袁紹の号令により、いよいよ反董卓連合軍は洛陽への第一関門たる汜水関へと進軍を開始した。
それは正に、人が作り出す河川。
立ち並ぶ牙門旗は、まるで急流にその身を任せた流木のようにさえ見える。
体躯の小さな魚達は、時としてその身を寄せ合う事で大きな影を作り出し、外敵への示威とする事でその身を守る事がある。
しかし、それはあくまで護身の為。これは完全なる侵略の為。
これほどの軍勢を目の当たりにして尚、立ち向かうという選択肢を選んだ者がいたとすれば、それは戦場にその身を置く百戦錬磨の戦鬼か、または彼我の戦力差を計り知れないただの愚者か。
荒野を塗り潰す巨大な影。
幾千万の足音や甲冑の接触音が重なり合い、周囲に重圧感を孕んだ轟音を撒き散らす。
ある程度規則的に鳴り響くその音は、さながら何かのカウントダウンのようでもあった。
やがて、その巨大な軍勢はいくつかの峡谷を抜け、左右を絶壁に囲まれた広大な道へと辿り着く。
その眼前、実に威風堂々たる風格を漂わせながら聳え立つ砦は、正に『関』であった。
『難攻不落』たる理由も一目瞭然であるその様は、光を閉ざされた白夜にさえ、容易に感じられるものであった。
天を衝かんばかりに積み上げられた、堅牢な石造りの壁の存在感。
その壁や左右の断崖に跳ね返った薫風が、自らが脳内に築き上げた想像よりも明確な姿を教えてくれる。
「凄い・・・・これが、汜水関」
未だ相当な距離があるにも関わらず、そのあまりにも荘厳な姿に、白夜は暫し放心してしまっていた。
「包囲される事もありませんし、正面を防ぐだけで充分にその役割を果たせますからね。しかも敵は部隊を展開出来ません。大陸にある関の内でも完璧な防御施設の一つですね」
懇切丁寧な説明は傍ら、左手を引いてくれる藍里であった。
「・・・・苦戦しそうですね」
「でしょうね~。でも、それを何とかする為に、私達軍師はいるんですよ~?」
呟いた直後、背後から間延びした声が聞こえた。
「穏さん」
「眉間に皺を寄せてうんうん唸ってても、現実は変わりませんよ、白夜さん♪」
言葉と共に、眉間をつんと突かれた。何時の間にやら皺を寄せていたらしい。
彼女の持つ独特の雰囲気も手伝ってか、色濃くなっていた懸念が微かに薄らいだ気がした。
「・・・・そうですね。有難う御座います、穏さん」
「いえいえ♪」
フッと和らいだ笑みを浮かべる白夜を見て、穏は仄かに頬を赤らめはにかんで、
「穏の言う通り。・・・・さっさと作戦を実行に移しましょ♪」
その雪蓮の言葉を皮切りに、皆の纏う空気が一変する。
「そうね。じゃあ私は劉備の所に行って来るから、雪蓮達は戦闘準備を」
「了解。宜しくね」
「ええ」
冥琳は短い返答を残して踵を返し、劉備軍の陣地へと向かう。
「それじゃ、私達も準備に取り掛かりましょうか」
「御意。前曲は我等が仕りましょう」
「頼むわね、思春、明命。後は作戦の結果によって臨機応変に対応しましょう」
「はっ」
「はいっ」
「白夜、貴方はどうする?後ろに下がって―――――って、聞くまでもないわね」
尋ねながらその顔色を窺って、雪蓮は苦笑した。
決して血色は良くない。
何処か強張って見えるのは、手足の震えを抑え込んでいるからだろう。
未だ拭いきれていない恐怖心が、ありありと感じられた。
しかし、
「いいえ、私も前線にいさせて下さい」
真正面に据えられた、真剣な表情。
右手は白杖を強く握りしめ、二の足は大地をしっかりと踏みしめる。
何より雪蓮はその決意を、覚悟を、少なくとも此処にいる誰よりも知っていた。
(怯える姿を見たくないのに、この恐怖に慣れて欲しくないと思うのは、私の我儘なのかしら・・・・?)
