No.116740

アリセミ 第十四話

 正軒の実家の問題は置いておくとして。
 武田正軒(たけだ せいけん)と山県有栖(やまがた ありす)が付き合いだしたという話題は二人の母校に知れ渡っていた。
 二人が恋人同士になって初めての朝、真偽を確かめるための野次馬が、校門に集合する!
 さながらワイドショーの熱愛発覚カップルとなった二人はどう切り抜ける?

2010-01-05 21:02:13 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:1406   閲覧ユーザー数:1289

 

 

 

 第十四話 新しい日常

 

 

 

 結局 あの後、真田清美は一人で帰っていった。

 有栖が送って行こうかと提案するが それも断り、現れたときと同じように忽然と去った。

 彼女は きっとその足で、宣言どおり正軒の実家へ向かったのであろう。そこで彼女が何を話し、いかなる結論が導き出されるのかは、有栖には想像するしか術がなかった。

 

有栖「……なあ正軒」

 

正軒「んあ?」

 

有栖「あの子は、…お前のことが好きだったぞ」

 

正軒「そうだな、でもアレが好きな俺ってのは、自分の作り出したカッコいい剣士の俺だ。だから本物の俺が それから外れたとき、無理やりにでも戻そうとした、自分の作り出した幻想にな」

 

有栖「正軒は、見ること言うこと鋭すぎる。自分に好意をもつ相手にぐらい優しく接せられんのか?」

 

正軒「なんだよー、先輩は俺が浮気してもいいってのかよー?」

 

有栖「いや、浮気とか いうことではなくてだな…」

 

正軒「ちなみに俺が浮気をしたら どーなりますか?」

 

有栖「折る」

 

正軒「先輩だけを見続けます!」

 

 正軒と有栖も、その後いいムードとなることはなく、結局 何事もないまま解散となった。

 正軒はボロいママチャリで、有栖を家まで送ってくれた。二人乗りで男の背中にしがみつくという初めての体験は、有栖にとって まんざらでもなかった。

 

 

              *

 

 

 一夜明けて登校風景。

 しかし山県有栖の足取りはなんとなく重い。清美から託された気持ちが重い。

 

 

 ―――清美『清美の代わりに正軒さまを剣の道に戻してください!』

 

 

 清美は あの後、本当に正軒の両親へ婚約解消を告げたのだろうか?その時に自分(有栖)のことも語られたのだろうか?もし語られたのだとしたら、どんな風に?

 自分にも及びもつかない何かに 巻き込まれていく感覚を、有栖は漠然と感じていた。

 自分の見えないところで何かが動いている。それは、たとえるならば さざ波一つない海岸の波打ち際に立ち、しかし遠からず そこへ大津波がやってくる。それがわかっているのに ただ漠然と立っている、何か他にやることがあるだろうに。そんな歯がゆい感覚だった。

 

 皆が正軒に、再び剣を握らせたがっている。

 

 清美も、正軒の父親も、正軒の才能を貴重なものとし、その開花を願っている。

 剣を取りたくない正軒の意志に、真っ向から衝突しようとしている。

 だがそれは生半なことではない。正軒は気まぐれやワガママで剣を捨てたわけではない。そこには余人に理解しがたいながらも確固たる信念がある。自信の才能を開花させたとしても、それは徒花であると正軒は知っているのだ。

 そして今、有栖にも そのことがなんとなく理解できる。

 そんな自分に正軒を説得することなどできるのか?

 正軒のジレンマを知りながら、『皆のために』などと したり顔で言えるのか?

 だとすると自分は清美の期待に応えられそうにない、しかし自分に縋り付く清美の悲痛さを思うと………!

