最終話 アリの人生、セミの人生
山県有栖は子供の頃、『アリとキリギリス』という童話が好きだった。
真面目に働くアリと怠けてばかりのキリギリス、冬が来てキリギリスは凍えてしまうが、しっかりと食糧を蓄えてきたアリは無事 冬を越えることができましたとさ、という お話。
キリギリスの末路については本によって まちまちだが、最後には真面目なアリが報われる、という本筋は変わらない。
キリギリスのような怠け者は いつか必ず そのツケを支払わされ、働き者のアリは必ず その努力に助けられるときが来る。
勤勉、努力に勝るものはないのだと、子供ながらに有栖は結論付けたのだった。
母親の読み聞かせてくれる絵本によって築かされた、有栖の価値観の一つ。
*
が、そんな有栖の価値観をブチ砕くかのような天才が今 目の前にいる。
ソイツは通常の剣道より ずっと危険な古流剣術を十代半ばでマスターし、しかも その限界を見極めて、あっさりと捨て去ってしまった。
それが原因で親と絶縁されながらも、生まれ持った器用さで様々な金稼ぎの手段を見つけ出し、有栖よりも年下のクセに しっかりと自立・独立を通している。
アリが積み上げた努力を嘲笑うかのような、溢れんばかりの才気の塊。
その天才は、只今 お手製の弁当を掻き込みながら号泣していた。
正軒「おいしいです!……弁当が おいしいです!」
今日もまた正軒のために愛妻弁当を用意していた有栖様。
その弁当を泣くほど賞賛する正軒。そのリアクションは京極さんすら目じゃないゼ。
これだけ喜ばれれば作る側としても まんざらでもないのだが、早まってはいけない、正軒の日頃の食生活は とても貧弱なので、人並みの体裁をとっていれば大抵の料理で感動してしまうのだ。
正軒「生まれてきて よかった!俺は人間に生まれて本当によかった!」
………今は平日のお昼休み。正軒と有栖は昨日と同じように、校舎の屋上に出て二人一緒に昼食をとっていた。
今日でまだ二日目でしかないのに、なんだか恒例になった感さえある。
有栖が作り、正軒が食べる。
たったそれだけのことが、今や外せない日常と化していた。
有栖「………………」
幸せ満開でメシを掻き込む正軒の顔を、有栖は ぼんやり観察するように見詰めていた。
自身の食事は、一向に進んでいない。正軒を見詰めることに忙しくて それどころではない、といった風だ。
正軒「……ごっつぉさーん!いゃー喰った喰った、先輩のご飯は超うめぇーよ、幸せ太りしそうだよ!」
正軒は大変 ご満足の様子だった。というかご満腹の様子だった。
その様子を見届けた有栖は、
有栖「……正軒、茶を飲むか?」
正軒「んん?…ああ、食後の一杯とは また至れり尽くせり………」
有栖は求めに応じ、水筒からジャスミン茶をコップに注ぐ。ホットなのか湯気が立ち上った。
その香り豊かな食後のお茶を差し出すべきところ、有栖は何故か それをせず、自分で飲んだ。
正軒「アレッ?なんでッ?飲むって聞いておいて自分で飲んだッ?」
新手のイジメかッ?。
そう嘆いたのも束の間、有栖は自身が口をつけた お茶の器を、今度こそ正軒へ向けて「ん」と差し出す。
正軒「…?」
中身のお茶は ほとんど減っていなかった。
一体何がやりたかったのか?ただひたすらに首を傾げる正軒であったが、せっかく渡されたものだから有り難く頂戴しようとする。…が、またもや有栖から「待った」が入った。
有栖「待て正軒」
正軒「今度は何だよッ?」
さっきからの有栖の不可解な行動に正軒は困惑しきりだ。
何がしたいんだ先輩?
有栖「ここに口をつけて飲め」
正軒「え?」
有栖が指し示したコップのふちは、まさに有栖が口をつけた部分。
これはまさか……、
正軒「間接キスッ?」
ここに来てやっと読めた有栖の意図。
しかし何故にいきなり間接キッス?脈絡が全然ないし、しかも この二人は朝方公衆の面前で濃厚熱烈な直接キッスを貪りあったばかりなのである。
その上での間接キスいかほどのものであろうか?
