No.472167

竜たちの夢5

一刀音の唾付けの旅は今回で最後です。
次回から黄巾党の話に時間が飛びます(



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2012-08-18 23:45:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:6049   閲覧ユーザー数:5285

 

 

 

 

 并州五原郡九原県は人中の呂布、馬中の赤兎馬と言われた、呂布奉先の出身地である。

その武は並ぶ者無し――無双と言われたそうだが、これは敵将を一騎打ちで打ち取った記録が彼のものくらいしか無かった、というのが原因という一説もある。

 

 一刀としては、そんなことでそのような尾鰭が後についたのだとすれば、幻滅するしかない。

この世界で彼が出会った者達の中で武を確かめられたのは愛紗だけだが、彼女は完全ではないにしろ竜だ。

人間の中で最強なのは呂布だと考えている一刀からすれば、それがこの世界で適用されるのは困るのだ。

 

 史実で呂布が死ぬのは割と初期で、反董卓連合結成から十年も経っていなかった筈だ。

一刀としては、その間に呂布を掠め取り、呂布という人間を殺し、別名を名乗らせるつもりである。

幸いこの世界には真名がある為、姓名と字は上書きが容易だ。

 

 

「しかし……この辺りは放浪者が多いな。治安はあまり良くないと見た」

 

「確認してみましたが、やはり一刀様が仰った通り、ここの勅使は丁原という人物ではありませんでした」

 

「丁原は菅史としては凡庸だが、気骨のある人物だと聞いている。数年の内に代わる筈だ」

 

「確かに、多少凡庸でもやる気のある人物の方が、より良い状態にできそうですね」

 

 并州は司隷の隣の州である筈だが、荒れ具合が目立つ。経済に関しては絶望的ではないものの、治安が悪いのは問題だ。

治安が悪いというだけで、民の不安は増大し、その結果仕事の効率にも影響が及ぶ。

人間はストレスによって成長するものだが、ストレスが成長を妨げることも多々あるものだ。

 

 特に、このように漢王朝、つまりは国家が衰退している状況では、ストレスは民を苦しめるだけだ。

一部の諸侯はそのストレスをバネに成長しているのだろうが、所詮は一部の者だけ。

大部分を占める民に不安が染みついていくこの状況では、黄巾の乱を起きるのも無理はない。

 

 黄巾の乱は民が自分達を苦しめる王朝を倒す為に一斉蜂起した筈の組織だが、その実態は略奪を繰り返し、同じ民を苦しめるだけのものたったのだから、本末転倒だ。

言うなれば、黄巾党は一斉蜂起した瞬間に負けていたのだ。大義も、その本質も失われていたのだ。

 

 

「有能な者は意外と多いものだ。しかし、有能で民のことを考える者は、凡庸だが民のことを考えている者よりも遥かに少ない」

 

「確かに、最近の役人達は保身に関しては有能ですね。それ以外はお察しですが」

 

「なぁ、いつも思っていたんだが……愛紗って意外と毒舌だな」

 

「事実をただそのまま述べているだけです。それを言うならば、一刀様も同類です」

 

「……違いない」

 

 一刀と愛紗は顔を見合わせると苦笑した。愛紗も一刀も事実をそのまま行ってしまう為、きつい物言いになることが多いのだ。

彼らは強い。だからこそ事実をそのままぶつけられても、壊れない。

揺るぎはしても、すぐに立ち直れるのだ。

 

 しかし、人間はそうもいかないものだ。直情型で、思慮の浅い人間は簡単にキレてしまうだろう。

一刀からすれば、それもまた人間である証だが、公私の使い分けくらいはできるようにして欲しいものだ。

 

 

「それにしても……っと、すまない。大丈夫か?」

 

 一刀が愛紗と話しながら曲がり角を曲がると、反対側から出てきた誰かとぶつかってしまった。

その拍子で相手が持っていた袋が地面に落ち、その中身がこぼれてしまう。

どうやら肉まんのようだが、地面に落としてしまったのでは食べない方が良いだろう。

 

 一刀は未だこぼれていない肉まんが袋の中にあるのを確認すると、ぶつかった相手に手渡した。

彼がぶつかった相手は齢十三といったところか?身長などは平均的だが、しなやかな筋肉が武人であることを知らせている。

この地方では珍しい褐色の肌と、赤い目と髪のコントラストが印象的な少女だった。

 

 

「……大丈夫。だけど、肉まん……」

 

「すまないな。落としてしまった分は弁償する。何処で買ったんだ?」

 

「……本当?」

 

「ああ、本当だ」

 

「……こっち」

 

