闇が世界を支配した頃,それは水面を砕きながら姿を現した。
さながら巨鯨のような姿をしたそれは,星光の下,鈍色の艦体から水を滴らせていた。
塔のように見えるのは司令塔だ。国籍表示マークは白地に赤の丸が描かれている―――日本軍の潜水艦だった。
聯合艦隊第六艦隊第二戦隊に所属する,伊号第一〇潜水艦である。
やがて,司令塔頂部のハッチが開き,数人の人影が現れた。それぞれが位置に着き,双眼望遠鏡を構え,周囲の状況を監視し始める。
その内の一人がもう一人へ話しかける。
「潜艦長,あちらがハワイ島ですかね」
潜艦長と呼ばれたのは,この潜水艦,伊号第一〇潜水艦を統べる中島清次中佐だった。中島中佐は話しかけた男の指さす方向へ顔を向け,
「その通りだな。この距離と暗闇では目視で確認はできんが」
「それでも敵さんの前庭には変わりありません。ここで浮上するとは,よい度胸ですなぁ」
男の大仰な台詞に,中島中佐は微笑を浮かべる。
「仕方あるまい。蓄電池を充電せねばならんし,空気の入れ換えも必要だ。それとも先任,君はあと1日潜っていられたかね?」
「それだけは勘弁ですな。中じゃあタバコも吸えない」
先任と呼ばれた男は,呵々と笑いながら胸元のポケットから細巻を取り出すと,火をつけた。
「君はどう思う?」
中島中佐の問い掛けに,先任は目を細める。
「今晩だと思います」
「敵はここを通るかな?」
「敵が最短距離をとるなら,この海域を通過するはずです」
先任の言葉に,中島中佐は満足そうに頷いた。
―――それから1時間が経過した頃。
「対水上逆探に感あり!」
電測員の声が伝声管より届いた。
「急速潜行!」
中島中佐が声を張り上げると同時に,見張員が一斉に艦内へと滑り降りた。
全員が艦内へと入り込んだ事を見届けると,中島中佐はハッチを閉めた。水密を告げるランプが赤から青に変わるのを確認して,司令塔にある指揮所へと滑り降りた。
すると潜水艦は艦首から滑り込むようにして海面下へと沈んでいった。この間,3分にも満たない。
「深度20」
中島中佐は短く命令をする。
「深度20,宜候」
伊号一〇潜水艦は自動懸吊装置が働き,艦首を水平にすると,深度20メートルで静止した。
「やはり,現れたな」
中島中佐は呟くと,額の汗を拭った。
およそ30分後,聴音員が報告をあげた。
「聴音機に感あり。感1」
「来たか。数は分かるか?」
中島中佐の問いに,聴音員は頭を振る。
「この距離では,まだ……ただ,複数のノイズがある事から船団であるのは分かります」
聴音員は,耳に当てたヘッドフォンに意識を集中しつつ,ダイヤルを操作している。
「潜艦長,推進器音,左20度付近,感2,です」
中島中佐は,その言葉を聞きつつ海図台に広げられている海図に目を落とす。
「本艦より,左20度というと……やはり,真珠湾から出港した事になるな」
「感3。4軸推進の大型艦が1,2,3……6。2軸推進の小型艦が10………20……24隻!」
やがてスクリューが海水を攪拌する音が聞こえてきた。
「大艦隊のお出ましだ」
下士官の一人が呟いた。
今や音は頭上を圧するまでになっていた。
―――それはおよそ30分は続いた。ある者は不安げに頭上を見上げ,ある者は流れ出る汗を気に留める事なく息を殺している。
「艦隊,遠ざかります。感2」
「方向は?」
中島中佐は聴音員に訪ねる。
「本艦の右30度方向……おおよそ真西です」
「真西か……予想通りだな。よし,あと30分後に浮上し,緊急信をうとう」
中島中佐がそう言った時,
「推進器音を感知!」
聴音員が鋭く叫ぶ。
「見つかったか?」
中島中佐は掌に汗がにじむのを感じた。先ほど通過した艦隊が,自分たちを見つけ,引き返してきたのかと思ったのだ。
「左20度より感2!新手の艦隊です」
「新手だと?」
「はい……この音から推察するに,先ほどの艦隊と同程度のものかと」
「新たな艦隊,か」
中島中佐は顎に手をやりつつ考える。
敵は太平洋艦隊の総力に近い戦力を投入しようとしているのか?先ほどの艦隊と同程度というならば,先行する艦隊は空母を含む機動艦隊,今伊号第一〇潜水艦に接近しつつあるのは,戦艦を主力とする打撃艦隊か。
いずれにしろ,浮上し確認出来ない潜水艦では,分かるはずもない事だった。
そうこうしている内に,海水を攪拌する音が聞こえてきた。
「四軸推進の船舶は,12……いや,13。あとは二軸推進で,数は20以上」
聴音員の報告に,「先ほどとより規模が大きいな……」と,中島中佐は呟いていた。
それから30分後,緊急信が聯合艦隊司令部へと届いた。
―――夜が明けて,聯合艦隊司令部幕僚が,旗艦「剣」に集合した。
「剣」は,⑤海軍拡充計画によって計画・建造された,大型巡洋艦に分類される艦艇である。海軍部内では,大巡と略されることもある。
聯合艦隊の旗艦として,情報統制・指揮機能拡充を目的として建造された。多数の通信機器を含む電子機器を搭載,広大な作戦会議室をもたせるため,艦型は大きくなり,基準排水量30200トンと,戦艦並の大きさとなった。ただ兵装は,10センチ連装高角砲5基10門と,基準排水量と比すると貧弱なものとなっている。ただし,索敵用電探は対水上で40km,対空で120kmと,最新鋭のものが搭載されている。
その「剣」の第1作戦会議室に,聯合艦隊の主立った者が参集した。
まず口を開いたのは,参謀長の草鹿龍之介少将だった。
「皆に集まってもらったのは他でもない,米太平洋艦隊に動きがあったからだ」
その場がざわめいた。
不安に顔を曇らせる者,遂に来たと表情を引き締める者,興奮に顔を紅潮させる者,それぞれが感情を露わにした。
「静かに」
落ち着いた声が響いた。皆が口を噤み,その者を見る。
聯合艦隊司令長官・小沢治三郎大将であった。
「対米開戦は始まっている。米艦隊が動き出すのは想定のうちだ」
そう言うと,小沢は司令長官席に座り,瞑目する。あとは参謀長に任せた―――という意思表示であり,同時に自分が動揺していないと皆に知らしめる為であった。
草鹿はゆっくりと参集した者達を見渡した後,状況説明を開始した。
「昨日ハワイ沖を哨戒中の伊号第一〇潜水艦より,「敵艦隊現ル。敵ハ大型艦ヲ含ム二個艦隊。二一一○」との緊急信が発せられた。進路はハワイよりの方向90度,速度およそ20ノットとの報告だ」
