照りつける太陽。吹きつける熱風。正しく夏
そう主張するかのように庭を見れば陽の光によって陽炎が立ち、ゆらゆらと地面がゆらめく
立っているだけで肌から浮き出、流れ落ちる汗。最早働くことすら自殺行為だと
夏侯家には魏の将が一人、また一人と足を運び、それぞれの場所で暑さを凌いでいた
霞は居間でゴロリと横になり、季衣も同様に簾で出来た日陰で冷たく冷えた廊下でゴロゴロと
位置を変えながら寝息を立てる。凪達三人は?と言えば、居間の二つ隣の部屋で戸を開け放ち
風通しを良くして何やら剣呑な雰囲気で話しをていた
「どういう事だ真桜」
「そうなのー!ずるいのーっ!!」
凪と沙和は納得いかないとばかりにちゃぶ台の上にゴチャゴチャと歯車や螺子、木片などを並べ作業をする
真桜に詰め寄っていた。凪達が真桜に詰め寄るのは理由がある。暑さを凌ぐために足を運んだ夏侯家に上がりこむと
真桜はすたすたと奥の部屋に足を運び「此処ウチの部屋やから」と畳が敷かれちゃぶ台の置かれた十二畳の部屋
の自分の定位置だろうか、突然の告白に呆気にとられる二人を他所に腰を降ろして作業を始めていた
「何故真桜が隊長の、春蘭さま達がお住まいのこの家に部屋を持っているんだ」
「ん~?そら隊長を説得したからや」
真桜が言うにはこの快適な家に住むためにはどうしたら良いかと考え、家主の昭を説得しようと考えたらしい
だが正攻法で行っても自分一人だけと必ず周りの者から不満が出るだろうから駄目だと言われるのが目に見えていたので
娘である涼風に、勉強を教えると言うことで許されたらしい
「え~!でもでも、勉強ならこの家には風さまがいるの」
「そや、だからウチにしか教えられんこと。絡繰を教えるって事で許可してもらった。ほんでもちゃーんと家賃も
はろうてるし、食費も入れとるで」
どうやら軍略などは風がいるので自分しか出来ないこと、絡繰を教えると言えば男は腕を組んで悩み
そこに畳み掛けるように、自分の知識を入れておけば大きくなった時に役に立つと有ること無いこと吹き込み
途中から賊討伐に出た涼風が最後は自分で作った絡繰で危機を脱する話を聞かせ、娘の危機に顔を青くした
昭は真桜の両手を握り頭を下げて「此処に住んでくれ」と頼み込んでいたらしい
その後、慌てて秋蘭に涙目で娘の危機を話す昭を見て悪いなと思ったらしいが、秋蘭が溜息を吐きつつ
涙ぐむ男が可愛いと思ったのか、小さく微笑んで許可を出してくれて安心して此処に住むようになったらしい
「ならば私は武術をっ!」
「沙和もおしゃれをーっ!」
と意気込む二人に真桜は「武術は春蘭さまと秋蘭さまがおるし、おしゃれも華琳さまが此処に住み着いとるから無理や」
と言われ、二人は声を合わせて「ずるいっ!」と再度真桜につめよっていた
「ただいま。靴を脱ぎなさい桂花、稟」
城から必要な竹簡を取りにいった華琳は戻るなり真桜の部屋の方から騒ぎ声が聞こえ、やはりこうなったかと溜息を一つ
靴を脱いで靴箱に入れながら引き連れる桂花と稟に靴を脱ぐようにと促し真桜の部屋の前を通れば華琳に気がついた
凪達三人は固まり礼を取る
「仕事はどうしたの三人とも?」
との言葉に三人の顔は凍りつき、顔を青くしていたがその顔が面白かったのか少し微笑むだけでその場を後にした
この暑さでは仕方が無いし、賊も犯罪も起こす気にはならないだろう、強く言うのは少々可哀相かと
「城まで往復するだけで此れではね」
呟く華琳は自分の肌に張り付く衣服を摘み、桂花は甲斐甲斐しくてぬぐいを差し出していた
受け取った手ぬぐいで首筋などを拭きながら居間の定位置に腰を降ろす
「こんな陽気で元気なのはあの子たちだけね」
