汜水関攻略戦は大混戦となった。
華雄の部隊は徐々に後退する前線に釣られて連合軍の包囲網に捕えられ、さながら蟻地獄のように漆黒の華旗は人の波に飲み込まれていった。
しかし、華雄隊の吶喊の威力は予想以上であり、連合軍の被害も最小限とは言えなかった。
が、孫呉陣営にはさしたる被害は及ばなかった。
当初の思惑通り、華雄軍を連合軍の中心に引き摺りこむ事で、勢いのまま突撃する彼等は自然と中軍に位置する両袁家と衝突。
孫呉、劉備軍はその背後から攻め込む事に寄り、両軍は比較的軽度の被害で難を逃れる事が出来たのである。
張遼は虎牢関へと退却し、華雄は孫呉に捕虜として捕えられる。
孫呉が華雄の相手をしている最中に、劉備軍が張遼が退いた事で空となった汜水関を占拠。
堅牢堅固、難攻不落で知られる汜水関が即日陥落。
それは当然ながら彼女達にとって、決して芳しくない報せであった。
「何ですって!?」
草木も眠る丑三つ時、帝都洛陽は玉座の間に、驚愕に満ちた声が響き渡る。
左右に垂れた髪を細い三つ編みに束ね、赤縁の眼鏡と深い山吹色の瞳が、ゆらゆらと揺れる灯篭の焔を灯す。
その表情は、何処か焦りを帯びているようにも見えた。
彼女こそ董卓軍の筆頭軍師にして懐刀、賈駆文和。
その声音や身の丈こそ不相応な幼さではあるが、彼女の知性無くしてこの軍は成り立たない。
そんな彼女の眼前で首を垂れる伝令兵は、張遼の部下であった。
「張遼様は最後まで必死に引き留められていたのですが、華雄殿が敵の挑発に耐え切れず関より吶喊。劉備軍、孫策軍に包囲され、華雄殿は孫策との一騎打ちに敗れたそうですが、生死は不明です」
「・・・・そう、解った。御苦労様。もう下がっていいわ」
彼女は眉間に深く皺を寄せ、兵が下がったのを確認すると苛立ち混じりに大きく溜息を吐く。
ただでさえ内部の諍いの対応に追われ多忙この上なく、短い睡眠時間を削らされた事に対する不満や苛立ちも手伝っているのだろう、その苦渋の表情には疲労の跡がありありと表れている。
「あ~もう、これだから猪は嫌なのよっ!!あれほど『絶対に守りに徹しろ』って言ったのに!!」
湯水のように湧き出る罵詈雑言。
過剰だと解ってはいても、吐き出さずにはいられなかった。
そうでもしないと、平静を取り戻せそうにないから。
しかしながら、時刻は深夜。
当然ながら大抵の人間は眠りに就いている時間であり、玉座の間ともなれば音響効果もかなりのものになる訳で、
「―――――詠ちゃん、何かあったの?」
「っ、ゆ、月!?」
背後からの声に賈駆は咄嗟に口を噤み、振り返る。
灯篭と月光がぼんやりと辺りを照らす中、ゆっくりと姿を顕したのは、上質の外套を羽織った一人の少女。
線の細い、小さく儚げな身体。軽くウェーブのかかった薄紫の髪は非常に長く、細められた瞳は眠気からだろう、目尻に仄かに涙を滲ませていた。
彼女こそ渦中の人物、董卓仲藾その人である。
果たして、彼女の姿を目の当たりにして、一体何人が世間に流布されている『悪鬼』の偶像と結び付ける事が出来るだろうか。
「ご、御免ね、月。折角寝つけたばっかりだったのに・・・・」
先程までの眉間の皺は何処へやら、詠は柳眉を急激に下げると彼女に駆け寄り、窺うようにその表情を覗き込む。
そんな彼女に、月は軽く目尻を擦ると、
「ううん、いいよ。それより、何かあったんだよね?」
垢ぬけた表情をしまい込み、施政者としての彼女が姿を顕す。
