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明くる日の朝、一刀は月の元へ報告していた。
「報告いたします。まず、韓遂、王国、馬騰以下数名の軍勢が天水に入りました。また間者のうち女だった者の所属が判明しました」
「聞きましょう」
「女は山陽太守袁遺の手のものでした。袁遺は袁紹の伯母に当たります故、即ち袁紹の手引きと見てよいでしょう」
一刀がそう言うと月はつまらなさそうに鼻をひとつ鳴らした。
「監視の手はやはり回っていますか」
「出る杭を打ちたがるのが名家というもの。保守的な奴らにとって仲潁様の御躍進はさぞ面白く無い事でしょう」
以前都へと出向いた後から、である。
月の規格外に近い勢力にようやく気づいた中央の名家や高官たちがあらゆる形で月の情報収集をしているのだ。
「しかし流石は袁家の当主と言うべき、でしょうか。手が早いものですね。お陰で迎撃計画は立て直しです……」
「まあ、捉えられ情報を吐いた時点で二流かと」
「間者は常に死人であって欲しいものです」
「はい」
その返事を聞くまでもなく、月の興味はすでに他に移っているようであった。
袁家の監視が入っている、という裏付けが取れただけで十分だったのである。
四代に渡って三公を出した名族がそういう行動を取るとわかれば、あとは自ずと敵味方も分かるというものだった。
「太平道の間者についてはどうでしたか?」
「一人は間もなく死にましたがもう片方からはそれなりの情報が得られました」
「続けなさい」
「はっ。近々動く様であります。何やら羌と繋がりを持ち、挙兵に呼応して挟撃することさえ企んでいたと」
「……すると、涼州にも内通者がいますね」
楊司徒との会談で、反乱の兆しがある者を知っていることなどおくびにも出さず、月は鬱陶しそうにため息を一つ。
「はい。この情報をつかんだ者が疑うとすればまず仲潁様、次いで韓遂あたりであるかと」
「どうしたものか……」
ふう、と憂鬱げに、玉座に肘づえを付き月は宙をながめた。
すると丁度タッタッタ、小気味の良い足音が聞こえ──
「ご報告致します。文和様より、太平道が動いた、と」
「分かりました。では文和と大将、親衛隊長以下の司令官に招集をかけなさい」
「御意」
伝令は来た時と同様、慌ただしく去っていった。
その背中を見て、一刀が小さく呟く。
「……空気くらい読んで欲しいものです」
当然伝令でなく太平道に向けられた呟きである。
「起きてしまったことをぼやいても仕方ありません。最善手を考えましょう。頼りにしていますよ、一刀さん」
「全ては月様の御心の侭に」
そうは言ったものの、状況は誰がどう見ても悪化の一手を辿っていた。
袁家の監視が一人見つかったのならば十倍以上は潜んでいることだろう。それらは月の行動を逐一つぶさに報告しているはずである。
それらは全て、急激な出世を果たした月の命脈を断つためにほかならない。
奴らは月が致命的な失敗をおかすか、あるいは都へと呼び出せるほどの功績を立てるか、どちらかを行うの待っているのだ。
加え羌の者と話題の宗教組織が呼応しようとしている。当然手引きを疑われるのはその地域を治める者、即ち月か、あるいは数十ある涼州の郡の太守か。
そして進む太平道の軍勢。
勝てば更に目をつけられ、難癖をつけられ討たれるだろう。
かと言って負ければやはり太平道の手引きをしていたのだと疑われるだろう。
いや、それ以前に実際は手引きをしていないのだから下手に負ければ軍勢もろとも数万の民の群れに踏み潰されかねない。
進むも引くも茨の道である。
一刀はどうしたものかと頭を悩ませた。
**
月以下、全ての主だった討伐隊の面子が会議室に揃う。
誰もが神妙な顔つきをし、見つめる先にはただ一人立ち上がり進行を務める一刀が一人。
「まず、ひとつ前置きして置きましょう。状況はこの上なく最悪です」
「具体的には?」
張済が一刀に尋ねる。
「惨敗兵でしかなかったはずの太平道は羌と呼応の兆しを見せています。仲潁様を疎ましく思う中央の高官たちが今この瞬間もどこかで様子を伺っています。
即ち、これ以上軍功を上げれば賄賂狂いの宦官からむしり取られ、他の軍閥には疎まれ難癖つけられ、かと言って戦に勝たねば蛮族と狂信者の群れに踏み潰されるでしょう」
「なぜ仲潁様が漢の者に狙われねばならぬのだ!」
「出る杭は討たれる、世の常です」