頬杖をついて熱気溢れる庭に視線を送れば麦わら帽子をかぶり、庭で声を上げて水を撒いたりして遊ぶ
涼風と春蘭の姿。涼風は何時もの格好だが、春蘭は秋蘭に見立ててもらったのだろうか、ホットパンツに
キャミソール、木製サンダルというラフな格好
呆れる桂花と稟だが肌を小麦色に焼いた二人の姿に華琳は微笑む
この程度の暑さで弱音をはいてしまったら彼女たちに笑われると
そんな華琳を迎えるように、土間から現れたのは秋蘭
気配に振り向いた華琳は秋蘭の姿に言葉を無くし、彼女にしては珍しく小さく口を開けて秋蘭の姿に魅入っていた
隣に座る稟と桂花も同様、秋蘭の姿に魅入ってしまっていた
真っ白な生地に足元の裾には染め上げられた桔梗の華がさりげなく花咲き、腰は真蒼の帯が綺麗に巻かれ
背には左よりに咲く華がまるで秋蘭の特徴的な髪型を表すように帯で作ったマリーゴールドが華を咲かせる
盆に載せた茶を持ち静々と居間に入り、片手で足元がめくれぬように抑えて正座で座ると
冷茶を華琳の前へと静かにさしだす凛として、美しい姿に華琳は頬を染め少し熱の篭った溜息を吐いていた
「どうされましたか?」
「いえ、貴女の美しさに見惚れてしまっていたところよ。素晴らしいわね、その服は彼からの贈り物?」
「ありがとうございます。姉者の服を買いに行った時に昭が此の服を作って欲しいと店主に」
華琳は天の衣装かと頷き、秋蘭にもう一度立っている姿を見せて欲しいと言う
恥ずかしそうに秋蘭は一つ頷いて立ち上がると華琳は浴衣に興味を示したようで、足元の染色で創り上げた桔梗を
指でなぞり、技術の高さに満足そうな笑みを零し、次に腰帯の鮮やかな蒼色にも素晴らしいと褒めたたえていた
「腰に咲く帯で作った華も素晴らしいわ。此れは貴女が?」
「いいえ、此れも昭が。まりーごーるどと言う結びかただそうです。他にも枝垂れ桜など結び方があるそうです」
「昭はこんなモノまで知っているのね」
「御祖母様が着付けをするのを良く見ていたそうですよ。昭にとって御祖母様は何でもできる妖術使いのようだと
申しておりました」
「フフッ、貴女は幸せ者ね」
華琳の言葉に益々顔を紅くする秋蘭に稟と桂花は驚いていた。秋蘭が此の様に顔を赤くしてわかりやすい表情を見せる
事など無いに等しいからだ。昭の隣で顔を少し崩すことは有るが、直ぐにその表情は髪に隠してしまうか
他人に見せぬ様に表情を戻してしまうから。恐らくは華琳に褒められ、幸せものだと言われたことがよほど嬉しかった
のだろう。破顔する秋蘭に華琳に褒められた事に対する嫉妬の言葉を放つこともなく驚いていた
戻らぬ頬の熱さに秋蘭は両手で頬を抑えるが、その姿に益々愛らしさを覚えた華琳はつい手を伸ばしそうになる
しかし、何かを思い出したのか、その手は秋蘭に触れる前にピタリと止まる
「そうか、今日は貴女の日だったわね。昭は川へ?」
「はい、朝早くから美羽と七乃を連れて」
それでは手を出す事は出来ないと伸ばした手を戻し、座布団に座って茶を一口くちにする
華琳に稟は不思議に思い「秋蘭さまの日とは?」と問う
「今日から河でとても味と香りの良い魚が取れるのよ。夏の日、あの魚が獲れる日は昭が秋蘭の日と決めていて
仕事も何も全て断って釣りに出かけてしまう。特別な日なの」
あの魚・・・と呟き考える稟。彼女の知識にそれに当てはまる魚があったのかなるほどと頷く
其れならば秋蘭さまは喜ぶだろうと。知識の中に無い桂花はなんの事か解らず、秋蘭に問おうとするが
土間から「秋蘭さま、これでよろしいでしょうか」と流琉の声が響く
「それではごゆっくり、何か御座いましたらお呼び下さい」