「詠ちゃん、何があったの?」
「あ、あのね、月・・・・」
「詠ちゃん」
説明を求める視線に詠は躊躇するものの、結局は押し負けぽつぽつと語りだす。
汜水関の敗戦。張遼の退却。
そして、
「そう・・・・華雄さんが・・・・」
「で、でも大丈夫!!何せ、虎牢関にはあの子がいるんだから!!月は心配しなくても大丈夫だから、ね!?休める時にちゃんと休んでおかないと!!」
「え、詠ちゃん、ちょっと、」
ぐいぐいと背中を押して、詠は月を部屋の方へと押し返す。
最近の彼女もまた、昼夜を問わず内部処理に追われ、激務の日々を送っていた。
ましてや彼女は『悪鬼』として不特定多数から集中砲火を一心に浴びている当人である。
精神的な負担も、並大抵のものではない筈。
しかし、それでも彼女は弱音一つ吐かずに、足掻き続けていた。
何とか彼女を扉の向こうへ押しやると、詠は額を扉に押し当て、呟く。
「大丈夫・・・・そう、絶対に大丈夫なんだから・・・・」
その矛先は扉の向こうの親友か。
それとも自分への叱咤激励か。
振り返り踏み出す足音が響く。
その度に、彼女の歯車は回り始める。
「月が望む世界が、間違ってる筈が無いんだから・・・・」
玉座の向こう、昇る満月を見据えて。
「絶対に許さないわよ、連合軍。それに・・・・袁本初」
その小さな宣告は、淡い余韻となって消えていった。
その扉の反対側、自室への廊下からの夜空を、月は見上げていた。
自らの真名と同じそれは遥か彼方、漆黒の天上からこの世界を見下ろしている。
その胸中を占めていたのは、現状に対する不満では無く、
今後に対する不安でもなく、
囚われの身となった彼女への心配であった。
「華雄さん・・・・」
口に出してみても、その思いはより一層募るばかり。
決して晴れる事は無い。
両の指を噛み合わせ、瞼を閉じて祈るだけ。
今の自分には、それしか出来なかった。
―――――そういえば。
ふと脳裏を横切ったのは、管輅とかいう占い師が吹聴しているという、とある噂。
『天の御遣い』
初めて話を聞いた時、心が躍った。
皆は『子供騙しだ』と言っていた。
自分も、そうだろうとは思う。
でも、信じたかった。
例え一縷だとしても。
芥子粒程の可能性だとしても。
憧れる存在。
追い求めたい理想。
叶えたい夢。
望むだけなら、
信じるだけなら、
私の、私だけの、自由だから。
ささやかな夜風が廊下を吹き抜ける。
薄紫の長髪がふわりと舞う。
そして、
「お願いします・・・・華雄さんを、私の仲間を、助けて下さい」
その小さな祈りは、夜の帳に溶けていった。
「初めまして、華雄さん。私は姓は北条、名は白夜。字と真名は持ち合わせていません。好きなように呼んで下さい」
そいつは、実に不思議な男だった。
清潔感に溢れた衣服は帝都のどのような貴族連中とも異なった、全く見覚えの無い意匠。
両手を膝に付き屈んだ体勢で、両の瞼を閉じたまま、こちらを覗き込むように柔らかく微笑んでいた。
ただし、その角度は私の視線から僅かに逸れていた。
「お前、その目は・・・・」
「ああ、これですか。幼い頃に病で視力を失いまして、以来ずっとこうなんですよ。あまり見ていて気持ちの良いものではないので、こうして瞼を閉じているんです」
思わず漏れた声に、その男は気付いたように答え、ゆっくりと私の正面に正座した。
(この男が、尋問官なのか?)