自問の後、再び苦笑する。
懸念するまでもなく、彼は『そういう人間』であった、と気が付いたからだ。
これからも彼は恐怖に呑まれない、という安心。
これからも彼は恐怖に怯え続ける、という不安。
それが生み出す二つの真逆な感情に雪蓮は複雑な笑みを浮かべ、
故に、気付くのが遅れた。
「大丈夫です、白夜様」
藍里が彼の左手を、その両手で優しく包み込んでいた事に。
その、ほんの少しでも心の負担を軽減させようとする姿は、未だ一年足らずの主従とは思えないほどあまりに自然で、
「私も、背負いますから」
その言葉に、思春と明命は聞き覚えがあった。
雪蓮と穏もまた、その言葉の意味を理解していた。
真っ先に明命が駆け寄り、握る杖ごと右手を包む。
「私にも背負わせて下さい、白夜様」
いつものにこやかな笑顔と共に、明命はそう言い放った。
「いえ、しかしこれは―――――」
その言葉に白夜は戸惑いを見せ、
「それ以上は不必要ですよ~、白夜さん♪」
「―――――ふむっ!?の、穏ふぁん!?」
ぽふっ、という効果音が聞こえた気がした。
真正面から顔を真っ赤にした穏が、その巨大な乳房に顔を埋もれさせるように白夜の頭を引き寄せ抱きしめたのである。
当然ながら白夜は突然の事態に慌て始め、
「「あ~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」」
左右の手を握っていた二人は口を揃えて大声を上げる。
声こそ上げてはいないが、思春もまた少なからずの不満を感じているようだった。
それは体格に対するものなのか、それとも・・・・
それはさておき、そんな彼女達を余所に、穏は諭すような優しい口調で、
「白夜さんだけが抱えてる事じゃないんです。今まで私達は皆、それを割り切ったり、こじつけたりして、無理矢理自分を納得させていました。・・・・白夜さんが私達の元に来てくれるまでは」
幼子をあやすようにそっと頭を撫でながらのその言葉に、白夜は自然と静かに聞き入っていた。
「強要されたとか、そんなんじゃありません。私達が心の何処かで怖がって、ずっと避けて来たそれを、真正面から受け止める貴方が、貴方のあり方が、とても眩しかったんです」
ゆっくりと言葉を選びながら語る穏の姿は、正に名は体を表さんばかりで、
「私達がそうしたい。そう思ったから、そうするんです。ただ、それだけなんですよ?」
「・・・・・・・・はい、解りました」
何時しか強張っていた白夜の表情は静かに凪いでいた。
ゆっくりと穏はその身を離し、白夜もまた姿勢を正して、
「有難う御座います、穏さん」
「・・・・いえいえ♪」
二人は照れ臭そうに微笑みあう。
(へぇ・・・・穏、中々積極的じゃない)
ほんの僅かな嫉妬を混ぜた心中の呟き、その直後、藍里は穏の片腕を抱えて引き摺り離すと、唇を尖らせながら何やら問い詰め始めた。
それなりに距離がある為、途切れ途切れにしか会話が聞き取れないが、時折『ずるい』だの、そういった類の単語が聞き取れる事から、その内容はおおよそ察する事が出来る。
穏も穏で、藍里の話があまり耳に届いていないようで、頬を完全に紅潮させながら呆けており、時折恥ずかしそうに自身を抱き締めたりくねらせるもんだから、暫くすれば藍里も諦めて戻って来るだろう。
そんな二人に白夜と明命は軽く呆然としており、
「―――――あまり暗い顔をするな。兵達の士気に関わる」
「思春さん」
何時の間にか白夜の隣に立っていた思春は何処かきつい言葉の後、すれ違うように白夜の肩を軽く叩き、
「お前一人だけではない。そういう事だ」
そう言うや否や踵を返して兵達の待機場所へと歩き出した。
「行くぞ、明命!」
「あ、はいっ!それでは白夜様、お気を付けて!」
思春に呼ばれ、弾かれるように表情を変えると、明命は白夜にそう言って彼女を後を追う。
「お二人も、くれぐれも気を付けて下さいね!」
その背中に掛けた声に、明命は大きな返事で、思春は軽く手を挙げるだけで、答えてくれた。
改めて、雪蓮は思う。
彼を受け入れた自分の勘に間違いは無かった、と。
「さ、雑談はこれでお終い。私達も部隊の編成を急ぎましょ。藍里、穏、いいわね!」
腰に手を当て、呆れ混じりに軽く檄を飛ばす。
案の定、二人は正気に戻り、直ぐに準備に取り掛かり始めた。
