海が遠くまで見えるからとか何とか言っているが、ここしか居場所がないのだろう、今日もリウヒは、いつもの所でぼんやりしている。
「キジ」
振り向いて嬉しそうな声を上げる。こっちまで嬉しくなっちゃうじゃねえか、とキジはほほ笑んだが、すぐに顔をしかめた。後ろからクロエの異様な目線が痛い。
ここ最近、キジとクロエとリウヒはよくつるむようになった。頭領もクロエだけだと警戒するが、キジが一緒だと何も言わない。いい親友をもったよなあ、とクロエの肩を叩いてやりたい気分だ。
「今日も叫んじゃう?」
おどけて言うと、リウヒは「今日はあまり大声だせない」と首をふった。
その白い首には、赤い線が入っていて思わず息を呑む。
何やっているんだよ、頭領。
「お前…、大丈夫か」
「うん、加減はされているから」
そういう問題じゃあねぇだろう。クロエも青い顔をしている。
「あのね」
リウヒは舳先にもたれかかって、遠くを見た。
「イヤッサイは意味不明だけど、ゴジョウはご豊穣って意味なんだって。元々は漁師の大漁祈願の掛け声だったらしい」
「へえ、リウヒは物知りだなあ」
感心したキジに
「昔、歴史の教師が教えてくれた」
とひっそりと笑った。その笑顔はなぜかとても悲しげで、キジの胸がキュンとなる。
ああ、そうか。
この娘は、男の保護欲と独占欲をそそるのだ。本人にその気がなくても。
細い体も、白い肌も、流れる藍色の長い髪も、儚げな風情も、背が低いことすら。
現にクロエは、恋しています全開で!って顔でリウヒを見ている。
頭領にいたっては、すでに狂っているのだろう。
そしてこのおれですら、ときめかせる。こんな女、好みなんかじゃないのに。
あの嵐の夜。
悲鳴が聞こえた瞬間、キジはやるべきことを放りだして、リウヒの元に駆け付けた。泣き叫ぶ少女を抱きしめた時、自分の中にすっぽりと収まった体に驚いた。
まるで、どこかに置き忘れた自分の半身が戻ってきたような錯覚に陥った。
そして離し難くなってしまった。だが、この娘は頭領のものだし、王さまだし、クロエの想い人だ。そう言いきかせて、無理やり離した。しばらく心臓の動悸は止まらなかったけれど。
…こらこら、何を考えている、おれ!
キジは一生懸命、クズハのアイカちゃんの顔を思い浮かべようとしたが、白くぼやけていてはっきり思い出せなかった。
遠くで頭領の声がする。リウヒを呼んでいる。
少女は立ちあがると、まっすぐ兄の元へ駆けていく。そのまま抱きあげられて、部屋の中へ消えた。
手に入らないと分かっているから、余計ほしくなるのだろうか。
横の馬鹿は、泣きそうです本当に!って顔をしている。
キジは振り切るように立ちあがって、伸びをした。
「さあて。お仕事、お仕事」
ふざけていうと、親友の腕を引きずって歩き出した。
****
腕を組んで報告書を呼んでいたカグラは男の声に顔を上げた。
「左将軍さま」
ジャコウがかしこまった顔で礼をした。
宮廷海軍の司令部は、スザクの港の外れにある。笑ってしまうほどお粗末な建物に、カグラは最初、愕然とした。なんだ、この掘立小屋は、海賊の一軒家の方が数倍マシじゃないか。修繕工事が終わったら、予算を存分にふんだくってやると決意したものだ。
「イデアの付近に、例の船が出没したそうです」
ジャコウの報告に、部屋にいた全員に緊張が走った。
「詳しく」
机上に地図を広げる。
「クズハを発った奴らは、この付近をうろついた挙句、商船を二つほど襲っています」
カグラは頷く。
「普通、その後どこかの陸地に降りるはずなんです。物を金に換えなければいけませんから」
「ところが、警戒して未だ海上をうろついている」
「陛下は間違いなく乗っていますね」