参謀の一人が挙手した。
「敵の艦隊は二つ,と聞きましたが,その規模はどのようなものでしょうか」
草鹿は頭を振ると,答えた。
「それは不明である。敵艦隊の出港を探知したのは潜水艦であり,浮上しての確認は自殺行為に等しい。今は敵艦隊に動きがあったのが分かっただけでも行幸だろう」
「敵艦隊は西へ進路をとっているということは……敵はマーシャル諸島へ来寇するのではないでしょうか」
別の者が発言するのへ,草鹿は頷くと,
「その可能性は否定できない。そこでマーシャル諸島の島嶼基地には既に厳戒態勢へ移行すると共に,索敵を実行している」
「では,我々は……」
そこで,小沢は目を開くと,厳かに告げた。
「各艦隊は直ちに出港準備にかかれ。これまでは時間は我々の味方だったが,これからは時間との戦いだ。各々職分を全うせよ」
一同が敬礼する中,草鹿参謀長は
「各艦隊の集合箇所は作戦海域3とする」
と告げた。
空母「翔鶴」を飛び立ってからおよそ30分が経過した頃,第一次攻撃隊総指揮官機に乗る淵田少佐のレシーバーに声が届いた。
「こちら『白虎1』より『梅1』,聞こえるか」
明瞭に聞こえてきた言葉に淵田は応える。
「こちら『梅1』感度良好」
この「白虎」とは管制機「晴空」1号機,「梅」は「翔鶴」攻撃隊の呼び出し符丁だ。攻撃隊の符丁は草花の名前,戦闘機隊は色の名前で統一されている。
「『白虎1』より『梅1』へ。そちらの状況はこちらで把握している。あと数分で,敵艦隊が目に入るはずだ。既に敵艦隊はそちらの接近を察知している。邀撃機が襲ってくるぞ。数はこちらの把握しているだけで十数機だ」
「『梅1』了解」
淵田は短く答えると,無線機を隊内チャンネルへと切り替える。
「『梅1』より『青1』,そろそろ敵艦隊だ。邀撃機がこちらへ向かっている。数は十機以上」
「『青1』了解」
それに答えたのは,戦闘機隊総指揮官機「青1」こと,「翔鶴」戦闘機隊長板谷茂少佐である。
板谷は素早く機載電探の表示板を見る。ほぼ真正面に十数個の輝点が映っていた。距離はおよそ3000メートルである。
「便利なものだな」
板谷は,そう呟くと無線機を隊内チャンネルへと切り替え,指示を出す。
「こちら『青1』。敵機襲来。距離は3000だ。赤および黄は敵を迎え撃て」
「『赤1』了解」
「『黄1』了解」
それぞれの戦隊長からの返事を聞くと共に,板谷は無線を小隊内周波数へと切り替える。
「『青2』,『青3』,こちら『青1』。これより攻撃を開始する」
と命令するや,スロットルレバー横に装備された噴進弾の発射スイッチを入れる。6つある装置のうち,3つを「発射」位置にする。
12発ある対空噴進弾のうち,半数の6発を使う事にしたのだ。
「『青2』了解」
「『青3』了解」
第1小隊の2番機「青2」の山村元一飛曹と,3番機「青3」の杉山右京飛曹長が了解の意を示す。
その次の瞬間,戦闘機隊32機から合計192発の噴進弾が発射された。
機体から切り離されて1秒後にロケットモータが点火,白煙の尾を引きながら噴進弾が敵邀撃機へ向かって飛翔する。
この時,米軍が繰り出したのはF4U艦上戦闘機20機であった。戦闘機20機に対して噴進弾192発とは,あまりに過剰な数だ。しかし,この時期の噴進弾は初歩的な赤外線追尾機能しかもたず,近接信管の信頼性も今ひとつだった。そして有効射程距離も3000メートルと短い。標的の急激な進路変更に噴進弾が追従できない事も指摘されており,この辺りの改良はまだ途上であった。
そこで,敵を包み込むように噴進弾を発射したのだ。
およそ3000メートル先で,一斉に噴進弾が炸裂した。
大量の黒煙がわき出す中に,炎に包まれた物体が,海面へと落下していく。ざっと見たところ,その数は10以上であった。
爆煙によって,視界が遮られたかっこうだが,電探はその状況を正確に探知していた。すなわち,邀撃戦闘機の全滅を。
「『青1』より『梅1』。敵邀撃機は殲滅した」
板谷の報告に,「梅1」に乗る淵田は「了解」と答えた。その淵田の耳に,操縦員の金田元特務少尉の言葉が飛び込んでくる。
「見つけました!敵艦隊です。10時の方向!」
淵田がその方向へ顔を向けると,確かに水平線近くに黒い影と,幾条もの白い航跡を認めることができた。
中央付近に一際大きな影が4つ確認できる。
「あれは,目標『甲』だな」
淵田は呟いた。
米艦隊の陣容は,観測機「晴空」と,偵察機により確認されている。それによると,米艦隊は大きく3つに分かれており,未知の大型戦艦を中心とした艦隊を「甲」,アイオワ級戦艦を中心とした艦隊を「乙」,巡洋艦を中心とした艦隊を「丙」と日本側は呼称している。
「米軍は空母を集中運用していない」
これが偵察をして分かった事であり,日本海軍首脳部を驚かせた。
米軍は空母を艦隊の目,或いは防空の為に用いるという防御重視の用兵思想であるようだ。その為,空母は艦隊毎に1~2隻程度しか配備していない。3艦隊合計しても,空母は6隻程度にとどまる。確かに数だけみれば帝国海軍第一機動艦隊と同規模だが,兵力は分散されているため,効果的な攻撃手段とはなり得ない。事実,この時期の米空母に搭載されている艦載機の内訳は,戦闘機が半分以上を占めており,艦上攻撃機,偵察/爆撃機の数は4割弱だった。
その米空母から,黒い芥子粒のような物が飛び立っている。緊急発進をしている戦闘機だろう。
「少し遅かったな,米軍」
淵田はそう呟くと,無線機のスイッチを入れた。
「こちら『梅1』。ただ今より攻撃を開始する。目標は敵『甲』。『梅』および『椿』は敵輪形陣外郭の巡洋艦,駆逐艦を狙え。『水仙』,『桜』,『牡丹』は,その隙間から狙える主力艦を攻撃せよ」
各隊から了解を示す返事が返される。
そうしている内にも,敵艦隊は近づいてくる。「烈風」の巡航速度は時速700キロだから,敵艦隊との距離はみるみる近づいてくる。
淵田は電探の操作をする。目視と比べると格段に正確な値がでる。敵艦隊との距離は10000メートルまでに迫っていた。
「進路そのまま」
「進路そのまま,宜候」
淵田の指示に金田が答える。
淵田は手元のスイッチを操作する。それは,攻撃用の電探の作動スイッチである。
