≪洛陽宮中・天譴軍陣内/司馬仲達視点≫
結論として言うならば、孫仲謀の申し出、否、孫家の申し出というべきでしょう
これについては議論の余地すらないものです
そもそも、血筋による統治を否定している我々にとって、婚姻は友好の証とはなりえません
個人的には非常に思うところはあるのですが、そういった事を抜きにしても応諾はありえないのが孫家側の申し出ということです
私を含めた全員が硬直した理由は、申し出の内容よりもその気迫と、なによりも身を差し出してきた人物そのものにあります
我が君の言葉を借りるのであればこうなります
「大陸に武で覇を成そうとするのであれば、孫呉の王は孫伯符しか考えられない
しかし、真実王として適しているのは孫仲謀だよ
孫仲謀なくして孫呉の安定した統治は考えられないね」
言い方を変えれば孫家の秘蔵子という事になります
そんなものを差し出してまで我々の支援を欲しがったのか、という驚愕が全員にあったのだと言えます
夕餉を共に、と誘ったのもその辺りを確認するには丁度よいという理由が多分にあるのでしょう
どちらかといえば、勢いに飲まれたというのが正しいのかも知れませんが
そのような理由から席を作り直す関係上、一度客人には客間に引いていただき、至急酒肴の席の準備を整えさせていただく事となりました
会談とは違いますので、しっかりと上座を作らなければならないのが理由ですが、身体検査を入念に行う時間も必要だったという事です
我が君には敢えて、長く会話ができるお身体ではない、という対外的理由で席から外れていただくことになりました
我が君はそれを逆に喜んでおりましたが、我が君に言わせると
「いや、孫伯符だっけ?
ああいう人って勘と勢いで物事をやる人間だと思うから、下手に同席すると本当に結婚させられそうな予感がしてね…」
高名な周公謹と親しかったという子敬ちゃんの言葉がこれを裏付けます
「いや、噂に聞く孫家の人間ってーのはですね、戦場では羅刹の如く、万事に豪快で情に溢れ、気が付けば一気に相手の懐に飛び込んできているという、なんというか生まれついての王族ってのが代々生まれてきてるようですよ?
くきゃきゃきゃきゃ!」
ともかくも、我が君以外はこの機会に孫家を見定めるつもりで酒肴を整えさせていただいている、という訳です
こうして、後を考えれば呆れるしかない酒宴がはじまりました
「えーっ!
仲謀がお嫁ってのじゃダメなの?
じゃあ私なら?」
「伯符!!」
漢中特産の林檎酒が珍しいらしく、喜々としてそれを口に運ぶ伯符殿の言葉に公謹殿が叱責の言葉を飛ばしたのは、酒宴がはじまって少ししてからの事です
「いや、この場合誰ってのはないんだけどね」
我が君の代わりに主人を勤めている公祺殿が、苦笑しながら説明をしています
「嫁でも人質でも、まあこの際はどっちでもいいんだけどさ
うちじゃあそういうのを信義とは看做さないし、支援の代価にも成り得ないって事なんだよ」
当然と言えますが、これに伯符殿は首を傾げています
「そうなの?