「白夜は藍里と一緒に居なさい。危なくなったら直ぐに後ろに下がらせる。いいわね?」
「はい・・・・・・・・あの、雪蓮さん。ちょっといいですか?」
「ん?」
暫しの黙考の後、尋ねたその言葉に雪蓮は返し掛けていた踵を戻し、尋ね返す。
「お願いしたい事があるんですが」
「へぇ。珍しいわね、貴方が頼み事なんて。でも、今でなきゃ駄目な事?」
軽く窺うような視線を送るが、
「はい。・・・・聞いて頂けますか?」
その真剣な言葉に、直ぐに表情を引き締める。
「内容によるわね。取り敢えず、話してくれるかしら?」
「はい。実は―――――」
いよいよ、汜水関攻略作戦が始まる。
作戦は至ってシンプル。
挑発で華雄を引き摺り出し、突出してくるであろう彼女の部隊を正面から受け止めそのまま後退、後ろに中軍として控える袁紹、袁術の大部隊に押し込まれた振りをして後退、彼女達になすりつける、というものである。
ちなみに冥琳がこの案を劉備達に進言した際、彼女達の殆どが即座に賛成したと言う。
袁術の戦力を削ぐのがこちらの本意だったのだが、彼女達も袁紹に先陣を押しつけられて多少なりとも意趣返ししたかったのだろう。
孫呉はあくまで支援として先陣に加わっている為、基本的に劉備軍が正面から受け止める形となる。
しかし、ただの後退では華雄も乗って来ない可能性がある。
彼女を確実に釣る為には本気で戦線を崩す必要があり、戦線が崩れれば一気に部隊が瓦解してしまう可能性もある、危険な賭け。
しかし、戦線が崩れかければ、連合軍であるという理由から孫呉も堂々と参戦出来る。
巻き込める人間は全て巻き込み、自軍の被害を少しでも減らそうという訳だ。
そしてつい先程、関羽と張飛率いる劉備軍の前曲が汜水関へと進軍、華雄への挑発を開始したとの報告が入った。
「戦いながらじゃないんですね」
「それはそうだろう。戦闘の最中では声が届かないし、余計な損害が増えるだけだからな」
呟いた白夜に、傍らの冥琳が答える。
「要は華雄を引き摺りだせるか、だ。華雄さえ引き摺り出せれば、それに釣られて張遼も出て来るだろう」
「神速の驍将、張遼か。・・・・一度手合わせしてみたいわね」
「却下。・・・・雪蓮、貴女は一度、華佗にでも血を抜いてもらった方が良いわね」
「強い奴と戦いたいって思うの、武人の習性なんだから仕方ないでしょ?」
「武人の前に王だって事、忘れないでね」
「は~い」
冥琳の忠告に雪蓮はつまらなさそうな返答を漏らした、その時だった。
「前線の方で動きがありそうですよ!?」
張り詰めた穏の声に和やかな空気は消え失せ、皆が真剣な表情で見据えるその先。
城壁の上に揺れ動いたかに見えた旗は、何故か直ぐにその動きを止めた。
「・・・・あ、嘘でした。御免なさい」
「いや、恐らく張遼が華雄を引き留めているのだろう。・・・・あまり良くない兆候だ」
「時間を掛ければ掛ける程、相手は冷静さを取り戻してしまいますからね。・・・・何か手を打ちませんと」
互いに意見を交わし合う軍師達を傍ら、雪蓮は暫しの黙考の後、
「ふむ・・・・興覇、幼平、劉備の横まで前進し、華雄の挑発に参加するぞ!」
「はっ!」
「はいっ!」
「文台様を絡めて挑発する積もりか?」
「ええ。これ以上、今の状況を長引かせる訳にはいかないでしょ。私が餌になるのが一番早いと思うんだけど?」
「・・・・解った。興覇、幼平、くれぐれも頼むぞ」
二人は短く答え、即座に兵達の元へと向かう。
「冥琳達は後曲の部隊の指揮。釣り上げた大物を逃がさないようにしてよね」
「雪蓮さん」
踵を返し前線へ赴こうとする雪蓮に、白夜が声を掛けた。
「大丈夫、上手くやるわ。安心しなさい」
「・・・・はい」
立ち止り振り返ると、何処か悪戯めいた微笑みでウインクする雪蓮に、白夜は小さく微笑んで答えた。
時刻は僅かに遡る。
「うぁああああああ!!離せ張遼!!あれほど虚仮にされて黙っている等、私には出来ん!!」
立ちはだかる砦の頂の上、唸りを上げる彼女の髪の色素は薄く、憤怒で燃え上がる濃い橙の瞳は眼下の関羽達へと向けられていた。
纏う鎧は、果たして役割を果たせるのかと疑問を抱いてしまう程に露出が多く、その手には巨大な戦斧が握られている。
「待ちってば!!あんなん見え透いた手ぇや!!それに乗ってもうたら、それこそ敵の思う壷やで!!」
