一刀の言う『食堂』とは、図書館の3階に位置する喫茶コーナーの通称である。
本来は読書や調べ物の合間の休憩等に利用できるように、という事で採用されたものなのだが、御茶やソフトドリンク各種から小腹を満たせる食事まで、結構な種類のメニューが揃っている事から、ここの職員や常連からは何時しか『食堂』と呼ばれるようになっていた。
その食堂の一角、向かい合わせの二人用の席で、一刀と及川は昼食を摂っていた。
「あ~ウンマ~♪」
「人の金で食ってるんだから、尚の事美味いだろうな」
「せやから、いつもちゃんと後で払ってるやんか・・・・厭味ったらしいで、かずピー」
にやにやと笑いながら毒づく一刀に及川は唇を尖らせ、再び大盛り温玉カレーを貪るのに戻る。
「600円までって条件で598円のそれ頼むお前もお前だと思うけど?」
「ええやんけ、ちゃんと600円以内なんやから。それにここのメシ、そこらの下手な喫茶店よりよっぽど美味いんやから」
確かにその通りだった。
一刀が周囲を軽く見回すと、店内はそれなりの混み合いを見せていた。
蔵書の多さや豊富さもさることながら、この食堂もちょっとしたここの名物なのだ。
手頃な値段で美味い食事。
このフレーズに心惹かれない者はいないだろう。
図書館の職員だけでなく、この食堂目当てにここに来る利用者も少なくない。
及川もその一人という訳だ。
「んで、かずピー。奢ってもらっておいて何なんやけど」
「ん?何だ?」
「そんなんで、今日一日保つんか?」
及川はふとカレーを掻き込むスプーンを止め、一刀のトレイの上を指す。
一刀のトレイの上は、並盛りのきつねうどん一杯のみであった。
「まぁな。・・・・今日はちょっと、朝から食欲無くてさ」
「・・・・あぁ、またアレかいな」
「あぁ」
漂う雰囲気が少し暗くなる。
及川とはなんだかんだで長い付き合いで、度々見るあの夢の事も知っている。
日に寄っては体調を崩してしまう事もしばしばあり、大学時代は代返やノートなんかでかなり世話にもなっていた。
『悪いな』と言えば、いつも『ええよ』と快諾し、
『迷惑じゃないか』と問えば、『せやったらメシ作ってくれへん?』『今度の合コン参加してくれん?』その程度。
「せやったか・・・・ま、メシはちゃんと食わなアカンで。折角かずピー、料理上手いんやから」
今も茶化すような顔で笑い飛ばし、さして深入りして来ない。
軽い物腰から異性からは誤解されやすいらしいが、及川のこういう所を一刀は気に入っていた。
「必要に駆られれば、誰だって料理位覚えるさ」
「かすピーの場合ちゃうやろ?この前かずピーが作った・・・・あ~、何やったっけ?バターライスの上にデミなんとかが掛かった豚カツ乗っとったやつ」
「エスカロップの事か?」
「せや!!あれむっちゃ美味かったで!!」
「あんなの、バターライスにトンカツ作って乗せただけだぜ?デミグラスソースだって缶詰のだし」
「せやけど、大学ん時のかずピー、色んなメシ屋でバイトしとったやんか。まかないとかも作っとったんやろ?」
「・・・・まぁな」
「料理が上手ないと任せられん事やで、それ。それに、ワイが揚げ物やったって衣はボロボロのコゲコゲなってまうし」
「それは経験の差だろうが。俺だって昔はそんなもんだったよ」
「昔なぁ・・・・確かに、あの頃のかずピーは凄まじいもんやった」
思い返すのは、自分が精神科から退院したばかりの頃の事。
文武『両道』どころか文武『邁進』と言い換えてもおかしくなかったかもしれない。
あの頃の自分は、力に貪欲だった。
文字通り寝る間も惜しんで勤勉の日々を送り、
嗜み程度でしかなかった剣術を、実家で道場を営む祖父に『真剣に教えて欲しい』と頼み込み、
