即ち公爵様の意向であるかは判断できないにせよ。

 「その道すがら、ミルドガルドの話の続きをするわ。では、行きましょう。」

 フランソワはそう言うと、静やかに立ち上がった。するり、と衣擦れの音だけを残して全身を詩音に見せたフランソワの姿に、詩音は一瞬我を忘れて飲み込まれる。ドレスという着物を直に見るのはこれが初めての経験であったが、それを抜きにしても、今のフランソワはまるで絵画を切り取ったかのように美しい。瞬間にそう、考えたのである。

 「ついてきて、詩音。」

 続けてそう言ったフランソワの言葉に、詩音は漸く我に返り、そそくさと立ち上がった。そこでふと自分の洋服に目をやり、フランソワに訊ねる。

 「この服装で大丈夫なのか?」

 「大丈夫。お父様は案外、物分りが良い人だから。」

 詩音の問いに対して、フランソワはに、と可愛らしい笑みを見せた。そのまま詩音から見て真正面にある両扉へと向かって歩き出す。昨日と同様に見事なタイミングで開かれた扉を通過して、詩音は思わず感嘆の息を漏らした。昨日ビックスと共に歩いた廊下は、よく手入れされているものの、味気ない、素朴な風景であったが、こちら側は違う。華美に、そして均整のとれた装飾が施された廊下が真っ直ぐに伸びていたのである。

 「すごいな。」

 歩き出して暫くして、詩音は感心したようにそう呟いた。踏みしめる茶系統のカーペットは靴を通しても尚恐ろしく良い踏み心地を詩音に残し、壁にかけられた油絵は時間が許せば何時間でも眺めていられるようなデッサン性の優れたもの、安置された石造は今にも動き出すのではないかと疑わせるほどの精巧さを誇っている。この館内に入るだけで、現代なら入場料が取れそうだ、と考えた詩音に対して、フランソワは少し照れるように答えた。

 「代々集めてきた美術品だそうよ。一応、アリア王国では古い家系になるから。」

 「どのくらい?」

 「大よそ800年くらい。シャルロイド家の祖先は元々アリア王族だったの。正確には、昨日話した大陸戦争終結後に結ばれた、アリア女王イリアル様と勇者ヨシツネ様の間には二人の兄弟が生まれたの。その兄が今のアリア王族、そして弟の一族が私たちシャルロイド家なのよ。」

 誇らしく、フランソワはそう言った。その間に、いつしか風景は意匠が施された木製の階段へと移っていた。軋む音一つ聞こえない、相当頑丈に建築されているらしい階段を登ること三階分、到達した場所は館の最上階であった。

 「心の準備はいい?」

 三階にある、左右にメイドが控えている両扉の前に近付いたフランソワは、一度詩音を振り返りながら、そう言った。悪戯っぽく見えるその表情に、母親に甘える子供のような安心感を覚えながら詩音は頷く。やがて、フランソワが一歩を踏み出すと同時に二人のメイドがその両扉を緩やかに開放した。

 その奥に、詩音はロールプレイングゲームに登場する、謁見室のような広間を想像していたのだが、実際は先程の応接間と同じように、向かい合ったソファーと背の低いテーブルという、いわゆる応接セットが置かれている部屋であった。だが、部屋の大きさは先程の応接間よりも広く、明るい陽光が差し込む窓際には木製の執務机が用意されている。壁は殆どが本棚で埋め尽くされており、ただ一箇所、応接セットから見て右手の壁に一枚の海を描いたらしい絵画だけが唯一の美術品である様子であった。

 「ようこそ、シオン殿。」

 す、と執務机から立ち上がった、四十代に見える男性がどうやらシャルロイド公爵であるらしい。引き締まった細身の体つきに、見事に着こなしたモーニングコートが良く映えている。加えて、軽く蓄えた顎鬚が彼の洒落っ気をより際立たせていた。