 有栖の気持ちは重くなる。

 

正軒「………先輩、先輩」

 

 などと物思いにふけっていた その時、何者かに急に呼び止められて、振り向く。そこはまだ通学路の途上だった。

 が、不思議なことに振り向いてもそこには誰もいなかった。

 

有栖「?」

 

 おかしいな、と思う。

 空耳にしては やけにハッキリと聞こえてきた声だったし、しかもスゴイ聞き覚えのある人の……、

 

正軒「先輩、先輩」

 

 ホラやっぱり聞こえた。声はすれども姿は見えず。

 

正軒「せんぱーい、こっち、こっち…!」

 

 声に誘われて視線を下げてみると、そこには一つのダンボール箱が置かれていた。往来の真ん中にダンボール一つ、怪しいこと この上ない、が……。

 正軒は、まさに その中にいた。

 逆さまに地面に被せられたダンボールが、斜め20度ほどに傾き、その隙間から現れる知った顔。

 

有栖「……正軒、何をやってるんだ?」

 

 ダンボールの中にひそむ恋人へ当然の疑問を投げかける。

 正軒はダンボールの内側から、注意深く 周囲の気配を探ってから…、

 

正軒「……先輩、性欲をもてあます」

 

有栖「ホントに何を言ってるんだ?」

 

正軒「そうは言うがな先輩」

 

 正軒は完全に どっかの隠密行動部隊に成り果てていた。

 

有栖「え?何?隠れてるのか それ?そういう設定ッ!?」

 

正軒「イヤ、そう改めて聞かれると心がイタくなるんだが…。とにかく先輩、今 他の生徒に見つかるのは危険だ、先輩も早く隠れるんだ」

 

有栖「隠れるって何処へ?」

 

正軒「この中へ!」

 

 と正軒は自分の入っているダンボール箱を指し示すが、ちょっと待て。その路上に置かれた不自然極まりないダンボール箱の大きさは、縦横高さ45センチといったところ、とてもじゃないが人間が入れる大きさの箱ではない。そんな小箱の中に、もはや成人男性といっていい体格の正軒が入っている時点で『お前はエスパー伊藤か!』というべきところだが、その上に さらにもう一人 入れと?狂気の沙汰だ。

 

正軒「まあまあ、そう言わずに」

 

有栖「オイ、お前 何 私の手をとって……引きずり込まれるッ?いや!ちょっと待て、ちょっと待って!入んない、こんなの入んないから!ムリムリ、そんなムリヤリ入れようとしないで!」

 

正軒「大丈夫、痛いのは最初だけだから…」

 

有栖「………ウソ、入った?入っちゃった、こんなに狭いところに……!」

 

正軒「一気に行くよぉ…。先輩 力抜いてぇ………」

 

有栖「やだ、奥まで来ちゃう、スゴイそんな!うああああぅぅ……!」

 

 朝から異次元な展開であった。

 

 

          *

 

 

 そして二人がダンボールに潜んだまま到着した校門前には、鈴なりの人だかりができていた。もちろん皆 生徒たちで、登校時間だというのに校舎内に入らず屯している。しかし なんだか人のよく集まる学校である。

 

有栖「なんだアレは?」

 

 有栖がダンボールの内側から その様子を伺う。二人の存在は、箱の中に隠れているおかげで校門の生徒たちに気付かれていない。しかし それもどうなんだか。

 

正軒「アイツらは、皆 俺と先輩を待ってるんですヨー」

 

 有栖と(ダンボール内に)相乗りしている正軒が言う。

 

有栖「私たちを?どういうことだ?」

 

正軒「俺と先輩が付き合いだしたことが早くも広まったようで…。昨日グレートに写真撮らせちまったからな、少し調子に乗りすぎたか……」

 

 そういや そんなことがあった。調子に乗ってファインダーの前で肩まで組んだっけ、思い出すと顔から火が出そうな有栖だった。

 

正軒「おかげで事の真偽を確かめようと新聞部を筆頭に たくさんの人が待ち伏せ中と……。俺も学校に入ろうとするところで気付いてね、危うく見つかるところだった」

 

 それで通学路で有栖のことを待っていたというわけか。そうでなければ今頃 有栖は、何も知らず あの人の渦に入りこんで揉みくちゃにされていたろう。

 

正軒「さあ、気付かれないうちに校舎の中に入るよ~」

 

有栖「う、うむ……」

 

 本当なら『やましいこともないのに何故コソコソ隠れねばならん!』と言いたい有栖であるが、そうも言ってられない規模だ。

 有栖と正軒を収めたダンボール箱は、人知れぬままに群集と校門をすり抜けようとする。メタルギアのように隠密に、メタルスライムのように素早く、そしてヒートメタルのようにマキシマムドライブ………、