そんな彼女を引き留めるように羽交い絞めを掛けている彼女もまた、非常に特徴的な服装であった。
健全な男ならば目を奪われてもおかしくないその肢体が纏う衣服は僅か三種。
濃紺の袴に紫紺の羽織。そして、胸に巻き付けた真白のサラシ。
露出度の高さは前述の彼女にも引けを取らず、紫の髪を刺々しい装飾の髪留めで束ねている。
切れ長の瞳は深緑に染まり、その口から流暢に紡がれる関西弁もまた、彼女独特の空気を醸し出していた。
『猛将』華雄に、『神速』の張遼。
共に董卓の元に仕える武将である。
「くっ・・・・だが、今まさに奴等は私達の武を愚弄しているのだぞ!!それを許せるとでも言うのか!?」
「許せん、許せんよ!?せやけどウチらは何としても汜水関を守らんとアカンねん!!その為やったら罵声ぐらい、いくらでも耐えたる!!せやからお前も堪えてくれ!!」
張遼の言葉が正論だと頭では解ってはいても、納得はしかねているのだろう。
周囲の城壁や石畳に苛立ちをぶつけたり、咆哮のような大声を上げる事で辛うじて平静を保とうとしていた。
しかし、
「華雄将軍、連合軍先陣に新たな部隊!!旗標は孫です!!」
「なにぃっ!?」
その一文字には、少なからずの因縁があった。
見下ろす先、一人突出する影が一つ。
薫風に揺れる桜色は、記憶に残るあの女と瓜二つであった。
そして、
「汜水関守将、華雄に告げる!!我が母、孫堅に破られた貴様が、再び我等の前に立ちはだかってくれるとは有り難し!!」
「その首を貰うに、如何程の難儀があろう!?無いな、稲穂を刈るほどに容易い事だろう!!」
「反論は無いのか!?それとも江東の孫堅に敗れた事が余程怖かったのか!?」
「そうか、怖かったか。ならば致し方なし。孫堅の娘、孫策が貴様に再戦の機会を与えてやろうと思ったのだがな!!」
「どうやらそれも怖いと見える。いやはや、それほどの臆病者が戦場に居て何になる?さっさと尻尾を巻いて逃げるが良い。ではさらばだ、負け犬華雄殿!!」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
剥き出しの歯がぎりぎりと嫌な音を立て、最早言葉にもならぬ雄叫びを上げる。
怒りのあまりに四肢は震え出し、その顔は昇りあがった血流で真赤に染まっていた。
壁や床は次々に鈍い音を立てながら砕け散り、ただただ咆哮が空に轟き続ける。
薄氷の上に立つかのような、ぎりぎりの表面張力で器に満たされた水のような、それはほんの僅かな切っ掛けで崩壊してしまうような、そんな危うさ。
限界は寸前だった。
その砦の下、見上げる彼女達もまた、徐々に焦燥感と苛立ちを募らせ始めていた。
「むぅ、中々出て来ないわね。悔しくないのかしら?」
「本人は悔しがっているんだと思います。だけど、周囲の人が止めてるんじゃないでしょうか?」
そう呟くのは雪蓮の傍ら、同じく砦を見上げる劉備であった。
周囲には関羽達も控えており、未だ現れない華雄の姿を探すように砦に視線を注いでいる。
「ふむ・・・・なら今の内に寄せちゃうか」
「え・・・・城門に、ですか?」
「そっ。無造作に寄せてくる敵を見て、果たして華雄は屈辱に耐えられるか、ってね」
「でも、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。我が軍の精鋭が守ってあげるから。引っ張り出した後は作戦通り、華雄は私達が、張遼は貴女達が相手をするそれで良いわね?」
「・・・・解りました。では孫策さんの案を実行しましょう」
劉備の返答に雪蓮は頷き、即座に檄を飛ばす。
「興覇、幼平、華雄を釣るぞ。汜水関に軍を寄せろ」
「「御意!」」
他に言葉など不要。
控えていた二人は即座に伝令を放つ。
そして、紅の牙門旗が砦へと迫ろうとした、その時であった。
『ふん、やはり悪鬼董卓に仕えるだけの事はあるな!!既に武への誇りすら無くしたか!!』
突如響く透き通った声。
元を辿って視線を送ると、艶やかな黒髪が見えた。
『語るに落ちたな!!貴様に武人を名乗る資格は無い!!早々にこの場より立ち去るが良い!!』
その吐き捨てるような挑発が、最後の駄目押しとなった。
彼女の堪忍袋の緒が、ぷつりと音を立てた。
許せない。
否、許さない。
今、奴は何と言った?