実に濃厚な日々だった。
「生き急いどるみたいやったからなぁ。傍から見てて、正直怖かったで、あの頃のかずピーは。・・・・そういや、先月も帰省しとったんやっけ?」
「ああ、一週間休館日だったからな。久々に爺ちゃんに扱かれて来たよ」
「よう続くなぁ。それで毎日鍛錬も欠かしてへんねやろ?ワイやったら尻尾巻いて逃げとるで、ホンマ」
「・・・・まぁな」
背凭れに身体を預け、窓の外を眺める。
時も次元も越えた、あの世界での日々が、間違いなく自分を変えてくれた。
「強く、なりたかったからな・・・・」
「・・・・そか」
「ああ」
何時しか空になっていた、互いの盆の上の器。
お冷だけの談笑。
この何気ない一時が、壊れかけていた自分の支えになっていた。
やがて昼休みも終わり、及川は会社へと戻って行った。
午後の業務も滞りなくこなし、シフトの交代も終えて現在の時刻は午後7時。
とっぷりと更けた夜空の下、パンパンに膨らんだエコバッグを片手に、一刀は帰路についていた。
「タイムセールス万歳だな、合挽肉が半額とは。流石に腹も減って来たし、今晩はどうするかな・・・・?」
冷蔵庫の中身を思い出しながら、夕食のレシピを考える。
シンプルにハンバーグや肉団子にしようか?
それともジャガイモでコロッケでも作ろうか?
少し手間はかかるがロールキャベツも悪くない。
そんな事を考えながらアパートの階段を上り、2階の角部屋である自室の鍵を開ける。
そのまま後ろ手に鍵を閉めて、
「―――――で、そこにいるのは誰ですか?」
街灯の明りのみが窓から差し込む中、ぼんやりと浮かび上がる人影が一つ。
エコバッグを傍らに置き、僅かに右足を引く。
せめてもの武器にと、そのままポケットに入れっ放しだったボールペンのペン先を出し、
ナイフを持つように構えながら、真横の壁にある電灯のスイッチを入れて、
「おくぁえりなすわぁ~い、ご主人様~♥」
「・・・・は?」
そのあまりに予想外な侵入者の姿に、一刀は完全に呆けてしまうのだった。
約1時間後。
一刀は再び呆然としていた。
炬燵の上に並ぶのは、鍋の中で暖かな湯気を上げるコンソメの中に漂う艶やかなロールキャベツと、
大皿の中、刻まれた玉葱や人参、胡瓜が色鮮やかなポテトサラダ。
少し硬めに炊かれた白米の茶碗は二つ。
一つは一刀のもの。
そして、その真向かいには、
「ぐぁふぐぁふぐぁふ・・・・んぐっんぐっんぐっ・・・・まさか、ご主人様の手料理が食べられる日が来るなんて・・・・」
頭をつるつるに剃り、
なのに何故かもみあげだけはピンクのリボンで三つ編みにした、
これまたピンクのビキニパンツ一丁の、
明らかに自分より年上なおっさんが、
感涙に咽び泣きながら炬燵の上の手料理を掃除機のように吸い込んでいくという、何とも異様且つ珍妙な光景が広がっていたからだ。
(え~と、何でこんな事になったんだっけ?)
その勢いに圧倒されながら、白米を口に運びつつ思い返す。
つい先程の会話の内容を。
え~と・・・・誰、ですか?
―――――アタシ?アタシは貂蝉、しがない美人の踊り子よん♥
はぁ・・・・えと、何で俺の部屋に?
―――――あら、結構落ち着いてるのねん。ビンビン感じるわよぅ、ご主人様のし・せ・ん♪今でもアタシを冷静に観察しながら、敵意が無いかどうか、アタシの奥の奥まで♥
っ・・・・何者だ、答えろ。
―――――あらあらあらあらまぁまぁまぁまぁ(こんな真剣な顔のご主人様初めて・・・・成長してもう大人の男ねぇ、ゾクゾクしちゃう♥)大丈夫よん。危害を加える積もりはないわん♥だから、その右手のボールペンと、両足に仕込んである錘、外してもらえないかしらん?
