No.1164980

ダチョウ恐竜

新人さん

ちょうど40年前の、1985(昭和60)年4月3日に、群馬県多野郡中里村(現在は神流町中里地区)で、日本で初めて恐竜の足跡の化石が発見されたそうだ。神流町(かんなまち)の中里地区から秩父へ抜ける国道299号沿いに「漣岩(さざなみいわ)」として知られる崖があるそうだ。約1億2000万年前の、白亜紀の川の跡がそのまま残っているらしく、群馬県の天然記念物に指定されている。地殻変動が起こり、水平だった水辺が今では垂直に近い崖へと変わってしまい、漣岩(さざなみいわ)と呼ばれて、岩には不思議な "くぼみ" がついている。1985年(昭和60年)にその "くぼみ" が恐竜の足跡だと認定されて、日本で初めて恐竜の足跡が発見されたことになった。漣岩は1953(昭和28)年の道路工事で見つかり、1957(昭和32)年から調査され、1965(昭和40)年に県の天然記念物に指定された。だが長い間漣岩に残されたくぼみは謎のままだったそうで、"くぼみ" が恐竜の足跡であると認定されたのは、漣岩が発見されてから30年以上もたってからになる。中里は関東では数少ない 白亜紀の地層が露出している場所なので、以前から多くの学者などが調査に訪れていたそうだ。発見者の松川博士は学生の頃からこのくぼみに興味を持っていて、その原因を検証することによって ようやく1985年(昭和60年)に「恐竜の足跡である」という研究結果を発表できたそうだ。大きな2つの"くぼみ"は大型の二足歩行恐竜の足跡で、右下の小さな"くぼみ"も二足歩行の恐竜が複数歩いた跡のようだ。発見された恐竜の足跡の主を特定するのは、科捜研でも不可能だろうが、想像することは自由だ。親子連れなのか、それとも小型恐竜を大型恐竜が追っていたのか? この地では大型のカルノサウルス類の歯が見つかっているので、小型の恐竜を追っていた可能性もあるが、山中竜(サンチュウリュウ)という この地で見つかった化石がある。この恐竜は群れで行動することが知られているから、僕はカルガモの親子連れのように、親についていく子供たちの姿を想像した。その方が微笑ましくて楽しいからだ。サンチュウリュウは関東で最初(日本では3番目)に発見された恐竜だという。1981年に横浜国立大学大学院生・中島 秀一 氏と国立科学博物館の加瀬 友喜 研究員が,神流町の山林で巻貝化石調査中に発見し、化石は仙椎部分の骨だと分かったそうだ。長さは20cmの鼓形をしているという。発見場所付近が山中地溝帯と呼ばれていることから、標本は山中竜と名づけられて1999年にオルニトミモサウルス類のものであると発表された。最初のうち山中竜はガリミムスに近縁であるという説であったが、ガリミムスの生息年代が約8000万年前(白亜紀後期)なのに、サンチュウリュウが見つかった地層は1億1000万年前(白亜紀前期)だから、サンチュウリュウがガリミムスだとすると時代考証が合わない。山中竜を発見した地層の1億1000万年前は、日本列島がアジア大陸と地続きだっと言われている頃なので、山中竜はモンゴルのハルピミムスと同様に原始的なオルニトミモサウルス類の可能性が強いというのだ。サンチュウリュウは今日でも、不明のオルニトミモサウルス類に分類されているようだ。ガリミムスもオルニトミモサウルスもダチョウ恐竜と言われている。三本指の脚、細長い腕(羽が有った?)、長い首、鳥のような頭をしていて、群れで行動する中空の軽い骨を持つダチョウ恐竜は、チーター並みに足が速かったと考えられているようだ。  実はこの地には透明度の高いダム湖があり、僕らはここへブラックバスを釣りに行ったことがある。神流湖といって群馬と埼玉の県境付近にあり、下久保ダムとも呼ばれ、ブラックバスの他にサクラマスやヘラブナもねらえる。晩秋から冬はワカサギも釣れる。 神流湖の水はプランクトンが豊富らしく、ワカサギが巨大化して15cmクラスも釣れるらしい。ブラックバスも大型化して50cmオーバーが上がっている。恐竜センターのすぐ近くにはキャンプ場もあり、神流町は素晴らしいところだ。

2025-04-03 18:28:39 投稿 / 1024×768ピクセル

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