横須賀海軍工廠が中心となって開発した対艦噴進弾は,母機である攻撃機が目標に対して電波を照射し,そのはね返ってくる電波を検知して自動で誘導される兵器である。前式の無線によって噴進弾そのものを操縦する方式に比べると,格段に命中率は上がっている。しかし,この方式だと噴進弾が命中するまで,母機は敵艦に電波を照射し続けなければならないため,例え敵機に襲われても急激な回避行動が出来ないという欠点があった。
そこで現在,噴進弾そのものが電波を発し,目標を自動追尾するものが開発中であるとのことだった。これが実現すれば,噴進弾を撃ち出した母機は自由行動が出来,より安全に敵を攻撃出来るようになる。
「進路そのまま……よし。噴進弾,発射」
淵田は噴進弾発射用ボタンを押した。
「烈風」の胴体下から切り離された,重量1800キログラムの対艦噴進弾が尾部から炎を吹き出す。他の機体からも放たれたのだろう,幾条もの白煙の尾が敵艦隊へ向かって伸びる。
「敵機接近中!9時方向!」
の言葉に反応し,板谷は左へ視線を走らせる。胡麻粒のような物が4つ確認できた。
「敵も学習する,か」
板谷は舌打ちをする。この角度では,対空噴進弾は撃てない。対空噴進弾には赤外線追尾装置がついているが,探知角は狭く,今この現状で撃ったとしても,あらぬ方向へ飛んでいくだけだ。敵は正面から挑んでも,また噴進弾の飽和攻撃に晒されるとみて,横合いからの不意打ちを目論んだのだろう。
「『青2』,『青3』,ついて来い」
板谷は鋭く告げるや,操縦桿を左に傾け,左フットバーを踏み込む。機体が滑るように転回するや,機首が敵機と相対する。
相対する直前まで,マッチ箱程の大きさだった敵機が,その詳細まで見極められる程になっている。
板谷はとっさに操縦桿を下げた。その数瞬後,敵機が風をまいてコクピット上を通過する。
「烈風」は戦闘速度の時速800キロメートル以上の速度が出ている。敵機も時速600キロメートル以上は出ていただろうか。相対速度は音速を超えている。板谷がとっさに操縦桿を操作しなければ正面衝突をしていたかもしれない。当然,そのような状況であるから,双方共に機銃を発射する暇もない。
「正面戦は無理か」
板谷は呟くや,操縦桿を操作する。分かってはいた事だが,ジェット機対レシプロ機では戦いの次元が違うのだ。ジェット機を用いての戦闘は,高速を活かした一撃離脱方法が最良であろう。相手がレシプロ機であるならば,追いつくのも追い越すのも容易だろう。
先ほどすれちがった敵機は,一直線に攻撃隊へと向かっている。対艦噴進弾を誘導中の攻撃機は,無防備に等しい。それにここで対空噴進弾を撃てば,赤外線追尾装置はより高温を発する友軍のジェットエンジンに向かう危険性もある。攻撃方法は銃撃しかない。
「行かせるかよ」
板谷はスロットルを全開にする。燃焼燃料の混合比が増し,空気圧縮用のタービンの回転数が上がる。ジェットエンジンが咆吼をあげた。
戦闘速度の時速800キロメートルから,最大速度の960キロメートルへと機体が加速される。
敵戦闘機の特徴的な逆ガル翼の形状がよく分かるようになる。殿の位置にいる敵機へと狙いを定める。光像式照準機の輪一杯に敵影がふくらんだ時,板谷は機銃発射釦を押す。
射撃は時間にして1,2秒だっただろうか。20ミリ機関砲の太い火線が敵戦闘機へと吸い込まれるように命中する。命中した箇所には拳大の穴があき,ジュラルミンの破片が飛び散る。
「撃墜1!」
板谷は鋭く叫んだ。ただそれを確認する暇はない。時速960キロメートルの「烈風」は,あっという間に敵機を追い越してゆくからだ。
突然,目の前が明るくなった。敵3番機が爆発したのだ。列機の山村機か杉山機の戦果だった。
「撃墜,確認」
板谷は口の端をつりあげた。
従来,日本軍は個人の撃墜記録を認める事がなかった。撃墜,或いは撃破の記録は所属する戦隊全体の戦果として記録されていたのだ。しかし近年は,個人の撃墜記録を公式記録として認めるようになった。撃墜/撃破に手当がつくと共に,5機撃墜でエースの称号が与えられ,受勲の対象となたのだ。これは戦意高揚を図ったものであり,同時に,戦果のより確実な確認をする為である。撃墜/撃破の申請は本人の他にもう一人の証言が必要となっているからだ。
2機撃墜された敵編隊は,急降下をして離脱を図った。板谷はそれを追うことはない。当面の目標は敵機を攻撃隊へ近づけさせないことだ。
それに,攻撃隊には別に守備隊が随伴している。制空隊の自分たちの任務外である。
板谷は周囲を素早く見回すと共に,機載電探の表示を確認する。
今のところ,脅威となる敵機はなかった。
攻撃隊の攻撃は佳境に向かいつつあった。
淵田の操る対艦噴進弾は,目標とした駆逐艦へと突進している。
状況表示板に敵艦との距離を示す距離が,見る間に縮まっていく。
「あと800・・・700・・・600・・・」
対艦噴進弾は音速を突破している。その噴進弾を撃墜しようと,米艦隊は対空火器を全開にしている。艦隊周辺には,高角砲弾の炸裂と思われる爆煙が次々と沸き上がり,各艦から曳光弾の光の尾が,活火山の噴火のように空中へ突きあがる。
だが,その対空砲火も効果をあげているとは思われない。航空機を撃墜するように調整された射撃指揮装置では,音速を超える噴進弾に対応出来ないのだ。両用砲弾の炸裂は対艦噴進弾の後方で遅れて炸裂し,対空機銃は対艦噴進弾を追い切れない。
やがて最初の命中弾が出た。
敵艦隊の左舷後端の駆逐艦の艦上に閃光が走ったかと思うと,巨大な爆煙が沸き上がった。
黒煙はしばし駆逐艦の姿を隠し,それが風に流れると,濛々と煙をあげながら,その場に停止した駆逐艦が現れた。
命中箇所は艦橋と煙突の間であったのだろう。そこから盛んに火煙をあげ,半ば潰れた艦橋を見れば,既に戦闘力を喪失したのは明白だった。その駆逐艦に,もう1発の噴進弾が命中した。それが,この駆逐艦に完全に止めをさした。左舷側に艦体が倒れ,水蒸気をあげながら海面下へと沈んでいった。
日本軍は第一に空母を狙った。
それは,空母の艦載機が攻撃力として無視できないものだと知っているからだ。空母艦載機は,海上艦にとって脅威となる事は,今日本海軍が示した。現に,艦隊を守護する駆逐艦の内,5隻以上が炎上し,海面を漂っている。既に海面下に没したものを含めると,その被害は10隻以上に上るだろう。
