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≪漢中鎮守府・評定の間/司馬仲達視点≫
(なるほど、そういうやり方を選びましたか…)
私は微笑みの下で、公祺殿の考え方に賞賛を送っていました
確かに、人によっては悪辣に過ぎるやり方といえるものですが、これが試金石となるのは明白です
楽文謙がなんらかの目的を持って漢中に居たのは間違えようもないことですし、恐らくは先の袁紹動乱において伯珪殿と知己を得ていたのも間違いのないところです
この場に子敬ちゃんはいませんが、捕縛された時点でその容貌を近衛が伝え、恐らく楽文謙本人だと太鼓判を押してもいます
子敬ちゃんの言を借りるとですが
「戦場で受けたのとは違う疵が全身を被ってる武将なんて、そんじょそこらに居るもんでもないでしょう。髪や目の色といい、右目を縦に走る疵といい、間違いなく楽文謙でしょうね、くきゃきゃ!」
という事になります
少しは余裕が出てきたのか“瘋”を装う余裕もできてきたようで何よりです
令則殿の報告を考慮に入れれば、楽文謙は今、板挟みとなっています
ひとつは自分が仕える曹孟徳に対して
楽文謙にしてみれば、ここで孟徳の名前を出すことは絶対にできません
伯珪殿と共にいたとの報告から、その時に一緒にいた人物もまた、孟徳となんらかの関わりがあるのは自明の事で、それを庇う為にもそれらを口には出せないのです
もうひとつは、涼州の刺客という嫌疑に対して
これを否定するのは簡単ですが、そうなれば必然、気弾を用いて私達を守った事について言及せねばならなくなり、今彼女が必死で庇おうとしている人間や伯珪殿にまで咎が及ぶ危険を犯すことになります
もっとも、後者に関しては考える方が悪いのですが
なぜなら、我々天譴軍は確かに漢室と肩を並べていますが、別に漢室の臣ではありません
勝手に入り込んできた諸侯の臣を我々の裁量で扱うことは容易ではありますが、伯珪殿を裁く事は事実上不可能なのです
当然、友好を疑う事で相手の面目や立場を悪くする事くらいはできます
しかし、所詮はそこまで
私達としては、せいぜい伯珪殿には穏便にお帰り願うようにするしかない、という事です
それに付随して、もうひとりの人物を強硬に庇われた場合、我々はそれに否と言えない状態でもあります
つまり、漢室に対して私達が持っている優位性はせいぜいその程度なのです
そういった意味では、董相国の方が余程影響力もあり、実権もある事でしょう
そこでこの扱い方が重要になってきます
郭奉考
彼女を詮議に用いる事により、私達はふたつの優位性を得られる訳です
ひとつは、この詮議がどう転んでも私達の失策とはならない、という点
一見、郭奉考に任せた事により私達が自身の力量と立場に自信がないように見られますが、長い目で見た場合、それは優位に働きます
我が君がどうお考えかを抜きにして、孫家や劉玄徳達には私達を侮ってもらった方が都合がよいのです
つまり私は、孫家のみならず劉玄徳も全く信用してはいないのです
恐らくは他の面々もそうでしょう
彼女達が本当に天譴軍と手を組めるかは、涼州を平らげた後でないと答えはでないのですから
もうひとつは曹孟徳に対する牽制です
私は彼女の性癖や気質を嫌ったが故に仕官を拒み続けましたが、彼女は間違いなく王の器です
交州へと追いやりましたが、遠からずそこで地盤を再び確立するでしょう
その時に、楽文謙を処したのが郭奉考となればどうなるか
断言できます
それでも曹孟徳は郭奉考が仕官を求めたならば必ずです、彼女を重用します
しかし、彼女に付き従う将兵の全てが、それに納得がいくかどうか
言うまでもなく、全てがなどという事はありえません
つまり、これはこの場にいるものもいないものも含めた諸侯全ての心にほんの小さな棘を打ち込む、ただそれだけの事なのです
そして、楽文謙を涼州の刺客とこの場で公言した事は、政治的には非常に重要な意味を持ちます
それをこの場で完全に否定しない限り、漢室は涼州攻略にあたって私達の要請を断る事が非常に難しくなるのです
涼州諸侯、わけても馬一族が漢室の臣を公言すればするほどに
さて、お膳立ては整った事ですし、あとはゆっくりと観覧させてもらう事と致しましょう
正直、我が君の方が気掛かりで、このような些事等興味はないのですが
≪漢中鎮守府・評定の間/孫仲謀視点≫
(あれは確か……)
私は、この詮議を傍観しながら、傍らにいる冥琳にこっそり耳打ちをする
「あれって確か、曹操のところの…」
私の視線の先にいるのは、腰に工具をぶら下げた少女だ
冥琳はそれに小声で返してくる
「ええ、私も見た覚えがあります
ですので、そこで詮議を受けているのが楽文謙というのに間違いはないでしょう」
その囁きに頷きながら、私は天譴軍のやり方に違和感というか、回りくどさを感じている
これが姉樣……
いや、孫呉であるなら、このような回りくどい事はまずやらない
多分とっくに斬って捨てていると思うからだ
「そういえば、他に捕まったって連中の処遇はどうなったの?」
「それについては私も最初から同席していましたが、よくて公開処刑でしょう
最終的な刑罰は後程決める、という形になりましたが、それは我らが口出しする事ではありませんしね」
「ふうん…」
明命の話では、天譴軍は罪科が明白な場合の刑罰の決定と執行に関しては間を置く事がない、と聞いていたけれど、今回は違うという事なのね
私は他にも疑問に思ったことを聞いてみる事にする
「それで、どうしてわざわざ詮議をする人間を変えたのかしら?
