No.1165957

マツダT500

新人さん

1954(昭和29)年4月20日は、日本初となる第1回 全日本自動車ショウが東京・日比谷公園内広場で開催されたそうだ。第一回の全日本自動車ショウをプロデュース(企画、立案)したのは、元日産宣伝部の片山豊氏で、出品社数254社、出品車数267台、10日間の入場者数は延べ54万7,000人の大盛況だったという。主役は商用車で、乗用車の出展は17台しかなかったそうだ。1953年の日本は、トラック生産台数の72パーセントが三輪トラックだったというから、展示車はトラック、三輪車、二輪車が多かったという。当時は電気冷蔵庫、洗濯機、掃除機が普及し始めたばかりの時代で クルマは庶民にとって夢でしかなかったが、自動車産業関係者の意気は高かったようで、戦後の復興を象徴する一大イベントとなったようだ。出展した国産各社のうち、日産はオースチン(A40)、日野はルノー(4CV)、いすゞはルーツ(ヒルマン)など海外車両のノックダウン(部品を現地で組み立てて製品にする生産方式)を開始したばかりだったという。しかし、翌1955年には純国産のトヨペット・クラウンと 日産はダットサン110型をデビューさせている。そして、通産省(現・経済産業省)が作成した「国民車構想」に刺激を受けた各メーカーは1956年から61年にかけて、鈴木 スズライト、スバル 360、三菱 500、マツダ R360クーペ、トヨタ パブリカなどが次々に誕生し、日本に「軽乗用車」と「大衆車」という新しいカテゴリーが生まれ、続々と新しい自動車が開発されていった。その後も展示会は1963年まで全日本自動車ショウの名称で開催されている。1963年にデビューしたクルマは、ダットサン・ブルーバード410、三菱コルト1000などで、自動車ショウには、いすゞ・ベレット、プリンス・スカイライン、ダイハツ・コンパーノなどが出品されたそうだ。

2025-04-20 16:43:25 投稿 / 978×734ピクセル

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