制空権を握るものが,戦争の帰趨を制するのは,陸戦も海戦も同じである,と日本帝国海軍首脳部は認識していた。
そして,噴進弾の1発が最後尾をゆく空母の艦橋付近へ命中した。
その空母は「イントレピット」だった。
艦橋に音速を超える速度で突入した噴進弾は,弾頭部に装甲を施した徹甲爆弾だった。戦艦などと比べれば装甲など無きに等しい空母の艦橋基部へ易々と貫徹した噴進弾は,遅延信管が作動後,そこで爆発した。
一瞬にして司令部が壊滅した「イントレピット」は一時的に指揮系統に混乱を生じた。その一瞬の隙が致命傷となった。艦橋への命中と前後して,斜め上方から後部エレベーター付近に1発が命中,格納甲板内で炸裂した。
「イントレピット」は攻撃隊の準備が整っており,格納甲板には燃料を満載し,爆弾を搭載したSB2Cヘルダイバーがひしめいていた。至近で爆発を受けたヘルダイバーは四散し,ジュラルミンの屑と化す。爆風に煽られた機体が格納庫内を舞い上がり,別の機体に激突し,原型を止めない程に破壊される。漏れ出たガソリンが引火し,周囲を炎の海と変え,炎に巻かれた整備員が絶叫をあげながら転げ回る。
続いて搭載していた爆弾が熱に耐えきれずに爆発する。
飛行甲板が内側からの爆圧に耐えかね,大きくうねりをあげて歪む。
続いて2発の噴進弾が,左舷側部へ突入し爆発した。この爆発により,格納甲板全体に火が回り,一時的に電気系統が寸断された。
ダメージコントロールチームが現場へと赴いたが,消火ポンプは作動せず,消火活動が出来ない。指揮系統が麻痺しているのも,この状況を悪化させる要因となった。まずどこから手をつけるべきか―――その指示がなかったのだ。
そうこうしている内に,火の手は格納甲板全体に及び,人が近づけるような状態ではなくなった。
この状態で尚「イントレピット」の機関は動き続け,全速航行が可能だった。ただし,最初の一弾で航海室も破壊され,舵は面舵に固定されてしまっていた。この状況が「イントレピット」の命運を決したといえる。
日本軍攻撃隊からしてみれば,敵空母は火災を起こしながらも回避運動をとっているように見えるのだ。そして2発の噴進弾が「イントレピット」の後部へ命中した。
この攻撃で「イントレピット」は舵機室を破壊され,4軸ある推進軸も2軸が停止した。
機関科の先任士官が指揮権を掌握した時,「イントレピット」はもはや助けられる状況ではなかった。彼が出せた命令は「総員退艦」だけであった。
それに比べると,空母「エセックス」はまだ幸運だった。
対艦噴進弾の命中は3発だった。その全てが飛行甲板へ命中し,「イントレピット」と同様火災に苛まれたが,指揮系統に乱れは少なく,迅速なダメージコントロールが行われた。
しかし,飛行甲板は焼け落ち,もはや航空機の発着艦が不可能のは明確だった。
「エセックス」艦長ウィリアム=ハルゼー少将は,その様子を見ると,
「ジャップにやられたな。やつら,どんな魔法を使いやがった?!」
と顔を赤くして叫んだ。
「恐らく誘導型のロケット弾でしょう。日本軍がそのような物を実用化した,という情報ははいっていませんが」
それに答えたのは,参謀長のマイルズ=ブローニング大佐だった。
「ONI(海軍情報局)の連中は何をやっていたんだ!」
「……確かに,彼らは日本軍の情報について,知らない事が多すぎました。まさか,敵の艦上機がジェット機であるとは……」
「邀撃に上がった,我が戦闘機隊が一蹴されたのも,それだ。速度性能に格段の差があるという話じゃないか。我が軍でさえ,ジェット機の開発は滞っているというのに,ジャップに先を越されるとはな!」
ハルゼーは被っていた軍帽をむしり取るように手に取ると,それを床に叩きつけた。
ひとしきりののしり声をあげると,少しは落ち着いたのか,ハルゼーはブローニングに問い掛けた。
「で,我が艦隊の被害はどの程度なんだ?」
「日本軍が引き上げてから10分ほどしか経っていませんが……司令部に問い合わせてみます」
「10分……か」
ハルゼーは呟いた。
日本軍の攻撃隊は,来襲して20分程で引き上げていった。レーダーに捕捉されてから5分後には戦闘が開始され,一連の攻撃を終えると,風のように去っていった。日本軍の練度の高さを伺わせた。
「なんたることだ……!」
アメリカ太平洋艦隊第一艦隊(TF1)旗艦戦艦「モンタナ」に座乗する,太平洋艦隊司令長官チェスター=ニミッツ大将は,唇をわななかせた。
戦闘艦橋から望める位置にある艦艇はことごとく黒煙を吹き上げ,無事な艦は1隻もないように思える。
日本軍攻撃隊は,一瞬のうちに艦隊へ接近し,苛烈な攻撃を加えていった。航空機による攻撃が,これほどのものだったとは,日米開戦前に誰が想像できただろうか。大艦巨砲主義に傾倒していた米艦隊は,今おおきな衝撃に包まれていた。
「『エセックス』より入電。『艦隊ノ被害状況ハ如何ナルモノカ』」
伝令員が,電文用紙を手に現れると,そう言った。
「流石はハルゼーだな。この状況でも冷静な情勢判断をしているようだ」
ニミッツは,大きく深呼吸をすると,
「各艦から被害情報を集めろ。急げ,また日本軍の攻撃があるかもしれない。レーダーマンは見張りを怠るな!」
と命令を下した。
それからおよそ30分が経過した頃,被害状況の概要が判明した。
「駆逐艦6隻沈没,7隻大破,巡洋艦1隻大破,空母『イントレピット』沈没,『エセックス』大破か……」
ニミッツは沈痛な面持ちで,報告電を受け取った。
「戦艦に被害はないのか?」
ニミッツの問いに,参謀長ヘンリー=ベル大佐が答える。
「3,4番艦の『メイン』と『ニューハンプシャー』が被弾しています。『メイン』には3発が命中,両用砲と対空機銃に若干の被害がありましたが,戦闘・航行ともに問題ありません。『ニューハンプシャー』ですが,こちらは5発が命中したようです。2発が第3砲塔に命中した結果――」
ベルは,ここで言葉を切り,苦渋のにじんだ声で続けた。
「第3砲塔は旋回不能となっています」
「なんだと?! これから日本艦隊と戦うのだぞ。修理は可能なのか」
ニミッツの問い掛けに,ベルは首を振る。
「ロケット弾は砲塔基部のバーベットに立て続けに命中したらしく,バーベットが歪み,旋回不能とのことですので,これは工廠で本格的に修理をしなければならないようです」