有栖「どうした正軒、早く飲め」
固まってしまった正軒を、有栖が催促した。
ええい臆すな正軒、何故今さらに間接キスで怖気ずく必要がある。
気合をもって一息に飲み下す、熱い、HOTなんて一気飲みするもんじゃねえ。
正軒「…………………………………(げっぷ)」
有栖「どうだった?」
正軒「…先輩の味がしました」
なんだろう この初々しい やり取りは?
有栖「……………(すくっ)」
今度は おもむろに有栖が立ち上がった。
正軒は お弁当中で屋上に敷かれたレジャーシートに腰を下ろしているため、自然 有栖を見上げる形となる。
正軒「次は何ぞ?」
戸惑いのままに彼女を見上げる正軒。そんな彼の困惑にかまわず、有栖は腰を下ろした、レジャーシートの上に胡坐をかく正軒の、そのまた膝の上に。
正軒「うわっふッッ!!?」
正軒 大混乱。
だって豊満な女性の体をした有栖さんが、自分の膝に座ってきたのだ。今や正軒は 彼女のチャイルドシート状態、これで急ブレーキも安心だね、って そういうことじゃない!
正軒「何、何ッ、ナニナニナニッ!!?」
スカート越しに伝わってくる有栖の尻の丸み。もうそれだけで大天国な正軒なのであるが、それでも飽き足らず、奇行に走る有栖は更なる奇行に走り、正軒を下に敷く お尻を、ぐりぐり左右に振り始めた。
正軒「ぎゃおーッ!?なんスか先輩ッ、そんな、そんなステキな柔らか味を、直接俺に擦り付けないで!アナタが今座っている俺シートが一部 平坦でなくなります!不自然に盛り上がってしまいます!だから…!」
有栖「……正軒」
正軒「はい?」
有栖「私の胸に触って いいぞ」
ぐはおん。
正軒の脳内は一足早く2012年を迎えた。
正軒「なんだこの先輩大盤振る舞いッッ!!?ナニ俺 明日 死ぬのかッッ!!?」
人間幸せが極度に達すると そう思ってしまうものだった。
有栖もまた数々の奇行を意味不明に連発しつつ、自身も羞恥に顔を赤らめている。一体なんだろうか彼女の真意は?
有栖「あ、あのな…、午前の授業中にずっと考えていたんだ………」
こんな助平なことを?
有栖「違うわッ!……あのだな、正軒は、こんなことして どう思う?」
正軒「こんなこと、とは…?」
こう、間接キスしたり、お膝の上に座られたり、乳揉んでいいとか言われたりすること、か?
有栖「た、楽しいか?」
正軒「へ?」
有栖「私は、こう言っては何だが、…………楽しい」
その一言で、正軒の中の何かが決壊した。
正軒「おっ、俺も楽しいです!チョー楽しいです!スプラッシュマウンテンとか目じゃありません!」
有栖「いや、そういうことを面と向かって言うとだな……」
有栖は さすがに赤面する。
有栖「私もだな、こう男女で肌を触れ合わせるのが こんなにも心地いいものかと意外でな。人々が恋愛を賛美する気持ちもわかるなあ、と。………正直、正軒とこんな関係になって、自分の世界が広がった気がする……」
有栖は午前中、ずっとそんなことを考えていたらしい。
肌と肌が触れ合うことが、年頃の男女にとって どんなにときめくことか、そしてそれを今、実践によって確証を得ようとしたということか。
止まらない思春期。
有栖「でもな………」
そこで有栖は、言葉を切り替えた。
有栖「こんなことを知る以前も、私は、結構 楽しかったんだ」、
正軒「え?」
思い出す、有栖が正軒と出会う前の、剣道のみが自分の恋人だった日々。
来る日も来る日も竹刀を振り、知恵と努力と若さのすべてを、剣道という技術の研鑽に注いできた。
それは それなりに楽しい日々だった。
無論辛くもあったが、辛ければ辛いだけ報われたときの喜びは格別だった。
練習した技が試合本番で成功したこと、自分の体が自分の思い通りに動いたこと、自分の考えた作戦通りに敵が動いたこと、世界が自分の思い描いたとおりに動いたこと。
試合に勝って、父が、祖父が、兄が、先生が、友人たちが、自分が喜ぶのと同じように喜んでくれたこと。剣道を通じて他の人との心が通じ合えたと思ったこと。
それらのことは今思い返してみても本当に楽しくて、今こうして正軒に甘える楽しさとは、別種の心の躍動があった。
有栖「だからな……、私は思うんだ……」
有栖は、正軒の膝の上で、言った。
有栖「この二つが合わさったら、きっと、想像もつかないくらい物凄く楽しいんだろうなって」
剣に打ち込むことと、正軒に甘えることは、別種の楽しさ。だから この二つが同居することは不可能なことではない。
思い出すのは、部活の規則をかけて特待生・今川ゆーなと争ったときのこと。相性からして天敵であった ゆーなに勝つために、有栖は知り合ったばかりの正軒を相手に稽古に打ち込んだ。
正軒と努力し、正軒の援けで勝利を手にすることができた。
あの時の充実感、爽快感は思い出しただけで手の平に 汗が浮かぶ。
その後、正軒とは別の繋がりが芽生えたことで しばしあの時の感覚を忘れていた有栖。
でも、こうして新しい正軒との関係が実を結んだ今、恋人としての正軒と助けあって進む剣の道は、とても素晴らしいものになるのではないか?
