「お前って本当に不器用だな」
その言葉にリウヒは、ムッとしたようにキジを睨んだ。
「そんな事はない」
「あるよ!滅茶苦茶あるよ!原型留めていないじゃねえか、これ!」
リウヒの手から奪った衣を広げる。
「空いた穴を繕うだけなのに、何でこんなにぐしゃぐしゃになるんだ。袖まで縫うんだお前は!」
「あれ?」
「あれ、じゃねえよ。あーあー。ハルさん、泣くぞ」
「そこまでいったら、ある種の天才だな」
「えっ?そうか?」
「クロエ、変に褒めるな。そしてリウヒ!得意げに鼻ふくらますんじゃねえ!」
ああ、もう馬鹿二人!とキジは頭をかきむしった。
ちょくちょく大部屋へ「なんか手伝いに来た」リウヒは、みなに紛れて色んな雑用をするようになった。最初は怯えて怖がっていた仲間たちも、慣れてきたらしい。嬢ちゃん、嬢ちゃんと気さくに声をかける。
それでも、やっぱりお相手をしているのは、キジとクロエだった。
リウヒは、ほとんどそつなくこなしたが、料理と裁縫だけは壊滅的に下手糞だった。
少女がつくった夕餉を食した仲間たちは、一口食べた瞬間、あまりの不味さに吐いた。それでも必死になって食べた健気な数人の男たちは蕁麻疹で数日間苦しみ、のたうちまわった。勿論、クロエもその内の一人だ。
飯を握らせれば、米粒は可哀そうなご飯へと変貌する。
汁物をつくらせれば、鍋の中はどす黒い不気味な液体に変化する。
「おかしいな、なんでだろう」
「おれが聞きたいわ!」
裁縫はなぜか真っ直ぐ縫えない。糸を強く引っ張るのか、布が攣れて波うっている。しょっちゅう自分の指をさして、手を痛そうに振っている。しかも縫わなくていいところまで縫って、衣を台無しにする。
「おお、嬢ちゃんが、おいらのんぬってくれたんか。何か悪いなあ」
歯が三本抜けた男、ハルさんが嬉しそうにやってきた。
「ハ、ハルさん、ごめん。こんなんなっちゃった…」
「ああっ!ハルさん、泣かないで!」
「糸を切れば、何とかなるから!」
「お前が悪い!」
「リウヒは悪くない!悪いのはおれだ」
「クロエは関係ないだろう。多分、この針が悪いんだ!」
「馬鹿!馬鹿二人!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいる三人と、よほど気に入っていた衣だったのだろうか鼻水をたらして、泣いている男の横を、仲間たちが水を運んでいた。
「あれは何をやっているんだ?」
リウヒが不思議そうに聞いてくる。
「明日、甲板の大掃除をやるんだよ。その準備」
ハルさんお気に入りの衣の糸を切りながら、キジはぶっすり答えてからハッとした。
案の定リウヒは嬉しそうな顔で、水を運ぶ男たちを見ている。
やっぱり来たか。
キージー!と甲板で水を撒いているキジに、リウヒが満開の笑顔で走り寄る。
嬉しさ八割、諦め二割、そしてクロエの突き刺さるような視線を感じながら、ため息をついた。
「わたしもやる。何をしたらいい?」
「取りあえず沓ぬいで。水撒いて」
水を撒いてから平帚(ほうき)で磨いていくのだ。辺りには仲間たちが平帚で掃いている。
手借と手桶を渡しキジは離れた。遠くから少女を観察する。
リウヒは大人しく、作業をはじめたが裾が邪魔なのだろう。おたおたし始めた。
キジたちの衣は、粗末な綿でいくら汚れてもちっとも構わないものだし、みな下衣を巻くって裾を端折ったり、からげたりして働いている。片やリウヒは毎日、上等なものを着ている。頭領が大切な妹の為に、陸で購入したものや商船から奪った美しい衣を纏っていた。
今日も薄い空色の衣に、茶色の帯を締めている。
女衣はどの国でも踝の辺りまで裾がある。農作業時はともかくとして、その先を見ることができるのは、閨を共にする時ぐらいだ。
どうするんだろうな、あいつ。
リウヒは首をめぐらして周りの男たちを見、ふんふんと納得したように頷くと、おもむろに両手で裾を持ち上げた。白い肌が膝上まで出現し、あまりのなまめかしさにキジは吹いてしまった。男たちも唖然として見とれている。クロエが鼻血を出した。
両裾を結び帯の中にいれた本人は、呑気に鼻歌を歌いながら水を撒いてゆく。
「アホかー!」
猛然と駆けよって、リウヒの藍色の頭をはたいた。ぽすんと音がした。
「キジ?」
「なんて恰好してるんだ!早く戻せ戻せ!」
「なんで?みんな同じ格好しているのに」
「お前は女だろう!恥じらいってもんがないのか!」
その言葉にリウヒはカチンときたようだ。
「キジもシラギと同じ事をいう。慎みがないとか恥じらいがないとか!」
ああ、シラギさんとやら。おれ、あんたを知らねえが苦労してんだろうなあ。同情するぜ。