礼儀正しく、ゆっくりと頭を下げ土間へ下がる秋蘭の後ろ姿を目線で追いながら、頭に浮かぶのは昭の姿
きっと今頃は川の上流目指し、道なき道を駆け回っている頃だろうと
もう一口、茶を口に運び華琳は硯に置いた筆を取る。昭が帰ってきた時に自分も御相伴にあずかろうと
其れならば、早く仕事を終わらさなければと暑さも忘れ、黙々と筆を竹簡に走らせた
その頃、新城の近くを通る川を上流の山へと向けて走り抜ける一人の姿
何時も着ている蒼い外套は身に纏わず、はめ込み式の釣竿を小さく畳み餌と針を仕舞った袋を背に
薄手のシャツとズボンにしっかりとした作りの革靴で木々の合間を通りぬけていく姿
汗を流しつつ、一定の速さを保ちながら息を切らせず駆け抜ける
だが、その数倍の速さで道無き道を走り抜けるのは研究者のような白衣を纏う美羽
更にはその後をぴったりと離れず追従する七乃の二人の姿に昭はとうとう追いぬかれたかと
嬉しさと寂しさの混じった笑みを先頭で走る二人に向けていた
「父様遅いのじゃ、それでは熊にも容易く置いつかれてしまうぞ」
「お嬢様、此のまま置いて行ってしまいましょう。お兄さんならそのうち追いつきますよ」
「これ、そういう事を言うものでは無い。前は妾達が逆の立場であった。山の歩き方など父様が教えてくれねば
今でも山の中で泣いているだけであったはず」
無情な事を言う七乃に美羽は少しだけ諌めると七乃は小さく舌を出して苦笑い
其れもそうですねと後ろを振り向き、休憩をしようかと声をかけようとすれば先刻まで居たはずの男の姿はなく
もしかして本当に置いて来てしまったかと心配になる
「ぬぅっ!七乃っ!前じゃっ!!」
美羽の声に前方を見れば、自分達とは違う道を通り前へと躍り出た昭の姿
「ふはははははっ!まだまだお父さんは簡単に負けてやらんぞ」
笑い声と共に草木の間から出てきた男は二人を置き去りに更に足を加速させる
まだまだ娘には負けてられないと、身軽に岩と岩を飛び移り、上流へと駆け上る
昭の姿に顔を笑みに変えた美羽はこうでなくてはと七乃の方に顔を向け、一つ頷く
限界まで飛ばすぞと
「はい、お嬢様っ!!」
小気味良い返事を返す七乃は腰の剣に手をかけ、剣が振れないように固定すると身を屈め加速する
美羽もまた、身を屈め腕を振り足を加速させひらひらと動く白衣も普段の衣服も障害にならないとばかりに
まるで父のように身軽に岩と岩の間を飛び移りみるみるうちに追いついていく
「ふはははははっ、妾はとうに父様を超えておる。山は妾の庭も同然じゃ」
「まだまだ負けられんさ。父親ってのはそういうもんだっ!」
などと言い合いながら突き進み、気が付けば朝家を出る時に地図で確認したポイントが目と鼻の先に迫り
三人は結局、同時にその場所へと辿り着いて笑い合っていた
「むぅ、同着か。ならば釣果で勝負じゃな」
「いえいえ、お嬢様の勝ちですよー。お兄さん、疲れきって肩で息をしてますからね」
人差し指をたてて笑顔で語る七乃の言葉に見れば腰を降ろしてゼェゼェと項垂れる昭
顔を上げて「早くなったなー」と感心する昭に美羽は一度眼を丸くして次に満面の笑みに変えて
腰に手を当てて喜んでいた。父に褒められた、此れ以上の褒美はないと
「うむ、今日は良い日じゃ。きっと魚も多く取ることができるじゃろう」
「お兄さんは少し休んでからにしますか?釣りでも負けては面目丸つぶれですから、今のうちに言い訳が出来る状態に
しておいたほうが言いと思いますよぅ」
よほど自身が有るのだろう。だが男は七乃の挑発に乗ってやると一息ついて、竿を組み立てていく
釣りの用意をする父の姿に美羽は流石父様じゃと己の釣竿を組み立て、仕掛けと餌をつけ始めていた