「モンタナ級はアマテラス・クラスに対抗する為に建造されたのだぞ。それが戦う前に火力を減退させられるなど……」
ニミッツは絶句した。
「我々は,航空機の攻撃力を低く見積もっていました。航空機で艦船を撃沈できるなど,航空主兵主義者の妄言だと断じてしまっていたのです。日本軍があれだけの航空機を投入してきたという事は,おそらく空母を集中運用する手法を確立しているからだと思われます。例えば,空母のみで編成された艦隊を作っている,と考えられるのではないでしょうか」
「モンタナ」艦長ヨハン=アボット大佐が口を開く。
「もう一つ。我々は日本軍の実力を低く見積もっていました。日本軍の装備は,欧米を見本にした2級品だと。しかし,実際は違いました。日本軍はジェット機という,我々より一歩先を行く高性能機を投入してきたのです。日本軍は手強い強敵だったのです」
ニミッツは苦虫を噛みつぶしたような表情を崩さず,その言葉を聞いていた。そして腕時計を見るや,
「どちらにしろ,我々は日本軍の位置も把握しておらん。もう40分は経つ。索敵機からの報告はまだなのか」
と不機嫌そうに言い放った。
「1機撃墜!」
胴体と翼部に星のマークが描かれた,単発複座の航空機が黒煙を引きながら海面に突入するのを見届けながら,黒沢彰少尉は鋭く叫んだ。
「こちら『白虎1』。こちらでも撃墜を確認した。現在索敵範囲内に敵航空機の反応なし」
「『鷹1』了解」
黒沢は返答すると,素早く燃料計を見る。燃料の残りは3分の1を切っていた。
「『烈風』は高性能機だが,足が短いのが玉に瑕だな」
と呟いた。
「鷹」は艦隊直援隊の呼び出し符丁である。敵の攻撃隊や偵察機が艦隊に近づくと,一番に迎撃に赴く任務だ。上空で哨戒をする「白虎」こと「晴空」の索敵範囲は400キロメートルに及ぶ。敵の偵察機など,容易に近づけさせるものではない。
事実,既に5機の敵偵察機を艦隊の手前300キロメートルで補足し,ことごとくを撃墜した。この状況は,我は敵を知り彼は我を知らずである。一方的な戦いを展開する事が出来た。
黒沢は無線機を艦隊周波数に合わせた。
「こちら『鷹1』。燃料残量3分の1。直援の交代が必要と認む」
ややあって返答があった。
「司令部より『鷹1』へ。飛行甲板が解放された。着艦を許可する」
「『鷹1』了解」
黒沢は短く答えると,無線を隊内周波数に変える。
「『鷹1』より『鷹』全機へ。交代の時間だ。各自母艦へ着艦せよ」
と麾下にある8機の戦闘飛行隊へ命令を下した。
「飛行甲板が空いた,か」
母艦である「翔鶴」へ向かう航路を取りながら,先ほどすれ違った編隊の事を思う。それは第一機動艦隊から発進した第二次攻撃隊だった。100機を超える「烈風」が,編隊を組みつつ進撃する様は圧巻だった。
「艦隊は俺たちが護る。お前達は戦果をあげてくれよ」
誰に言うともなく,黒沢は呟いていた。
やがて視界に母艦である「翔鶴」を含む艦影が水平線上に見えてきた。
「敵『甲』に与えた損害は駆逐艦8隻撃沈確実,5隻撃破。空母1隻撃沈確実,1隻撃破。戦艦2隻小破。敵『乙』に与えた損害は駆逐艦9隻撃沈確実,2隻撃破。空母2隻撃沈確実,戦艦3隻小破……です。対する我が方の損害は,烈風『乙』2機,烈風『甲』1機です」
旗艦「剣」の戦闘情報室で,参謀長・草鹿龍之介少将の声が響く。
「戦果をみれば,完全に我らの勝利……だな」
聯合艦隊司令長官・小沢治三郎大将が呟く。心なしか,いつもより顔がほころんでいるように見える。
「はい。我が軍の損害は烈風3機に止まっており,米軍の艦船を30隻近く撃沈破しました」
「今後,米軍はどのように動くだろうか。あくまで艦隊決戦を行うか,それとも撤退するか」
小沢の問いに,情報参謀・兼高宗継大佐が口を開いた。
「敵艦隊は現海域に留まっています。米軍の偵察機は全て艦隊の手前200キロメートル程で撃墜していますので,恐らく敵は我が軍が何処に居るのか,正確に把握はしていないでしょう」
「米艦隊が撤退するとは考えられるかね」
小沢の問いに,兼高は続ける。
「それは無い,と思われます」
「ほう,その理由は?」
「確かに米艦隊は,多数の駆逐艦を失い,空母も失いました。しかし,未知の新鋭戦艦4隻は全てが健在であり,アイオワ級と思われる戦艦も4隻全てが健在です。それに巡洋艦・駆逐艦で構成された敵『丙』部隊は全てが残っており,雷撃力は侮れません。これらの戦力を残している以上,敵艦隊が撤退するとは思われません」
「だが,米艦隊は空母を失っている。航空機の脅威は彼らも知ったはずだ。まさか制空権のない状態で,我らの懐に飛び込んでくるとも思えんが」
「米艦隊の編成を見るに,米軍は空母を攻撃兵器として捉えていないようです。戦艦を中心とした艦隊に空母を1,2隻編入している事からも,それをうかがい知る事が出来ます。米軍は未だに大鑑巨砲主義に囚われているのです。ただし,今回の我が一航艦の攻撃を受けて,航空機の力というものを実感できたはずです。しかし,彼らは艦隊決戦をしかけてくると思います」
「分からなんな。航空機の傘なしで戦う事の不利を,敵は知ったはずだが」
「それは『現場』の者が知ったことであり,米軍の中枢は,まだ航空機の脅威について十分な認識をもっていないからです。ほんの3時間前の戦闘結果を見て,軍の最高指揮官である米大統領がすぐに自分の考えを改めるでしょうか?むしろ,戦果の拡大を望むはずです。それに,駆逐艦といった小型艦艇は撃沈出来ても,戦艦といった大型艦は無事である事が,その考えに後押しを与えます。―――つまり,航空攻撃で戦艦を沈める事は出来ないと。戦艦は戦艦でなければ沈める事が出来ないと」
小沢は呻った。
「今回の派兵には,二航艦(第二航空艦隊)の錬成が間に合わなかったからな。二航艦ならば,航空魚雷を搭載できる攻撃機が用意できたのだが……」
「その点については,遺憾でありますが……」
「無いものをねだっても仕方がない,か」
小沢は呟くや,気分を入れ替える為に,手を大きく打った。
「では,敵艦隊が向かってくるとして,会敵はいつ頃になるかね?」
航海参謀が,海図台の前に立ち,説明を始めた。
「現在の我が艦隊の位置がここです」
航海参謀は,白色をした駒を海図台の上に立てる。
「そして,米艦隊の位置がここであります」