 寡黙な子だな、と思いながらも一刀は少女の跡に続く。落ちた肉まんはそのままにすると困るので、彼が持っていた紙袋に入れておいた。

彼はすぐに気づいたのだが、この少女からは獣の匂いがする。匂いからして恐らく犬だ。

地面に落ちた肉まんでも、外側を剥げば中身は食べられるから、犬の餌くらいにはなるだろう。

 

 

「一刀様……」

 

「分かっている」

 

 愛紗が何か言いたそうな表情で一刀に話しかけてくるが、言いたいことは分かっている。

彼らを先導する少女は異質だ。今まで会ってきた者達はいずれ天下に名を轟かせる者となるだろうが、この少女は違う。

彼女は既に、将以上の武を備えている。それでも、まだ成長段階だ。

 

 一刀からすればまだまだ粗が目立つものの、彼女は天性のものを持っている。

彼女は確かに圧倒的な何かを持っている……磨けば、まさしく天下無双の武を得る程の。

曹操を遠目に見た時や、孫家の者と合見えた時も覇気を感じはしたが、この少女もまた覇気を持っているのだ。

 

 しかし、その質があまりにも異なる。この少女の覇気は王のそれではない。

慈しむ王の覇気は心の曇りを洗い流し、律する王の覇気は心の形を洗練させ、鼓舞する王の覇気は心を昂らせる。

しかし、この少女の覇気はそのどれでもない。

 

これは、何処にも行けぬ者の覇気だ。

 

 

 

 

「……ここ」

 

「ここか。おっさん、肉まん十個頼む。この子の肉まんを駄目にしてしまってね」

 

「あいよ! お兄さん、見ない顔だけど旅の人かい?」

 

「ああ。見聞を広める為に旅をしている。ここの景気はどうだい?」

 

「悪くない。ただ、治安の方はどうにかして欲しいところだ」

 

 肉まんを売っている店の店主に聞いてみると、やはりここは治安があまり宜しくないようだ。

一刀からすれば、こういった民の意見を身近で聞く役職を設けておけば大分違うと思うのだが、そうしようとする発想はここの役人には無さそうだ。

 

 そういった役職は賄賂を渡されることも多いだろうが、そういったことをする人物を特定する役割としても機能させれば良い。

トカゲの尻尾のように扱うもよし、絶対に裏切らない者を起用するもよし。

幾らでも方法はあるのだから、それを考えないのは怠慢だ。

 

 

「肉まん十個でぇ。しっかり味わっておくれ!」

 

「ありがとう。代金だ」

 

「へへ、皆が兄ちゃんみたいな目をしてくれるとうちとしても嬉しいね」

 

「綺麗な眼だろ?」

 

「おいおい、自分で言うもんじゃねえだろう」

 

 気軽な遣り取りをすると、一刀は十個買った肉まんの半分を少女に渡した。

彼はこういった身近さを感じさせる空気の中で全てを進めていくのが非常に得意だ。

それこそ、見た者全てに天性のものを感じさせる程に彼の内政の仕方は斬新で、上手い。

彼の本質はこういう部分にあるのだ。

 

 愛紗からすれば、五胡に関する件も一刀が無理をしているようにしか思えない。

彼の本領は内政においてこそ発揮されるのであって、彼がしようとしている憎まれ役は他の者に任せれば良いのだ。

それを、彼は余計な重荷を背負おうとしている。

 

 愛紗にとって、一刀のそういう一面は美点でもあるが、同時に嫌いなものでもあった。

自分を愛せない者が他者を愛せないように、己を大事にできないものは他者も本質的には傷つけるのだ。

それを早く彼に気付いて欲しいが、中々に難しい。

 

 

「……ありがと」

 

「何、こちらの非を帳消しにしようとしただけだ。礼は良い」

 

「お兄さん、良い人」

 

「……それはどうも」

 

 一刀から肉まんを受け取ると、早速もきゅもきゅと食べていく少女に少しばかり引きながらも、一刀は少女の言葉に答えた。

竜故か、あまり食事を必要としなくなってきている一刀からすると、凄まじい光景だ。

まるで動物のようだ……と思ったが、動物にも失礼な気がして一刀はその考えを振り払った。

 

 まるでリスが実を頬に詰めていくような光景は、見る者全てを和ませるのであろうが、一刀にはどうにもその気になれない。

それが何故なのかは彼には分からないが、この少女はどうにも彼の感覚に引っかかるのだ。

愛紗が彼を冷静にさせるのならば、この少女は彼を昂らせる。

 