有栖「……どうかな?」
有栖は膝の上から正軒の顔を見上げた。
彼女は、禁止されている恋愛をしてしまったことで、部から身を引いている。
その有栖が剣の道に戻るということは……。
正軒「いいんじゃねえか」
正軒はごく自然に、有栖の頭を撫でた。
正軒「なにかに打ち込んでる時の先輩はカッコいいし、可愛いし、好きだぜ俺は」
有栖「正軒…」
蕩けそうな有栖であった。
正軒は常に彼女の味方になってくれる。
有栖「そ、それでだな……」
有栖はちょっと声のトーンを下げて言う。
有栖「できたら、正軒も………」
有栖は最後まで言葉を続けることができなかった。正軒が、彼女の頭を撫でる手を止めたからだ。
正軒にも、何かの道に打ち込む楽しみを味わってほしい。
そうすれば、また違った剣の面白さを見出せるかもしれないし、身を引いた清美に対しても報いることができるから。
しかしそんなことは やっぱり詭弁に過ぎないのか。
究極に達することのできない現代の剣に見切りをつけた正軒の、その気持ちを無視することなのか。
正軒「先輩、『アリとキリギリス』って昔話知ってる?」
有栖「へっ?」
有栖は突然の話題転換に虚を突かれた。
知っているも何も、それは有栖が童話の中で一番好きな話だ。努力家が怠け者に勝つ話。
正軒「実はアレってさ、本当は『アリとキリギリス』じゃないんだ」
有栖「はあっ?」
正軒「『アリとセミ』だったんだ」
その童話が生まれた土地はギリシャ。
そこからヨーロッパへと話が伝わるとき、「ヨーロッパにセミはいねぇ」ということで、当地により馴染みのあるキリギリスに配役換えされた。
日本へはヨーロッパを経由したため、『アリとキリギリス』のまま伝わる。日本ではキリギリスよりセミの方が馴染み深いだろうにも関わらず。
正軒「その話を聞いたときにさ、『ああ なるほど』って思ったよ。キリギリスは夏の間 楽器を引いてるっていうけど、セミも夏にはずっと鳴き続けている。そして冬どころか秋を迎えるより早く、路上で腹を出して死ぬ。まさしく童話のキリギリスそのものだ」
有栖「………?」
有栖は戸惑うことしかできない。正軒は一体何を言おうとしているのか?
正軒「セミは、夏が終わるまでに死ぬ。アリみたいにエサを蓄えることもせず、ただ自分の命が終わるまで、大声で鳴き続ける。セミの鳴き声ってさ、人間の大きさに直すとバズーカの砲声に匹敵するんだって。あんな小さな体で そんなメチャクチャな声を出して、セミは夏の間だけ鳴き続けるんだ。その話を聞いてさ、俺はセミみたいに生きたいって思った」
セミのように生きたいと。
正軒「地中から這い出して成虫になって、たったの一週間ぐらいで死ぬ。でもその間 懸命に鳴いて、死に物狂いで鳴いて、自分の存在を人々に知らせる。アリはその間エサを集めて、巣に蓄えて、冬を越す。セミの死体を見て なんてバカなんだろう思ってるのかもしれないけど、俺は そうは思わない」
エサを集め、エサを溜め、ただ その日を生きるためだけに人生を使うより。ほんの一夏、精一杯に鳴き叫んで自分の存在を知らしめてから死んだ方がいい。
正軒「明日に道を聞かば、夕べに死すも可なり」
正軒は、有栖の体を抱きしめながら言った。
正軒「とまあ、昔の俺は そう思ってたわけさ。アリみてーに生きるためだけに冬を越えるより、セミのように精一杯鳴いて、夏が終わるまでに死にたいって。……でもな、今の時代そんな生き方はムリだって わかった」
だから、
正軒「もう結局アリみてーに、だらだら生きてても いーかなー、って思ったわけよ。別に精一杯生きなくたって いーじゃん、今の時代」
有栖「だから正軒は、剣を捨てたんだろ?」
正軒「まあね、でも、どうせ だらだら生きるんなら徹底的に だらだら生きてもいいと思うんだ」
と、言うと?
