太陽に照らされた宮廷…、否かつて宮廷だった地は見るも無残な残骸だけが残った。炭になった黒い骨組から煙が立ち上っている。本殿と西宮、北寮の一部は消滅した。
シラギは、木にもたれ髪をかき上げた。ひどく疲れて体が動かない。昨夜の爆発音で目覚め、すぐさま東宮に駆け付けたが王女の寝室はもの抜けの殻であった。探索に向かいたかったが、兵たちを統べる義務がシラギにはある。
現場は混乱の極みだった。
動揺して走りまわる兵を動員し、門外の大通りへ促すよう指示する。馬を駆け大門以外にも開けるよう命令した。王族の安否は確かめられなかった。
太陽の光が目に刺さる。辺りには、呆然と座りこんで動けなくなった者や、ただ立ち尽くして焼け跡を眺める者が多かった。
とりあえず、宰相を探さなければ。木から身を起したとき、声をかけられた。
振り向くとカガミが立っていた。こちらも疲れたようにげっそりしている。
「よくご無事で…」
「幸い、火の手は回らなかったので。ただ、トモキくんが飛び出して行ったっきり…」
「王女もまだ見つかっていないのだが」
もしかしたら、二人は一緒にいるかもしれない。とすれば、まだ安心だ。この外に出ていればいいが。中はまだ油断ができない。
突然カガミがトモキの実家を聞いてきた。シラギさんはご存知ですかと。もちろん知っている。教えるとオヤジはふんふんと頷いて、じゃあ、と歩いていった。
そこへ、女官が走ってくる。所々、煤で汚れていた。
「申し訳ありません、右将軍さま。ショウギさまがお呼びです」
シラギは目を丸くした。何の用だ。
****
もうここに用はない。カグラは、晴れやかな気持ちで空を見上げた。
雲ひとつない青空で、鳥が声をあげて飛んでいる。その下では醜悪な黒い塊が、今もなお煙をあげていた。
炎は美しかった。想像していたよりも、はるかに美しく猛々しかった。特に本殿の、天に昇ろうとする赤い火柱は華麗に踊り、あの中にうごめく汚い奴らを浄化してくれた。
満足だ。
カグラは黒い塊を背に踵を返す。すべては順調に進み、そして終わった。
権や金には全く興味がない。凛気もちの年増の相手をするのも嫌だった。側室とその息子たちはもういない。西宮は炎にまかれて消滅した。東宮は誰もいなかったが、どうでもよかった。自分には関係ないことである。
遠くにシラギの姿が見えた。疲れたように木に寄りかかっている。
生真面目な性格だから苦労するのだ。もっと適当で良いのに、変わらない男だ。
馬舎にいって、適当に一匹拝借する。門はすべて解放され混乱状態が続いている。正面の一番大きな大門は、人々が出たり入ったりの状態だった。それを尻目に悠々と門を出る。
いっそ、口笛でも吹きたい気分だった。約束は果たした。父も喜んでくれるだろう。
さて、どこへいこうか。
****
どこか遠いところへいってしまおうか。
外に出る機会は今しかない。門付近は、人だかりがしていて右往左往している姿が見て取れる。列を乱された蟻の様だ。
宮廷はこれからショウギの天下になるだろう。国王は殺すまいが、王子たちはきっと消されている。幽閉など生易しいことなどする女ではない。
トモキが大切にしている王女は生きているのだろうか。そしてあの子は無事逃げられたのだろうか。
ショウギ。
マイムは顔を歪め頬に手をあてた。一度、扇を投げられた事がある。勢いよく顔にあたり、怒りで頭が白くなった。よく、収めたものだと自分をほめてやりたい。あんな女の下に仕えるのはもうまっぴらだった。
外に出よう。
腰をあげて中に戻る。衣装箪笥の戸をあけ、木箱を取り出した。こつこつと貯めてきた金、貢物の宝玉や飾り物がある。それらを無造作に袋にいれ、鞄に詰め込む。
ここは幸い火事の被害にあわなかった。もし、燃えて焼失したら気が狂っていたかもしれない。身を汚して手に入れた大切なものたちは、自分の存在価値以上のものだった。
だって、世の中はお金で動いている。
お金はあたしを裏切らないもの。