不義理な対応に憤慨した張済も、一刀の一言には反論の一つも出なかったのか黙って座ってしまった。
報告は一段落したのか言葉を止め着席する一刀。すると、別口からの朗報か、あるいは素晴らしい打開策でも期待したのか筆頭知恵袋である文和へと皆の視線が集まった。
「……残念ながら期待に沿うような話は無いわよ? ボクの方も全く一緒」
「すると…どうするべきなのだ?」
「それ分からんでこんな面あわせて考えとるんとちゃいますか?」
「ああ、なるほど」
霞に言われ華雄が納得と頷いた。
「で、どないするん北郷、文和はん」
「俺は……上策、中策、下策の三つがあります」
「ボクも同じ。まあ内容までどうだかは知らないけど」
そう言い詠は一刀へ視線を送った。
すぐさま一刀は頷くと礼を一つ。
「よろしいでしょうか」
「構いません」
「有難うございます。では、まず上策ですが……」
硝子片の様な、鋭利な声が会議室に響く。
一刀へと向かう眼差しの温度が一、二度ばかり上がったような錯覚を受けるが、当人は一切気にすることもなくただ月だけを見据えていた。
「兵を三割犠牲にして、太平道の戦力を五割まで削り乱を収めることです。この場合勢力自体は小さくなりますが外部からの妨害にさらされることも無いでしょう」
集まった者からどよめきが上がった。
元々数の少ない集団である。さらに削るとなると今後に差し障ることは火を見るより明らかなのだ。
何より、それは道義に反する。
がたん、椅子が大きく倒れ郝萌が立ち上がった。
「貴様、兵をなんだと思っている!」
「お座りください、郝萌殿」
「黙れ! まるで物のように言いおってが」
「郝萌殿。ここは会議の席です。発言をするならば」
憤慨する郝萌を氷の微笑で窘める一刀。
しかし、激高した彼女にはその言葉は届かず、剣へ手をかけ身を乗り出そうと──
郝萌の首筋に一線が走った。つう、と深紅の雫が伝い落ちる。
「座りなさい、郝萌」
「ちゅ、仲潁様……、ですが、これはあまりにも義に反する発想で!」
一刀の怜悧さなど比較にならない程の悪寒が部屋を包み込む。
それを向けられた郝萌は肌が栗立ち、冷や汗が顎を通じて血と混じる。
「黙れ」
「あ、……し、しかし……」
「郝萌。もう一度だけ言います。黙れ。発言を許可した覚えはありませんよ。今は策を考える場です。それとも、貴女はこの状況を乗り切るのに北郷、文和を上回る策があるのですか? この場で彼を切り伏せれば状況が改善するのですか?」
へな、と郝萌の膝から力が抜ける。
焦点も定まらないまま、椅子を通り過ぎ石床にぺたんと崩れ落ちた。
それをつまらなさげに見送ると月は一刀に向き直る。
「北郷、続けてください」
「はい。続いて中策ですが、韓遂ら数名の太守軍に太平道の本体をなすりつけることです。混乱を装い太平道を吊り上げ、あと詰めに回ろうとするだろう彼らを主戦場に引きずり出し手柄をとらせれば……地元豪族達の信頼は損なうことになりますが我らの勢力は保たれるでしょう。
下策は、……太平道、あるいは韓遂ら太守軍と呼応し反乱軍の一部となることです。まあ、これは言うまでもないですね。博打の一手です」
最後にさっと一礼、一刀は席についた。
未だに立ち上がれない郝萌を放り、月は続いて詠に頷きかける。
「よろしいでしょうか」
「構いません」
詠も月に一礼、辞を低くし策を口に出した。
「ボクの上策は、概ね北郷と一緒。下限ギリギリ許容範囲まで目一杯損失を出しながら太平道を撃退すること。昇格はさせられないけど文句も付けられない、加え中央は仲潁様の勢力が減ったと安心する結果ね。対価は仲潁様の軍勢」
次は不用意に声を上げるものなどいなかった。
くるりと小さく見回すと、詠は鼻息一つ言葉を続ける。
「中策は、敢えて数カ所の都市が守りが薄いと情報を流しボク達はそれを迎撃に回る、本体撃破の功は韓遂らにとらせること。妬みの矛先を奴らにすり替える一手ね。対価は……強いて言うならバレた時の地元での信頼」
一刀より確実性の感じられる方針に嘆息の声が漏れる。
「下策は……まあ同じように疎ましく思われている太守たちと呼応して洛陽に攻め上る、ことね。戦力的には実は不可能じゃないの。ただし対価は膨大よ。失敗すればボクたちはその名を賊軍として千年の後まで残し、一族郎党皆殺しでしょうね」
誰かがつばを飲んだ。下の策から途方も無い栄光を感じたのだろう。