疑問を抱かざるを得なかった。
纏う空気はあまりに柔和で、こちらの警戒心は完全に削がれ、むしろ軽く呆けたように見入ってしまう。
まるで庶人のように、戦場に居る事自体に違和感を感じてしまう。
何処となく、似ている。
ふと、そう思った。
「えと、私の顔に何かついてますか?」
「っ・・・・いや、何でも無い」
そう問われて我に返り、しかしなるだけ動揺を悟られないよう最小限に反応を留める。
傍目には人畜無害な者を使う事でこちらを油断させる算段かもしれない。
表情を引き締め直し、逸らしてしまった視線を再度この男に向ける。
その視線に気付いたのか、男は困ったように苦笑して、
「本当はそんなに硬くならないで欲しいんですけど・・・・まぁ無理でしょうね。状況が状況ですし」
頬を軽く掻いた後、男は変わらぬ笑顔のまま上半身を僅かに乗り出し、
「単刀直入に訊きますね、華雄さん」
(とうとう来たか)
双眸を細め、唇を真一文字に閉める。
緘口の決意を新たに、その優男を睨み返して、、
「董卓さんって、どんな人なんですか?」
「・・・・・・・・・・・・は?」
あまりに予想外な問いに、私は再び呆然としてしまうのだった。
「どういう積もりだ、雪蓮?」
孫呉陣内に設置された、また別の天幕内。
そこには一部を除いた、孫呉の武将智将達が勢揃いしていた。
その中心に鎮座する木製の卓を挟んで、冥琳は双眸を細めて、皆を代表して断金の友に問いを放つ。
「やぁねぇ冥琳、眉間に物凄い皺、寄っちゃってるわよ?」
「茶化さないで。・・・・そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」
あっけらかんとした誤魔化しは失敗に終わり、冥琳は早速本題を問い始める。
「どうして、華雄を討ちとらず、捕虜として捕えたのかしら?」
その視線は更に細められ、その疑念の深さを如実に物語る。
「捕えるよりも討ちとった方が面倒事は少ないし、袁術達の手前、怪しまれるような行動は控えるべきだ。加えて、華雄は我等に私怨があると言ってもいい輩だ。内部に置いて利があるとは到底思えない。・・・・何より、戦闘狂の貴女が、流れで相手を戦闘不能にしてしまったのならまだしも、狙って戦闘不能にしたというのが腑に落ちない」
「ちょ、それは酷くない!?」
「自業自得。今迄の貴女の行動の結果なのだから、甘んじて受け入れなさい。・・・・それより、説明してくれないかしら?」
反論は即座に蚊帳の外。
残る者達も皆、『教えろ』と視線で促していた。
雪蓮は椅子に腰を下ろして、背凭れに大きく凭れ掛かり、
「白夜に頼まれたのよ。『華雄を捕まえて欲しい』って」
その言葉に皆が大小様々な驚愕を見せる中、ゆっくりと話しだした。
もっと突っ込んだ尋問が来ると思っていた。
虎牢関に控える将や兵数。
予定されている作戦、補給路や糧食。
少なくともこちらの手の内を知る為に捕えられたのだ、と。
・・・・まぁ今改めて思えば、私はそういった作戦やその内容は知らされていないし、正直一切の興味が無いので、そもそも訊かれても答える事は不可能なのだが。
しかし、この男は何一つ、そういった事柄には触れて来ない。
董卓様の人柄や言動、趣味嗜好。
まるで友人の紹介ような内容ばかり。
拍子の抜けた私は自然と全てに答えていた。
見て来た姿。
聞いて来た言葉。
感じて来た想い。
いつしか、私の方から話すようになっていた。
それでも、こいつは嫌な顔一つせず、むしろ相槌を打ちながら聞いてくれる。
戸惑いながらも、私は心の何処かで喜んでいた。
噂が流れ始めてから、あの御方への誹謗中傷ばかりを聞かされてきた。
何度否定しても、誰も信じてくれなかった。
そんな奴等を力で黙らせれば、決まってこう返された。
『ほら、やっぱり』
私には、学がない。
必要無いとも思っていた。
出来る奴がやればいい、と。
しかし、私は初めてその事を悔やんだ。
違うんだ。
そうじゃないんだ。
知って欲しい。
信じて欲しい。
必死に話した。
私が知る限りを。
私が出来る限りで。
今度こそは。
北条が?事実なのか?