外にでてどうしようか。
生まれ故郷には帰りたくはなかった。
手の中で冷たくなっていった弟。死ぬ間際、マイムを何度も呼んだ。自分を売った両親。見知らぬ男に手をひかれながら振り返ると、両親はすでに背をむけて家路へついていた。あの時の絶望感。嫌な思い出しかない村だ。誰が戻るか。
出てから考えよう。
外に出ると焦げくさい臭いが鼻についた。いつも遠くに見える本殿はその姿がなく代わりに灰色の煙が上がっていた。
門に向かっている途中、シラギが女官に案内されて橋を渡るのが見えた。あの、女官の制服はショウギ付きのものではないか。という事は、シラギもついにショウギに下るのか。彼の無愛想面はきっとショウギの怒りを買うに違いない。その点、カグラはいつも気持ち悪いくらいの微笑を貼り付けていた。どちらもいけ好かない。いいや、もう自分には関係ない。
振り返り、「天の宮」と称えられていた残骸を見上げる。
さようなら。
十八年間過ごした宮廷に別れを告げ、マイムは門を出た。
****
女官がシラギの来訪を告げて、扉が開かれる。
中に入ってシラギは驚いた。この事態にしっかり化粧をほどこし、豪奢な衣を纏うショウギの後ろに立っている男。その顔は憔悴しきっており、まるで亡霊のようであった。
「よう参ったの」
膝もおらず、憮然と立っているシラギにショウギは若干苛立ちを含ませた声をかけた。
「この度の火災にて、そなたの活躍ぶりは聞いたぞ。礼をつかわす」
「お聞きしますが」
伺いも立てず、シラギが口を開く。
「国王とその一家の安否をご存じか」
ショウギは扇を口に当てて、ほほ笑んだ。
「ほんに、右将軍は愛想の欠片もないのう。そう思わぬかえ、のう」
後ろに立つ男は、は、と答えたきり何も言わない。ショウギの顔が引き攣った。
「国王は無事じゃ。我が宮でご休憩遊ばしておる。ご体調がすぐれぬゆえ寝台にふせっておいでじゃ。側室どのとそのご子息たちは、残念ながら炎に巻き込まれ御命を…」
悲しそうに顔を扇で隠した。どうせ笑っているのだろう。
「王女の行方は」
臣下の言葉ではない。さすがの無礼にショウギは顔をゆがませ上げた。
「王女は行方不明じゃ。しかし報告では寝着が庭で発見された。無事でいるわけがない」
お可哀そうに、とまた扇を開いて顔を伏せる。
シラギは衝撃をうけた。
まさか、死んだのか。それか誰かに誘拐されたか。もしかして…。
思考が回転してうまく立っていられない。表情は変わらずとも顔色が変わったのだろう、そんなシラギの顔を見て、ショウギは笑う。
「まあ、我としたことが。大丈夫じゃ、右将軍どの。きっとご無事であらせられるよ」
「もうひとつ。いつもあなたの後ろにいるのは、左将軍だったはずだが」
「あれはこの混乱にのまれ、行方が知れなくなってしまった」
それはどうでもいい。なぜこの男がここにいる。
宮廷の荒波にもまれつつも、自分を失わなかった尊敬する男が。
宰相は諦めきった様に首をふった。
それでは、とショウギが扇を振りながら言った。勝ち誇った微笑み。
「我のため、ひいては国王のために力を貸してたもれ」
****
馬をひいてどれほど歩いただろうか。日は天にのぼり、じりじりと地を照らす。リウヒは黙ったままである。トモキも無言で黙々と歩いた。
リウヒは黙ったままである。トモキも無言で黙々と歩いた。会話がないのは、疲れきっているのと、腹が減っているからだった。喉の渇きは、井戸で癒せる。
ふと、木に実がなっているのに気が付く。名前は知らぬが、暑い盛りに橙の実をつける木だ。大きさは子供の拳ほどある。数個もいでリウヒに渡した。
リウヒはきょとんと実を眺めている。多分、果物というものは切られ皿に飾りつけられて出るものだと思っているのだろう。
どうやって食べるんだ、と言うのでこう食べるのですよ、とかぶりついたら、いつもは楊枝を使え、箸を使えだのうるさいくせにと笑った。笑ったことに安堵した。