貴様達に、董卓様の何が解る?
貴様達が、董卓様の何を知っている?
謂れの無い罵倒。
沸き上がる虚偽の風評。
その全てが癇に障った。
あいつは言っていた。
奴等が攻め込んで理由は、ただあの御方が気に入らないからだ、と。
そんな下らない理由で、
そんな浅はかな理由で、
貴様等はあの御方の笑顔を奪ったのか?
あの御方の日常をぶち壊しにしたのか?
許せない。
許さない。
私の武を認めてくれたあの御方を汚すなど。
私の武に理由をくれたあの御方を貶めるなど。
拘束を振り払った。
鼓膜を震わす雑音は遮断した。
無意識に檄を飛ばし、見下ろす黒髪に照準を合わせる。
漆黒の華旗が翻った。
荘厳な扉が開かれた。
そして、
「鎧袖一触!!全軍、突撃せよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
鬨の声が轟いた。
関羽の最後の挑発の直後、突如関の扉が開き、漆黒の津波が襲いかかって来た。
数多の雄叫びと千万の鋼の剣が、怒濤の勢いで押し寄せてくる。
跡には塵一つ残らんばかりのその様は、正に戦鬼の如し。
明確な目標も無く、先述の如く津波のように、全てを飲み込もうとする。
災害の前に人は無力であるように、受け止めるだけでも極めて困難だった。
「何としても持ち堪えろ!!我等が崩れてしまえば元も子も無いぞ!!」
次々に襲い来る敵兵を薙ぎ払いながら、関羽は指示を飛ばしていた。
正直、侮っていた。
董卓軍の将軍で勇名を馳せているのは第一に呂布。次いで張遼。
前者二人に比較すれば、華雄の名はさほど世間には知れ渡っていない。
たかが噂。されど噂。
火の無い所に煙は立たず、それなりの腕前や功績が無ければ、勇名は流れない。
故に、関羽の中の華雄という将に対する評価は他の武将達に比べてしまえば、さほど高くはなかった。
しかしこの現状により、その評価は完全に覆された。
猛る将と書いて『猛将』。
その二つ名に、寸分たりとも違わなかった。
確かに、策謀には疎いのだろう。
それを補って余りある武を、彼女は持っているのだから。
荒削りの剛の術。ただただ押し切るだけ力技。
しかし、確かに強い。
(兵達のみでこの突進力ならば、それを率いる彼女は果たして・・・・)
何人目かも解らない敵兵を仕留めた、その直後。
「関羽うううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!」
「っ!?」
倒れ伏す体躯の背後、高々と掲げられる戦斧が見えた。
重力加速度に従い、振り下ろされる刃。
咄嗟に飛び退くと、先程まで立っていた地面が粉砕された。
舞い上がる土煙と粉塵の向こう、鈍い輝きが一つ。
「華雄か!!」
「ぬああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
彼女は戦斧を振り下ろしたまま一気に前進、上半身ごと捻りながら遠心力に任せ、逆袈裟に切り上げる。
関羽はそれを青龍刀の柄で受けようとして、
「ぐぅっ!!」
襲いくる衝撃の予想外の重さに、僅かに腕が持っていかれる。
ならば、とそのまま青龍刀を勢いに任せて振りかぶり、裂帛の気合と共に斬り返す。
しかし、
「ぬぅん!!」
風切り音と剣戟が轟く。
放った一撃は容易に弾かれ、その隙を狙い戦斧が襲い来る。
弾かれた青龍刀を無理矢理戻し、それからは完全に防戦一方だった。
上半身全体を捻り、長物の利点である長距離の間合い、それが生み出す遠心力を最大限に利用している。
振るわれる度に唸りを上げる風の音だけでもその威力が十二分に窺えた。
虚偽の一撃は織り交ぜない。
放たれる全てが、相手を粉砕する為のもの。
相手の隙を窺うのでなく、ただただ本能の赴くまま。
何処か義妹に似ている。彼女はそう思った。
しかし、長所と短所は表裏一体。完璧な戦法など存在せず、当然ながらこの戦法にも大きな弱点が存在する。
大振りの後にどうしても生じてしまう、大きな隙である。
勢いよく獲物を振り回せば、それだけ物質には慣性が働き、その速度や質量が大きければ大きいほど、そう簡単には止められなくなる。
ましてや華雄の獲物は戦斧である。
関羽と同じく長物。加えて重量は青龍刀よりも重く、振り回す速度もかなり速い。生じている遠心力も相当な筈だ。
故に、関羽は先程からずっとその瞬間を物にするべく彼女の隙を狙い続けているのだが、
(くっ、一撃一撃の重さが半端ではないっ!!)