「そう言えば美羽はどうやって釣るんだ?まさか馬鹿みたいに長い竿を持ってきたわけじゃないだろう?」
と美羽のほうに眼を向ければ、美羽は白衣と何時も着ている服を脱ぐと下から現れるのは背に夏の刺繍の入った
シャツとハーフパンツ。色気も何もない、本当に山で動くための服装になり、脱いだ服を綺麗に畳み
靴を脱いで七乃に肩車をさせる
男はなるほどと感心していた。幾度と無く山へ足を運び、川の魚を調べるために二人は様々な事を試したのだろう
身長が低く、川の中ほどまで足を運べないなら従者である七乃の肩を借りるという形をとるようになった
と言うことだろう。良く見れば、七乃の腰にはタモと魚籠がくくりつけられ何時でも釣り上げた魚を集める
準備は出来ていた
「では釣るとしようかの、鮎を」
「応、勝負だな。家には今頃皆が集まっているだろうから、結構多く獲らないと駄目だな」
「取り過ぎは駄目じゃぞ父様」
注意をされ頷く昭は笑みを見せる。良い成長をしたと
そうだ、今回の狙いは鮎。この夏の季節に旬になる魚。たらふく苔を喰い、油の乗った鮎はまるでスイカの様な香りを
その身から立たせ、口に含めば川魚特有の優しく甘み有る身肉から流れだす旨みが口いっぱいに広がる
俺の狙いはこの魚を釣り上げて秋蘭の笑顔を見ることにある。夏は秋蘭の夏であり、俺は笑顔を見たいが為に全力を尽くす
決意を胸に、男は川の中ほどに足を進め腰ほどに水が付く位置に進み釣り竿に餌をつける
「始めは餌釣りじゃ。鮎は豚の脂身でも釣れるから良い、始め父様に聞いたときは驚いたものじゃ。鮎とは苔を食べると
聞いておったからの」
「それじゃコマセを撒きますよー。お嬢様特製の撒き餌ですから、直ぐに釣れちゃいます」
餌釣りなら撒き餌を撒いたほうがいいと、熟練した釣り師のように餌を撒き、魚の動きを見極め竿を振るう美羽
昭も負けじと豚の脂身を付けた仕掛けを放り込めば、二人同時に竿がしなり動きを見極め竿を立てる
己の方に飛んでくる鮎を七乃は腰のタモで巧く受け取り、昭も同じように取ると針を外す
まだ餌で行けるかと見れば美羽の調合したコマセは抜群の集魚能力を発揮し、水面からも黒い魚群が見えるほど
だがあまりにも味が良いのか、それとも匂いが良いのか、針を外す頃にはコマセを平らげ魚群は姿を消していた
「ふむ、まだ改良の余地ありじゃな。あれでは毎度餌を撒くようじゃ」
「そのようですね、虫の粉を減らしてみますか?芋の粉は増やして」
等と話し合う二人に昭は感心しながら釣り上げた鮎の鼻にまるで牛の鼻輪のように輪を通し、尾びれの少し後ろに
来るように伸ばした逆さ針を調節する
「出来たら俺にも分けてくれるか?美羽特製の餌ってやつを」
「うむうむ、今度一緒に来るときはには妾特製の練り餌を用意するぞ父様」
七乃も素早く鮎から針を外し鼻輪を通して友釣りの仕掛けを作りだすと、昭と美羽は同時に鮎を川の縁から流心へと
流し、囮鮎の体力を減らさぬようにしながら当たりに合わせ、次々に鮎を釣り上げていった
「なかなかやるの、流石は妾の釣りの師匠じゃ。じゃが妾も父様が釣りをせぬ間に毎日のようにしておったのじゃ
負けぬぞ七乃よ」
「それは俺とて同じ事だ、俺が負けたらおんぶして帰ってやろう」
「・・・・・・ほ、本当か父様っ!絶対に負けてはならぬぞ七乃っ!!」
顔を輝かせる美羽にまだまだ甘えたい年頃かと微笑み、昭はこの勝負は負けるのも良いと
竿を振るい、鮎を釣り上げる。もう一人の娘と妻の笑顔を思い浮かべながら
その頃、夏侯家では・・・
「うがーっ!うっさいわっ!!何をぎゃあぎゃあやっとるんじゃーっ!!」
バキッ!