正軒「つまんねー拘りをもって剣を遠ざけるなんて戒律めいたことは、やめてもいいってことさ」
有栖「お前………」
正軒「遊びで振り回しても そこそこ行けるだろ?剣なんてものは」
正軒は、至極真っ当な表情で言うのだった。
有栖「まったく お前は……」
有栖は そんな恋人に対して、諦めも混じった苦笑を漏らすしかなかった。
本当に、天才というヤツには呆れるばかりだ。
有栖には『アリとキリギリス』という童話を、世の中が定めた通りの価値観でしか読み解けなかった。
しかしそんな寓意話も、天才の目にかかれば たちまち意味を変えてしまう。
努力家が、怠け者に勝つ話が、
生に しがみつく者が、死を覚悟した者を嘲笑う話に変わってしまう。
正軒の傍にいると、ますます自分が凡人であるということが身に染みてしまう有栖だった。
有栖「…お前は トコトン嫌味なヤツだな」
有栖はフフッと微笑んだ。
正軒「うおっ、なんです先輩ッ、俺何かヤなこと言いましたッ?」
正軒は本気で狼狽している。
そんな妙に気を使ってくれる態度が、なんだかくすぐったい。
有栖「別に、じゃあ正軒、これから お前は ずっと本気を出さずに生きていくのか?」
正軒「いいえ、俺には もう本気で取り組むべきことを 一つ持っておりますよ」
有栖「何だ それは?」
正軒「先輩を好きでいることです」
…………ッ!
有栖の顔が ぼっと赤熱する。
有栖「バカッ、そういうことを唐突に言うんじゃない!心の準備ができてないとだな……ッ!」
正軒「何事も不意打ちが一番効果が高いのです。勝負の基本です」
正軒は有栖のリアクションを見て 心の底から楽しんでいた。
正軒「別に冗談で言ってるわけじゃないぜ。俺は先輩が好きなことは本気でいられそうだ。だから他を遊びでやれる、なんだかんだ言って、辞めた後も剣は俺にとって本気の領域だったから」
有栖「ん……」
正軒「先輩に対して本気でいられるんなら、剣の本気を諦められる。そんな感じかね?」
武田正軒。
常に何かに対して、鋭すぎるほどに本気でいなければならない男だった。
正軒「でもま、そうなると どうするかな?男子剣道部にでも入ってみるかな?…………いやダメだ、よく考えたら俺 生活費稼ぐのに忙しくて部活なんかしてる暇ないじゃないか。アリのようにアクセク働かなきゃならんのが今の俺の運命…!」
有栖「でも、剣を再開するんだったら実家に戻れるんじゃないのか?そうすればお金に困ることなんてないだろ?」
正軒「バカだな、そんなことしたらオヤジのヤツ喜び勇んで、俺をナントカいう剣道の強い学校に転校させるだろう。俺そーいうのヤなの!クラブ気分で のほほんとやりたいの!」
大体転校ということになったら有栖とも離れ離れになってしまう。それは正軒にとっては本末転倒そのものだった。
有栖「ふむ、では、いい方法があるぞ」
キラン、と有栖の瞳が輝いた。
*
カラスが鳴いて放課後。
教室からは人気が去り、代わりに部室やグラウンドや体育館に活気が満ち始める。
校内は今まさに部活動の時間。
しかしながら、校内のある一画だけは葬式のように暗く沈んでいた。
そこは剣道場。
ゆーな「…………」
かつて有栖と激闘を演じた一年生・今川ゆーな。
しかし その試合に負けてからというもの、煩いほどの彼女の活気はどこへやら、漠然と竹刀を振っては手を止め、虚空を見つめてはため息を吐き、また竹刀を振る、水飲み鳥のように機械的に。
あんな気の抜けた練習の仕方で、上達などするわけがない。
そんな特待生の腑抜けっぷりを、まんじりともせずに見詰めるのは、今現在 部の最高責任者である副主将・山本知恵、他数名。
部員1「……ゆーなちゃん、調子悪そうですねえ」
副部長「………………」
部員2「あんな調子で大丈夫なんでしょうか、もうすぐ やってくるインターハイ……」
主将は 男作って部を去り、期待の新入生は あのザマ。