隙が大きいという事は、それだけ破壊力も増しているという事。
剛撃を受け止める度に双腕に響く衝撃が、その重さを如実に物語っている。
徐々に関羽の手には麻痺が蓄積され、時には衝撃で青龍刀が弾き飛ばされそうになる。
その為、関羽は未だ攻撃直後に生まれる隙を衝く事が出来ずにいた。
加えて、原因はそれだけではない。
(切り返しが速いっ!!)
そう、自分よりも明らかに重い獲物をそれだけの速度で振り回して置きながら、生まれる隙は自分の予想以上に短いのだ。
少なくとも、自分が同じような事をしようものなら、決してこうはいかないだろう。
原因ははっきりと解っている。
挑発による怒り。それ以外に思い当たらない。
精神の変動は肉体にも大きく影響する。
憤怒による昂りが彼女の身体能力を底上げしている事は間違いない。
しかし、何処か違和感を感じた。
何かがおかしい。
何かは解らない。
その小さな戸惑いは徐々に肥大し、何とか攻撃を受け、時には反撃を交えながらも、彼女が脳内でその理由を模索していた、その時。
「貴様に、何が解る・・・・?」
刃が一際大きく風を纏う。
「誰よりも平穏を愛するあの御方が、暴政を強いる悪鬼だと・・・・?」
更に戦斧が重さを増す。
「誰よりも笑顔を愛するあの御方が、洛陽の民を悲しませているだと・・・・?」
気付いた。
「貴様に、貴様等に、」
理解した。
「何が解ると言うんだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
武人としての誇りよりも、主を侮辱された事に対して怒りを顕にしているのだ、と。
そして、その雄叫びと共に拮抗は破られた。
重苦しい金属音と共に青龍刀が大きく上に持って行かれ、胴を防ぐ術が無くなる。
(しまった・・・・!?)
「死ねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
視界の端、斬り返される戦斧が肩口に吸い込まれるように振り下ろされ、
「お疲れ様。後は任せなさい」
その声と共に、彼女の身体が背後に強く突き飛ばされ、剣戟が響いた。
「―――――なっ!?」
咄嗟に体勢を立て直し、見上げた先に見えたのは、陽光に揺らめく桜色。
「孫策殿!?」
「遅くなって御免なさい。作戦通り、ここは私達孫呉が引き受ける。早く張飛ちゃんと合流しなさい」
「・・・・感謝します、孫策殿」
僅かな逡巡の後、踵を返し兵達に檄を飛ばしてその場を離れる。
その心中、佇むのは肥大した違和感。
彼女の怒りの質と、その矛先。
最後の挑発は、悪足掻きの捨て台詞だった。
一切の反応を示さない華雄に、彼女もまた、焦燥や苛立ちの感情を、少なからず抱いていたのである。
故に、先程までは解らなかった。
今となっては、問うまでもない。
そこにあったのは、主への侮辱に対する、純粋な憤怒。
それは疑う事無き、主への忠誠の顕れ。
拙い頃より自らもそうあるべきとしてきた、武人の姿。
故に、彼女は疑問を抱く。
『果たして、真に悪逆非道たる主への侮辱に、自分はあれほどの怒りを抱く事が出来るだろうか?』
言うまでもない。断固として『否』である。
そこから導き出される推論は、
「―――――まさか」
それは、とても小さな鍵。
果たして開く扉の先に待つものは、彼女達にとっての幸か不幸か。
横目に去る関羽の背中を確かめると、雪蓮は大地を蹴り背後に大きく飛ぶ事で距離をとる。
南海覇王を持ち替え、未だ残る受け止めた余韻を軽く振り払いながら思う。
(華雄って、こんなに強かったかしら・・・・?)