 

 

有栖「するなッッ!!!」

 

 

 有栖のMAX突っ込みに、周囲の野次馬生徒たちが反応する。

 

生徒1「今なんか大声が……」

 

生徒2「どこだ……?」

 

 しかし案外バレないものだった。

 地に伏すダンボール箱は生徒たちの目に留まらない。

 

正軒「(先輩ハシャぎすぎ、今は隠密行動中ですぞ……!)」

 

有栖「(お前が変なボケをかますから いかんのだろうが…!)」

 

 正軒は「ちぇー」と、オモチャのメタルシャフト(税込¥3,675)を懐に仕舞った。

 ……こんなの買ってるから食費がなくなるんじゃないのか?

 ともかく、こうして二人が無事 密入国を果たしたかに見えた、その時、野次馬の生徒たちの中から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 

新聞部「どういうことだグレート君、もうすぐHRが始まると言うのに山県主将も、男の方も姿を現さない!もしかして二人はもう学校に入ってしまったんじゃないか?」

 

グレート「慌ててはいけません編集長、タケちゃんは一筋縄ではいかない男です」

 

 正軒の友人、小山田暮人(おやまだ ぐれと)こと小山田グレートが新聞部に加担していた。

 

グレート「きっと この騒ぎに いち早く気付き、姿をくらませたのでしょう。一度決断したらタケちゃんの行動に手抜かりはありません。きっと我々の想像もつかない方法で、校内への侵入を果たそうとしているでしょう」

 

 まさにダンボールに入って侵入しようとしている最中であった。

 

新聞部「では どうするのかねッ?我々は、あの二人への独占取材の算段を立てるということで、君に5000円 前払いしているんだぞッ!」

 

 この野郎 友人を売りやがった。

 

グレート「ご心配めさるな編集長。ボクは武田正軒の親友です、彼を発見する必勝の策があります」

 

 そうしてグレートはケータイを取り出し、ピポパとダイヤルプッシュする。

 

 

 

 

 

 ―――――――♪メイド、ニーソ、パッド長♪メイド、ニーソ、パッド長♪(※注、着メロ)

 

 

 

 

正軒「あ゛」

 

グレート「そこだぁッ!この着メロの鳴り響く先にタケちゃんがいるぞぉ!」

 

 なんたる地味な作戦であろうか。

 正軒のポケットから漏れ出す着メロの音が、正軒の居場所を群衆に教える。

 

有栖「正軒のバカッ、なんで電源を切っておかなかったんだッ?」

 

 しかし もう遅い。

 もはやこれまで、とダンボールを脱ぎ捨て、力づくでの逃走を図ろうとする正軒たちであったが、そのときには雲霞のごとき群集たちに包囲完了されていた。

 

生徒3「ホントにいたッ!まさかこんなところにッ!」

 

生徒4「先輩ッ、なんでコソコソ隠れるんですかッ?その男とはどんな関係なんですかッ?」

 

女生徒「付き合ってるなんてウソですよねッ?アタシが先に告白しようと思ってたのにーッ!」

 

 校門は暴徒と化した生徒たちで騒然としている。

有栖「なんだッ?なんだッ?なんだッッ!!?」

 

 揉みくちゃにされて、ひたすら困惑する有栖。

 そしてその横で、

 

正軒「(グレート、あとで、泣かす)」

 

グレート「(まあまあ、あとで迷惑料として新聞部からせしめたギャランティーの30%を進呈しましょう)

 

正軒「(30?足りん、95%だ)」

 

 正軒は友人グレートと目まぐるしくアイコンタクトを交わしていた。

 

新聞部「諸君!諸君 静粛にッ!」

 

 無秩序に有栖らに迫る群衆を、制止する人がいた。メガネをかけた細身の男子生徒、新聞部員だった。

 

新聞部「えーと、すみません山県先輩。新聞部の者です、ここにいる全員を代表して、先輩に質問させてください」

 

有栖「…な、なんだ?」

 

新聞部「先輩が、そこにいる男子生徒と交際しているというのは本当の話ですかッ!?」

 

