第39話 4000年の思想を越えて
謝罪
前話のキャラクター紹介“コメント”にて不適切な表現がありました。読者の皆様に不快感を与えたこと、お詫び致します。申し訳ありませんでした。
本文
気づけば秋も深まってきていた、そんな日。ようやく到達した水鏡女学院。福莱はどこか落ち着かない様子だった。
「福莱、どうしたの?」
「“一応”許して貰ったとはいえ、どうにも気が進まなくて……。」
ずっと学問を教えて貰っていた人と喧嘩別れしたようなものだから、それはそうだよなあ……。
でも、仕方ない。俺も目的があるわけだし。
「“取って食われる”わけじゃないし、大丈夫だよ。行こう。」
「はい……。」
入ろうとすると、戸が開いた。
「本当にお姉ちゃんが帰ってきた!」
口々に言い、福莱は少女たちに取り囲まれていた。
「え? え?」
珍しく戸惑いの声をあげる福莱がとても“女の子”に見えた。
「向こうも読んで待っていたのでしょう。」
水晶はそう言い、ある方向を見つめた。その先には一人の老婆がいた。しかし、全身からみなぎる不思議な威圧感は一度だけ会ったある人物を思い出させた。
不動先輩の祖父、“財界の重鎮”を。
「本当に戻ってくるとは……。飛び出していった馬鹿娘が今さら何の用だい?」
「水鏡先生……。その……。ご主人様から“謝りに行こう”と言われまして、確かに無理矢理出てきたのは良くないことだと思って、それで……。」
上手く言葉に出来ないようだった。当たり前かもしれない。“恩師”に一度は背き、それでもまた戻ってきたようなものなのだから。
「全く、変わらないねえ。そういうところは不器用なままかい……。元気で何よりだよ。」
「ありがとうございます、先生……。」
と、そのやりとりを見ていた水晶が一歩前に出た。
「直接会うのは初めてですね。司馬徽殿。」
「かつては“司馬徳操”だったと記憶していたが、呼び方を変えられたのですかな。稀代の天才。」
「ええ。一刀さんから“性と名”で呼んで欲しいと言われましてね。私はそれにこだわりがあるわけではないので、そうすることにしたのです。私は郭嘉。字は奉孝です。」
水晶がそう言ったため、流れで全員の自己紹介をすることになった。
「それで……。お主から見てもこの男は魅力的かね?」
「はい。」
即答だった。正面から言われると照れくさいな……。
「どこがかな?」
「無限にさえ思える知識。そして包容力です。」
「ほう……。ところで、お主はなぜ一言も口をきかぬのかね?」
司馬徽さんはそう言った。そう、俺はここに来てから一言も喋っていなかった。どう言葉にすれば良いのかよくわからなかった、そういうこともあった。それより何より、福莱とのやりとりが羨ましかったというのもあるけれど。自己紹介は女媧に任せていた。
「お話ししたかったからです。」
「私とか?」
「はい。」
「ふむ……。お主の目的は何じゃ?」
いきなりそう聞かれた。率直に、ありのまま話すべきだろう。
「天下の統一。そして“中華思想”の打破です。それこそ、俺が最後に為すべきことです。」
そう、中華思想。彼らは“今でもある”と言っていた。まさに“4000年の負の遺産”だ。
「何処で知ったんだい? その言葉。」
水晶と風は唖然として口を開けていた。愛紗と福莱は訝しんだ。
「友人に、凄い知識を持った人がいて、その人からです。」
「ほう……。その人はどう説明したんだい?」
「それは……。」
「悪いが、君の言葉ではなくその説明した人の言葉が聞きたいんだよ。」
自分の言葉で言おうとしたのを遮り、そう言われた。
“
「さて、中華思想か。この前言ったものだね。極めて難しい。様々な説がある。一元化することは不可能だろう。ましてや、“今”どうなっているかなど。しかし、わかる範囲で話してあげよう。
中国史や思想史を研究している方々の専門だから、一学生の意見など米粒のようなものだけれども」
そう前置きして、
「巷では、“中国人は世界一の民族である、とする○○な思想”などという。○○には“野蛮”だとか“下劣”といった言葉が入るね。
しかし、実際は違う。そんな単純なものではない。
“一つの説を知る”くらいの気持ちで聞いてくれ。
といっても私のような浅学なものの言ではなく、日本一の学者の言を聞こう。
『翻訳と日本の近代』という本だ。
“丸山真男”という“知の巨人”と“加藤周一”という“大知識人”による対談本だ。“夢の”をつける人が居るかもしれない。それくらい貴重な本だよ。一度は読むべきだ。すさまじいから。
丸山は当時最年少で東大の教授になった人物で、まず間違いなく戦後No.1の知識人だね。
『 「である」ことと「する」こと』
読んだことがあるだろう?」
それを聞いてかなり驚いた覚えがある。すごく心に残っている文章だったから。
「あれを書いた人なんですか!?」
「ああ。」
「で、加藤周一という人は?」
「東大医学部卒の評論家、思想家。これでわかれ。まあ普通じゃない。
でだ、そこでは“中華意識”と書いてある。それについて
「礼的な文科秩序で、
“文の武に対する優越”が基本」
と書かれている。わかる?」
「全く……。」
「あるマンガに例えるとわかりやすい。ということにこの間気づいたんだけれど、冷めるから止めよう。
私が中国で、お前が敵――
私がお前に勝つ。するとどう思うか。
当然だと思うわな。それは。
が、万一負けたら。
その時はこう考える。あいつは頭が悪い。だから武力だけは高いんだ、と。」
「歪んでません?」
「全く以てその通り。
要するに敵イコール呂布なんだよ。野蛮人。知力低いのに武力最高でしょ?