自分の記憶に残るのは母に、容易くとまではいかないが、確かな実力差で打ちのめされた姿。
今の彼女のそれとは、到底結びつかなかった。
「邪魔だ!!そこをどけ、孫策っ!!」
「生憎だけど、そういう訳にはいかないのよ。今の私達とあの娘達は協力関係・・・・では、まだないわね。その一歩手前ってとこかしら」
軽口混じりに答えながらも、雪蓮は烈火の如く燃える双眸でこちらを睨みつける彼女を見据える。
剥き出しの犬歯。叩きつけるような怒声。
さながら牢から放たれた猛獣である。手が付けられそうにない。
「ならば、貴様を殺して奴も殺すっ!!」
次の瞬間、華雄の姿がぶれた。
鈍い煌きが半月を描きながら、雪蓮へと襲いかかる。
(まともに受け続けたら関羽の二の舞になるわね。ましてや私の得物はこれだし・・・・だったら)
利き手に戻した黄金の片手剣を握りしめ、身体を捻らせ刃を躱す。
余波が肌を淡く刺激し、視界の端にほんの僅かに断たれた髪先が舞っているのが見えた。
縦横無尽に襲い来る半月の軌道。
鋼鉄の塊が豪快に振るわれる度に、基本受ける事はせず、左右や背後に飛び退りながら身体を捻らせる事で剛撃を躱し続ける。
その為、攻撃直後の僅かな隙を突く事も可能となり、しかしこちらの攻撃は柄で防がれたり、振るった勢いのまま身体を移動させる事で躱されてしまい、逆にこちらが危うくなってしまう事もあった。
そんな舞踏のような戦闘の最中、彼女の脳内にもまた、小さな疑問が浮かび上がる。
『つい最近、これに酷似した光景を、私は見た事がある気がする』
小骨が喉に引っかかっているような既視感。
仄かに眉間に皺を寄せ、絡まり合った記憶の糸を少しずつ紐解いてゆく。
そして、
「・・・・あ」
思わず漏れる、呆けた声。
『僕の事は、どう思ってくれても構わない。見下そうが、蔑もうが、馬鹿にしようが一向に構わない』
脳裏に再生される、涙混じりの怒声。
『でも、僕を救ってくれたあの二人を、僕に生きる事を教えてくれたあの二人を、』
ひらりひらりと舞いながら、彼女の表情を窺って、
『少しでも汚すような真似は、例え神だろうと許さない!!』
その瞳が、何処か重なって見えた。
「そう・・・・そういう事なのね」
図らずも吊り上る唇の端。
「だったら尚の事、貴女に負ける訳にはいかないわ。・・・・貴女の為にも、ね」
呟いた言葉は、誰の耳朶には届かないほどに小さく、
更に低く腰を落として、彼女はより一層の加速を見せた。
(くそっ!!何故、何故当たらないっ!?)
一体何度、この戦斧を振るっただろう?
最初から数える気など無かったが、優に五十には至ったと思える。
しかし、その一つとして決定打にはならず、受けられ避けられを繰り返し、ただひたすら空を切るばかり。
そして、遂に一気呵成の勢いが衰退を見せ始めた。
確かに怒りの感情は強力な強壮薬となるが、その効果はあくまで一時的なものでしかない。
我を忘れていられる間は良いが、糸が切れた途端に蓄積された疲労がその身に跳ねかえって来る。
それこそが、雪蓮の狙いであった。
四肢に重い枷が圧し掛かり、肺腑がより多くの酸素を求め、しかし乾きで狭まる喉がそれを阻害、悪循環が身体を蝕んでいく。
未だ昂る精神と肉体との間に差異が生まれ始め、それが募る苛立ちに拍車を掛ける。
それにより集中力が霧散、ただでさえ単調という欠点があった彼女の連撃は更に速度や正確さという長所すら失い始める。
既に、終わりが見えつつあった。
(まだだっ!!まだ終われないっ!!終わる訳にはいかないっ!!)