こんなボロボロの状態で戦い抜けるのかインターハイ、否、全国への壁は そんなに甘いものではない。こんな状態でぶつかれば、予想するまでもなく修養館高校女子剣道部は玉砕することだろう。それはもう確信レベル。
部員3「そんなことになったら………」
部員4「ここぞとばかりに舞い戻るOGの皆さんによる地獄の猛特訓!」
部員5「私たちの青春が黒く塗りつぶされるぅ~!」
部員たちは今から恐慌に陥った。彼女らの所属する修養館はIH全国常連校、その連続出場記録を途絶えさせることは卒業した先輩たちの怒りを買うに間違いない。
それは何としてでも避けたい最悪の事態、しかしこのままではさけようがなく現実のものとなってしまう。
ああ、こんなことなら男女交際解禁なんて言い出さなきゃ よかった。そうすれば恋の華やかさがないまでも平穏な部活を続けることができたのに。
なんで男と付き合いたいなんて過ぎた望みを持ってしまったんだッ!
副部長「………こっ」
部員6「こ?」
副部長「こうめいさま………、孔明様 助けてーーーーーッ!!」
部員7「副主将が乱心したーーーーッ!!」
部員8「太古の元祖軍師みたいな人に助けを求めたーーーーッッ!」
もはや女子剣道部は大会が始まる前から崩壊状態だった。そこへ……、
有栖「何をやっている貴様ら、シャキッとせんかッッ!」
凛たる声音で乗り込んできたのは、道着姿の有栖だった。
数日ぶりの凛々しい装束。その後ろには彼氏である正軒を伴っている。
副部長「はわわ、ご主人様てきが……、って、え?」
副主将初め、皆がこの有栖の登場に驚く。恋人を作って、剣道部にはまったく未練がないと思われた その人が……。
有栖「まったく お前ら、なんたるザマだ。私がいないと練習一つロクにできないのか?」
部員9「主将!戻ってきてくれたんですね!」
部員10「あい うぃるびー ばっく!」
部員たちは、帰還した有栖を見て、メシアの復活を目の当たりにしたマグダラのマリア並のテンションだ。
暗黒の世界に光が差したぜ、これは。
副部長「あ、有栖……ッ!」
同じ学級のクラスメイトでもある副主将は、ことさら意外な面持ちで有栖の下に駆け寄る。
副部長「有栖、アンタ、ホントに……?」
有栖「ウム、しばらく空けて迷惑をかけたが、山県有栖、剣道部主将として復帰させてもらう。皆、もう一度よろしく頼む!」
そう言って手に持つ竹刀をかかげる有栖。その剣気は、一度剣道部を辞める以前より漲っている。
ともかくも、剣道部を全国レベルまで昇華させるに必要不可欠な 有栖が帰ってきたのだ。剣道場内はイヤが応にも盛り上がる。
部員11「あ……、でも……」
部員12「規則のことは どーするんですか、主将?」
部員たちの間から出た疑問は 当然たるものだった。
『女子剣道部員の異性交遊を禁止する』
すべての始まりとなった、数十年前から続く女子剣道部 鉄の掟である。この規則があるために、正軒と結ばれた有栖は 一度剣道部から去った。
一度は「廃止しましょう」と大いに盛り上がった この規則、今さら有栖が無視したところで問題になるとは思えない。
だが生来 真面目な性格の有栖のことを考えると、「復帰するために別れたきました」とか言いかねないのだ。
しかもその彼氏is正軒は、ちゃっかりと有栖の背後に控えている。
部員13「そこんところ どーなんですか彼氏さんッ?ていうか、なんで主将に付いて来てるんですかっ?」
正軒「え、だって先輩が『黙って私について来い』って言うもんだから……」
部員14「うひゃあ主将 男らしいぃ~」
どうやら正軒も、有栖がこれから何をやらかすつもりかは皆目見当が付いていないらしい。
皆の注目が集まる中、主将・有栖はゆっくりと言葉を紡ぐ。
有栖「……皆の言いたいことは わかっている。長年 我が部が守り通してきた『男女交際禁止』の規則についてだろう」
全員が次の言葉を待つ。