 そうだーッ!知りたいのは そこだーッ!ウソですよね先輩ーッ!とギャラリーが沸く。

 

有栖「――なッ?」

 

 有栖は顔を真っ赤にして、

 

有栖「何故そんなことを いちいち公表しなければならんッ?大体 男女交際など高校生なら誰でもしていることだろう?私一人に取り立てて注目する必要が何処にあるッ?」

 

 と叫び散らす。その横で、

 

グレート「(95ッ?ほぼ全額じゃない!キミは何処のジャイアンさッ!?)」

 

正軒「(うっせー、これから俺がこうむる被害を考えれば適正価格だッ!)」

 

 正軒はまだアイコンタクトで交渉中。

 有栖は有栖で新聞部との議論激化。

 

新聞部「普通の生徒ならば そうでしょう!しかし山県先輩は他の生徒とは注目度が違うのです!我々が先月発表した女生徒 人気ベスト10の記事を読んでいないんですかッ?」

 

有栖「読んでない」

 

新聞部「ガーンッ!地味に傷つくッ?」

 

 ウン、傷つくよね そういうこと。

 

新聞部「ともかく、先輩が所属する女子剣道部の『恋愛禁止』の件についても詳しくお話をいただきたい!今日中に号外として出しますので是非一言お願いします!」

 

生徒5「そうだーッ!真実を話せーッ!」

 

女生徒「先輩は男なんて嫌いですよね?そうだと言ってーッ!」

 

 ああもう なんなんだコイツら、ヒトがシリアスに悩んでいるっていうのにガヤガヤ騒がせやがって。

 付き合う?付き合わない?お前らにとって他人のことがそんなに気になるのか?

 これがワイドショーネタというヤツかッ?

 どうなんだッ?

 

有栖「あああーーーッ、もうッ!」

 

 有栖は絶叫を上げた。

 もー付き合ってられるか!こんなヤツらと!

 

有栖「正軒、こっち来いッ!」

 

正軒「だから80パーは絶対譲れねえッ!…て、先輩ナニ?ブッ?」

 

 有栖はいきなり正軒の頭部を両手で掴んだ、ヤシの実でももぎ取るように。

 そして その頭を自分の方へと引き寄せると、同時に自分の頭部も正軒のそれへ向けて突き出す。

 正軒の唇に、有栖の唇が重なった。

 

 

 

 

生徒一同「えええええぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~~ッ!!!???」

 

 

 

 場内騒然。

 なにせ皆の注目の下でのKissである。その予想外の、かつ刺激的な行為に、誰もが呆気に取られ視線を奪われた。中には卒倒する女生徒もいる。

 

 むちゅ~~~~~っと。

 

 有栖が正軒の唇を吸い、ぷはっと離す。

 

有栖「どうだッ、これが私たちの関係だッ!」

 

 有栖は自身の唇を拭いながら言った。何と大胆な。

 あまりのことに新聞部の人すら絶句している。

 

有栖「わかったら金輪際 何も聞くな。くだらん騒ぎは終わりにしろ」

 

新聞部「…………」

 

有栖「わかったかッ!?」

 

新聞部「…(コクコクッ)」

 

 圧倒される人々であった。

 それらのリアクションを見届け、満足した有栖は、

 

有栖「……これで一件落着だな、すまんな正軒、ことわりもなく恥ずかしい思いをさせて」

 

 予告もなしに唇を奪われる形となった正軒は、なんだかうつろな表情で有栖のことを見詰め返す。

 

有栖「…………?…正軒?」

 

 そして、ニヘラと笑い、次なる行動へ出た。

 がばり、と。

 有栖のことを抱きすくめる。

 

有栖「ん~~~~~~~~~~~~ッッ!!」

 

 お返しだとばかりに、今度は正軒から有栖の唇を奪った。

 しかも その奪い方が半端ではない。体格体力で勝っているのをいいことに、その両腕で有栖のことを抱きすくめると、力任せに自身の腕の中に捕らえて離さず、さながらクモが獲物を捕らえるかのように固定する。固定した上で、容赦なく、有栖の唇をむさぼる、というか捕食する。

 

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!?

 

 

 場内熱狂!