航海参謀は黒色をした駒を置きつつ,「敵が現海域を動かなければ,敵艦隊との距離400キロメートルですから,艦隊速力20ノットで進撃した場合,会敵はおよそ12時間後となります」
海図上をなぞりながら説明を続ける。
「夜明けになりますな」
草鹿がそう言った時,電信員が電文を手に現れた。
「失礼します。ただ今米艦隊に動きがありました」
「なに?どのような動きだ?」
草鹿が反射的に聞き返す。
「『晴空』3号機よりの入電です。敵は4つに別れ,内,敵『甲』,『乙』,『丙』は北上を開始。速力20ノット。もう一つの艦隊は南東へ5ノットで移動中とのことです」
「敵はあくまで艦隊戦を行うつもりですな。しかも,この距離だと会敵は真夜中になります。敵は夜戦を挑む腹づもりですぞ」
草鹿が小沢に向けて興奮気味に言う。情報参謀も,腕を組みながら話す。
「『情報』によりますと,この時期の米艦隊は電探射撃を実用化しているはずです。夜戦になっても十分勝算はあると見込んでいるのでしょう」
小沢は一旦目を閉じると,「決戦は避けられぬか」と呟き,声を張った。
「第1艦隊及び第2艦隊,進路100度,速力20ノットで進撃。一航艦は現海域で待機する」
「一航艦は待機ですか?この『剣』はいかがしますか?」
草鹿の問い掛けに,小沢はきっぱりとした声で答えた。
「砲戦となれば,一航艦に出番はない。『剣』も一航艦と行動を共にする。一艦隊の高須提督には,足枷なく采配をとってもらおう。二艦隊の南雲提督も水雷戦の第一人者だ。私は,二人の指揮に全てを任せようと思う。二人には,責任は聯合艦隊司令部にある,存分に戦えと伝えてくれ」
「分かりました」
草鹿は首肯した。
「敵艦隊との距離,本艦よりの方位0度,500」
情報管制官の報告に「天照」艦長・有賀幸作少将は,
「それは『晴空』からの情報だな。主状況表示板へ状況を表示してくれ」
と返答した。
「主状況表示板へ状況を表示します」
情報管制官は,手元の電鍵を操作する。すると,艦橋上部に設置してある,40インチ平面電子画像表示板に,「天照」を中心とした図が描かれる。
「天照」を中心とした円が描かれ,その円の外側に,幾つもの輝点が浮かんでいる。
「この『天照』を中心とした円内が,『天照』搭載電探の探知範囲です。その外側にあるのが敵艦隊です」
情報管制官の報告に,有賀は腕を組みつつ口を開く。
「事前の情報通り,敵艦隊は3つに分かれているな。先頭をゆく小さな反応は水雷戦隊,後方の大きな反応は戦艦戦隊ということか。未だに我が艦の電探に捉えられていないとういのに,こうもはっきりと敵艦隊の動きが分かるとは,一昔前では考えられないことだな」
「だが,我々はそれを可能としている。この状況を十分利用させてもらおうか」
口の端に笑みを浮かべつつ言うのは,第一艦隊司令長官・高須四郎中将だった。
高須は,第一,第二艦隊の指揮を執ることになっている。第二艦隊司令長官・南雲忠一中将よりも先任であるからである。
「敵の電探の探知範囲はどのくらいだろうか?」
有賀の問い掛けに,情報管制官が答える。
「探知距離に関しては,ほぼ同等だと思われます。ただし,精度の面では我が方が上回っています」
有賀は頷きながら,
「共に奇襲というわけにはいかんか。司令?」
と高須の方へ向いた。
「いや,奇襲の効果はあるだろう。特に今夜は月もない暗闇だ。既に敵の陣容を把握している我が軍が圧倒的に有利だ。二艦隊の南雲長官には存分に暴れてもらおう」
「長官,では」
有賀の声に,高須は命令を下した。
「距離300より取り舵。針路45度で敵の頭を押さえる。第一戦隊の目標は敵『甲』。第二,第三戦隊の目標は敵『乙』。距離200にて戦闘開始。第二艦隊に連絡。『全軍突撃セヨ。目標ハ敵前衛ノ水雷戦隊』。全軍,突撃開始!」
「速度最大船速!合戦準備」
有賀は声を張り上げた。
第二艦隊を指揮する南雲忠一中将は,旗艦である巡洋艦「高雄」の戦闘艦橋に仁王立ちになり,命令を下した。
「全軍,突撃開始!砲戦距離は80とする」
「80ですか,司令?」
「高雄」艦長・石坂竹雄大佐が聞き返す。「高雄」の搭載電探は,天照型戦艦に搭載されているものよりは性能的に劣る。しかし,電探射撃を実施するには十分すぎる精度があり,もう少し距離をあけてから砲撃を開始してもよいのではないか―――そう,表情が物語っている。
「艦長,確かに電探による測距は正確だ。100からでも観測は可能だろう。”新型の魚雷”もそうだが,及び腰では弾はあたらんよ。多少の危険は犯しても,必中距離にまで肉薄しよう」
「………了解しました。距離80で砲撃開始。雷撃は距離50で実施します」
「よろしく頼む」
「全艦,全速前進!砲戦距離80,雷撃距離50!」
石坂艦長は命令を下した。すぐに
「機関,全速」
「砲戦距離80で砲撃を開始します」
「雷撃,距離50にて開始します」
各部からの命令の復唱が続いた。
機関の鼓動が高鳴り,艦が加速される。13万馬力を発揮する機関が,全長203.7m,基準排水量13400トンの艦体を最大速力34ノットで疾駆させる。
「『愛宕』後続します」
「『鳥海』後続します」
「『摩耶』後続します」
「8,15,16,18駆後続します」
電測員からの報告が入る。第二艦体が一丸となって敵艦隊へと突撃する。一糸乱れぬ動きに,第二艦隊の技量の高さをうかがわせた。
程なくして,
「敵艦隊補足!本艦よりの方位0度,距離200」
との報告が入った。
「敵もこちらを補足したはずだな。距離10ごとに敵の動きを報せ!」
石坂の命令に,電測員が了解の答えを返す。
「敵の陣容が判明しました。並びは巡4,駆11。速力30ノット」
「駆逐隊に司令。『目標ハ敵駆逐艦,突撃始メ』」
「各駆逐隊に司令します。『目標ハ敵駆逐艦,突撃始メ』」
電信員が無線のスイッチを操作しながら,命令を復唱する。
「8駆,15駆前進。16駆,18駆も続きます」
電測員の報告に,南雲は頷く。
「駆逐艦の数は,我が上か。あとは,どちらの技量が上か……だな」
南雲は呟くと,口の端に笑みを浮かべた。この戦いに不安などない,といった不敵な雰囲気を滲ませている。
南雲は海兵36期を優秀な成績で卒業後,海大へ進み,甲種卒業。その後は水雷畑を歩み,水雷戦術の第一人者として知られる存在となった。南雲にとり,この戦いは磨き上げた己が腕を発揮するに絶好の機会なのであった。