それに反応を示すこと無く、詠は月へ拝礼し席についた。
「さて、方針が幾つか出ましたが……どう思いますか?」
「……中策が良いのでは無いでしょうか? もともとこの地方の豪族共とは折が悪かったのですし」
「いや、それはいけないだろう。我らの率いる兵卒のほとんどは地元出身だ。兵たちの郷里の家族が我らを恨めば兵の離反を招いてしまう」
「今こそ立つべき時ではないのか? 仲潁様の元、腐敗した旧体制を倒す時だと」
「早まったらアカンで。華南、司隷、河北とウチらのおる西域以外にも兵を率いる奴らは五万とおるんや、まともにやりあったら潰されてまうわ」
「我らと兵はほとんどのものが同郷の志、同じ釜の飯を食った奴も山ほどいるのに……それらを見殺しにしては後の禍根が……」
「いや、羌の幾つかの部族とは縁もある、彼らに呼応しても良いのではないか?」
がやがや、ざわざわ。
臣下たちは思い思いの論を述べ意見を交わし始めた。
皆、郝萌と同じ過ちは犯したくないのだろう。
ちらと月の姿を覗いながら発言するが、当人は人形の様に完成された微笑を浮かべ論議を眺めるばかりであった。
やがて数刻が経ち、意見は割れたまま平行線を辿っていた。
「しかし! やはり我等が統治の大義を失うような真似をする訳には!」
「分からんやっちゃなあ! 仮に洛陽穫れたんしてもその後袋叩きやで! 西域の人間皆殺しにする気かいな!」
「死を恐れ何を成せるというのだ!」
「大多数は死が怖いんやで!? あんた一人で戦争やるんとちゃうんやぞ!」
「その言葉そっくりそのまま返して……」
その時、月が立ち上がった。
さらりはらり、薄絹の滑る音がする。
「文和」
「はっ」
鈴声がりんと響く。
「剣を授けます。全軍を指揮し“兵を損なうこと無く”この急場を乗り切って見せなさい」
「御意」
傅いて最敬礼を、詠の瞳がぎらりと輝いた。
しかし、立ち上がり声を上げる者も一人。張済である。
「しかし、仲潁様っ!」
「発言を許した覚えはありません、張済。冷静に考えた上での判断です」
先程の、未だ朦朧としている彼女の二の舞を恐れた群臣たちが口を紡ぐ中、彼は危険を承知の上で月に進言したのだ。
「敢えてこの場で義を説く、その忠義は賛辞に値します。
ですが、太平道と羌が通じていたということは太守たちの中に裏切り者がいるということです」
「し、しかし……」
「黙りなさい。三度目はありません。裏切り者に背を預ける事ほど愚かなことがあるでしょうか? それに、横のつながりの強い彼らのことです、太守以下はある程度の顛末をすでに知っていることでしょう」
涼州の領主達は漢帝国成立の際、高祖に組した古くからある西域の地方豪族をそのまま任命し続けている場合が殆どである。彼等は統治の為異民族との混血を繰り返し、馬騰は母が匈奴の貴族の令嬢であるし、先程から上がる韓遂も母方の血筋は異民族の有力者のそれなのだ。
皆が皆親類のようなもので、氏族ごとに前漢に名乗った別性を用いているが、元をたどれば大抵が同じ異民族に何処かで巡り当たる。
故に彼らは氏族どうしの結びつきが他の地域より強固であり、仮に反旗を翻す企みが有るのならば、彼らが知らぬわけがないのだ。
「まあ、中央へ窮鼠だって猫を噛む、と思い知らせるいい薬程度の効果しか無いでしょう。ですよね、文和?」
「はい。立案しといてこういうのもおかしな話なんだけどね、西域の兵が精強と言えど、絶対数が足りないのよ。
かりに、もしも万が一頑張って最良の結果を出せたとしても、理性的に王朝を立て統治できる様な人手が足りないわ。
精々華北と華南を分断するのが限度でしょうし、そうなれば別の異民族も流入して華北は世紀末の様相になるわね。群雄並び立ち、地は灼け民は死ぬ。
現王朝は河南に逃れ南漢でも建てて勢力を保ち、……まあ出来なかったとしても適当な皇族州牧が勝手に立つでしょうし。
北に数え切れない異民族、高麗の土人共に囲まれて襲われてね。それが最良の先の予測できる未来よ。
……まあそれでも今みたいに仲潁様がやっかみと嫉妬と俗欲でお悩みになることもなくなるのだけどね。力でねじ伏せればいいだけのいっそ清々しい世にはなるわよ」
「う……」
「と、まあ今は敢えて不利な点だけ言わせてもらったけど、張済の言いたいことも十分分かるわ。兵の心はこのことが伝われば離れかねないし、今後州牧に公然と反旗を翻す輩も出るでしょう。治安だって覚束なくなるかも」
