私が紡ぐ貴女の心
雨泉 洋悠
貴女の心の響きを伝える為にも、私は言葉を繋ぎます。
静かにこの空間を満たすその音は、彼女の素直な心を映します。
それは他ならぬ、彼女にとって唯一人の人、あの人に向けての、彼女の本心。
どれだけの時間が、あの人の心の、その強さに変わって行ったことでしょう。
その強さの全てを受け止められるほどには、彼女に与えられた時間は多くない。
だから私は、彼女にはその時間ばかりを振り返るよりも、もっと今のあの人を大切にして欲しい。
そう思います。
窓から差し込む夕陽に照らされて、白と黒の上を舞う彼女の指先、爪の先まで細く整った、その手の動きは、とても綺麗です。
そう言った事の方が、きっとあの人にとっては嬉しい筈で、その手に、間隔を置いて不規則に落ちる、彼女の滴を私は、今だけは代わりに受け止める権利を、あの人から頂きたいと思うのです。
隣りに座る彼女から伝わる、その肩の、小さな震え。
そこにあるのは、彼女の、あの人への、言葉に出来ない思い。
流れ落ちるその滴すらも美しくとも、今の彼女が流すその滴だけは、あの人に見せたくないと思うのです。
それを見ることは、他ならぬあの人にとって、きっとどうしようもなく、辛いこと。
彼女の口から漏れ聞こえてくる言葉が、その事を物語ります。
「……海未、私は……何で、にこちゃんがそんなにも辛かった時に、一緒に……居てあげられなかったのかな……」
ああ、真姫、そんなにも、貴女の心は、あの人が過ごして来た日々に、心砕かれ、引き裂かれようとも、あの人の代わりに、貴女を引き寄せて、私は言います。
「真姫、その言葉だけは、あの人に伝えてはいけません。どんなにか苦しくとも、貴女の心に留めて下さい。その事に涙する貴女を見て、一番辛い思いをするのは、他ならぬにこです。だから、その思いは、私にだけぶつけて下さい。にこの代わりに、私が貴女の、そのやり場のない思いを、受け止めますから」
いつの間にか、私の頬も伝っていた、思いの欠片、真姫の、その燃えるような情熱的な紅色に、溶け落ちて、消えて行きます。
声にならない、彼女の嘆きと滴が、私の胸に、同じく溶け落ちて、消えて行きます。
これだけはきっと、二人で共に、同じ事に思いをぶつけ合える私だけが、あの人に赦された、彼女への、唯一の権利。
窓から変わる事無く差し込む夕陽だけが、私と彼女を、あの人の様に、優しく見つめてくれています。
私が受け継ぐ、大切なひとつ
私はこの手が欲しかった、あの子と一緒に、一つのものを、作り出す事が出来る手。
でも、この手はこの子だからこそで、もし私が持っていたとしても、この子の様に、あの子を支える手には、なれなかったかも知れない。
あの子の事ばかりを考えている私じゃ、やっぱり、皆の為に、一緒に何かを作り出す事は、きっと、出来ないんだ。
夕陽の色、それは穂乃果の色、橙色に染まる部屋、いつも彼女と座る場所、私の隣には、あの人の姿。
照らされたその黒髪と、白い頬は、橙の色味を溶かし込んで、憂いの色を映します。
その黒髪に揺れる赤色が表すのは、その憂いの深さでしょうか。
「海未、真姫の事、支えてやってね」
その、白と黒に重ねられた手は、真姫が何時も難無く届かせる音に届くこと無く、にこらしい音を、小さく響かせます。
「真姫の手は、大きいな。私なんかじゃ、全然届かない」
そんな事を呟いていながらも、その頬は嬉しそうに、緩んでいるのが、解ってしまいます。
「にこは本当に、真姫の事ばかりですね」
その横顔に、微笑みを浮かべて、にこは私の言葉に答えます。
「うん、私には真姫ちゃん以外、考えられないの。海未なら、その気持ち、解ってくれるでしょ?」
脳裏に浮かぶのは、私の二人の幼馴染。
その、微笑み。
「……はい」
にこは、無防備にその名前を呼ぶ時には、今もそう呼んでしまうのですね、真姫の事を。
あの日を皆で乗り越えた私達、今やっと、こうして過ぎ去って行く日々を、惜しむ事が出来ます。
