呂北伝~真紅の旗に集う者~ 第048話「会食」
洛陽、皇帝府にて。玉座に鎮座する皇帝のその前にて、西園八校尉の授与・受任式が行われた。
上軍校尉・丁原。西園八校尉の長たる上軍高尉。屯騎校尉の位を賜り、皇帝近衛兵団である禁軍を指揮し、その手腕を持って最悪より守り切る。
中軍校尉・袁紹。丁原の昇格にあたり、中郎将の任を譲位され、虎賁中郎将の位を賜る。
下軍校尉・趙忠。小黄門の位を賜る。少府の属官であり、皇帝の側近として伝達などに関する事を職務とし、宦官が担当した。霊帝の寵愛を受け彼女の側近の一人が送り込まれる異例のことだ。
典軍校尉・曹操。光禄勲の属官で、郎官の中では地位が高い『議郎』を賜る。朝廷での政策進言等を管轄役目も担っており、汚職の管轄も担っている。
助軍左校尉・皇甫嵩。車騎将軍の位を賜る。主に反乱征伐を掌り、兵を指揮する役割を持つが、今回の人事による意味は、漢に仇名す者の盗伐を兼ねている。
助軍右校尉・董君雅。長年の漢に対する貢献、治める国の立地、黄巾盗伐による功績で西園八校尉の一人に加えられるが、病床に伏している為に授与式に参加出来ず、官職贈呈は見送られる。
左校尉・呂北。諫議大夫の任を賜る。政治の得失を論じ、天子をいさめるのを任務とした。曹操の議郎とは違い、外から見た朝廷での政策進言等の役割を持つ。西園八校尉の末席。
右校尉・空席
彼らそれぞれの任命終えると、霊帝はただ一言「王朝の為、良きに計らえ」と発し、そのまま玉座の間を後にする。
その後、玉座の間ではささやかながら式典後の祝い席が設けられ、出された料理に舌鼓ながらそれぞれの議論を重ねている。
「......納得できませんわ。何故ワタクシが次席なのですか」
袁紹はゆっくりと盃に入った酒を飲みながら、田豊に酌をさせていた。
「呂北さんは言っていましたわ。ワタクシが筆頭として皆をまとめるようにと...。それが名門袁家の長たるワタクシの役割だと」
酒が入った影響か、少し目頭が熱くなったのか、ほんのり頬を染める袁紹を田豊が窘める。
「麗羽様、強いてはことを仕損じます。今は一つ一つ役割をこなし、皇帝陛下の信頼を勝ち取っていき、最後には大将軍の地位まで手に入れれば良いのです」
「だっ⁉......
普段は所かまわず、自らが名門袁家の長として名を振りかざす袁紹であったが、長としての教育を受けていたのは本物で、時と場合、場所の察しは付いていた。
「麗羽様、この西園八校尉の人選。既に戦は始まっています」
田豊はそう小声で耳打ちすると、艶美煌びやかな扇子を取り出して口元を隠し、互いに小声で会話を繰り返す。
「どういうことですの?」
「まず西園八校尉ですが、急事が起これば何進将軍指揮下の下、あらゆる最悪から陛下をお守りする役目を担っています。それはご理解頂けますね」
その言葉に袁紹は頷きで返す。
「陛下から最大限の寵愛を受ける何太后の恩恵にて、その姉何進将軍は今後もその権威を増すことでしょう。しかし今回の西園八校尉自体が、その何進将軍権威助長の歯止めを効かせる役目も担っているのです」
そう聞き、袁紹は田豊に酒を注いでやると、彼女はそのまま世間話でもするかのような自然の流れで酒を受け取る。これらの動作は全て宴席での密告などを隠すためのフェイクでもある。
「まず筆頭格の丁原殿。彼の者は朝廷の事情に明るく、宦官筆頭の張譲殿とも根深い繋がりを作っています。それに加え、我が兄弟子は彼の養子です。末端から情報は兄弟子が管轄するでしょう」
「な⁉ということは、呂北さんはワタクシとの約束など最初から――」
「いえ、それはないでしょう。兄弟子が袁家という人脈と繋がりを持ちたいのは本当でしょう。これは私の予測になりますが、丁原殿は老齢です。彼が倒れれば時期長は麗羽様。だから今のうちに繋がりを持っておきたいというのは嘘ではない筈です」
その田豊の言葉に、袁紹は胸を撫でおろして扇子を再び仰ぎ始める。
「では何故丁原さん達が何進さんの抑えになるのかしら?」
「今回、急遽任じられた趙忠殿です。あの人は兄弟子とも親交があり、陛下のお付きです。その繋がりにて何進将軍が助長しない様に監視する役目も担っているのでしょう。何かあれば趙忠殿を通じて兄弟子に。兄弟子から丁原殿に。…っという役割です」
「なるほど。では華琳さんや皇甫嵩さん、董君雅さんはどういった役割ですの?」