「距離170………160,敵巡洋艦,取り舵!」
「面舵一杯!敵に頭を押さえられるな!」
石坂がとっさに命じた。「高雄」は波頭を砕きながら,尚も前進する。1万トンを超える巨体だ。舵が利き始めるまで多少の時間がいる。
「敵距離150」
「敵艦発砲!」
電測員と見張員の声が重なる。
「……!」
敵に機先を制されたのだ。石坂は後ろを振り返り,南雲を見る。南雲は黙ったまま,視線をまっすぐ前に向けている。
―――心配ない。南雲の強い視線は,そう物語っているようだった。
敵弾がうなりを上げて飛んでくる。が,全てが「高雄」の左舷側にまとまって落下する。しかもようやく視界に入る程度の場所だ。精度はよいとは言えない。
「高雄」が艦首を右に振り始める。
「敵距離130……120」
「『愛宕』『鳥海』『摩耶』,本艦に続きます」
再び敵弾が落下する。今回の弾着位置は,左舷後方だった。艦橋からは死角になって見ることはできない。敵は「高雄」が前進することを想定して発砲したのだろう。
「敵針路280度,距離100」
電測員の報告に砲弾の落下音が重なる。今度の弾着は「高雄」の左舷艦首側に落下する。精度はさほどでもない。一番近いものでも百メートルは離れている。
「敵距離90」
電測員が報告をあげた時,南雲が口を開いた。
「本艦目標敵1番艦。『愛宕』目標敵2番艦。『鳥海』目標敵3番艦。『摩耶』目標敵4番艦。撃ち方始め!」
「舵戻せ。左砲戦。本艦目標,敵1番艦!」
石坂が航海長と砲術長へ命令を下す。
「敵距離80」
「舵戻せ」
「左砲戦。目標,敵1番艦」
各長が命令を復唱し,各部の科員が動く。
左舷側に向いている,5基10門の20.3センチ砲のうち,右砲が火を噴いた。
第二艦隊が戦闘を開始した時,第一艦隊もまた,戦闘の最中にあった。
第一艦隊第一戦隊を構成する天照型戦艦は敵「甲」部隊を,第二・三戦隊を構成する「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」は敵「乙」部隊と戦闘を開始していた。
最初に火蓋を切ったのは,米「甲」部隊だった。距離30000メートルにて両艦隊が同航となった時で,日本艦隊は右舷側に敵を見る形となっていた。
水平線付近に発砲に伴う光が閃いた。その光量は斉射のそれを思わせる程明るく,米艦隊の陣容を一瞬闇の中に浮かび上がらせた。
「敵艦発砲!」
見張員からの報告を受けた時,「天照」艦長・有賀幸作少将は,それほど焦りを感じていなかった。
現在は夜戦である。距離30000メートルは,夜戦としては遠すぎる距離だ。電探射撃にしろ,光学照準射撃にしろ,精度のよい砲撃など出来るものではない,と思っていた。
20秒と経たずに,敵弾飛来の轟音が響いてきた時,有賀は僅かに首を捻った。
――速い,のだ。距離30000メートルを20秒足らずで飛翔してくるとなれば,砲弾の初速は音速の5倍程度はなければならない。それは,この天照型戦艦の主砲を除いては,あり得ない速度だった。
―――来た。
有賀が体を強ばらせた時,敵弾が弾着した。
無数の水柱が「天照」を包み込み,衝撃が2度,艦体を震わせた。
「初弾から命中だと?!」
高須が焦りを滲ませる声を放った。
「観測,今のは―――」
有賀が口を開くと同時,電探観測員が報告をする。
「敵弾の数は,追跡できただけで30発以上! 速度はおよそ毎秒1700メートルです」
「長官,敵はこの『天照』を集中的に狙ってきています!砲も未知の新式砲だと思われます」
有賀が高須へと報告を行った時,ダメージコントロールを総括する副長より,
「被弾2発。第7番高角砲,後部噴進弾発射筒損傷」
の報告があげられる。
「長官!」
有賀の声に,高須は頷くや,命令を下す。
「一戦隊,『天照』目標敵1番艦,『月読』目標敵2番艦,『須佐之男』目標敵3番艦。二戦隊,敵『乙』部隊,『長門』目標敵1番艦,『陸奥』目標敵2番艦,『伊勢』『日向』目標敵3番艦。撃ち方始め!」
「右砲戦!本艦目標敵1番艦,撃ち方始め!」
有賀が大音声で命令を下す。
「撃ち方始め」
砲術長が復唱と共に,手元の電鍵を操作する。
前部3門,後部2門の電磁投射砲から音速の15倍という速度で撃ち出された砲弾が,目標とした敵1番艦へと飛翔する。
その間に,敵の第2斉射弾が「天照」を押し包んだ。30本を越す水柱が林立し,「天照」の巨体を飲み込む。今度も2度,衝撃に「天照」が震えた。
艦橋最深部にある戦闘情報指揮所には,破壊に伴う音は聞こえてはこない。しかし,確実に艦体が痛めつけられているのが分かる。
「弾着,今」
時計員が告げるや,有賀は敵1番艦を見る。
戦闘情報指揮所には,幾つかのモニターがあり,それぞれ赤外線映像,電探映像,そして星明かり程度の光源でも,相手を捉える事の出来る高感度カメラ映像などが映し出されている。
そのどれにも,敵1番艦に打撃を与えたようには見えない。
「外したか?」
有賀の呟きと,「4番主砲損傷!」の報告が重なる。
「まずいな……」
有賀は呻いた。
アメリカは,天照型戦艦に対抗する為に,強力な戦艦を生み出していたのだ。
この時,「天照」に向けて砲撃を加えていたのは,アメリカ海軍最新鋭のモンタナ級戦艦であった。
モンタナ級は,防御力と攻撃力において,これまでのアメリカ製戦艦とは一線を画する艦となった。
全長は301.2メートル,全幅38.4メートル,基準排水量は78900トンの巨体だ。これはパナマ運河通過可能サイズを超えており,モンタナ級は最初から太平洋以外には活動させるつもりがないことを示している。モンタナ級は,まさしく日本海軍の天照型を倒す為に生み出された兵器なのだ。
兵装は,新たに制作されたMark20・18インチ滑腔砲を3連装3基9門を装備する。
滑腔砲とは,砲身内部に砲弾を回転させ,弾道を安定する為の施条(ライフリング)がきられている従来の砲の欠点を改善する為に開発された砲である。
一般に,砲弾の重量と速度が増せば増すほどに威力が向上する。その速度の制限に対して,施条砲では,火薬の燃焼ガスが施条の隙間から抜け出すことが指摘され,また,砲弾に回転を与える事で,エネルギーが摩擦力としてロスしてしまう。
では,それらの”無駄に消費されてしまうエネルギー”を最小に抑え,砲弾の速度を上げるにはどうするか?