可哀そうな陛下、とカグラはため息をつく。ティエンランの為を思って海賊と民を率いた少女が、今や血を分けた兄に囚われてその海賊たちと一緒にいる。どんなにおびえて怖い思いをしていることやら。と切なげな声でひとりごちる。
部屋の中にいた全員の目の色が変わってきた。
リウヒは、国民に愛されている。なんたって、自分たちのために立ちあがってくれた王なのだ。娘を王位に付けたという自負もある。宮廷の兵士たちはその事に誇りを持っている。
さらにいえば、海軍と宮廷兵軍はお互い対抗意識もある。兵軍ははっきり海軍を見下していたし、海軍は兵軍に劣等感を持っていた。その兵軍を見返す機会でもある。
「白将軍さま、必ずや陛下をとりもどしましょう!」
「この命に代えても!」
うおう!と気概が上がる。それを聞きながらカグラはほくそ笑んだ。
同じ内容の事を、今まで何度もわざとらしく呟いた。その度に無気力な海軍は志気が上がってきている。力が及ばなくても勢いと気概が上回れば、勝てる可能性がある事実をカグラはセイリュウヶ原で学んだ。まあ、あれはほとんどシラギの功績だったけれど。
作戦をもう一度確認し、出港の準備を命じた。
「陛下を救えるのは我々しかいない。それを肝に銘じ命がけで任務にあたれ」
男たちは鼻息荒く部屋を飛び出していった。
****
部屋の中、夕餉にて。かっきり兄を見据えてリウヒが声を上げた。
「兄さま、わたし、みんなのお手伝いをしたい」
アナンは驚き、茶碗を落とした。
「旅をしている時、仕事をしないものは飯を食うなと教えられた。わたしは今、何もしなくてぼんやりしているだけだ。だから、どんなことでもいいから、仕事がしたい」
「それはいい心がけだが…」
兄は眉を顰めた。
「狼の中に羊を一匹放つようなものだ。駄目だよ。危険すぎる」
「兄さまのケチ」
不満そうに鼻を鳴らす。
「リウヒは働かなくていい。ただわたしの横にいればいいんだ」
「でも、兄さまの仕事の時は、一人でほっておかれるもの。そんなの…」
暇で仕方がない、と続けそうになって、慌てた。
「…淋しくて仕方がない」
上目づかいで兄を見る。案の定、アナンは相好をくずした。
「ねえ、兄さま。お願い」
正直、飽いてきたのだ。舳先でぼーっとする事も、この部屋に閉じ込められるのも。
船の生活に慣れてきた証拠だった。兄の傍にいるのが怖くなってきたのもある。
最近、兄はおかしい。横にいればいいという。大人しく横にいるのに、なぜわたしを見ないと、首を絞めたり髪を引っ張ったり暴力を振るう。リウヒが泣いて悲鳴をあげると、今度は許してくれと抱きしめて謝るのだ。
そして何よりキジの近くにもっといたい。あの海賊たちの中で、キジは自分のお守役みたいになっている事をリウヒは知っていた。
小さな猪口の酒をあおると、椅子をおりて、兄へと歩く。
世界は回転している。まるで自分を勇気づけるかのように。
「兄さま…」
アナンの椅子に膝をつき、正面からじっと見つめた。
「お願い」
その両手を取って握りしめる。アナンはため息をついて、リウヒを抱きしめた。
「やれやれ、可愛い妹のお願いだ。ただし、何かあったら必ずわたしに言うんだよ」
****
「で、何しに来たんだ」
意気揚々と、大部屋に降りてきたリウヒにキジは呆れた声を出した。
「手伝いに来た」
「なんの」
「なんか」
やることがあるなら言ってくれ、何でもする。と笑う少女に仲間たちは怯えている。この妹に万一のことがあったら、頭領が怒り狂うのは目に見えている。
お相手できるのはキジとクロエしかいなかった。
「あー、うん。じゃあ、食器洗いでもしてもらおうかな」
「分かった」
「おれも手伝う」
「お前、今から見張り番だろ」
鼻を膨らまして立候補するクロエを追い出して、リウヒを台所に連れて行く。