「ならば! 涼州の民を守るため、兵が心置きなく外敵を退けられるようにすべきではないのですか!」
「それも立派な戦略で主張ね。でも、もう黙って。私達が出来るのは論を述べるだけよ。決めるのは仲潁様」
「……それは、尤も」
張済にすれば面白く無いのだろう。
月が決めるとわかっていても、自身の主張は退けられたと不満が心に残るのだ。
しかし、その不満を見逃す月ではなかった。
座学でのし上がり警備隊長魏続の愛人に成り下がった歩兵司令官の郝萌と違い、彼は優れた騎兵司令官であり、月配下の中でも古参の武将なのだ。失うには惜しい人材なのである。
求心力もあり、仮に反乱を起こされたとした場合警備隊と騎兵隊では天と地ほども損失が違う。
月は、張済の正面まで歩み寄った。
「義を愛し民を慈しむ張済の心は伝わりました。それは万玉に優る私の宝です」
「仲潁様……」
「その義心、漢の民皆を守るため、私とともに在ってはくれないでしょうか?」
手を取り、地上を尽く慈しむ聖母の如く柔らかなほほえみを浮かべる。
張済の目から感涙が溢れだした。
「この張済、命に変えましても! ……先程は済まなかった、文和殿」
文和も満足気に首を振った。
場の空気は月が完全に支配していた。
叩きのめされ辱められた郝萌さえ恨み事の一つも溢れない。至極の忠義と君主の形だと信じて疑えない。
この主従の物語は三日の後には市井に伝わり、忠臣と大徳の大君として美しく語られることになる。
もはや誰もが月の君主としての才気を、徳高い天女の化身の様な人物であるということを信じて疑わなくなっていた。
不利な噂は自然と駆逐され、異様な雰囲気に間者は慌てて街を飛び出す。
月は誰にも気づかれること無く、万雷の拍手と歓迎の中で、将来的に邪魔になるであろう勢力をまとめて取り潰す一手を打ったのだった。
**
「韓遂殿、ようこそお越しくださいました」
「いえ、ほかならぬ仲潁様よりのお呼び出し、何よりも優先して当然のことにございます」
韓遂は月に呼び出されていた。
会議より五日の後のことである。
「ありがとうございます。それで、突然なのですが、一つ依頼があります」
「は、なんでしょうか」
容赦の無い話題運びに韓遂の額を汗が伝う。
ばれたのか。もしや私はここで殺されるのか。
しかし、その予測は見事に裏切られる。
より、悪い形で。
「実は、捕虜からもう一つの別働隊が金城へと接近しているとの報が入りました」
「……それは、本当ですか?」
「はい。斥候を放ったところ所属不明の歩兵隊、五千人規模の部隊を発見したそうです」
「それは……不味いですね」
「はい。金城は州都であり、しかし守備兵は精々二千。落とされるわけには行きません。なので韓遂殿、あなたにはここ天水の守備をお願いしたいと思います」
「っ」
どこで計画に綻びが出たというのか。
天水で太平道を迎え撃ち、呼応し挟撃、月を討ち滅ぼした後南下するという計画は、まず月が天水にいなければ始まりもしないというのに。
「……なぜ、私なのでしょうか?」
「決まっています、一番優秀な前線指揮官はあなただからです」
それに、太平道は止まらない。
天水を提供することを条件に彼らに強行軍を依頼したのだ。
いまさら辞めろといっても聞き入れられることはないが、かと言って引くことも出来ない。
月がいない今、呼応すれば南下の最中に横っ面を殴られ、呼応しなければ彼らと正面から撃ち合うほかない。
放棄という手もあるが、それを選べば体制が整う前に裏切りとして討伐軍が派遣され各個撃破されるのがオチであろう。
「……しかし……我らの軍勢だけでは些か心許なく」
「心配には及びません。三日の後には張温様が一軍を率い天水へとやって参ります。それに、郝萌以下二千五百名の歩兵隊を残しましょう」
「仲潁様はいかがなさるのですか?」
「騎兵千五百を先発隊として率い急襲を仕掛けます。そののち、後続隊千五百の歩兵と挟撃する計画です」
「……御意であります」
韓遂には、一分の反論の余地も残されてはいなかった。
「お願いしますね」
「はっ、天水の守護、お任せくださいませ」
韓遂は、只々歯噛みし精々の憎しみを込め月を見つめるだけしか出来ないのだ。
ふと、へぅ、と。気の抜けた笑い声がした。
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