こういっちゃなんだけど仲謀は気立てもいいしお尻もおっきいし、いい嫁になると思うんだけどなあ…」
「姉樣っ!!」
色々と思うところはなくもないですが、確かに仲謀殿が女性として魅力的な容姿をしているのは認めざるを得ないところです
笑いながら伯符殿に酌をする仲業殿が、頷きながら冷かしを入れています
いつもの事なので誰も止めませんが、別に構わないでしょう
色に酔う部類の人間でないのは重々理解できておりますし
公祺殿の言葉に少し考え込んでいた公謹殿が、確認するかのように尋ねてきます
「ふむ…
それでは天譴軍としては、我々に支援は出来かねる、という事なのか?」
これに答えるのは子敬ちゃんです
「くきゃきゃっ
まあ、私が公謹に倉ひとつ投げてよこしたようにってのは無理ってもんです
一族に貧乏させて好きにやるのとは訳が違います」
「ふむ……」
水で割った林檎酒を舐めながら考え込む公謹殿を気にしながら、仲謀殿が私に話しかけてきます
「こういうのも可笑しいとは思うのだが、私は孫家の為に身を捧げる覚悟はできている
それはまあ、よく知りもしない男に嫁ぐのはどうかとも思うが、それもまた勤めではあるし…」
さて、どう答えたものでしょうか
その考え方こそが受け入れられない理由なのですが、恐らくはそれを言っても理解できないでしょう
まあ、無難に回答しておきましょうか
「天の御使いは宿痾を抱えていて、長時間の会談でも体調を崩すような方ですので、どのみちそういう理由では添えないと思いますが」
政略結婚はその先に子孫が残せるか、がまず大事ですし、孫家の覇気を考えればその程度では空手形と変わりません
納得がいかない様子の仲謀殿ですが、血縁による統治を拒否し、帝を王を否定している以上、他の選択肢はないのです
と、不意に納得がいったように公謹殿が頷きました
「伯符、仲謀樣
どうやら我らは天譴軍に関して勘違いをしていたようだ
確かにこれでは纏まる話も纏まらんよ」
『?
どういうこと?』
公謹殿は苦笑しながらしきりに頷きつつ、孫家のお二人に説明をはじめました
「いや、こうして席を共にしていてようやく理解できたのだがな
天の御使いを囲い込んだところで、我らに利はないという事だ
あの男はお飾りなどでは決してないが、天譴軍にとって絶対ではない
そういう事なのだろう?」
………さすがは美周郎、でしょうか
彼女の言葉に私達の雰囲気が一気に変わったのを二人も悟ったようです
『さすがは天下の美周郎』
「個人的な信義は天譴軍としては無意味で無駄でしかない」
「個人の信義は王族貴族だろうが決して重視されない」
『この短時間でよく気付いたよね』
いつものようにくるくると踊りながら飲んでいた皓ちゃん明ちゃんが、ぴたりと止まってそう話しました
公祺殿が苦笑しながらそれを補足します
「まあ、そういう事なんだよ
だから嫁だろうが人質だろうが意味はない
そういう事なんだ」
その言葉に困惑している仲謀殿と違い、伯符殿の瞳は一切の濁りがない鋭いものへと変わりました
なるほど、これが本性であるならば納得がいくというものです
伯符殿はぐいっと杯を呷って頷きます
「なるほど、ね……
仲謀や私、いや、孫家全部が正室や側室となっても、それは“天譴軍”にとっての利益と看做されない、という事ね」
首肯する私達をみて、伯符殿は“にやり”と笑います
「だったら、私達が“客将”ってーのはアリな訳?」
…………はい?