うず高く積れている食器、何が入っているのか分からない鍋、いたるところにこびりついている野菜や干し肉の屑、侵入者に慌てふためくネズミ。
「これは…あまりにもすごいな」
当てられたように少女は口を開けた。
「一緒にやろうか、どうせおれ暇だし」
キジが言うと
「うんっ」
リウヒが嬉しそうに笑う。
思わずその頭をグリグリと撫でてしまった。少女はさらに嬉しそうに笑い声をたてる。
二人は早速作業に取り掛かった。
リウヒは意外に手際よく洗ってゆく。それをキジが拭いて直してゆく。
「おぬし、やるな?さては王というのは仮の姿だろう」
「ふふふ、よくぞ見破った。わたしの正体はそこにいるネズミだ」
「…それ、全然ちっとも全く面白くない」
「えー」
声をあげて笑う。
「しかし、本当にお前、王さまか?王さまってなんでも家来がやってくれるんじゃないの?」
「宮廷にいる時はやってくれたけど、外で旅している時は、働いたから。えっと、働かざる者食うべからずって言われて」
「いい言葉だな」
「わたしもそう思う。だから、いろんな仕事をした」
「どんな?」
港の荷揚げ、巻き割り、刺繍、店番、木の実取り、畑の収穫。
指を数えながらリウヒがあげてゆく。聞きながら、キジは目を白黒させた。
ねえ、この子本当に国王陛下?
そうこうしている内に、食器はきれいに片付いた。
「ついでにここも掃除してしまおうか」
油やカスがついた辺りを見渡して言う。しゃがんだ瞬間、リウヒの髪がサラサラと落ちた。
うっとおしそうに後ろにやってもなんどもこぼれおちてゆく。
「髪、括った方がいいぞ」
キジが、懐から紐をとりだすと、リウヒは背をむけた。括れということなのだろう。
こういうところは王さまだよな、と内心苦笑する。
その髪を梳くと、えもいわれぬ快感が流れた。おいおい、たかが髪の毛だぞ。
しかし、それはしっとりと手に絡みついて流れてゆく。
ずっとこのまま、触っていたいような。恋人の髪に口づけをする愛情表現があるが、なんとなく分かる気がした。
一房とって、自分の唇にゆっくり運ぶ。目を閉じようとした瞬間、
「キジ?」
名前を呼ばれて、現実に戻った。お前の髪は何か括りにくい、と軽口でごまかしながら、小さなため息をついた。
****
「今日は何をしていたんだい」
「食器をあらって、台所をかたづけた」
得意げに言う妹の額に唇をつける。まるでままごとのように可愛いといえば怒るだろうか。
「明日もしたい。いいでしょう?」
嬉しそうに言うリウヒだが、アナンは心配で堪らない。飢えた男たちの中に大切な妹を入れるのは嫌だった。
「でも、みんなとても親切だし、楽しいもの」
ねえ、お願い。兄さま。手を合わせて、自分を覗き込む。
「キジは、まあいいとしてクロエが…」
「二人ともわたしの友達なのに」
友達。アナンは友達という概念がよく分からない。
常に自分は上に立つ身だった。宮廷時代は父である国王がいたし、海に来てからは先代がいたが、どちらにしても次を受け継ぐ人間として育てられた。以外は、臣下であり部下であり他人だった。自分の母親や弟でさえも。対等といえる人物はいなかったし、必要なかった。
友達、ね。
それは目の前で、黒い目で見つめてくる妹にとって、とても大切なものらしい。
仕方がない。愛する妹のお願いだ。アナンはため息をついて、不承不承許可をだした。
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ティエンランシリーズ第二巻。
兄に浚われた国王リウヒと海賊の青年の恋物語。
「で、何しに来たんだ」
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