・・・・・・・・解りました。で、改めて聞きますけど、俺に何の用ですか?
―――――お・は・な・し・よ♥ ねぇん、ご主人様?
・・・・・・・・?
―――――曹操ちゃん達とまた逢えるって言ったら、どうするかしらん?
(そうだ・・・・その後『話が長くなるから先に御飯にした方がいい』って事になって、俺がメシ作ってる最中にこのおっさんの腹が盛大に鳴って)
で、現在という訳だ。
まるで敵を吸い込み飲み込む某ピンクボール状の主人公を彷彿させる食べっぷりである。
ここまで来ると、気味の悪さを通り越していっそ清々しいというものだ。
・・・・それに、自分の料理を『美味い』と言ってくれるのは嬉しい事ではあるし。
やがてものの十分程度で6合炊いたはずの炊飯器は空っぽに。
ロールキャベツやポテトサラダも、明日の朝食にと作り置きしておいた分まで、計4人前は一人で平らげてしまった。
「御馳走様、美味しかったわぁ♥」
「そうですか、そりゃ良かった・・・・」
最早呆れ笑いしか沸いてこない。
取り敢えず空になった食器を流しに下げ、水に浸しておいて、
「コーヒーで良いですか?」
「あらぁん、御飯まで御馳走になっちゃったのにん・・・・いいの?」
「今更だと思いますけど?・・・・で、コーヒーで良いんですか?インスタントしかないですけど」
「いただくわぁん♥」
それだけ聞くと、今朝と同じようにコーヒーを淹れ、炬燵を挟んで向かい合う。
「あらぁん、料理も最高だったけれど、コーヒーも上手なのねぇん、インスタントなのに良い香りだわぁん♥」
「そりゃどうも。・・・・で、話を聞かせて貰えますか?」
貂蝉は一口だけコーヒーを嚥下すると、
「いいわぁ、何でも聞いて頂戴♪」
カップを炬燵に置き、姿勢を正した。
動悸が高鳴る。
カップを持つ手が僅かに震える。
黒い水面が波紋を描く。
それが心のざわつきを顕しているようで、
俺は一口だけ飲み干すと、
ゆっくりと、問いかけた。
「まず、聞かせて欲しい。あなたの言う、」
「イヤン、貂蝉って呼んで頂戴♥」
「・・・・貂蝉が言う『曹操』ってのは、俺の知る『曹操』と同一人物なのか?」
「ええ、その通りよ。魏の覇王、曹操孟徳。・・・・華琳ちゃんの事」
「・・・・じゃあ、本当に?」
「アタシ、嘘は吐かないわよぅ?ご主人様に嫌われたくないしねぇん♥」
「・・・・その『ご主人様』ってのは、どういう事なんだ?」
「アタシ、ご主人様の肉奴隷だ・も・の♥」
「・・・・それは嘘だろ?だって俺は、」
「そう、アタシのご主人様は『アナタ』じゃないわ。でも、間違いなく『北郷一刀』なのよん」
「・・・・どういう事だ?」
「パラレルワールド。今のご主人様なら、これだけで解るんじゃあないかしら?」
「っ・・・・そういう事か」
「そう、アタシの言う『ご主人様』は、こことは違う『異世界』の『北郷一刀』。アナタであって、アナタじゃない人ってワ・ケ♥」
「・・・・そう、か」
「あらぁん、随分あっさりと受け入れるのねん」
「まぁ、破天荒な展開には事欠かない人生だったしな」
「・・・・そうねん」
貂蝉はふいに立ち上がり、部屋の中を見回し始めた。
本棚から一冊、表紙に『198』と書かれた大学ノートを取り出す。
開き、パラパラと捲って行く。
言語学や世界史。
物理に化学、軍略に施政。
法律に財政、食文化に娯楽。
心理学に、哲学や宗教。
声楽やマジック、演劇の脚本や舞台の仕組み。
ジャンルに偏りなど無く、全てのページが黒い羅列で埋め尽くされている。
それと全く同じ大学ノートで、その本棚は埋め尽くされていた。
「どんなに些細なことでも『使える』と思ったものは全部書き出して、そこに自分なりに纏めた考察を書き添える。それを7年間、ずっと絶やさずに・・・・並大抵の努力で出来る事じゃあないわん」