「曹操殿は汚職の掃討。何進将軍への金の流れを止める為でしょうね。皇甫嵩殿はその実直さ故でしょう。黄巾盗伐の折には洛陽に近づく黄巾軍を撃滅したそうですし、董君雅殿は長年の献身と、現在彼の者の代行として天水を治めている董卓殿の名声もあるのでしょうね」
そう聞き、袁紹は判ったかの様に頷くが、実を言うと情報が多すぎて脳内に集積出来ず、頭から湯気が出ていたのだが、田豊は一つ口角を上げて彼女に囁く。
「麗羽様、何も心配はいりません。全て私にお任せ下さい」
自身に満ちたいつもと違った田豊の言葉に、思わず彼女は田豊を見返す。
「何進将軍は我が兄弟子に懸想しています。存外早く篭絡出来ると思います。身近に思い人がいるのです。将軍は脇目も振らずに兄弟子を振り向かせようと躍起になるでしょう。そんな状況を見逃す丁原殿や兄弟子ではありません。何進将軍が追われれば丁原殿が。丁原殿が倒れれば麗羽様が......そうなれば全てはこの掌の中です」
数日前に、何処かスッキリし、顔が艶やかになってから、彼女はあからさまに変わった。
常日頃から起こしていた腹痛は収まり、自信に溢れ、そんな彼女に引っ張られてか、袁紹も率先して不思議と仕事を行なう様になった。
自ら率先して仕事を行なおうとする袁紹に対し、顔良と文醜は矢でも振らないか心配になっていたが、鬼気迫る思いで仕事をこなす田豊を見れば、袁紹も自身の仕事の全てを奪われるのではないだろうかと不安になり、いつの間にか体が勝手に動いていたのだ。サボることは嫌いではないが、一切仕事が無い生活も退屈な物で、程よくサボるぐらいがちょうど良いのだ。
そんな彼女の姿を見て、誰よりも驚いていたのは
「真直さん......なんていうか、その...頼もしくなりましたわね」
「いいえぇ。そんなことないですよぉ」
頬に手を当て、顔を赤らめる田豊は、あの時の様に艶やかな顔をしていた。
そんな彼女であるが、実のところ最近朝帰りが多くなった気がするのだ。
先日、呂北邸に滞在させてもらった折の礼を呂北に言いに行った際に、出会った時より何処か痩せたような呂北と、茶会に招いてもらい再び出会った日の呂北、そして今日出会った時の呂北とそれぞれ見比べると、何故か彼は徐々に痩せていっており、その分田豊は艶やかさが増していた。
「うふふふふ♪」
幸せそうに見えて、何処か狂気じみた思いも感じる真直に、袁紹は戦慄を覚えるのであった。
「ふ、ふぇへあっ」
「......一刀さん、どうしたのですの?」
「い、いや、何か悪寒が...」
そっと一刀の方に視線を送った真直の事を察してか、彼は身震いする。
「貴方に風邪を召されても困りますしね、熱い茶でも用意させましょうか?」
「......そうだな。では一杯いただこうかな」
「承知しました」
そういって一刀の相手をしている長い青髪の女性が立ち上がる。
彼女の名は趙忠。真名を
彼とは洛陽の私塾時代での仲であり、一刀に”悪い遊び”を教えた内の一人でもある。皇帝に仕える宦官である十常侍の一人で、その次席にて宦官代表として送られてきた。
やがて熱い茶の入った急須を持って来て、湯呑みに注ぎ一刀の前に差し出すと、彼は小さく音を立てて飲みだす。
「......貴方、ここは宮廷内なのですよ?毒の恐れはないのですの?」
「それはない」
「どうして?」
「お前が今ここで俺を毒殺してなんの得がある?誰が陛下をお守りする?誰がお前の諜報部隊の管轄を行なう?お前に俺を毒殺できる度胸があるのであれば、とっくに行なっているだろう?」
その言葉を聞くと、黄はしな垂れる様に一刀の肩に頭を置く。
「流石ですわぁ。流石ワタクシの初めてのあいt「こんな席ではやめろ。何処に目があるかわかったもんじゃない」――ぶぅ」
倒れて来る黄に対し、一刀は顔面を抑えて彼女を押し返し、黄も頬を少し膨らませ満足そうに小さく笑う。
傍から見れば黄が一刀を公衆の面前で篭絡しようとしての行動に見えるのだが、それが二人の狙いでもある。
この様な行動を見て、周りも含め、特に気にする人物がこの場にいるのだから。
「それより、以前旅商人よりこんな絵を買ったのだが、お前はこれを見てどう思う」
懐より取り出された巻物を拡げると、夕焼け空と、逆さに吊るされた