追い着かない身体に檄を飛ばし、懸命に奮い立たせる。
大蛇に巻きつかれたように動かぬ腕。
汗が滲み、掌から力が抜け始める。
周囲は既に包囲されており、士気高揚だった兵達も徐々に押されつつあった。
既に半身は蟻地獄に捉えられ、後はただ沈みゆくのを待つのみ。
「ぬあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
高く吼えた。
大地を蹴った。
せめて一太刀。
あいつさえ屠れば。
悔しい。
腹立たしい。
既にそれは太刀筋とは呼べず、
容易に躱され空を切る。
奥歯を噛み締め、
視界が滲んだ。
首筋に軽い衝撃。
それだけで、世界は暗転を始めた。
糸の切れた人形のように、
勢いのままに宙を舞う。
やがて大地が目前に迫る頃、
―――――御免なさい。
麻痺する鼓膜に届いた微かな呟き。
どういう意味だと問う間も無く、
小さな疑問を抱いたまま、私の意識は刈り取られた。
『貴様に、守りたいものはあるか?』
その問いに、私は首を振った。
『確かに貴様は強い。だが、それだけだ』
その嘲りに、私は激怒した。
『貴女は、どうして強くなったんですか?』
その問いに、私は即答できなかった。
『私は、皆の笑顔が好きなんです』
その笑みに、私は理解した。
己の未熟。力の意味。
悔やみ、そして歓喜した、今は懐かしき日。
―――――ああ、これが走馬灯というやつか。
受け入れようとして、気付く。
身体に感じる気だるさ。
手足に感じる束縛。
それは、確かな感覚。
瞼を開けば、見知らぬ天幕の中だった。
どうやら捕虜として捕えられたらしい。
―――――まだ、生き永らえろと言うのか?
命令違反。そして敗戦。
自分が犯したのは、明らかな厳罰行為。
加えて何か情報を漏らそうものなら、あの御方の不利は明白。
ならば、いっそ。
そう考えた所でふと、天幕の入口が揺らめいた。
―――――尋問か。
捕虜をとる理由など、他にありはしない。
例えどのような仕打ちを受けようとも、
その結果死ぬような事になろうとも、
これ以上あの御方が不利になるような事は、決して。
そう思っていた。
射し込む光の中、歩み寄る影は一つ。
かつんかつんと音を立てるのは、真白に染められた杖の先。
それぞれが空と雲のような、青と白の衣。
やがてそいつは私の前に屈みこんで、
瞳を閉じたまま、柔らかに微笑んだのだ。
「初めまして、華雄さん」
その、あまりにこの場に似つかわしくない微笑みに、私は毒気を抜かれ、暫し呆けてしまうのだった。
(続)
お・ひ・さ・し・ぶ・りぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!
永き沈黙を乗り越えて、我ココニ帰還セリ!!
・・・・いやね、リアルがリアルに大変だったんですよ。
試験期間の間はまったく執筆出来なくて、
試験が終われば締め切り間近の文芸部やらゲスト原稿やらがあって、
その後は自動車免許の合宿で山形に生息しておりましたのです、ハイ。
ずっとネットが出来なくてねぇ、ポ○モンかこれの執筆くらいしか出来る事無かった・・・・orz
まったく、お陰で50回くらい殿堂入りしちゃったジャマイカっ!!
・・・・・・・・それにしても、山形ラーメンに肉蕎麦、美味かったなぁ♪(*-ω-*)
さて、戯言はここまでにして。
初のまともな戦闘シーンでしたが、いかがでしたでしょうか?
正直、かなり手古摺りました。
中々難しいですねぇ・・・・書き方がいまいち掴めません。
何度も何度も書き直して、やっとこさ今の自分では『良いんじゃねえかな?』とは思ったんですが・・・・
俺もまだまだだ。もっと精進せねば!!
で、
いよいよ色んな要素が絡み合いを開始します。
連合軍に董卓軍、面子が多くて考えるだけでも一苦労・・・・果たして俺は書き切れるのでありましょうか?
そして、皆さんに楽しんでいただけるのでしょうか?
非常に、不安です・・・・・・・・ま、何があろうと絶対に最後まで書き切る積もりけどね。
そうそう、以前明かした他√ですが、俺の予想以上に希望の声が来てくれて感激です!!
現在、この『盲目』のプロットは(俺の中で)第一部まで完成しておりまして、一端そこでストップし、時間を掛けてプロットを仕上げてから第二部を書こうと思っております。
その創作期間の間に『沈黙(仮)』あるいは『白鞘(仮)』を公開しようかな?というのが現在の方針です。いかがでしょう?
・・・・実はちょびちょび執筆してて、第二話くらいまでなら両方とも完成してたりするんですよね(コッソリ)
相変わらずの不定期更新なので、何時の話になるかは俺も不明ですが、これからも白夜達共々、何卒宜しくお願いしますm(__)m
暫くしたら実家に帰らなきゃなので、その前に一度は投稿したいとは思っていますが・・・・まぁこう言って出来た試しはあんまりないので、今まで通り気長にお待ちいただけたらなぁ、と思います。ほんっとスイマセン。
それでは、次回の投稿でお会いしましょう。
でわでわノシ
・・・・・・・・俺はブイズと化石ポケモンが大好きだぜ!!
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