張遼とか趙雲、張郃みたいに両方高い奴なんていないの。
“あいつなら負けてもいいや”みたいな。
中国の意識では、戦争に強いイコール文化が低い、なんだって。
負けても、“どうせ奴らは夷狄だから、腕力は強いに決まっている。”と理由付けするんだとさ。言われてみればそうなんだよね。“
「すごい思想ですね……。でも、そもそも“夷狄”ってなんですか……?」
「授業、聞いてた? “
「蔑称……。で、なんとかの盟と、和約、さんき……?ってなんです?」
「散々負けたのに、
“私は兄。お前は弟。兄は弟を養う義務がある。仕方ないから弟に銀とかあげる”
私は主君、お前は臣下。主君は臣下を養う義務がある。仕方ないから~
という意味不明な条約、和約のこと。普通は、負けたほうが下でしょ?
と、
皇帝の前で三回ひざまずき、頭と額をつけましょう
というすさまじい礼法
だよ。かなりいい加減な説明だけど許してね。
その辺きれいに理解できたら大論文が書けるよ。」
”
「最後はそう言って煙に巻かれましたけど……。」
そう説明すると、司馬徽さんは言葉を失っていた。
「大した人物も居たものよのう……。さよう。様々な説はあれど、これこそこの国を破滅に導く思想だと私は思っておる。それを“打破”とは……。
君になら、私の真名を教えても良さそうだのう。」
「え……?」
「福莱たちと違い、私は真名を表に出して言う気はないがね。
『鏡』だ。」
「な……。」
「え!?」
水晶と福莱は唖然としていた。少し考えて、その意味が分かった。自らを“水鏡”と呼ばせている人物だ。つまり、知らず知らずのうちに真名を呼んでいることになる。
「私たちは先生の真名を平気で呼んでいたのですか!?」
「君たちだから、いや、“中華思想”を話してくれた北郷君だから言おう。私は“真名”にこだわりを持っていないんだ。こんなこと公言したらそれこそ殺されちまうがね。」
皆、頭に疑問符を浮かべていたようだった。でも、俺にはその意味がわかった。この前真名のことを聞いたときからの違和感。
「それはつまり、許家を信用していないということですか?」
「平たく言えばそうだよ。何かあるような気がしてね……。気にしすぎだといいんだが……。」
「どうしてそれに気づいたんですか?」
「この世は“どうして”の集まりだからさ。
“どうしてそう決まっているのか”
“どうしてこの法があるのか”
“どうしてこんなことをするのか”
そこには必ず理由があり、結果がある。脈絡のない事実なんて一つもありはしない。
上手く説明できなくて悪いね。」
!