「そうですね。ワタクシでありましたら、風が吹いている感じを取り入れまして、舞い散る草や木の葉を周りに描きますわね」
「なるほど。お前にこの絵をやるから、ちょっと自分なりに描いて見てくれないか?そしたらまた見せてくれ」
「わかりましたわ。絵の代金は宜しくて?」
「構わない。また俺は俺で新しいこの絵に変わる物を作るさ」
そう言いながら二人は絵についての談笑で盛り上がる。
実を言うと彼らが話しているのは隠語である。
逆さの瓜で『りう』。発音を変えて『劉』。黒い布は盗賊を表しており、熟した果実は権力。言うなれば宮中での権力闘争に今後皇帝自身も巻き込まれる可能性が示唆される。その後の会話を訳すと、趙忠も宮中に自身の草を巻いて監視をしておく。だが呂北も心配している。近衛を使い思い通りにやってみろと語っている。代価を聞かれると呂北は断る。しかし今後宮中内には近衛に変わる自身の勢力を作成する。......っということを彼らはこの少ないやり取りで情報を交わしていた。
ちなみにこの絵も一刀が描き持参した物で、このやり取りの為だけに作成したのだ。
絵心がわかる物でも彼らの意図を読み取ることは出来ない。宮中に詳しく、交流があり、互いの意図を読み取ることの出来る者同士だからこそ出来る暗号なのだ。
現に彼らが敢えて真名で呼び合うのもそういった意図があってこそだ。政治的な関係ではなく、あくまで私的に話すことで”世間話をしている”風を装う為でもあった。
「それじゃあ一刀、また今度」
そう言って趙忠は去ってゆく。彼女が去ってゆくと、それを見計らったかの様に曹操が酒を片手に呂北に近づく。
「随分と宦官様と仲が宜しいことですわね。呂北殿」
そう酒を注ぐ曹操であったが、彼は頭を掻きむしる。
「勘弁してくれ。今日は政治的な駆け引きなんか無視してゆっくりしたいのに――」
「そんな甘えが許される立場ではないでしょうに」
曹操は微笑みながら一刀の前に座る。
「......彼女は?」
曹操の後ろに控える猫耳フードの少女を見て、呂北は問いかける。
「あら、もう目を付けたのかしら?相変わらず手が早いのね」
「挑発するならまた今度にしてくれ。昨晩も遅くてこの退屈な席を早く切り上げて休みたいんだ」
「それは失敬。私の軍師よ。
クリーム色のショートヘアー。猫耳を象った特徴的な淡黄色のフード。そのフードに合わせた淡黄色のシャツを着て、その上に薄紫のコート。下は黒のハーフパンツの少女は、形式に乗っ取った様に正座をして、深々とお辞儀をする。
「姓は荀、名を彧、字を文若と申します。呂北様のご高名は度々伺っております」
「これはご丁寧に。呂戯郷と申します」
返す刀で呂北もお辞儀を返し、未だ頭を下げている荀彧に頭を上げる様に促す。
そっと顔を上げる荀彧だが、上げた瞬間眼前に呂北の顔があり、一瞬男性特有の汗で咽そうになる。
実を言うと彼女は極度の男性嫌いであり、半径1mに近寄られるだけでも嫌悪感を催す。主である曹操の命と、仕事として呂北に挨拶しに来たが、彼女個人としては目にも入れたくは無かった。
しかし眼前まで近づいた呂北の眼光は決して彼女を離さなかった。爛々と目を光らせた彼の全てを見通すその目が、慎重に彼女を品定めし、荀彧はそのエメラルドグリーンの瞳を瞬きも忘れ逸らすことが出来なかった。ただ、嫌悪感を催したのは、男性嫌いによる生理現象だ。
呂北は位置的に隣にいる曹操に振り向き、彼女に話しかける。
「......華琳、お前の陣営はどれ程化け物を飼っているんだ?」
化け物呼ばわりされたに飽き足らず、愛しの主の真名を男が呼んだことに、荀彧は声を引きずり罵倒が飛び出て来そうになるが、よく見ると主である曹操は薄目で微笑み、あたかも逆に呂北の度肝を抜いてやったかの様であった。
「うちの子の才能を瞬時に見抜くとは、本当に貴方の眼力には脱帽するわね。一刀」
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どうも皆さまこんにち"は"。
前回は怒涛の閨回となりました。
孫策と周瑜の『断金の交わり』のように、一刀と真直は国を跨いでの『断金』です。
いつか彼らが共に政務を掌握して、国を操る様になれるのでしょうか?
それはまたいずれ。
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