伯符殿の言葉になるほど、と頷く公謹殿
「確かに、同じ客将でいるなら、袁術にこだわる必要はどこにもないな
客将を辞する理由も袁術がくれた事だし、我らとしてはむしろその方が都合もよい」
そちらが受け入れてくれればだがな、と言って酒を舐める公謹殿ですが、この提案はかなり笑えません
彼女達は知らないでしょうが、袁術が陛下や相国や我々の庇護を求めてきたという事実があり、それは恐らく是とされる事でしょうから、これを断る理由が我々や相国にはないのです
いえ、断ることはできるでしょうが、これでわざわざ辺境に飛ばした曹孟徳のところにでも行かれた日には、一体どうなることか…
二人の異才に内心で歯噛みしつつ、私にはこう答えるしかありませんでした
「身辺を整理なさった後で改めてお越しください
委細はその時に」
なるほど、我が君が警戒に警戒を重ねる訳です
一瞬の勝機を逃がさないこの天稟
これがある意味、最も遠くにいるにも関わらず、我が君が彼女達を敵視していた理由なのだろう、と
≪洛陽宮中・天譴軍陣内/周公謹視点≫
まずは一息、といったところだな
私は幼平の尽力に内心で感謝しつつ、ゆっくりと酒を舐める
急ぎ天譴軍についての情報を集めさせた訳だが、実のところそれはあまり芳しくない
なにしろ一定線を超えたあたりからの警戒が尋常ではないらしく、幼平ならともかく並の間者では近付くこともままならないのが漢中の中枢だという事だ
それだけ厳しい中で幼平が持ち帰ってくれた情報を今の酒席での会話と組み合わせて出た答えが、この結果となったという事だ
どのような答えであろうとも、理をもって導き出されたものであるならばそれが正解だ
それを信じられないのであれば、軍師など務まりはしない
これらの少ないながらも重要な情報から私が出した答えは“天譴軍に王はいない”という事実だ
それは、一見簡素に民衆を支配しているように見えて、その実非常に複雑な統治をしているという情報が示している
将兵にしてからが特権階級ではないのが天譴軍だ
つまり、誰がいなくなっても、極端な事を言えばこの酒席にいる全員がいなくなっても天譴軍は弱体化はするだろうが崩れない、そういう仕組みを作り上げようとしているということになる
その上で“婚姻”に政略的意味はない、と言い切った事で確信が持てたと言っていい
指導者は確かにいる
しかし“王”はいない
その上で天譴軍は、恐らく我らを好いてはいない
立場的に視界に入らぬから放置されているだけで、支援する気などさらさらないという訳だ
その見極めが甘かったが故に蓮華樣には恥をかかせる結果となったが、そこは後で雪蓮に叱られてもらうとしよう
ともかくも、我らが支援を受ける相手は、今となっては董卓か天譴軍かの二択だ
集まってきた情報を精査した結果、董卓ではなく天譴軍を選んだ訳だが、これは早計だったかも知れない
しかし、董卓はその見た目や気質に反して情が固い印象を受けた
雪蓮が地方太守で満足しきれるなら選んだのは董卓だったろうが、そうでないなら彼女と組むべきではない、というのが私達の一致した見解だ
しかし、ここで問題がひとつ出てくる
それは、漢中と建業の距離だ
客将として迎え入れる事は恐らく拒否はしてこないだろうが、そうなれば漢中に留め置かれる事になる
この部分をどう捌いて独立支援までもっていくか
幼平には再び苦労をかける事になるが、ここは頑張ってもらうしかないだろうな
恐らくは蓮華樣や小蓮樣にも再び苦労を強いる事になるかも知れない
孫呉のため、雪蓮のためとはいえ、私は本当に酷い女だな…
機嫌よく話を続ける雪蓮と、意に染まぬ婚姻よりはましといえる解決策が見えた事に安堵して論議に加わる蓮華樣を見ながら、私は杯を干す
(ここから先は私一人では手に余るかも知れぬな…
早めに穏の意見を聞いてみるとしようか)
さて、山場は過ぎたことだ、私も論議に加わるとしようか
≪洛陽宮中・天譴軍陣内/北郷一刀視点≫
「なるほどねえ……
そういう方法で来たか…」
「不覚でした
周公謹を甘く見ていた私達の失策です」
懿の言葉に全員が苦い顔をする中で、俺は頭を掻く
夕餉を兼ねた宴席が終わり、俺は報告会を兼ねた会議をしているところだ
割と“やられた”感が強い雰囲気なんだけど、俺としてはあまりそういう感じではなかったりする
「いや、割と俺達にとってもいいかも知れないし、まだ決まった事でもないからそれは考えるのはやめとこう」
いや、なんていうか、考えても無駄だと思うんだけど、どうしてみんなして
「またはじまったよ、コイツは…」
とか溜息ついてんの!?
それより気になるのは、みんなの人物評なんだよね
「で、みんなは全員を見てどう思ったかな?
