「うっ!…さむ。」
外に満ちていた冷たい空気が、風呂上がりの夕美のまだ生乾きの髪にひやりと染みた。
夕美の部屋にはスリッパなどの履き物まではおいてなかったから仕方なくソックスを重ね履きしたが、それでも土の感触がじかに伝わる。裸足よりはマシだが、じわじわと夜露が染み込んでくるので冷たさが倍増して感じられる。
着ているものも七分袖のパジャマ姿だった。上着も羽織れば良かったかな、とすこしだけ後悔した。だが一刻も早く家から離れる必要があると判断した。
夕美は闇の中を足早に離れの研究室へ向かう───
(たのむで、お父ちゃん。もうあたしは逃げられたんや。これ以上相手を刺激して撃たれたりせんといてや…)一瞬、凶弾に倒れる耕介の姿が脳裏をかすめる。
(…あと始末が大変なんやから)
今まで父親の怪しげな研究のせいでひどい目に遭ってきた。いや、本当にひどい目に遭ったのは実験のせいで大迷惑をこうむった相手の方で、苦情の山は相手にとって最低限で当然の権利だったから、迷惑をかけた側の娘がどうこう言えた義理ではない。
だが、今夜の連中はそういうノリではない。まるでアクション映画のワンシーンそのものだ。
しかしヤクザに恨みを買ったというよりは、話に聞くどっかの国に拉致られ方にそっくりじゃないか。だけど相手が欲しがるもので思い当たるフシといえば、たぶん父親のテキトーな発明のどれかなんだろうが、モノを盗むよりも父親をかの国へ連れ帰ってこしらえさせる方が手っ取り早いのだろう。
(ほづみ君は…まあ、あの人は案外よーりょーええから、なんとかなるやろ)
夕美の部屋を調べに来た男が他の部屋にも夕美が居ないと判れば、あのリーダーに相談しに行くに違いない。そうなれば次は離れも探しに来るに違いない。
それまでにアレを見つけないと───
アレ。テキトーな発明品。──────ハッと思い当たるフシ。
(お父ちゃんのあほ。なにが秘密の研究や。バレバレやったんとちゃうんか。それとも?なにかアレの他にもなんぞヤバイもんをこしらえてたんやろか!?)
当然だが、たどりついた離れの扉には鍵が掛かっていた。といっても盗難防止が目的のソレではない。夕美に自由に出入りされると、勝手に掃除や整理整頓をされてしまって何が何だか分からなくなってしまうからだ。まあ、男所帯の天敵は世話焼き女というセオリー通りの行動なのだが。
それと、せんだっての高額フィギュアのような“男の秘密”保持のため、つまり“対”夕美用に設けられた鍵なのである。だが夕美も忙しい身で、そう何度も掃除をしに来たことはないが、ある時やった“整理整頓”がよほど耕介にはこたえたのだろう。ある日彼は夕美に独立自治宣言をして以来、ここは彼のアジトと化していた。
そんなわけでもう随分ここはマトモな掃除もしていないと思われるだけに、夕美としても本当は入りたくはなかった。じっさい、どんな怪しいモノがあるやら判ったものではないのである。
だが今は非常事態だ。そう腹をくくると夕美はおもむろにドア脇の壁を調べはじめた。真っ暗ではあるが、そこはティーンでも須藤家の主婦、家のどこに何があるのかや、耕介の行動パターンなどお見通しだった。
適当に壁をなでまわしていると案の定、壁のサイデックス製外板のレンガ模様状の浮き出しの一部に不自然な感触があった。裏拳で軽く叩くとそこだけ音がにぶい。向こうが空洞になっている証拠だ。そこでグッとその一部を押し込むと、ふたのように壁がパクッと開いた。ビンゴである。
とはいえ、暗いところで得体の知れない壁の穴へ手を差し入れるのは『ローマの休日』に出てくる“真実の口”へのトライみたいで抵抗があったが、おそるおそる指先で探ってゆくと壁の穴の中は意外に清潔らしく、蜘蛛の巣や不気味な生き物もいないようだった。
かちゃりん。
予想通り、そこにスペアキーが置いてあった。
扉を開いて玄関へ入るとやはり一瞬だが独特の部屋臭がした。いわゆる男臭さである。それに加えて電子機器のニオイやら得体の知れない薬品っぽいニオイが混じってここのニオイを作っているといえる。
研究棟は部屋のみのプレハブなどではなく、玄関や簡単な流し台程度は備えたマトモな建物である。広さも母屋とそれほど変わらないが、さまざまな実験装置の他に小型とはいえいわゆるキュービクル(立体式給配電盤)まで備えていたので、それらを納めた小部屋のようなスペースや間仕切りがあるせいでずいぶん狭く思える。
灯りをつけたいところだが、そんなことをしたら「ココにいますよ」と知らせるようなものだ。機械類や本棚が窓際だろうが壁だろうがお構いなしのごちゃごちゃに置いてあることは知っていたが、はたして電灯を点けても外へ光を漏らさないほどにびっしりと埋まっているかどうかまではイマイチ覚えていない。
懐中電灯でもあれば…と思ったが、そんな気の利いたモノなどここには置いていない。皮肉なものだ。一般住宅なら数件分のすべてのブレーカーを一瞬で落としてしまうほどの電力を扱う装置はすぐそばでブーンと低いハム音を立てているというのに、たった電池二個分3ボルトで灯る豆電球はないのだから。
だが玄関を抜けて研究室へ入ると、様々な機械のパイロットランプがまぶしいほどの光を放っていた。闇に慣れた目には、モノの形を認識するのに充分な明るさがあった。
とはいえ、耕介のことだから足もとにどんな危険なモノを放置してあるとも限らない。そろり、そろりと部屋の中へ進んでゆく。
〈ACT:25へ続く〉
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