「ぎゃーっ!!姐さん、それウチの絡繰っ。ようやく完成するはずやったのにーっ!!」
奥の部屋から聞こえる声が段々とヒートアップし、もはや喧嘩に近い音量に霞は昼寝を邪魔され
真桜の部屋に突撃すれば、部屋に入ると同時に足で何かを踏みつぶした感触
涙目で霞に詰め寄るが、凪と沙和は話が終わっていないと真桜を掴み、霞は益々煩くなる三人に爆発
こんな場所に置いとくのが悪い、それに煩いと叫び、その叫び声を聞いた桂花は華琳の仕事の邪魔になると
注意に行こうと立ち上がれば、いつの間にか転がって近くに居た季衣が桂花の服を徐に掴んで寝ぼけた声を出す
「ん~?うるさいなぁ」
「ちょ、何で掴んでっ、ああっ!!」
立ち上がりに服を掴まれた桂花は竹簡の積まれた卓に突っ伏しそうになるが、華琳様の邪魔だけは死んでも嫌だと
腕を突っ張れば硯に思い切り手を叩きつける形に。舞い上がる硯、注がれた墨は対面に座る稟の顔に・・・
「これは、何かの仕打ちでしょうか」
「ち、違うのよ。こらっ季衣、アンタのせいで」
「なんやその顔っ!ブハハハハッ!!」
いい加減に話の決着がつかない、庭で勝負だと霞を先頭に居間へ四人が来てみれば顔を真っ黒にした稟が澄ました顔で
座っているのが面白かったのだろう霞が笑い、笑うのは悪いと思っていた凪達三人も霞の笑いを皮切りに耐えることが
出来なくなったのか笑い出す
「良いでしょう、謝罪も無いというのならば桂花からの挑戦と受け取ります」
「ちょっと待ちなさいよ、私が悪いんじゃ無いでしょう。それに貴女は華琳様を守る為に犠牲になっただけよ、
私が必死に手を突っ張ったから墨が美しい華琳様のお顔を汚さずにすんだんじゃない」
と、そこまで言った瞬間桂花の顔が墨で真っ黒に染まる
稟は無言で畳に落ちた硯を掴み、桂花の顔へと投げつけていた
硯に残った墨は桂花の顔を黒く染めて顎からはポタポタと黒い雫を落としていた
「・・・・・・は、は・・・あはははははははは」
薄ら笑いから始まる桂花の爆発。手当たり次第に竹簡やら筆やらを投げ飛ばし、稟は誘導し迫る竹簡をヒラリと避け
笑っていた霞達へと次々にぶつかる筆や竹簡。いい加減にしろと言おうとすれば、霞の顔に綺麗に当たる硯に
再度霞が爆発。最早居間は混沌へと向かうだけだった
そんな中、季衣は寝ぼけたまま目をこすりつつ良い匂いのする土間の方へと向かう
「どうしたの季衣・・・って何で体に墨が?」
「んー?なんか向こうで喧嘩してるみたい」
異変に気がついた秋蘭はすぐさま居間へと駆け込めば、体を黒く染める霞達
その中心で周りの喧騒が耳に入らないほどに仕事に集中しているのか、表情を変えること無く
黙々と仕事を続ける華琳の姿。どうしたことだと周りを見回せば墨で染まる畳に秋蘭の心はざわめく
昭の好きな物が汚されたと。だがその前に、この場をどうにかせねばと秋蘭は呼吸を一つ、心を落ち着かせると一喝
「静まれっ、華琳様の御前で何事だっ!」
重く低く、冷たさの有る凛とした声で声を上げれば物の投げ合いになっていた全員がビシリと固まり動きが止まる
だが、勢いを止め手からすり抜けた霞の墨つぼが秋蘭の足元に落ち、純白の生地に黒い斑点を残す
「あ・・・」
不味いと全員が思ったのだろう、白く美しい生地に咲く桔梗の華。そこには黒い斑点がポツポツと跡を残し
霞達の顔が蒼白に、秋蘭に殺されると凪達三人は振るえ歯がカチカチと音を立て、体が固まる
異常を感じた庭の春蘭は涼風を抱き上げ、居間に顔を出せば一瞬で事態を把握したのか秋蘭をみて言葉を無くし
次に拳を握りしめて怒りを爆発させようとした所で涼風が首を傾げ
「汚したらだめだよぉ~。お父さん怒るよー」
との呟きに霞達の顔は一気に蒼白から完全な白になる。脳裏に浮かぶのは稟が泣き叫び、尻を叩かれた光景
凪達もまた、昭に叱られた事を思い出し全員脱兎の如く一斉に雑巾などを探し始め、掃除を始める
