「…え?」
喧噪で、よく聞き取れなかった。
彼はもう真っ赤になってしまい、まだごにょごにょと口の中で何かを言っている。それが言葉ではなくて単なる音でしかなかったから、ぼくはただ首を傾げるばかりで、
「…えっと?」
と目をぱちぱちさせる。
「っ…」答える気があるのかどうか、目の前のパフェを乱暴にかき混ぜながら、彼はやっと口を開く。「だから、その。…だから、だな。」けれどもいまいち要領を得ない。
「…ね、そんなに混ぜたら溶けちゃう。」
そうやって声を掛けると、彼ははっとしたように顔を上げて、ばつの悪そうな顔で押し黙った。パフェに突き刺さったままのスプーンを抜き取ると、そこにしがみついたままの少量のアイスとコーンフレークとを口の中に入れた。ゆっくりと、咀嚼。それから、コーヒーを一杯。ふーっと、大きなため息をひとつ。
…うーん。
放課後空いているかと言ってきたのは、彼の方だ。曰く、話がしたいと。
話なら教室ですればいいじゃない、と返したのは覚えている。そう言うと彼は途端に真っ赤になって、そんなの、ここで話すことじゃあない、と慌てたようにそう言ったんだ。だから、ここへ連れてきたというのに…。
席に座って、何故か大きなパフェを頼んで、そのまま。借りてきた猫みたいにちょこんとして、そのまま。そうして、ぼそっと何かをしゃべって、そのまま。
…はぁ。何なんだろう。
大体、クラスの中でも人気者の彼が、ぼくを誘う理由がいまいち理解できない。クラスには可愛い女の子なんていくらでも居るはずだし、そういうのが選り取り見取りなくらい、彼がモテることだって十分に知っている。下駄箱がラブレターで溢れるなんてしょっちゅうらしいし、机の端っこからなにやら手紙がはみ出ているのも見たことがある。体育の時間なんて黄色い声があちこちから飛ぶし…それが、どうして、こんなぼくを。
「…ねぇ。あのさ。」たまらなくなって声を掛ける。彼はまた、はっとしたように顔を上げる。「一体、何の用なの。」
「…っと…。」その言葉に、彼は頬を掻き、俯く。「…えっと。だな。うん…。」
暫く沈黙。店の喧噪だけが響く。そして、意を決したように彼は顔を上げた。
「…なぁ、お前。付き合ってる子とか、いるのか。」
「…は?」
…一体、何の話だ。予想もし得ない台詞だったから、返事が思い切り無愛想になってしまった。でも、彼はそれに気付いているのか否か、勢いが付いたように、テーブルの上のぼくの手を両手でぎゅっと握り、身を乗り出してくる。
「好きな子とか。あっ、好みのタイプでもいい。付き合ってるなら、いつからとか、その、教えて欲しいんだ。」
「…え、っと…?」
早口でまくし立てる彼に、けれど、ぼくは曖昧に返事をしながらも頭をフル回転させていた。
なんで?なんで彼がぼくにそんなことを聞く?可愛い子に取り囲まれている彼が?
一瞬、新手のイヤミかとも思ったが、彼の目を見る限りそうでもなさそうだ。全く真剣そのものの目でぼくを見ている。見つめている。
…これは、マジだ。
「…いないよ、そんなの。」
ぼくは、正直にそう答えた。そうだ、そんなのはいた試しがない。生まれてきて16年間、女の子と一度も付き合ったことがないし、そういう雰囲気にすらなったことがない。そろそろ年齢=彼女いない歴だなんて、不名誉な称号が与えられてしまうくらいには。
そうしたら。
彼は、いきなり笑顔になった。「そうか、そうか」とか言いながら、見ているこっちがびっくりするほど明るく、むしろ擬音がつくなら、『ぱぁっ』とか出そうなくらいの笑顔で。
それを見てると、なんか、思う。イケメンなのだ、彼は。悔しいくらいに。眩しいくらいに。ぼくなんか、とても及ばないくらいに。
…はぁ。
「ねぇ、そんなくだらないことのために、ぼくを呼んだの?」
思わずトゲのある言い方になってしまった。しまった、と思うが、彼はそれに気付いていないらしい。相変わらず気持ち悪いくらいににこにこしながら、じゃあ、と声のトーンを落とす。
「…彼女がいないってことで、いいんだよな。気になってる子もいないってことで、いいんだよな?」
敢えてそうやって連呼されると、ムカつく。そうだけど、と思いっきり機嫌悪く返すと、彼は、うん、と頷いた。
「…そうか、良かった。」
…良かった?