 その無邪気な表情を今すぐにでも破壊したい衝動を感じ、一刀は混乱する。

この少女は彼の逆鱗にはなれない。愛紗のように彼の同志にはなれない。だが、それ以外の何かになる。

彼の理性が告げている。ここでこの娘は葬っておけと。

しかし、彼の本能は告げている。この娘を生かしておけば楽しみが増えるぞ、と。

 

 

「……恋」

 

「なんだ?」

 

「私の真名」

 

「……済まないが、俺は受け取らないぞ」

 

「……恋のこと、嫌い?」

 

 突然真名を預けてきた少女に、一刀はその危険性を改めて理解する。彼女に理は無く、ただ鋭い嗅覚だけがあるのだ。

彼女は軽い気持ちで彼に真名を預けているのではない。本能的に、彼を束縛しようとしている。

 

 北郷一刀に真名を預けるということは、即ちそれに見合う待遇を彼に約束させることになる。

真名が無い彼は、ただその行動で誠意を示し、その振り切れそうな秤を平衡にしなければならないのだ。

それを彼女は知らないが、彼がそうすることを理解している。

 

 この少女は愛紗と同じようで、だがまるで違う、本当に何処にも行けない者だ。

戦う理由は内にはなく、ただ本能のままに暴力を揮う、天だけに愛され、人にも地にも愛されない存在だ。

外見は人の形をしているが、その精神は人の形を保てていない。

 

この少女は―――危険だ。

 

 

 

「嫌いだと言ったら、どうする?」

 

「……直す。お兄さんが嫌いなところ、言って」

 

「……くく……ははは!! なら、強くなれ。誰よりも強くあれ」

 

「……そうしたら、好きになってくれる?」

 

「ああ、女としても、武人としても、俺を満足させるだけの者になれば、な」

 

「なら、頑張る」

 

 

 だからこそ、一刀は少女に成長を促す。彼は理性ではなく、本能に従うことにする。

この少女が彼にとって数少ない楽しみの一つになってくれることは間違いない。

圧倒的な暴力で以て、彼以外に劉備を突き動かせる嵐になる筈だ。

 

彼が風車の向く方向を導く嵐ならば、彼女は風車の向く方向を強制する嵐となるだろう。

内側に戦う理由を持たないが、しかし戦いを求める彼女は、大きな戦乱の中で一際輝く。

戦乱は彼女の本能を満足させ、だが理性を疲弊させていく。

 

 彼女は純粋だ。それ故に、己の中に潜む獣を恐れ、しかし戦いを求めるだろう。

一刀はその獣を後押しているだけだ。北郷一刀という竜に己が戦う理由を求めようとした彼女に、強くなる理由を与えてやるだけだ。

そうすることで、獣は彼に尻尾を振る。より依存する。必死に寵愛を受けようとねだる。

 

―――かわいらしいものだ。

 

 

 

「十年だ。十年の間精進しろ。再び俺と会った時、失望させるな」

 

「……うん。恋、頑張る」

 

「ならば、行け。一時すらも無駄にするな」

 

「……またね、お兄さん」

 

 

 少女と一刀の間に多くの言葉は必要ない。彼が会話をしているのは人ではないのだ。

彼女の中の獣は彼の言葉を理解し、今はまだ彼に認められていないことを知らせる。

常人からすれば、あまりにもおかしな遣り取りも、彼らの間では確かに伝わるものがあるのだ。

だからこそ、少女は名残惜しそうにしながらも、去った。

 

 空虚な彼女を埋めてくれる圧倒的存在の言う言葉に間違いなど無いことを信じて。

その純粋さは美しいと一刀も思う。今の彼には無いものだ。

しかし、その純粋さは彼女の中の獣と戦うにはあまりにも明確な弱さだ。

それが歪みに歪んでいく引き金を、彼は今引いたのだ。

 

この時、一刀はあの少女を人間として殺した。

 

 

 

「一刀様……」

 

「愛紗、あれは強くなるぞ。これからどうなるか楽しみだ」

 

「宜しかったのですか? あの子は―――私と同じ何処にも行けぬ者です」

 

「だからこそ、だ。あの貪欲さを利用させて貰う。それに、あれは今手元に置くには危険過ぎる」

 

「……御意」

 

 愛紗の言う通り、あの少女は彼女と同じ何処にも行けぬ者だが、愛紗と比べると不安定過ぎる。

一刀には、今の彼女を手元に置くつもりは最初から無かった。

彼が求めるのは、愛紗のように支えてくれる者であって、依存したいだけの存在を抱え込むつもりはない。

 

 そもそも、彼を戦う理由としようとすること自体が間違っていることに気付いて欲しい。

戦う理由は、各諸侯たちが示してくれるのだ。それを一刀に求めるのは間違っている。

確かに竜は極々一部の人間を異常なまでに魅了するのだろうが、彼は戦う理由にはなれない。

 