何故か春蘭までもが涙目で、桂花と稟を引き連れ掃除用具や桶を手に墨を掃除し始め、涼風は笑いながら
何かの遊びか?と一緒に掃除をしていた
「あの、大丈夫ですか秋蘭さま」
「ああ、其れよりも早く洗わねば、落ちると良いが・・・無理そうだな」
土間から流琉は心配そうに秋蘭の隣に立ち、顔を恐る恐る覗いてみれば秋蘭の表情は何時もと変わらず
やれやれと溜息を吐き、着替えてくると衣装部屋へと足を向けていた
その姿に流琉は流石は秋蘭さまだ、大事な服を汚されてもため息一つで表情を崩さないなんてと感心していた
その後、直ぐに何時もの服装に着替えた秋蘭が指示をしながら掃除をし、華琳が事態に気がついたのは
日が暮れ始め仕事を終え男が美羽を背負い、家へと帰ってきた時だった
「なんじゃ・・・何があったのじゃ?」
「昭、貴方の好きにしていいわよ」
家に上がるなり、居間の畳が外され墨を拭く姿に美羽は驚き、華琳は表情の変わる昭に少しだけ肩を震わせ
七乃は次に起こる事を見越して柱の後ろに隠れきれない体を隠していた
「すまない、私が家に居ながら」
「秋蘭のせいじゃないよ」
顔を伏せて謝罪する秋蘭の側により、柔らかく優しい笑顔で頬を撫でると美羽を背から降ろして
霞の側へスタスタと歩き、ガタガタと振るえる霞は頭を抱え眼を思い切り瞑って蹲る
震えながら昭の仕置を待っているが、何時まで立っても何もされず、恐る恐る眼を開けてみれば
鬼の形相をした昭から落とされる鉄拳
鈍い音と共に霞は畳を外された床へと崩れ落ち、ピクピクと体を震わせていた
その光景に凪達は皆、涙ぐみ、蹲り、不味いと思った桂花は逃げようとするが頭を捕まれ
ギリギリと得意技、アイアンクローで締め上げられ霞の上に放り投げられていた
昭が手をポンポンと払うように叩けば、後ろには頭を握られ鉄拳を落とされ積み上げられる霞達の姿
七乃は相変わらずガタガタと柱の後ろに隠れ、春蘭にいたっては何もしていないのに昭の腰にしがみついて
何度もごめんなさいと謝っていた
「全員直ぐに掃除を済ませろ、食事が出来るまでに終わらなければもう一度だ」
【はいっ!】
昭はしがみつく春蘭の頭を撫でながら拳を見せつけるように握りしめ
秋蘭よりも重く、まるで氷塊のような言葉をぶつけられた霞達は兵士のように返事をし
一斉に立ち上がると雑巾や桶を手に必死の形相で掃除を開始
土間で様子を見ていた季衣は昭の隣に立ち「ボクも手伝うよー」と言うと、昭は偉いなと季衣の頭を撫で
華琳と美羽は乾いた笑いを浮かべ、自業自得な霞達を見ていた
「秋蘭、鮎が沢山捕れたぞ。頼んだ物は出来てるか?」
「流琉が手伝ってくれたから大丈夫だ。華琳様もどうぞ、新しい調理法をお見せいたします」
そういって流琉に持ってきてくれと声をかければ、土間から持ってきた木の棒
霞達を見ていた華琳は流琉の持ってきた不思議な木の棒を見て不思議な顔をする
見たことが無い、木目がない木の棒。しかも何処かで見たような感じも受ける
「香?かしら・・・でも香りが弱い、木屑が固まって出来ているようだけど」
「それはスモークウッドて言ってな、燻製を作るためのモノだ。小麦粉を水に溶いた物を木屑に合わせ、乾かした物なんだ」
流琉と秋蘭が朝から作っていたのはスモークウッド、木クズを小麦粉を溶いた水で固めただけのものだ
種類もクルミのスモークウッド、りんごのスモークウッドと用意してある
燻製?と呟く華琳に男はまぁ見ていろと、庭におりて木箱を用意し始め
美羽は震える七乃を連れて鮎の腸を取り下ごしらえをし流琉が用意した木串を差して、火をおこしはじめる
秋蘭は下ごしらえした豚肉を紐で縛り、煙で燻す用意を始める
興味津々に男の様子を見ていれば何故かへの字口をしたままの春蘭がぴったりと男の背中にへばり着いていたが
何時ものことかと溜息をつくだけ、男も春蘭が気が済むまで背中にへばり付くのを特に払うこと無く作業を続ける
用意した木箱は上下が開いていて上だけ蓋を閉めることが出来るような構造の物で