 それはもう情熱的なディープキス。

 これに比べれば さっきの有栖からのキスは子供のキスと言うべきほどに。舌が唇をこじ開け、有栖の口内に不法侵入する、領域侵犯する。体の方は正軒の平均以上の膂力で締め上げられて、胸元から爪先に至るまで一部の隙もなく密着。

 なんたることかッ!

 有栖は全身の骨が粉々になるような力で締め上げられ、その圧迫感が どこか快感に変わったりと大混乱。

 こんな物凄い口付けを、しかも衆人環視の下に、どうにかなってしまいそうだった。

 それだけではない、正軒は有栖の唇を奪ったまま彼女の体を押して押して、少しづつ斜めに傾けている。

 

生徒6「オイ、あれって…」

 

生徒7「やばくない?」

 

 有栖の体は押しに押され、ついには彼女の後頭部は、地上まで30センチと言うところに迫っていた。さながらフィギアスケートの男女ペアみたくなってきたが、だがヤヴァイ、このままでは有栖は押されるでは飽き足らず、押し倒される状態となってしまう。

 押し倒されたら どうなってしまうの?

 みんなが見守る中どうなってしまうの?

 

 ギャラリーたちが手に汗握る。

 

有栖「むむ~~~~~~~~~ッッ!!?」

 

 有栖はキスされながら涙目になった。これヤバイ、超ヤバイ。このまま地面に押し倒されたら奪われてしまう。今の正軒の勢いからして確実に そうなってしまう!

 自分の初めてが、こんなところで奪われるなんて絶対イヤ!

 ていうか、そうなったら どこのエロゲだッ?

 

生徒8「おおッ、有栖さんの背中が地面まで15センチ!」

 

生徒9「もう少しだ!行け~~~~ッ!!」

 

 なんか声援を送り出している生徒までいるッ?

 こうなったら、やるしかない!

 

有栖「おおりゃァ~~~~ッッ!!」

 

 火事場のクソ力もって裏投げで投げ飛ばす有栖。

 物凄い土俵際の攻防だ!

 もう一歩で貞操を失うところからの大逆転、この興奮の展開にギャラリーは騒然とする。

 

有栖「いい加減にしないか正軒!白昼の変質者になる気かッ!?」

 

正軒「いやァ、先輩があまりに刺激的なことをしたので、我を忘れてしまいました」

 

 投げ飛ばされても正軒は あまりダメージを受けていなかった。

 服に付いた砂をパンパンと払いつつ、何事もなかったかのように立ち上がる。

 この白熱の攻防戦に度肝を抜かれて、居合わせた生徒たちは一言も発せられない。

 

正軒「それでは、お後がよろしいようで」

 

 などと言い残して、正軒は そそくさと その場を立ち去ろうとする。

 

有栖「待て」

 

 その彼の服の裾を、有栖が引っ張った。

 有栖は、正軒に押し倒されかけたためにアヒル座りで地面に尻餅を付いていた。

 

正軒「先輩、どしたの?」

 

有栖「お前に あんなことさせられたせいで腰砕けになって立てない」

 

 有栖が涙声で言った。尻餅をついた体勢でなお、腰や尻や膝がプルプル震えている。

 

有栖「これじゃあ動けない、私の教室まで運べ」

 

正軒「運べって……」

 

有栖「私がこんなになったのは正軒のせいなんだから責任取れぇ」

 

 有栖は羞恥やらなんやらで今にも泣き出しそうだ。

 正軒は仕方ないなと頭を掻き、有栖のことをお姫様抱っこで抱き上げた。

 

生徒一同「お姫様抱っこッ!?」

 

 騒然。

 

正軒「それじゃあ今度こそ行きますか」

 

 正軒は人一人の重みなど露も感じさせず、スタスタと歩み去っていった。

 生徒たちは この成り行きに呆然として、結局正軒と有栖がいなくなるまで動くことができませんでしたとさ。

 

 

             *

 

 

 そしてここは三学年、有栖のクラス。

 有栖のクラスメイトにして女子剣道部副主将・山本知恵(やまもと ちえ)は、この朝 恐ろしいものを出迎えることとなった。

 お姫様抱っこである。

 