彼の元に居たいのならば、戦う理由は劉備達から与えられて然るべきであって、彼から与えられるのを尻尾を振りながら待つ者に用は無い。

 

 

「安心してくれ。あれは絶対に迎えに行く」

 

「……はい」

 

 何処か不安げな表情で一刀を見遣る愛紗に微笑みながら、彼はあの少女を迎えに行くのを約束する。

しかし、それでも愛紗の表情は暗いままであった。その理由は一刀には分からない。

だが、あの少女もまた竜であることが関係しているのは分かる。

 

 あの少女は愛紗と同じ、何処にも行けぬ竜だ。まだ覚醒はしていないようだが、いずれそうなる。

だからこそ、一刀の理性は彼女を危険だと判断し、本能は彼に対峙し得る存在として判断した。

 

 

「不安要素があるなら言ってくれ。愛紗には、俺よりも多くのものが見えている筈だ」

 

「いえ、そういうことではないのです。ただ、あの子に共感してしまっただけで」

 

 

 愛紗は彼に仕えることを喜びとしている節がある。つまりは今の関係で十分なのだが、あの少女は違う。

これは一刀の勝手な想像でしかないが、あの少女は彼に“彼女だけの主”であることを望む筈だ。

あれは飢えている。何に飢えているのかは分からないが、その欠損の穴埋めを彼に求めている。

 

 だから、一刀は今の彼女を受け入れはしないのだ。

あの真紅の瞳が再び彼を見る時、彼女が彼を満足させる者になっているならば、その時は受け入れるだろう。

だが、今の彼女は駄目だ。彼を満足させるどころか怒らせるだけだ。

 

 

「愛紗とあの娘は違う。愛紗はただ傍に居るだけで俺のしたいことを理解してくれるが、あの娘は俺が直接分からせないといけない」

 

「……調教でもしている気分なんでしょうね」

 

「そんな怖い顔をしないでくれ。荒削りの獣を従わせるには、訓練が必要だ」

 

「ものは言い様、ですか」

 

「そういうことだ」

 

 言うことを聞いたならば、褒美をやる。悪いことをしたならば、罰を与える。

それは親が子にするのと同じで、飼い主が飼い犬にするのと同じだ。社会とはそういうものだ。

人間には言うことを聞いた後に切り捨てる者も居るが、それに関しては人間のみの特権である。

 

訓練と調教は結局の処同じ意味であり、躾もまた同義だ。社会は訓練なくして成り立たない。

あの娘を同志として迎え入れるのではなく、配下として迎えならば、一刀は彼女を訓練しなければならない。

 

 何をすれば彼が喜び、何をすれば怒るのかを心身に教え込むのだ。

それはもはや愛紗の言う通り獣の調教に等しい行為だが、一刀はやらねばならない。

訓練を怠れば、彼は嫉妬した獣によって喉元を噛み切られてしまうかもしれないのだから。

獣にそれを教えるのは骨が折れるが、理で教え込めないならば、体に教え込むしかない。

 

 

「理を知らぬ獣を使うことはできない。だから、飼うしかない」

 

「一刀様は……私が思っていた以上に聡明なのですね」

 

「素直にクズだと言えば良い。嫌になったら、いつでも見捨ててくれて構わないさ」

 

「ふふ…言った筈です。私はこの真名にかけて一生の忠誠を誓う、と。一刀様だけに背負わせはしません」

 

「……ありがとう」

 

 理に適った行為が、常に人道的な行為であるわけではない。人間の姿で生まれて来た獣を躾けることは、中々に難しいものだ。

一刀はそれを後ろめたく思っているし、そう思わなくなってしまえば完全に人間を捨てたことになってしまう。

 

 既に人間を切ることの躊躇いは失った。命を奪うことへの抵抗は捨て去った。

今までを振り返ってみると、一刀が人間であることを止めていない部分はそう多くないのだ。

人間を軽く扱うようになってしまえば、それこそ人間を止めてしまうことになる。

 

 罪悪感を失ってしまえば、彼は機械と同様の存在に成り果ててしまうだろう。

北郷一刀という人間は死んだ。だが、その心だけは失いたくない。彼が行動する理由を見失ってはいけない。

彼は、この大陸の皆が笑顔で暮らせる世界を作る為に、ここに居るのだ。

その思いを忘れてはいけない。

 

 

悪役とは、優しい心を失っては演じられない役なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女――恋は、気分が良かった。

 