引っ掛かった。魚の小骨みたいに、その言葉が。
…何が?何が良かったんだ?
けれどそれは、ネガティブな意味ではきっとない。それは彼の、満面の笑みから見て取れる。だとすると、…だと、すると?
それは、ひとつだけ思い当たった。けれども、その可能性は限りなく少ない。ぼくは頭を降ってそれを打ち消す。いや、それはない、絶対にない。ない、はずなんだ。
だって、…だって、彼は。
そう思ってるうちに、彼は、ぐっとぼくの手を握る手に力を込めた。
「…もう一度、言うぞ。一回しか言わないから、その、よく、聞いて欲しい。」
ぼくははっとする。彼の目はまっすぐだ。じっと見ていると射抜かれてしまいそうなくらいに。
くらくらする頭をなんとか立て直しながら、それでも、その目を見返す。
彼の形のいい唇が動き、言葉が紡がれて…―
「… 、… 。」
「…は?」
…呆気に取られてぽかんと開いた口から、素っ頓狂な声が漏れた。
ワケが解らなかった。理解が出来なかった。だからその言葉を、言葉として脳が取り入れる前に、拒絶してしまっていた。
…え?今、いま、なんて、何て言った…?
ぼくが答えないままに呆然としていると、彼の頬がすぐさま真っ赤になった。あーとかうーとか何とか言いながら、返事は後ででいいから、いやむしろいらないから!と早口に言って荷物をまとめ始める。
「じゃ、あの、また明日。」
そう言い、ぴっと指を伸ばして敬礼し、彼は去っていった。
残されたのはぼくと、テーブルに置かれた食べかけのパフェと、会計なのか、小銭がいくつかと。
…はい?
繰り返す、その言葉が、やっと意味を持ち、
ぼくの脳がそれを言葉として処理して、それが…
たしか、おまえがすきだとかなんとか、いっていたようなきがして、
「…!?」
一気に顔が赤くなる。え、とか、は、とかしか声が出ない。
今、側に彼がいないことを幸運に思った。こんなところで、高校生男子が二人して、手を繋いだまま顔を赤くしているなど、回りから見たら誤解されかねない光景だからだ。
…誤解。
…でも、それは。
「…あー、っと…。」
ぐしゃりと、前髪を握る。卑怯だ。まったく、卑怯だ。こんな、こんなところで。
思いも寄らないかたちで、彼の思いを知るなどと。
「先、越された、ね…。」
卒業するまで胸に秘めておこうと思ったのに、それなのに。
「ばか。」ぼくは、呟く。それは店の喧噪に紛れてすぐに消えてしまう。それは誰に宛てたのか、ぼくか、それとも、…。
立ち上がる。テーブルの上にばらまかれた小銭を、ひとつひとつ指で拾う。けれど、指先がひどく震えているのに気付いて、ぼくはふっと小さく笑う。
まったく、彼はいつもぼくを悩ませてばかりだ…こんなときですら、ぼくの心を離してくれないらしい。
「…ばか。」
たったその、一言だけ、呟いて。
ぼくは店を出た。初夏の風はどこまでも爽やかで、蒼天、若葉の緑がよく映える。
明日、どんな顔をして会おう、どんな顔で返事をしよう…?そう考えると、なんだかわくわくしてきた。クラスの中でも人気者の彼が、ぼくみたいなのと、その、付き合う、なんて。
なんだか生々しい響きのその言葉に、たまらず顔を赤くしながら、ぼくは駆け出す。春の名残の空気だけが、ぼくを追い越して舞い上がっていった。
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