「にこ、私は一度ぐらいは、にこと真姫と、私の三人で、ここで過ごす時間が欲しかったかなとも、思います」
にこは、私と真姫が、ここで過ごす時間の中に、加わって来る事は、一度もありませんでした。
その理由について、少し聞いてみたくなりました。
にこはその微笑みをこちらに向けると、優しく言葉を紡ぎます。
「うん、私もね、ちょっと考えてみた事もあった。でもね、やっぱり違うの、私はね、この場所にはあの子の音を聴く為だけに来たいの。きっと、私に聴かせてくれるまでの間に、大変な事も、辛い事もあると思う。その時に真姫ちゃんを支えるのは、海未が良いの、私は」
そう言うと、にこは私の手をとります。
「この手が良いの。私がまだ真姫ちゃんに出会える前から、出会ってからもずっと、あの子が大切にして来た、あの子の心を、支えてくれている、強くて、あの子の為の、暖かな言葉を紡いでくれる、優しい手」
触れた手から伝わって来る、にこの体温。
思っていたよりも低くて、それでも、真姫への裏表の無い、慈しみの暖かさ、感じられます。
握り返そうとすると、その小ささに驚いてしまうぐらいなのに、その手は、私達が出会えるまでの間、ずっと一人で、私達が辿り着くべき場所を、守ってくれていた。
「私の手よりも、にこの手の方が、ずっと強いですよ。私達が今居る場所を、途絶えること無く、ずっと守って来てくれたのは、にこだけです」
繋がった手に、力を入れると、にこも、握り返してくれます。
「ありがとう、後はもう全部、海未に、皆に任せたからね。あの子はもうきっと、私の事でしか泣かないから、だから、お願いね、海未」
あの日、尾崎さんに対して誓った思いは、今も変わっていません。
沈もうとする夕陽の残り香の中、静かに私の肩に乗せられた、にこの特徴的な黒髪が私の胸元へと流れて行きます。
私は、静かにそこに私の髪を、重ね合わせます。
「はい、にこの思い、全て、受け取りましたから」
真姫を、奪っていくのは、私ですから。
そして、にこも。
この世界で唯一人、真姫がにこの為に、一番大切にしているものを、共に作り上げる時間を、にこの次に、一番長く真姫と過ごす権利を、与えられた、私ですから。
六色の虹~七つの種
沈もうとする夕陽の残り香の中、真姫と二人、家路を歩きます。
珍しく、真姫が繋いだ手を、離しません。
あの人の事だから、きっと誤解はしないと思いますが、今日の真姫は、あの人には見せられませんね。
「ごめんね、海未。明日にはちゃんと戻しておくから」
真姫の音楽の才能は、素人目で私が見ても、凄いと思います。
それでも、時に壁にぶつかり、時に今日の様に、昂り過ぎた感情が、彼女の才能の妨げになる時もあります。
そんな感情の昂りもまた、真姫のとても魅力的な部分の一つです。
だから、今日ばかりは、その感情のままに、あの人の事だけを、ただ考える日にさせてあげたいと思います。
「大丈夫ですよ、真姫。明日、完成させましょう。今日は、にこの事だけを考えて、その想いの中で、眠りについて下さい」
夕陽に照らされたまま、その鮮やかな紅色の髪と同じ色に染まっていくのが解る、真姫の頬。
そこに再び、清らかな滴が流れ落ちていきます。
「うん、ありがとう。そうする」
私の方は大丈夫です。
今日、真姫のにこへの想いを、受け取りましたから、貴女の奏でる音に、最高の言葉を、貴女の想いを綴ります。
夕陽に染まる帰り道、夕陽の橙色は、穂乃果の色です。
きっとこれからも、真姫のにこへの想いと同じく、どんなときも、ずっと、私達を照らし続けてくれます。
だから、大丈夫です。
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Six Colored Rainbowの六色目
Dear Seven Seedsの一つ目
七つの種はトリスタンダクーニャから、
あっちは七つの海、こっちは七つの種、某先生の作品と同じ。
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