正軒「ちわー、荷物のお届けにあがりましたー。ハンコかサインをお願いしますー」

 

副部長「は、はあ…」

 

 カキカキ……。

 

正軒「はい確かにー、荷物は生モノですので お早めに召し上がりくださいー」

 

副部長「召し上がって いいのッ?」

 

有栖「いいわけあるかーッ!!」

 

 正軒の手によって教室まで運ばれた有栖は、なんとか朝のHRに間に合うことができたのだった。

 その後、正軒は速やかに自分のクラスへ直行。

 後に残った有栖たちは これでやっと一息つける。

 

副部長「しかしアンタたちもデキちゃうそばから飛ばすわねぇ」

 

 副主将の山本知恵は、有栖の すぐ後ろの席だ。

 

副部長「お姫様抱っこで同伴登校とか難易度高すぎるわよ?かつてないことよ?」

 

有栖「いや、こーなるまでには色々 事情があってだな……」

 

副部長「どーいう事情があれば あんな奇跡にまで辿り着けるのよ?何があったか言ってみなさい!」

 

有栖「…………」

 

 副主将から要求されるも、言えない。

 そこで語られるのは、公衆の面前で行われた熱烈なカルメンチューとか押し倒される寸前までいったとか、お姫様抱っこ以上の奇跡の数々であったからだ。

 

有栖「……………」

 

副部長「…まあいいけど、しっかりしなさいよね有栖。今日の朝錬だってサボるし、下級生に示しがつかないわよ」

 

有栖「?、私はもう部は辞めたはずだが?」

 

副部長「認めるわけないでしょうッ!アンタがいないと今年のインターハイ予選突破すら怪しいのよ!特待生のゆーなさんだって調子出ないし!」

 

有栖「今川が?」

 

 補足説明。

 今川ゆーな。女子剣道部の一年生で、部の『男女交際禁止』の廃止を巡って有栖と争った。

 

副部長「試合でアンタに負けてから ずっと心ここに非ずって雰囲気なのよ。部のツートップが揃って使い物にならないんじゃ全国なんて行けるわけないじゃない!」

 

有栖「まあ、がんばれ」

 

副部長「既に他人事かッ!?」

 

 元はといえば、女子剣道部に恋愛を解禁させたいがために打った手段が、ことごとく有栖や ゆーなを無力化させてしまったわけだから、副主将・山本知恵から見れば まさに策士 策におぼれるの巻。

 

有栖「男女交際禁止か……、そんなことでモメていた時期もあったな…」

 

副部長「遠い昔の出来事になってるッ!?」

 

 あたぼうよ。

 今の有栖は、そんなことに脳内のメモリを割く余裕はないのだ。

 

有栖「なあ山本……」

 

副部長「なによ?」

 

有栖「剣を辞めてしまったヤツに もう一回 剣を始めさせるには どうしたらいいのかな?」

 

副部長「それを私に聞くかッ?私の方が聞きたいわッ!!」

 

 何故か副主将は憤慨してしまった。

 まあ、それはよいとして、有栖の思考は再び あの問題へ立ち戻る。

 正軒や、清美や、剣のことだ。

 そもそも有栖自身は、清美や正軒父のように、正軒が剣に戻ることを強く望んでいるのだろうか。その辺から問い直していかなければ。

 自分は何を望むのか?

 正軒を剣士として復帰させることか?

 正軒とただ一緒にいることか?

 こうして正軒と恋人同士になって登校した今日、大変だったが、とても楽しかった。たぶんこの高校生活で一番印象に残る登校になったのではないだろうか。

 正軒と一緒にいるととても楽しい。それはもう確定事項だった。

 それが、もし正軒が剣を再開するとしたら、どう変わるのだろうか?

 そして有栖自身の剣に対する思いは?

 正軒と付き合うために あっさり剣を捨てた彼女であるが、本当にそれで悔いはないのか?

 正軒に出会うまで、自分とて大会に向けて努力を重ねてきた、その努力が無駄になって本当によいのか?

 

 

 身を引いた清美に託された願いによって、有栖もまた沢山の問題と向き合わなければならなかった。

 

           to be continued


 
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