「とにかく戻せよ。目の毒だ」
「なにおう!」
いきなり水がかかった。驚き口を開けて、顔から水滴を滴り落とすキジに、リウヒが馬鹿にしたように言う。
「水も滴るいい男。なーんて」
ケラケラと笑うその顔めがけて、水をぶっかけた。呆然としているリウヒをみて鼻で笑う。
「お返しだ」
「やったな!」
身をひるがえして逃げるキジをリウヒは柄杓を振り回して追いかける。キジも逃げつつ応戦する。突如始まった二人の水かけ合戦に、仲間たちは呆気にとられて見ていたが、面白がって観戦しだした。声を飛ばして大笑いしている。クロエだけが狼狽していた。
「二人とも、いい加減にしろよ!これも仕事…!」
そのクロエに、二方向から同時に水飛沫がかかった。
「お前は、本当に真面目な男だなあ。そう思いませんか、リウヒさん?」
キジがニヤニヤしながら、柄杓を振る。
「ええ、わたしもそう思いますわ、キジさん。尊敬しちゃう」
リウヒが嫌らしく笑いながら、柄杓をクルクル回す。
「この…この…!」
肩を震わせている男の手に、桶と柄杓が渡された。
「いけ!クロエ!」
「その怒りと悲しみを、あいつらにぶつけるんだ!」
仲間の無責任な煽りと、桶、柄杓をがっしと受け取ったクロエが叫ぶ。
「この馬鹿二人ー!」
キャーキャー喚きながら、逃げるリウヒとキジめがけて走りだす。海賊たちは、大爆笑して見物している。野次も次々飛んできた。
リウヒのひと際楽しそうな悲鳴が、船上に響いた。
****
妹の悲鳴が聞こえる。
アナンは後甲板で、幹部の男たちと話をしていたが、慌てて走り寄って甲板を見た。
そして思わず、あんぐりと口を開いた。
男たちが見物する中、妹と二人の男が水を掛け合いながら、はしゃいでいる。しかも愛する妹は、裾をまくってあられもない恰好だ。白い足が、踊るように甲板を駆けまわっていた。
大声を上げながら、楽しそうに笑うその姿に一瞬見とれたのち、腹の底から怒りが沸いた。
自分には見せたことのない表情。自分には聞かせたことのない声。
それを惜しげもなく披露している。あのキジとクロエと部下たちに。
「馬鹿、こら、やめろって…ぎゃー!」
リウヒがクロエをはがいじめにして、キジがその頭に水をゆっくりかけた。妹の細い足に、男の足が絡まっている。素肌で。
「そこの三人!」
遊んでいた三人は、跳ねるように飛び上った。部下たちはそそくさと掃除を始める。
手を招くと、お前のせいだ、キジが悪い、おれは注意したのに、と小声でお互いを責めながらうなだれてやってきた。
「遊んでいないで、きちんと掃除をしなさい。これも仕事だよ」
「すみません」
「ごめんなさい」
三人は揃って頭を下げた。
甲板に戻るように、と男二人を返すと、リウヒも後に続こうとする。
「お前はこちらにおいで」
「えっ…でも…」
戸惑う妹の手をひっぱって、部屋の扉を開ける。
「でも、兄さま、わたし、みんなのお手伝いを…」
「それはもう禁止だ」
そんな。目を見開いて、自分を見つめる瞳は、黒真珠のようだ。
「当たり前じゃないか、こんな恰好をして、わたしが心配すると思わないのかい」
「だって、みんな同じ格好を…」
アナンは深いため息をついた。無頓着にもほどがある。もう、あの部下たちの中には金輪際入れるものか。
「手伝いはもうするな。大部屋にも降りるな。いいね」
「そんな兄さま、お願い。二度とこんな恰好はしないから」
縋るように抱きついてくる。水に濡れたその体はひんやりと冷たかった。衣が素肌に張り付いて艶めかしく見える。この姿を男たちは見たのだ。怒りは瞬間的に頂点に達した。
「わたしの言うことが聞けないのか!」
勢いのまま頬を打つと、リウヒは音をたてて転げた。打たれた場所を押さえながら、恐怖に目を見開いている。妹の怯えた姿を見て、怒りは一気に後悔へと変わった。
いつもそうだ。自分の感情をうまく制御できない。リウヒに関しては。
「ああ、リウヒ。すまなかった、わたしを許してくれ。食器を下げることだけは許可しよう」
近寄ると逃げるように後ずさりする。再び後悔から怒りへと変貌する。わたしは悪くない、この妹が悪いのだ。謝っているのに、なぜ怖がる。白い首へと手が伸びた。
部屋に漂う静寂は、その内苦しそうな呻き声と嗚咽に取って変わられた。
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ティエンランシリーズ第二巻。
兄に浚われた国王リウヒと海賊の青年の恋物語。
「アホかー!」
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