どう見てもあの郭奉考って人物、私達と同じ客将なんだけど…」
冥琳は腕を組んで頤に指を当てながら呟く
「恐らくは、ですが…
なんらかの政治的意図があると考えます
通常、こういった場合に客将を用いる事は、その人物の能力を試す意味合いがあるものですが…」
「それは違う、と?」
「このような大事件に際してそのような事を行うのは、無能と誹られるのが普通です
私ならまずやりません
しかしながら、これだけの顔触れの中でわざわざそれを行なったという事は…」
必ず別の意図がある、と冥琳は断言する
そして、その理由は観衆となっている私達に向けた示威運動でしかありえない、と
厳しい視線で座を見詰めている冥琳の言葉に、私は新たな疑問が沸き上がるのを自覚した
今更、私達に対して何をしてみせるつもりなのだろう
今の私達では悲しいかな、天譴軍には逆らいようがない立場だというのに…
私はなんとなく、上座に目を向ける
そこには私には向けた事のない、暗く冷たい視線で楽文謙を見ている北郷一刀の姿がある
ほんの少しの間だけど、穏やかな時間を二人で過ごした、はじめての男性
その傍らには同じ女として羨望に値する気品と美貌、そして大陸に名を轟かせる名望を持った女性が微笑んで佇んでいる
その反対側には、思春と恐らく同格といえる武を誇る、私等より数段上にいるだろう女性が、これも同じ女でなければ解らないだろう、熱く優しい眼差しで彼を見ていた
ちりっとした何かが、一瞬私の胸で弾けて消える
昨日の彼と今の彼が、私の中ではどうしても繋がらない
天の国の料理が恋しいと言い、笑顔で創意工夫について語っていた彼
親の敵だとしてもこんな目で相手を見ないだろうというくらい暗い瞳で相手を見詰める彼
果たして、どっちが本当の彼の姿なのだろう
孫呉の命運にも関わってくるだろう詮議の場で、私はいつの間にか、そのような事に思いを馳せていた
≪漢中鎮守府・評定の間/張文遠視点≫
なんちゅうか、相変わらずえげつないわあ、天譴軍は
ウチは、半ば呆れ返りながらこの状況をただ見ていた
いや、別にサボってる訳やあらへんよ?
これでもウチ、驃騎将軍なんちゅう立場やし、一応詠と同格なんやで?