ノートを閉じ、本棚に戻す。
「・・・・今書いてるノートで、丁度800冊目になる」
こうでもしないと、あの世界での日々が、本当に夢になってしまいそうで。
このノートが、あの世界が存在するという証になる気がして。
声が、
温もりが、
思い出が、
彼女達の記憶が、長い月日に流されていく。
彼女達の存在が、自分の中で薄らいでいく。
忘れたくないのに。
消えて欲しくないのに。
それが、何よりも怖かった。
嗜み程度だった剣術も、実家で道場を営む祖父に頼みこんだ。
真剣に『強くなりたいんだ』と。
大いに驚かれたが、訳を話すと祖父は笑って快諾してくれた。
そう、自分を信じてくれた『二人』の内のもう一人は、祖父だった。
『ぶわっはっはっはっは!!そうかそうか、『惚れた女を守る為』か!!いいじゃろう、儂の全てを叩き込んでくれるわい!!』
拙い説明にも関わらず、爺ちゃんは笑ってそう言ってくれた。
少しでも長期の休暇が入る度に帰省し、朝から晩まで修練の日々を送った。
こうして普段から両足や胴に錘を着けたまま生活したりと、今でも鍛錬は欠かしていない。
何度も挫折しかけた。
何度も死ぬと思った。
知れば知るほどに、
鍛えれば鍛えるほどに、
彼女達との距離を思い知らされた。
けれど、
膝をついてでも、
這い蹲ってでも、
指一本しか動かなくても、
1メートルでも、
1センチでも、
1ミリでも、
1ミクロンでも、
まだ、走れる。
まだ、歩ける。
まだ、動ける。
まだ、生きてる。
生きている限り、前に進む事は出来るのだと、何度も自分に言い聞かせながら。
「・・・・ご主人様は、戻りたい?」
「戻りたい」
即答した。
7年間、それだけを望んでいた。
周囲の目など捨てた。
肉体も、
魂魄も、
全てを捧げたと言っても、過言ではない。
『逢える』
その選択肢だけが、自分の望みだった。
『逢いたい』
その想いだけが、自分を衝き動かしていた。
―――――だが、貂蝉の次の言葉で、俺は改めて思い知った。
『もし、あの世界に戻る為には、華琳ちゃん達の記憶を全て抹消しなければならないとしても?』
世界は、俺の事がよっぽど嫌いらしい。
(続)
後書きです、ハイ。
やばい、キーボードを打つ手が止まらない。
元々殆ど完成している所に加筆修正してるだけだから速いのは当然なんですけど・・・・いくらなんでも速過ぎる。自分でもビックリしてます。
前回、全3~4話とか言ってましたが、もっと長くなりそうです。
どうしよう・・・・どうしたらいいっすかね?
で、
第弐話と相成りました。
改めて読み返すと、かなり急展開だなぁ、と思います。
まぁ昔の、ただ勢いのままにガーっと書いたものなので無理もないんですけどねwwwww
男キャラ以外出て来ないしwwwww
さて、軽く次回予告をば。
貂蝉の語る世界の原理と真実。
それは悉く一刀を苦しめ、大きな決断を強いる。
果たして、彼は何を思い、どのような決断を下すのか。
少しでも多くの人が楽しみにしていただけたらなぁ、と思います。
それでは、次回の更新でお会いしましょう。
でわでわノシ
・・・・・・・・自分の昔の作品って、今になって改めて見てみると恥ずかしいもんですねwwwww
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拙い文章ですが、少しでも楽しんでいただけだら、これ幸い。
いつもの様に、どんな些細な事でも、例え一言だけでもコメントしてくれると尚嬉しいです。
では、どうぞ。
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