 「青木詩音です。」

 思わず直立し、詩音は深く頭を下げた。目上の人間には礼節を尽くすこと。詩音が剣術を学ぶ中で自然の内に身につけた態度であったが、シャルロイド公爵はその態度にある程度の感銘を受けたらしい。詩音に対して僅かに瞳を細めながら、こう言った。

 「成程、確かに見事な黒髪だ。」

 公爵はそう告げると、自らの身体をソファーへと移し、詩音とフランソワにさりげなく着席を勧めた。勧められるままに、詩音は公爵と向かい合う位置に腰を落とす。その右隣にはフランソワが、先程と同じように静かに腰を落とした。

 「改めて、ようこそ参られた、シオン殿。私がシャルロイド公爵、アウストリア=ラーヴェル=シャルロイドだ。」

 「お会いできて光栄です。」

 腰の位置を確かめながら、詩音はそう言った。

 「モーニングティーは如何かな?」

 詩音に対してアウストリアは一つ頷くと、そう言いながらテーブルの端に置いてあった銀製の鈴を手にして、澄み切った音を二度響かせた。それに呼応して、扉の奥からメイドが一人、入室してくる。今回は午前中ということもあるのだろうか、お茶受けは用意されておらず、テーブルの上に用意されたものはティーカップのみであった。

 「大よそのことは、昨晩お話したとおりですわ。」

 紅茶の支度を終えたメイドが引き下がると、早速とばかりにフランソワが口を開いた。その言葉にアウストリアは一つ頷くと、詩音に向かって訊ねる。

 「シオン殿、これからどうされるおつもりだろうか。」

 突然の、しかも核心を突く質問に対して、詩音は一度、瞳を瞬きさせた。昨日のフランソワと同じように勇者扱いされるかと考えていた詩音は一度の間を置き、そして答える。

 「なんとかして、元の世界に戻りたいと考えています。」

 「ニホン、とか言ったか。ヨシツネ様と同じ故郷。」

 そこでアウストリアは一つ言葉を区切り、何かを思い起こすように視線を空に彷徨わせた。昨日よりは少し酸味の利いた紅茶の香りが満ちてゆく中で、詩音はただアウストリアの言葉を待つ。

 「ヨシツネ様は結局、アリア王国に残られた。つまり、帰還する方法が今のところ、検討が付かない、という状態だ。」

 「・・そうですか。」

 もしかしたら、公爵さまなら何かご存知かも知れない。淡くそう期待していた詩音は、肩の力を落としながらそう言った。

 「無論、可能性がゼロという訳ではない。古代書を紐解けば何かが分かるかも知れない。」

 続けて、アウストリアは詩音を宥めるようにそう言った。すかさず、フランソワが口を開く。

 「お父様、それまでの間だけでも、詩音を食客として扱って頂けないでしょうか?」

 「仕方あるまい。」

 ふ、と肩を竦めながら、アウストリアはそう言った。そのまま、言葉を続ける。

 「もしかしたら勇者殿かも知れない方を、おいそれと追い出す訳にもいかぬからな。」

 「宜しいのですか?」

 すんなりと許可が下りたことに軽い衝撃を覚えながら、詩音はアウストリアにそう言った。勇者と言う言葉には、多少の違和感が残ったけれども。

 「気にすることはない。これでも公爵、その程度の余力なら十分にある。部屋の手配などはフランソワに任せよう。」

 アウストリアは、そう言うと紅茶を手に取った。まだ温かな湯気が溢れる紅茶を手に取りながら、アウストリアは軽い手の仕草で詩音とフランソワに対しても紅茶を勧める。そのまま、紅茶を口に含んだ詩音に対して、アウストリアが興味津々、という様子で軽く身を乗り出しながらこう訊ねた。

 「さて、本題が片付いたところで、詩音殿。貴殿の国について、教えていただけないだろうか。異世界の話を直接に耳にする機会など、最早二度と訪れないだろうから。」


 
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