俺としてはその方が気になるんだけど」
これに最初に答えたのは令則さんだ
「そうですねー
劉玄徳は一刀さんの評価がかなり低く見積もられている感じがしましたね
理想主義者ではあるんでしょうけど、足が地についている人物でしたし、あのまま伸びればかなりの人物になるかと思います
性格は頑固そうでしたけど、一刀さんより遥かによさげですし」
最後のは余計だと思うんだけど、言うだけ無駄だよね、多分…
「曹孟徳は、多分辺境に飛ばしても無駄ですね
必ず這い上がってくると思います
中央に置いておくよりはましですが、可能なら謀殺した方が安全ではあるでしょう
それだけの覇気が感じられました」
元直ちゃん、さらっと怖いこというなあ…
でも多分、刺客送っても生きてるよ、あのタイプの人間は絶対にそういう部分では油断しないというか、臆病なくらいに慎重だからね
「孫伯符は、まさに虎ですね
間違っても飼い殺しにはできないかと
もし孫家を崩すなら今の時点でなら妹の仲謀ならいけるかと思いますが、難しいところかと
くきゃきゃ!」
子敬ちゃんがそういうってことは、まだ姉にべったりってことかな
「お連れの方々もひとかたならぬ人物ばかりと見受けましたが、基本的には経験が足りないだけ、という感じでござったな」
儁乂さんの意見にみんなが頷く
「いやあ、あの中で実績経験共に私らを超えるといえるのは、美周郎くらいじゃないかね
あれは手がつけられんと思うよ」
けらけらと笑いながら忠英さんが言うと、みんなげんなりしている
まあ、美周郎だしなあ…
「元ちゃんから見ると夏侯妙才はちょっとイヤかな」
「夏侯元譲は割合簡単そうだけど、姉妹揃ってると面倒かも」
『あの二人で指揮する軍は、かなり面倒だと思うよ』
そうなんだよなあ、正史でも演義でも夏侯惇や夏侯淵って思慮が足りない部類の武将のはずなんだけど、どっちかっていうと夏侯淵のが猪のはずなんだけど、あれじゃあ逆だもんな
「関雲長はなんというか、一騎討ちはボクはご免かな
最初に会った時はもうちょっと剛直というか視野狭窄起こしてそうな印象があったんだけど、いい意味で丸くなってた気がするよ」
「あ、それは私も感じました
反乱の時なら軍を率いて負ける気はしなかったんですけど、今だとちょっと相手したくないかもです」
仲業の言葉に令則さんが頷いている
「あうあう…
私は孔明ちゃんがちょっと気になりました
涼州の件についてあっさり引き下がったのが納得いかないというか…」
巨達ちゃんがそう言うのに元直ちゃんが頷いているってことは、あの場でどうにかできるだけのものがあったのに引き下がった可能性があるってことか
これだから英雄補正はイヤなんだよな
天の御使いの俺が言うのもアレなんだけどさ…
「総評としては、一刀さんがおっしゃっていたように、全員これから伸びてくるのは間違いがないだろうという事ですね
ここまで叩いて尚立ち上がれるのは、掛け値なしに天に愛されている事の証明かと思います」
伯達ちゃんの言葉に全員が頷く
いや、本当に困ったもんだよな
ここまで叩いてまだ足りないって、どういう事だよ、ホントに…
「数日中には沙汰も発表になるし、どのみち忙しいのはまだまだ続くって事かね
ここまでやってきて食われっちまうのも業腹だし、せいぜい足元を救われないようにいくとしようか」
公祺さんの言葉を期に会議は解散となる
懿が車椅子を押すのを恨めしそうに見ている徳がちょっと怖かったんだが、まあもうしばらくは我慢してもらうしかない
一応決まったことだしね
「我が君にはまだ不安がおありですか?」
彼女の言葉に俺は首を横に振る
「いや……
不安というよりは、心配かな
ここから先は俺には見えないからね」
それが普通です、と微笑む懿に俺も笑う
無知は罪、されど知りすぎるのは愚者に等しい、か…
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