その答えとして,アメリカ海軍は滑腔砲を生み出した。
滑腔砲とは,その名の通り,砲身内部が滑る―――施条がきられていない。砲身と砲弾を密着することで,火薬の燃焼エネルギーをロスすることなく,砲弾に与えることが可能となったのだ。モンタナ級の装備するMark20・18インチ滑空砲は,初速1700m/秒にまで達したのである。これは従来の大砲の初速の倍以上のスピードである。
砲弾の速度の向上は達成できた。では,砲弾を安定した軌道で飛翔させるにはどうするか?という問題に対しては,砲に羽をつける事で解決できた。これは,天照型戦艦の搭載する電磁投射砲の砲弾と原理的には同じである。
日米は,砲弾の発射原理は違うものの,砲弾の構造に関しては奇しくも同じ結論に達したのである。
先頭を進む「天照」が多数の水柱に包まれるのは,「月読」戦闘情報指揮所からも見る事が出来た。
高感度カメラの,粒子の粗い画像であっても,「天照」が太い水柱に包まれ,姿がかき消える様が見て取れた。帝国海軍では,最大を誇る天照型戦艦が見えなくなるのだ。
「有賀……!」
「月読」艦長・森下信衛少将は,同期である男の名前を呟いていた。
「砲術,敵2番艦は,まだ無力化できんのか?」
森下は言葉の端に焦りを乗せて,砲術長へと問い掛けていた。敵艦隊は,全艦が「天照」を狙っているのだ。いかに天照型戦艦が堅牢な造りをしているからといって,敵の集中攻撃をいつまでも耐えきれるとは思えない。
「命中弾は出ている,と思います。弾着観測では,少なくともこの2斉射で,3発が命中しているはずです」
「予想以上に,敵艦は堅牢とういことか……」
森下は呻った。
森下の指揮する「月読」が相手取っているのは,モンタナ級戦艦2番艦「オハイオ」であった。
「オハイオ」には,砲術長の報告の通り,3発の命中弾が生じていた。1発は後部甲板に命中し,艦載艇用デリックを根本からごっそりと削りとっていた。2発目と3発目は,それぞれ艦橋基部と第3砲塔の正面防循に命中したものの,分厚い装甲板によって跳ね返されていたのだった。
モンタナ級の主要防御区画の装甲板は,400ミリ厚の均質圧延鋼板を2重に張り合わせた構造になっていた。合計で800ミリという桁外れの厚さだった。これは,1940年に日本で開かれた観艦式のデモンストレーションによって得られた,天照型戦艦の主砲の装甲貫徹力のデータを考慮したものとなっている。天照型戦艦の主砲の装甲貫徹力は,距離30000メートルで700ミリ以上と思われており,それに対抗する為に,主砲正面防循及び司令塔の装甲厚は800ミリ,主砲上面及び水平装甲は700ミリの装甲が施されている。
「敵の主砲塔を集中的に狙え」
森下は砲術長に命令する。
「敵の第1砲塔を狙います」
砲術長は復唱すると,主砲操作盤を操作する。
主砲操作盤にある,表示枠に敵2番艦の第1砲塔が拡大表示される。標準器の照準環が主砲塔を捉え,中央の十字型照準器が上下左右に動いている。これが中央で静止した時が,照準が定まった時だ。
「主砲,発砲可能まであと10秒」
砲術士官の言葉に,森下は頷いた。天照型に搭載されている電磁投射砲は,発砲間隔はおよそ40秒である。次弾装填,砲身の冷却,主砲発射用蓄電器への充電時間がおおよそ40秒必要なのだ。
「急斉射」という方法もある。これは蓄電器に電力を貯めた瞬間に発砲する方法で,およそ30秒間隔での射撃が可能である。しかし,この方法だと,砲身の冷却が間に合わなくなり,砲身命数が著しく低下する。通常射撃での砲身命数が500~800発なのに対して,急斉射を実行すると,200発程度で砲身命数がくる。
森下は「急斉射」を命じたい気持ちを必死に押さえ込んでいた。
「主砲,発射準備完了」
の言葉とともに,砲術長は「撃ッ」と言うと,主砲発射用電鍵を押し込んだ。
発射に伴う爆音はない。砲火も砲煙もあがらない。ただ,発射に伴う反動が,僅かに艦体を震わせただけだ。それにしても,戦闘情報室は,耐震設計がなされている為に感じる事はない。
「あと5秒……4……3」
時計員の言葉だけが,主砲が発射された事実を物語る。
「1……弾着,今」
敵2番艦の艦上に、明らかに発砲とは異なる閃光がはしった。
「やったか?」
森下は思わず身を乗り出していた。
次の瞬間、敵2番艦が発砲を行った。だが、その数は6つ。それの意味するところは―――
「敵艦の1番主砲を破壊しました」
砲術長の報告に、森下は大きく頷いた。
「よし、いけるぞ。続いて2番砲塔を狙え」
「天照」よ、もう少し頑張ってくれ―――森下は心の中で、そう呟いていた。
(つづく)
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遂に日米の主力艦隊が対決します。その戦いの結末は……