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はっきり言って聖徳太子は馬鹿。
隋皇帝への遣隋使の国書。「日出処(ひいずるところ)の天子、日没処(ひぼっするところ)の天子に…」と言う下りが知られている。
まず、当時の常識として、ちゃんとした国として存在したのは文化国である「China、自らはそれを”中華”と呼ぶ」だけだった。
聖徳太子は常識外れだった。
文化国として認められていなかったからこそ、「日出処」と日本を書いた、は良かったが、勢い余って聖徳太子は”天子”と書いてしまった。
常識的には、
国でない所から天子は生まれる事はあり得ず、
国から天子は生まれるとされた。
漢の金印で国とは認めている。
しかし、文化国としてではなく、認定国に認定される被認定国として、成年国の扶養の下にある非成年国として認めているのである。(「漢倭奴国王(かんのわのなこくおう)」)つまり、首長ではなく、王と認めてやるよ。と言っているだけであって、扱いとしては現代の首長に近い。
道理と言うものを分かっていないと見た隋皇帝は腹を立てたのだが、物言いとか、人格的なものと言うより、非理性的なそのこころに腹が立っただけで、怒りっぽかったと言う事ではなく、理性的でない人に対してこれはこうではないと言い返したくなった程度の事である。だから、すぐに怒りを収めた。
はっきり言うと、「国書」も言い方としては正しくない。
当初は上書と言う認識を持っていたのは、聖徳太子も皇帝もだったろう。
まあ、そう言う訳で、大切な書に作話を用いてしまった。
聖徳太子は大馬鹿である。
それでその作話は今の今まで撤回出来ていない。
日本と言う国は虚構の王の国か?
はっきり言うならば、聖徳太子に持ち上げられた以降、天皇は王以上の存在になったと思われたが、実際は首長的、ホピ族とかそう言う首長の仲間なのである。
首長を低く見るのも、中華思想の影響であるのにも。
「白村江の戦い」も日本を誤解した指導者達によって無謀極まりない条件(百済の地政学的条件は攻めるに易し、守るに難し)で行われている訳だが。
日本と言う国は前々から、上層部からして大馬鹿なのだから、ニュースで今やっている様な、あるいは、フェイクニュースを垂れ流す様な国でしかなかったのである。
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扱いとしては王だが、結局の所、中華(China)に取って、首長とそれ程認識は変わらなかった。
こうして、日本は現実を負け続ける。
戦国時代に恐れられたと言う武士でさえ、アメリカには屈しざるを得なかった。
そもそも、日本人は弱いと認識しておけよ?そして、やる事やる事がおそい!!
さっさと、西洋的学問から国粋に移っておけ!!!