それだ。
ロジック
要は「論理」
原因があって結果がある。因果関係。それのはっきりしない物語はつまらない。それを知ったときに“つまらない”作品が“つまらない”理由が初めてわかった。“はっきりしない”もののことをラテン語で“デウス=エクス=マキナ”といい、日本語では「機械仕掛けの神」と訳す。
福莱が優れているもの、それは“論理的思考力”だ。司馬徽さんがわからないのも無理はない。西洋の哲学とかそういう概念だったはずだ。論理の“正しい”説明を俺ができるはずもないけれど、筋道立てて考える、あるいは因果関係を見抜く、そういう力に優れているんだ。
朱里と藍里は“理解力”に優れ、福莱は“思考力”に優れている、司馬徽さんはそう言いたかったのかもしれない。
微妙な、だけど大きな違いがそこにはあるはずだ。
どう説明したものだろうか……。
「まあ、それはそれで良い。ところで、君はこの国の歴史の記し方を知っているかい?」
「はい。」
ある王朝ができ、潰れると、次の王朝で前の王朝を“正統”とした歴史書として編纂される。だからこそある程度史実に沿った歴史が分かるのだ。
「なぜ歴史を学ぶのか、それを考えたことがあるかい?」
「はい。」
「その友人の言葉かい?」
「それもあります。」
「それも?」
「その人に言われたんです。
『考えろ。私の言葉は定義を除けば所詮は意見。それについてどう思うか、それを自分で考えてものにする、つまり“涵養”することが大切なんだ。ただ真似るのはロボットでもできる。要は全く考えていない。“言われた”ことしかできないのでは話にならない。それでは将来苦労するよ。羽深にもよく言うことだがね。』
と。それに、歴史の先生からも色々と言われました。それ以来、自分なりに考えては居るんですけど……。」
「今ひとつ掴めない、と?」
「はい。」
「君は未来から来た、そうだね?」
「そうです。」
「なら書物を読みなさい。どんなものを読むかは自分で考えても良いし、その友人に聞いても良い。
私は君がとても羨ましい。本には色々なものが詰まっている。
だが、悲しいことにこの世界は少ししかない。君の世界には山ほどあるのだろう?」
「はい。」
「本当に、福莱、朱里、藍里は大した人に巡り逢ったものだ。」
そう言われた。凄く嬉しかったけれど、同時に悔しくもあった。しかし、俺がここへ来た理由を果たさなくてはならない。
「水鏡さん、俺たちと一緒に来て貰えませんか?」
「ご主人様……。」
愛紗が頭を抱えていた。水鏡さんは目を白黒させていた。
「申し出はありがたいが、もう少し時間をおくれ。今居る子をどうにかしたら、行こうかね。」
「ありがとうございます。」
思わず、深々と頭を下げていた。
帰路。水晶が呟いた。
「私は少々、思い違いをしていたようですね。周瑜たちとあの人物、水鏡を比べてはいけなかった。学究肌の人物と戦場で策を練る軍師を一緒くたにして語るのは間違いでした。」
そうして、無事に徐州へ入った。“検問所”で正体を明かし、皆と小沛で合流した。“これまでのこと”を聞いた俺は感動で涙が出そうだった。これ以上無いほど完璧に、不気味なほど見事に全てが上手くいっていた。
話は下邳城へと移った。最終的に落とさなければいけない。しかし、孫堅軍が四度攻めて何とも出来なかった城だ。北条よろしく囲うしかないのだろうか……。
「来年に、棚上げしませんか?」
「いえ、冬に攻めるべきです。」
朱里の提案を一蹴した水晶。そうか、その手があったか……。
<第3章>
北郷たちの旅 新たなる仲間を求めて
<了>
※
『翻訳と日本の近代』 丸山真男・加藤周一著 岩波新書
『日本の思想』丸山真男著 岩波新書 (第4章:「である」ことと「する」こと)
興味のある方は是非お読みください。
※
澶淵の盟:北宋と遼の間で結ばれた盟約
慶暦の和約:北宋と西夏の間で結ばれた盟約
三跪九叩頭:清朝皇帝の前でとる作法
※北条よろしく:秀吉の小田原城攻めのこと
キャラクター紹介
司馬徽 字は徳操 真名は鏡
真名の由来は今話で説明した逆で、“水鏡”からです。彼(彼女)に関しては本当に情報が少ないです。襄陽郡の龐徳公なる人物が水鏡と名付けたらしいです。
真名“水”も考えましたが、“水晶”と重なるので止めました。“キョウ”だと、狂・凶もあってどうかな……とは思ったのですが、ストーリーを考える以上、これしかないなと。
正史によると潁川の人と書いてあります。諸葛亮・龐統らを見出したことに間違いはないようですが……。
分かる方、是非教えてください。
なお、今作では“老婆”としましたが、実際は曹操らと同年代とする見方が多いようですね。
後書き
ハードル上げすぎた感……。
予定を越えて長くなった3章もようやく終わりました。次はまた“まとめ”を挟んで4章です。
近々、戦国恋姫(改)を息抜きに投稿する予定です。生暖かい眼で見守ってくださると幸いです。
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第3章 北郷たちの旅 新たなる仲間を求めて
前話までの中で、注釈のない歴史・三国志用語(中原に鹿を追う、など)は可能な限りこれからの話で説明していきますが、分からないときは遠慮無く感想欄にお書きください。
今話はある意味で極めてデリケートな話題です。“ふーん”くらいでお読みください。