有栖「本来、この規則の意義は『色恋に心が浮つき、稽古が疎かになることを避ける』ことにあった。そのストイックな精神こそが、修養館 全国大会常連の偉業を保つものだと歴代の先輩たちは信じてきた。かく言う私もその一人だった」
そんな有栖が正軒と出会う。
正軒と出会ったことは、今振り返ってみれば彼女の多いなプラスになった。達人域の剣技を修めた正軒は稽古相手としても理想的だったし、また正軒が応援してくれていると思えば、有栖はより精力的に稽古に打ち込むことができる。
結果、有栖は天敵として手も足も出なかった今川ゆーなを、たったの一週間で撃破できるほどにレベルアップしたではないか。
有栖「恋愛というものは、人を堕落させるだけではない。人を好きになる気持ちが、自身を向上させる活力となる場合もある。私は正軒と出会うことで、そのことに気が付いた」
正軒「…先輩、あまり真顔でそういうことを………!」
正軒は気恥ずかしさ卍解だ。
副部長「じゃあ有栖!それはつまり、規則を改変するということで……ッ?」
有栖「うむ、条件付で、部員の男女交際を認めることとする」
部員一同「やったーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!\(^▽^)/」
剣道場が興奮に沸いた。
混迷に混迷を重ねた上の、ついにの勝利獲得なのである。これでやっと自分にも彼氏ができる、長かった氷河期に終止符が打たれる。独り身の部員たちは皆例外なく嬉し泣きに咽ぶ。
しかし、その中で唯一人冷静を保った男が、ある部分に突っ込んだ。
正軒「ねえ、先輩先輩」
有栖「ん、なんだ正軒?」
正軒「今、『条件付で』交際を認めるって言ってたけど……」
“条件付”ってナニ?
ピタッと、部員たちの歓声が止んだ。
やっと手にしたかに見えた自由、そのパラダイスに まだ何かイチャモンがつくのか?
それを受けて当の有栖はニヤリと笑った。
有栖「そのことだがな…、いかにプラスになった例があるとしても、やはりすべての恋愛が自己向上にプラスとなるとは限らないと思うのだ。すべての男が、正軒のような絶人ではないのは当然だからな」
部員15「なんだノロケかー?」
部員16「彼氏自慢かー?」
部員たちから一斉のブーイング。
有栖「男女交際を認めても、付いてくるのが悪い虫ばかりなら、返って部の運営にマイナスとなりかねない。なので女子部員と交際する男性に対しては、厳重な審査を行う必要がある」
副部長「なによソレ?まさか、ウチの女子と付き合いたい男子を、アンタがいちいちチェックするとでも言うわけ?」
怪しい雲域に部員たちは眉をひそめる。しかし有栖主将一人だけは すこぶる快活な表情だった。
有栖「そんな面倒なことはしない。ウチの女子と付き合うために、たった一つの単純な条件をつけるだけだ」
部員一同「条件?」
有栖「そう、それは………」
武田正軒と、サシの勝負で勝つこと。
正軒「ふざけんなァーーーーーーーーーーーーーッッ!!!」
正軒は絶叫した。
ここでついに女子剣道部内のゴタゴタが彼にとって他人事でなくなる。有栖が彼をつれてきた理由はこれだったのか。
有栖「うむ、我ながら名案だと思うのだ」
正軒「思いませんよ!婦人の愛を流血で勝ち取るとか ドコ方式ですかッ?そしてなんでそこに俺がエントリーされますか。なんで知りもしない他人の恋愛に、俺が障害にならなきゃいかんのですかッ?」
有栖「それは、お前が私を開花させてくれた理想の交際相手だからだ」
正軒「あの、いきなりノロケてくるの やめてくれます?」
彼としても対応に困る。
有栖「故に、我が同輩後輩にも、お前と同等あるいは それ以上の理想の相手と交際してほしい。そこで それを計る簡単な審査方法が、勝負というわけだ」
正軒「暴力で人間性を計んな!」
有栖「ウチの部員は、強さの水準を下げることなく恋愛を楽しむことができる。お前は、ややこしい しがらみなしに剣を振るうことができる、一石二鳥の妙案ではないか」
彼女の言っていた『いい考えがある』とは こういうことだったのか!
