「わたしには夢がありました」
「何ですか、その英文直訳みたいなセリフは」
文房具カウンターご用達居酒屋「満天」…ではなく、多少こじゃれたチェーン店「飲み処タントナ」の一角。遠い目をして語る山田さんに遠野さんはオムライスをモクモクと食いながら突っ込んだ。
「やめてくださいね、いつか黒人の子供と白人の子供が、とか言わないでくださいね。で、どんな夢だったんですか」
「帰ってきたダンナに『あなた、ごはんになさる? それともおふろになさる? それともあ・た・し?』とフリフリエプロンで出迎えることを」
「ぶはっ!!」
思わずむせた遠野さん、瞬時に堪えた現米粒元オムライスは路線変更、鼻から噴出した。
「いやだ、遠野さん。汚い」
「えほえほげほっ……! や、山田さん山田さん、一つ聞いていいですか」
「なによ」
「おいくつでしたっけ?」
「四捨五入して四十歳」
山田さんは月に一回、東京からやってくる株式会社キケロの営業さんである。ロングヘアーにピシッと決めた黒スーツ、性格はいたって男前。担当絡みで仲良くなり、今では遠野さんが「姉御」と呼んで慕っている人物だ。
課長曰く「一皮むいたらちっちゃいおっさんでてくるんちゃうか」村田君曰く「むく向かないの問題じゃない、あれは正真正銘のおっさんだ」と評される遠野さん、瞬く間に山田さんと意気投合し、今では大阪に来るたびに二人で飲みに行く。
「夢はなぜ潰えたんですか」
「エプロンが高かったの」
それをやりたいがために山田さんは百貨店にエプロンを求めに行ったらしい。
「一枚五千円くらいしてさ。馬鹿らしくなってやめた」
「そんなん、ロフトに行ったらもっと安く売ってますよ」
「あんな安物のペラペラ買えるか。第一短すぎ」
遠野さんは首を傾げる。
全裸にエプロンオンリーなんだから、普通見えるか見えないかのきわどい所がいいんじゃないの?
「アホか」
山田さんは一言で切り捨てた。
「誰がマッパにエプロンなんて言った。四十女がそんなことしてごらんなさい、笑い話にもならんわ」
「ああー。すみません、勘違いしてました」
でもさ。
「エプロンでお出迎えと行ったらそりゃマッパはお約束でしょう」
「あーのねー、遠野ちゃん」
にーっこり笑ってこっちを見つめてくる山田さん。その笑顔が怖いです。
「『ごはん、おふろ、あたし』の三択でメシ、フロっていわれたらどうするー? お洋服着ていたら笑って終わりだよねー。 でもそれでマッパだったらー? はずかしいよー。いたたまれないよー。殺意さえ生まれちゃうよー?」
「で、でもそこはダンナさんもノッてくれるのでは」
「甘い! 甘いわ、この小娘が」
ああ、山田さん。酔っぱらってキャラが立っていませんね?
「お付き合いを初めて三カ月。もしくは結婚して三カ月。これはラブラブ期間としよう」
ぐい、と指四本付きたてられて遠野さんは頷いた。
まあ、遠野さんも酔っ払っていますね?
「だがしかし。恋愛ボルテージというものは――あ、すみません。鬼殺しください――年月と共に下がってゆくものだ」
「それは分かります――あ、二つお願いします――全身全霊で恋愛するのってしんどいですものねえ。年がら年中恋しているのはただのアホーかサカリのついた若人ですし」
「永遠の愛がもてはやされるのは、それが幻って分かっているからよ。愛も恋も、時とともに変化していくのが当たり前じゃない」
「おお、山田さん。大人の発言」
「大人ですから」
ふふんと山田さんは笑った。
「その大人がフリフリエプロンでご主人様をお出迎えしたいとか言っちゃう訳ですね。それはあれですか。ネタとしてですか、それとも本気でですか」
「両方。ねえ、男に強制されたにしろ、自らにしろ『は……恥ずかしいよ』とか言いながら結局はやっちゃう女をどう思う?」
「うーん」
遠野さんは腕を組んで考えた。
自分だったら死んでも無理だ。身削りギャグにしても絶対すべる自信がある。
「は? お前なにやってんの?」
など彼氏に絶対零度の眼差しで見られたら、もう生きていけない。
「あれですかね、悪者に捕まったお姫様を助けに来てくれた恋仲の騎士が、目の前で悪者たちに切られてボロボロになっていく様を見守っているのとおんなじなんですかね。『もうやめて、リグナルド!(誰だよ) 私のためにそんなことをしないで、あなたのほうが死んでしまう!』と叫びつつも『男にここまでさせてしまうわたし。ふふふ』とか内心思っているのと一緒なんですかね」
「回りくどい例えだけど、そう! そんな感じ!」
うん、と山田さんと遠野さんは頷きあった。
「どんなに清純な顔をしていても、マッパにエプロンをやる女は醜い乙女心を持っているということじゃ」
「しかしそれを非難することはできぬよ。誰しも女である限り乙女心はフォーエバーじゃからの」
そして二人はくい、と鬼殺しを飲み干した。
話はそれからごんごんと進み、「だいたいマッパにエプロンを強制する男なんざ、ろくなもんじゃねえ」道筋を通過した挙句、「五千円で挫折するんならたいした夢じゃないね」という結果に落ち着いたのだった。
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大型書店内の離れ小島、文具売り場で働くアルバイトの遠野さん。
営業の人とのみに行ったときの馬鹿話。