まあ、詠は大尉なんで、アレが上司ちゅうか、そんな感じではあるんやけどな
ともかくも、天譴軍のやり口は十分に知っとったつもりやったけど、やっぱり“えげつない”ちゅう感想しか出てきいへんわ
真弓の時もそうやったし、袁紹の時もそうやったけど、こいつらはとにかく自分達に降りかかった事を無駄にせえへん
あらゆる手を打って
それを次の…
その次の次の…
更に次の次の次の…
こんな感じで利用する事を考える
まあ、ウチだって戦場で何か不利な事が起こったからってすぐに諦めたりはせんし、それを逆用しようとは考える
確かにそれは考えるし、やれるなら実行もするんやけど、こいつら程徹底してやれるか、と聞かれたら答えは否やろな
どうやったらここまで徹底的に感情やらを排除してやれるんか、聞いてみたいくらいのもんや
聞いたら答えてくれそうなんがとっても嫌なんやけどな
ウチが無茶をした道中、伯達ちゃんとは話す機会があったんで結構話したんやけど、あのおっとりとした子にしてからが、政事の話になるとめっちゃ厳しい感覚を持っとった
冷酷いうんとは違って、なんちゅうか現実的ちゅうか……
上手く言えへんのやけど、何ができて何ができないのか、その基準がウチなんかとは全然違うところにあったちゅう感じや
例えば、ウチは騎兵を扱うよって、部下に求めるのはまずどれだけ馬を扱えるか、その速さと長さやな、まずそれが基準になる
一定以上のものがなきゃ、そもそもウチの速度に着いてこれんのやから、そんなん戦場じゃいらん訳や
でも、伯達ちゃんに言わせると、ウチの基準は間違ってはいないけど漢中では適用できんちゅう事になる
一部の飛び抜けた人間の基準で物事を考えると、着いて来れない人間はどうしようもなくなる
だから、基準は上が要求するものやなくて、下が要求するもので組み上げるべきや、言うんよな
そないな事したら戦場じゃみんな死んでまう、言うたんやけど、そうしない為に訓練があるとあの子は言うとった
つまり何が言いたいかというと、ウチはウチの基準に達した兵士を更に鍛え上げる事で精鋭を維持しとる訳やけど、伯達ちゃんは誰にでも出来る訓練を徹底的に行う事で全体を均質化する事が重要や、という話になった訳や
これを政事の話に当て嵌めると、誰にでも理解できる状況を創ってそれに相手を当て嵌め、徹底的に逃げ道を無くす、ちゅう事なんやと思う
これ、簡単なようでごっつう難しい事なんや
逃げ道、いう言い方で気に障るようなら、選択肢を無くす、ちゅう言い方もあるなあ
とにかく、どういう意味があるのかはウチには上手いように言えへんけど、ひとつだけはっきりしている事がある
ここで涼州の名前が出た以上、ウチらはこれに関して天譴軍の要請があった場合、出兵を断るのが難しい状況になった、ちゅうこっちゃ
涼州はいまだ天譴軍を認めておらんで、漢室の臣ちゅう立場を変えてへん
しかし、ここで涼州の誰かが先走って天の御使いに刺客を送った、なんちゅう事になれば、ひいては陛下の信義が天下に疑われる、ちゅう事になる
それはありえへん
絶対に認めたらあかん
この郭奉考ちゅう奴がどういう立場で詮議を任されたとか、そういうのは関係ないんや
ウチらにとって重要なのは、こいつが天譴軍の涼州統治に関して何かを任されている人間や、ちゅう事
その判断によっては、ウチらは軍を動かさなならんちゅう事なんや
そこまで考えて、ウチは従卒の振りをして側に控えてる陛下に声をかける
「ウチが言うのもなんちゅうか、僭越なんやけど、どないしますのん?」
陛下は苦笑を隠しながらウチに囁く
「相変わらず鮮やか、としか言いようがないものよな
これではこの事件に関わったものを庇う事などできぬからな」
「そうですよねえ…」
溜息をつくウチに、陛下が呟くように囁いてくる
「やはり間違ってはいなかったようだ
敵にできぬなら味方にしておかねばならん
この先何があってもな…」
「まあ、そうでっしゃろな…
ウチもこんなんの相手、ホンマ嫌やわ…」
そう囁き返して溜息をつくウチに、陛下は心臓が止まりそうな事を呟いた
「これはいよいよ、誰かに取られる前に婿にでもするべきかな…」
いや!
ちょ!
それは待ってえな!!
ウチ嫌やで!
あんなんに陛下の隣でふんぞり返られるとか、ホンマ勘弁してやあ!!
流石に聞き捨てならなくて大声で陛下に問いただそうとしたんやけど、それを押しとどめたのは劉玄徳の叫ぶような一言やった
「ちょっと待ってください!
涼州の刺客って、一体どういう事なんですか!?」
その顔は必死そのもので、なんちゅうか胸を衝くものがあったんやけど、同時にウチはこう呟いた
「アカンよ、今この場でそれはアカン…」
険しい顔で頷く陛下と一緒に、ウチはぎゅっと拳を握り締めていた
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拙作の作風が知りたい方は
『http://www.tinami.com/view/315935 』
より視読をお願い致します
また、作品説明にはご注意いただくようお願い致します
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