まずは秋蘭が用意した肉を箱の中に吊るし、石で作った台の上に乗せ蓋をずらすと美羽が起こした火から炭を取り出し
炭の熱で乾燥させ、乾燥した所で炭を取り除き火でクルミのスモークウッドに火を着けると息を吹きかけて
火を巡らせればモクモクと立つ煙
台の下にスモークウッドをほおりこみ、上の蓋を閉め煙で燻す温度の調節の難しい温燻だが、失敗したら失敗で
それも良い、焼けば食べられるしと男は次に鮎を用意し、同じようにしてクルミのスモークウッドを
ほおりこむが、吊るす位置は低く、熱源に近い場所へと置いて一気に燻あげる熱燻にしあげる
「ぐしゅ・・・ぐしゅっ」
気がつけば、背中に張り付く春蘭が煙を吸ったのか涙目で背中に顔をこすり着けていたので昭は手ぬぐいを取り出し
鼻を拭いてやれば、また直ぐに顔を背中に押し付けていた。その姿に家には子供が三人居るなと苦笑する
「面白いわね、だけど煙で味にエグ味や苦味が出たりしないの?」
「それは調節次第、最初の豚肉の方は長い時間燻すんだが保存食としても使えるぞ」
此れもまた華琳の興味をそそったのだろう、スモークウッドを観察したり煙が閉じこもる様子を物珍しく見ていた
「焼きあがったのじゃ、父様ーっ!」
「おお、上手に焼くな」
鮎が焼きあがったのか、声を駆ける美羽の方に眼を向ければ既に食べ始めている涼風
どうやらはじめに焼きあがった鮎を妹へと渡していたようで、昭は美羽の頭を撫でて秋蘭へと焼きあがった鮎を差し出す
「どうぞ、お口に合うと良いのですがお姫様」
「フフッ、有難う」
昭の言葉に笑みを零し、焼きあがった鮎を口に含む
口の中に広がる野趣溢れる鮎の旨味、綻ぶ顔に昭は心から笑顔を浮かべる
この顔が見たかったのだと
「ほら、春蘭も食べろ。美味しいぞ」
「・・・怒ってない?」
「春蘭は何も悪いことしてないだろう」
優しく微笑む男に春蘭は顔をパアッと輝かせ、差し出された鮎を手に涼風の隣に駆け寄って笑顔で口いっぱいに
鮎をほおばっていた。その姿に秋蘭は可愛いと思ったのだろう、クスクスと笑って姉の姿を見ていた
「さて、此方が本命だ。ほらもう良い頃だろう」
そう言って次に燻製器から鮎を取り出し、味見だと秋蘭に差し出せば秋蘭は先刻よりもずっと良い笑顔で
微笑みを向け、片手で頬を抑えていた。その輝く笑顔で一日の疲れなど吹き飛んでしまうほど
抱きしめてしまいそうになるこの手を抑えるのに必死だと言わんばかりに昭は腰紐をにぎる
「邪魔する気は無いのだけれど、私も頂いていいかしら」
「あ・・・ははは、良いよ。取ってやる」
すまないと謝り、顔を紅くしたままに慌てて燻製器から鮎を取り出し華琳に差し出す
華琳は串を持ち、まずは背からと一口くちに含めば無言のままにもぐもぐと咀嚼し
次に腹にかぶりつき、眼を瞑ってプルプルと小刻みに震えだす
「ど、どうした?口に合わなかった?」
「・・・ち・・・がう。違うっ!素晴らしい、此れは今までに食した事がない風味と味。鮎の野趣溢れる味を
其のままに、全身の旨みが凝縮されたかのような身の味。腹は焼いて食べるのとはまた違う、煙に燻され油はまろやかに
一層味が深いものとなり、単純な苦味ではなく複雑な苦味となっている。なにより風味が良い、胡桃ね?鮎の清々しい
香りにどっしりと落ち着いた香りまで追加されて淡白さが補われている」
なにやら言葉を並べ立てると一口一口を惜しむように口にして、鮎の全てを味わってやると言わんばかりに
ゆっくりと咀嚼しては惜しむように飲み下し、満足気な表情に男は胸を撫で下ろし林檎もまた味が違うぞと
言えば、嬉しそうな顔を浮かべる華琳。そして秋蘭はまだ沢山ありますと燻し上がった鮎を差し出していた
「今日は城に戻らなくても良いのだろう?明日は南蛮漬け、雑炊、ウルカを食わせてやる。あとはベーコンだな」
「雑炊以外は聞いたことの無い料理。それは今から楽しみね、明日は城に戻らず一日此処に居ることにするわ」