たしかにこれなら有栖の部活問題、正軒の剣術問題の双方を角なく解決することができる、のか?
副部長「ねえねえ有栖、ときにアンタの彼氏は どの程度強いの?」
副主将がこわごわ尋ねる。いまだ正軒の強さは広く知れ渡っておらず、彼女らは その奥底を知らない。
有栖は誇らしげに答えた。
有栖「私がまるで子供扱いだ」
副部長「ふざけんなァーーーーッッ!!」
今度は女子部員たちの絶叫が上がる。
副部長「ふざけてんのッ?アンタ マジふざけてんのッ?アンタは この部で最強じゃない、その最強のアンタが子供扱いなんて どんだけ強いのよッ?アレか、アバタもエクボの惚れたモン補正で最強扱いになってるのかッ?」
有栖「失敬な、剣道に関して私に妥協はないぞ」
有栖と副主将が言い争っている その時、剣道場にいきなり乱入者が現れた。
???「たのもぉーーッ!!」
それは白い道着に黒帯を締めた空手部員。
???「俺は空手部の部長だ、そこにいる武田正軒を倒せば有栖部長と付き合えると聞いてやってきた!」
正軒「もう来たッ!情報広まるの早ぇ!」
有栖「私が新聞部に頼んで全校に広めたからな」
副部長「しかも情報ゆがんで広まってるわよ!」
鼻息荒い空手部部長は、校内屈指の美女と付き合うチャンスということで、スケベ心を全開に、正軒目掛けて飛び掛る。
空手部部長「いくら強いといっても、帰宅部ごときが運動部の俺に勝てるもんか!三年間努力を重ねてきた俺の実りょぐべぼは………ッッ!!?」
全部言い終わる前に、空手部部長は撃沈した。
電光の速さで突き抜けた正軒の貫手、剣など使うまでもないとばかりに、相手のみぞおちに突き刺さった手刀は、哀れな空手部長のストマックを劇的な形に凹ませる。
空手部部長「げえええええ………ッ?」
人間のものとも思えない呻き声を上げて、そのまま ぐったりと轟沈した。
○正軒‐空手部部長●
3秒KO勝ち、決め手、貫手一本。
正軒「海王の名を返上して站椿(たんとう)からやりなおせ」
部員一同「つえぇぇーーーーーーーーーーーーッッ!!!」
女子部員から絶望的な悲鳴が上がる。
部員17「強い!強すぎですよ!こんなん勝てるかァーーッ!」
部員18「これに勝たないと交際認められないなんて どんだけチートなんですかッ?しかも私の彼氏 文化部なんですよ、ハナから無理です!ああ彼氏いるって言っちゃった!」
部員19「陰謀だァ!これは自分だけ幸せになろうとする有栖部長の陰謀だァ!」
次々上がる怨嗟の声。
確実にヒトから恨みを買っていることに、用心深い正軒はビビる。
正軒「………ねえ先輩、いいのコレ?俺 帰り道に後ろから刺されそうなんだけど」
有栖「いいんだ、恋人の強さを自慢できて私も鼻が高いぞ」
有栖は本当に誇らしげに言うのだった。
こうして、一つの部活と、一人の少女と、一人の男に些細な変化が訪れた。
この変化が いずれ彼らを どのよう姿にしていくのかは、今はまだ見当も付かない。
End
~あとがき~
オリジナル投稿小説『アリセミ』、これにて一巻のおしまいと相成ります。
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。楽しんでもらえたでしょうか、もしそうであれば これ以上の喜びはありません。
この作品は、自分が新しいものを書いてみたい、新しい試みをしてみたい、という欲望から出発しており、以前は恋姫†無双のSSを書かせてもらっていたのをテコに、『オリジナルのお話を不特定多数の人に見てもらう』という自身初めての試みに踏み切ったものです。
書き始めのころは「どうなることやら」と不安がったものですが、回が進むごとに支援ボタンを押してくれる方や、コメントを書いてくれる方など出てくれて、大変な励みになりました。
また作品そのものについては、『話の大筋に一貫性がない』『最後に盛り上がりに欠けた』など反省点もあり、勉強にもなりました。
そして こうした行為自体楽しくもあり、また機会があればやってみたいと息巻いています。そのときは、また読者の皆さんが楽しめるものが書ければ幸いです。
それでは、また何かの機会にお会いできることを祈りまして。
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これにて お仕舞い。
有栖の下した決断を、お見届けください。