―――――ええ、本当よ。汜水関の前に、白夜が私に直接言って来たの。『お願いします』ってね。今頃、華雄と話してるんじゃないかしら。
ふぇ!?だ、大丈夫なんですか!?
―――――安心しなさい、穏。藍里も同行してるし、万が一に備えて明命にも近くで待機してもらってるから。
・・・・あ、それで二人ともここにいないんですね。
―――――そゆこと♪
・・・・その訳も、お前は知っているのか?
―――――ええ。私だって理由も知らずに、こんな自分の首を絞めるような真似、しないわよ。
・・・・・・・・。
―――――・・・・何よ、その無言の間は?
何でもないさ。・・・・それより、聞かせて頂戴。
―――――そうね・・・・まぁ全部説明すると結構長くなるんだけど。
構わん。どうせ出立は明日だ。
―――――あはは、流石冥琳♪・・・・そうね。ま、手っ取り早く言ってしまえば、
言ってしまえば?
―――――『真実が知りたかったから』だそうよ。
真実?
―――――そ。『果たして、董卓は噂通りの悪人か否か』ってね。
・・・・何の為にだ?
―――――噂通りの悪人なら何もしない。連合軍の本懐通り、倒すまで。・・・・でも、もし噂が嘘だとしたら、
・・・・嘘だとしたら、何だ?
次の瞬間、孫呉の将達の表情は、再度驚愕で塗り潰された。
どれほど話していたのだろうか?
数分程度なのか。
それとも半刻以上なのか。
気付けば時間の感覚はとうに狂っていた。
語る事柄も尽き、天幕の中が静寂に包まれる。
男は何やら考え事をしているようだった。
左手を右肘に。右手を顎に添えて。
恐らく、私の話を整理しているのだろう。
それはつまり、
(他には何も聞かないのか?)
捕虜である私に強制的な尋問を行わず、
問う内容もまるで的外れなものばかり。
「・・・・一つ、聞かせろ」
「? はい、何ですか?」
口を衝いて出た疑問。
『しまった』と思ったが、男はあっさりと承諾し、思考を中断してこちらに向き直った。
「・・・・何故、このような事を私に訊く?」
つくづく解らない。
「董卓様の事を知って、お前はどうするつもりだ?」
目的も、意図も、何一つとして。
だからだろうか。
次の男の言葉に、私は暫しの間、放心してしまうのだった。
『白夜は、董卓を救いたいんだそうよ』
『私は、董卓さんを救いたいと思っているんです』
後書きです、ハイ。
切りのいい所まで完成しましたんで、取り敢えずうpします。
書きたい事が多過ぎて纏めるのが大変DA!!
そして、ポケモンブラックホワイト発売DAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!
・・・・まぁ、まだ届いてないんですけどね。
予約したのに・・・・届くの、明日かなぁ?待ち遠しい・・・・
で、
今回は話の繋ぎ的な意味合いになってます。
創作って難しい・・・・書く速度が一層遅くなってしまってます。
大学祭間近で色々と準備もありますし、次の更新は何時になるやら・・・・ま、戻って来れたんで、目標は週一更新です!!
虎牢関まではもう少し続きます。
白夜や雪蓮の心中。孫呉や華雄の反応。そして他勢力でも色々と動き始めます。
時間は掛かってもちゃんと書き切りますんで、どうかお待ち下さい。
それでは、次回の更新でお会いしましょう。
でわでわノシ
・・・・・・・・土日の夜に、ステカムで地味~に色々しながら執筆ライブしてます。覗いてやると蝶歓喜します。
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