満足そうな顔を浮かべる華琳に男は今の方を見て、掃除が終わったと判断したのだろう
大声で皆、土間から米を持って来いと叫ぶ。もう許してやる、だから飯を食うぞとの言葉に
霞達は大喜びで我先にと土間へ走り、桂花と稟は華琳の側へと歩み寄り、華琳の給仕をし始める
土間を一番に飛び出して来たのはやはり季衣、手には丼に大盛りの米を此れでもかと乗せると
一直線に春蘭の隣に駆け寄り、美羽のさし出す鮎を頬張り大量の米を平らげていた
男はやれやれと笑顔を見せ、一息つくために居間で茶でも飲もうかと思えば微かに裾を引かれる感触に振り向く
「どうした?」
振り向けば、秋蘭が昭の袖を引っ張り何かあったのかと聞こうとすれば耳元に口を近づけて
「着いて来い」と一言。微かに表情は固く、一見怒っているかのようにも取れる顔をする秋蘭に昭は首をかしげるが
袖を強く引かれ、そのまま日が落ちて暗くなった衣装部屋へと強引に連れていかれる
何があったのかと聞こうにも問答無用で衣装部屋へ連れて行かれると、秋蘭は後ろ手で戸を閉めて
昭を閉じ込めると、顔を上げる
「・・・どうしたんだ?」
見れば秋蘭の瞳は涙で歪み、今にもその美しい瞳からは涙がこぼれ落ちそうになっていた
昭は驚き、手を伸ばし抱きしめようとするが秋蘭はその手から逃れるようにして大きめの鏡の前へと移動すると首を振る
何があったのか理解出来無い昭は、無理に追うことはせずに柔らかい笑みのまま秋蘭が口を開くのを待つ
「・・・ご・・・めん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
ボロボロと涙を流して謝る秋蘭に昭は驚くが、秋蘭が鏡の後ろから出した服を見て理解する
月明かりに照らされ、昭の眼に映るのは秋蘭に贈った黒い斑点の残る浴衣
水で何度も洗い落とそうとしたのだろう、白い浴衣に滲んだ墨が其れを物語る
「せっかく、せっかく贈ってくれたのに、帯も御祖母様の結び方を、ごめんなさい」
浴衣を抱きしめ、泣き崩れる秋蘭
嬉しかったのに、大事にしたかったのに、貴方から贈られたこの服を汚してしまったと顔を伏せて何度も謝罪を口にする
「昭がっ、今日は私の為にこんなにしてくれたのに、私は大事な服を汚して家まで・・・」
声を殺し、泣く姿に昭は優しく包み込むように抱きしめる
お願いだ、嫌いにならないでくれと消え入りそうな声で呟く秋蘭に昭は抱きしめたまま首を振る
何故妻を嫌いにならなければならないのだと
「大丈夫だよ、服はまた買えば良い。部屋は掃除すれば良い」
「ごめんなさい・・・」
「謝らないでくれ、俺は笑顔が見たくて今日は頑張ったんだ。だから笑顔でいてくれると嬉しい」
頬を伝う涙を昭は手でそっと優しく拭い、頬に軽く口付けをする
秋蘭は、溢れる涙を其のままに貴方が望むならと笑みを作り、昭の笑顔を見ると強く強く抱きしめる
「今日は有難う、嬉しかった」
「うん、俺も秋蘭が笑顔だと嬉しいよ。また頑張ろうって思える」
何も要らない、自分は秋蘭の笑顔だけが見れれば良いと言う昭に
お前は何時もそう言うことばかり言うのだからと秋蘭は抱きしめる腕を緩め、昭の額に自分の額を着け
私はこんなにも、自分でも驚くほどに弱くなってしまった。責任を取ってくれと瞳を合わせると
軽く口付けを返し、紅く染まる頬を隠すように昭を抱きしめていた。この人を決して放しはしないと
数日後・・・
新城を歩く夏侯家の三人
秋蘭は白く美しい浴衣に真蒼の帯、昭は濃紺の浴衣に少し暗めの黄色の帯を
間で手を繋がれる涼風は二人の色を混ぜ合わせたように水色の浴衣に染色で作られた様々な華が咲く
笑顔で夏の熱い街を涼を感じさせながら街を歩く三人の姿があった
Tweet |
|
|
66
|
18
|
追加するフォルダを選択
番外編です
夏なのでもう一つのっけてみました
本編はよしろと仰る方、申し訳ない><
続きを表示