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No.1164313
新人さん
1950(昭和25)年の3月23日に世界気象機関条約 WMO(World Meteorological Organization)が発足して、国際的な記念日に制定されている。YMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)という3人組は有名だが、僕はWMOのことは勉強不足で知らなかった。日本は、WMOに1953年(昭和28年)に加盟している。 2022年(令和4年)に国連事務総長の主導で、国連早期警戒イニシアティブ『全ての人々に早期警戒を』というプロジェクトが立ち上げられ、2027年(令和9年)までの5年間で世界中の人々が早期警戒システムにアクセスできることを目標に、開発途上国等のシステム構築を推進中らしい。「早期警戒システム」とは、防災気象情報の「観測と予報」に関する活動をリードすることのようだ。開発途上国に対する技術的な支援や人材育成を通じ、それが人々に届くのを妨害している問題等をなくすために活動を行っているそうだ。 だが障害が分かっていても、警報が届いてもどうしようも無かったり、どんなに人が頑張っても最後は神頼みしかない場合がある。 僕は若い頃高円寺南(東京都杉並区)で暮らしていたが、近所に『神社の中にある神社』という不可思議な神社があった。"てるてる坊主のお守り"や"下駄型の絵馬"があって、映画「天気の子」の聖地になったと言われているそうだ。調べてみると、1944(昭和19)年に大日本帝国陸軍の、陸軍気象部、杉並区馬橋地区構内に気象神社が造営されたのが始まりらしく、戦後に撤去されるところを氷川神社の宮司が「もったいないから」と神社の受け入れを申し出て、1948(昭和23)年に高円寺へ移設したらしいのだ。気象の神はここだけで、日本に唯一しかないらしい。 氷川神社本殿の方はたいへん由緒正しい神社で、源頼朝による奥州征伐時に、武藏国 杉並の地に立ち寄った際、隋兵の中に高円寺村にとどまり、農民となった者がいたそうで、武蔵国大宮高鼻の本社からの神意の使者が、「この高円寺村の位置高く採松杉繁多し遠く木田を望みて風致絶佳」とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれ、農業の神とされている。大正6年8月15日編纂の東京府豊多摩郡神社詩によれば、「当社は古来、高円寺村小名原の鎮守にして旧時曹洞宗高円寺別当職として奉仕せり。高円寺は往年数回々禄の災いあり。旧記を焼火して社伝明らかならざるも口碑によれば、天文の頃、高円寺創建と同時に瓶記されたるものなり」と伝えられている。明治維新後は、明治7年に社格を村社に被定し、同40年に神饌幣帛料供述神社に列し、同12月には会計規則適用方指定される。太平洋戦争後(昭和20年8月15日以降)に五穀豊穣の神を祀る宗教法人氷川神社となったそうだ。気象神社の方の御祭神は天の岩戸開きに功績があり、智慧の神として知られる八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)である。ゆえに「晴・曇・雨・雪・雷・風・霜・霧」という八つの気象条件を司るとされるという。
2025-03-23 16:42:14 投稿 / 918×918ピクセル
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1950(昭和25)年の3月23日に世界気象機関条約 WMO(World Meteorological Organization)が発足して、国際的な記念日に制定されている。YMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)という3人組は有名だが、僕はWMOのことは勉強不足で知らなかった。日本は、WMOに1953年(昭和28年)に加盟している。 2022年(令和4年)に国連事務総長の主導で、国連早期警戒イニシアティブ『全ての人々に早期警戒を』というプロジェクトが立ち上げられ、2027年(令和9年)までの5年間で世界中の人々が早期警戒システムにアクセスできることを目標に、開発途上国等のシステム構築を推進中らしい。「早期警戒システム」とは、防災気象情報の「観測と予報」に関する活動をリードすることのようだ。開発途上国に対する技術的な支援や人材育成を通じ、それが人々に届くのを妨害している問題等をなくすために活動を行っているそうだ。 だが障害が分かっていても、警報が届いてもどうしようも無かったり、どんなに人が頑張っても最後は神頼みしかない場合がある。 僕は若い頃高円寺南(東京都杉並区)で暮らしていたが、近所に『神社の中にある神社』という不可思議な神社があった。"てるてる坊主のお守り"や"下駄型の絵馬"があって、映画「天気の子」の聖地になったと言われているそうだ。調べてみると、1944(昭和19)年に大日本帝国陸軍の、陸軍気象部、杉並区馬橋地区構内に気象神社が造営されたのが始まりらしく、戦後に撤去されるところを氷川神社の宮司が「もったいないから」と神社の受け入れを申し出て、1948(昭和23)年に高円寺へ移設したらしいのだ。気象の神はここだけで、日本に唯一しかないらしい。 氷川神社本殿の方はたいへん由緒正しい神社で、源頼朝による奥州征伐時に、武藏国 杉並の地に立ち寄った際、隋兵の中に高円寺村にとどまり、農民となった者がいたそうで、武蔵国大宮高鼻の本社からの神意の使者が、「この高円寺村の位置高く採松杉繁多し遠く木田を望みて風致絶佳」とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれ、農業の神とされている。大正6年8月15日編纂の東京府豊多摩郡神社詩によれば、「当社は古来、高円寺村小名原の鎮守にして旧時曹洞宗高円寺別当職として奉仕せり。高円寺は往年数回々禄の災いあり。旧記を焼火して社伝明らかならざるも口碑によれば、天文の頃、高円寺創建と同時に瓶記されたるものなり」と伝えられている。明治維新後は、明治7年に社格を村社に被定し、同40年に神饌幣帛料供述神社に列し、同12月には会計規則適用方指定される。太平洋戦争後(昭和20年8月15日以降)に五穀豊穣の神を祀る宗教法人氷川神社となったそうだ。気象神社の方の御祭神は天の岩戸開きに功績があり、智慧の神として知られる八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)である。ゆえに「晴・曇・雨・雪・雷・風・霜・霧」という八つの気象条件を司るとされるという。