 彼女が生まれて既に十二年経つが、今日会った男性はその中でも格別な存在だったのだから。

恋は常に一人であった。周りに人は居ても、皆何かが彼女と異なり、彼女は誰が傍に居ても孤独を忘れられなかった。

いや、そもそも彼女は孤独という感覚すら今日まで理解していなかった。

 

 恋が孤独を初めて理解したのは今日、肉まんを買ってくれた男性と別れた後だった。

初めて、別れて寂しいと感じた。彼の傍にずっと居た黒髪の女性を羨ましく思った。

簡単に真名を預けない筈の彼女が、出会ってすぐにそれを預けたいと思ったのは初めてだ。

そんな彼が、再会を約束してくれたことが、彼女は嬉しい。

 

 

「……ふふ」

 

 恋はあのままでは二度と会えないと思った。だから、そのまま連れて行って貰おうとしたのだ。

それが断られた時はショックだったが、彼は十年後に迎えに来てくれると約束してくれた。

あまり言葉を交わしはしなかったが、彼女は彼の示したものを良く理解できたつもりだ。

 

 人間は言葉で意思疎通するが、竜は目で意思疎通をすることを、彼女は本能的に理解している。

だから分かったのだ。あの竜が彼女を飼ってくれると。彼女を愛してくれると。

生まれた時からぽっかりと空いていた彼女の胸の穴を埋めてくれると。

 

 彼女には最初から力があった。誰よりも優れた武があった。誰もが目を置く暴力を誇っていた。

だが、彼女には理由が無かった。強くなりたいという本能があっても、そうさせる理由が無かった。

それを彼がくれたのだ。彼女にとって最高の形で、最高のものを。

 

 

「……竜」

 

 あの竜は恋を飼ってくれる。愛してくれる。彼女が生きる理由をくれる。

力を得た代わりに決定的に欠如していた意志を、彼が担ってくれるのだ。彼女を支配してくれるのだ。

そう考えるだけで、彼女は幸せな気分になれた。

 

 揮われない力は価値が無い。

ただそこにあるだけで抑止力になる力というものは、一度振るわれたことがあるからこそ抑止力足りえるのだ。

彼女の武もまた、抑止力と同じで揮われなければ意味をなさない。

 

 それを竜が許してくれる。恋を使ってくれる。彼女の存在意義を示してくれる。

なればこそ、彼女は竜に喜んで貰うために己を磨くのだ。

圧倒的な力を更に高め、まさしく無双の領域に達するまで励むのだ。

 

そう思った恋は得物を構えたが――

 

 

「……ゴフッ」

 

 

 不意に、吐血した。

 

 突然全身を襲う気だるさと吐き気が彼女を混乱させる。

彼女生まれてからこの十二年間の間、このような感覚を味わったことなど一度もなかった。

彼女は今まで病気になったことはないし、最近も体調はすこぶる良い。

それなのに、何故吐血したのか彼女には理解できなかった。

 

 

 

「……鱗?」

 

 しかし、己が吐き出した血の中に含まれた真っ赤な鱗に気付いた時、彼女は悟った。

彼女もまた彼と同じ竜なのだ、と。彼と同じ人外だったのだと。

それは悲しむべきことなのかもしれないが、彼女には嬉しい変化としてしか捉えられない。

 

彼女が孤独であった理由は彼女が竜だったからなのだ。人間ではなかったからなのだ。

今日、彼女は竜と出会った。その竜は十年後に迎えに来ると、その眼で語ってくれた。

そう、彼女はもう孤独ではないのだ。十年の時を鍛錬に費やすことで、彼女と同じ化け物が迎えに来てくれるのだ。

 

 恋が化け物と言われたのは二度や三度ではない。それは確かに事実だったかもしれない。

だが、それがどうした?彼女は孤独ではないのだ。同じ化け物が将来を約束してくれたのだ。

彼女はその期待に応え、同じ化け物に愛される――それで良い。

 

 

「……ふふ……はは……はははははは!!」

 

 恋はおかしさの余り笑いを禁じ得ない。

時に狂っていると言われ、時に壊れていると言われ、挙句の果てには化け物と言われてきた。

だから、彼女は自分を欠陥品だと思っていた……そう思い込んでいた。

 

 

 だが、それは違った。

 

 彼女は選ばれた存在だったのだ。今日出会った竜のような人間を超えた存在なのだ。

だから誰も彼女に勝てなかった。だから彼女は異端だと言われていた。

辛かった。ただただ辛かった。

そんな時間も、あの竜に出会う為にあったに違いない。

 

 だから、彼女は笑った。

 

自分が幸運であるが故に。

 

自分は居て良い存在だったのだという安心が故に。

 

 

 

 

 

 

この日、恋という名の人間は死に―――呂布という名の竜が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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