村への坂道を登る。懐かしいような、初めて通る道のような奇妙な感覚。この坂道を最後に通ったのは何年前だろう。
七年前だ。十三の頃。またリウヒを連れて、通るなんて思ってもいなかった。
村間近になると、一人の少女がこちらを見ている事に気が付いた。驚いた顔で立っている。その顔に見覚えがあった。たしか、遊び友達の妹だった。
「トモキさん!」
走って抱きついてくる。その衝撃に少しよろめいた。
「どうしたの。帰ってきたの?」
はしゃぐように見上げる少女の赤毛をなでてやる。
「ちょっと用があってね」
そうなんだ、おかえりなさい。あのね、あのね。嬉しそうに周りを飛び跳ねるようにまとわりつく少女に苦笑しながら歩き出す。
リウヒが馬上で、不思議な生物をみるような目で眺めていた。
家が見えた。
懐かしさがこみ上げる。弟と壊してしまい母に叱られた柵。友達と遊んだ原っぱ。道端にぽつんと立っている風車。何一つ変わっていない。
畑に母が立っていた。呆然とこちらを見ている。あんなに小柄だったっけ。髪もすっかり白くなっている。リウヒが馬から降りた。トモキは母に近づき笑った。圧倒的な照れくささ。
「かあさん」
母は手で口を覆い、目を見開いた。
「ただいま」
「最初誰だか分らなかったわ」
茶をだして、母がいとおしそうにトモキを見た。その視線がくすぐったい。
「本当に大きくなって…。あなたもリウヒも」
リウヒは弟の寝台で寝ている。かなり疲れていたようで、夕餉を食べるとすぐ寝てしまった。始終大人しかった。母に対してもよそよそしく、戸惑っているようでもあった。
ただ、家に入った瞬間「あ…」と呟いた。遠い記憶を手繰り寄せるように。何か思い出したのかと聞くと「匂いが」と言った。懐かしい匂い。それきり口をつぐんでしまった。
リウヒが寝入った後トモキは、一通りの経過を話した。母は黙って聞いている。しかし、まだ状況は分からない。自分たちはどうしたら良いのだろう。万一、追手がここに来ないとも限らないのだ。
ため息をついたその時、戸が叩かれる音がした。母が顔をあげてトモキを見る。ぼくがでるから、と頷いて椅子をたった。警戒しながら戸を開ける。
不気味に黒ずんだ、丸い物体が立っていた。
急いで閉めようとすると、足がガっと差し込まれた。戸を押さえると向こうも押してくる。
「うっ…失せろ妖怪オオダヌキ!」
「なんて事を、ぼくだってば、カガミだよー。シラギさんに教えてもらったんだよー」
「えっ、本当にカガミさん?」
手を緩めるとオヤジがおおう、と言って転がりこんできた。
「どうしたの、トモキ。そちらさまは…」
カガミがえへへと笑って母に挨拶をする。
「はじめまして、トモキくんのお母さん。ほく、トモキくんの教師兼同居人兼友人のカガミと申します。」
母はあらまあ、とほころび深々と頭を下げた。
「うちのトモキがお世話になっております」
「はい、お世話しております。」
カガミも合わせるように丁寧に頭を下げる。
世話をしているのは、ぼくの方だ!心の内で叫んだが、黙っていた。
立ち話も何ですから、と中に案内され、椅子に座ったカガミの前に母がお茶を置く。オヤジがぺこんと頭を下げた。リウヒは今、奥で寝ているというと、カガミが安堵したように息を吐いた。しばらく沈黙が流れる。
「そうだ、シラギさまは」
「無事だったよ。ひどく疲れているように見えたけど」
もっともみんな疲れていたけどね。そう言って茶を啜った。その後、宮廷がどうなったのかを根掘り葉掘り聞いたが、カガミも詳しいことは分からないようだった。
リウヒの無事を聞いたカガミは、心底安堵したように深い息を吐いた。
「よかった…」
額に手をつけながら、つぶらかな目を閉じる。
「本当によかったよ…」
改めて、リウヒはあの東宮で愛されていたのだなとトモキは実感した。
「トモキくん」
名前を呼ばれて顔をあげると、カガミがかしこまってこちらを向いていた。
「王女を連れ出してくれて礼を言うよ。死んでいたらどうしようかと思った」
カガミが深々と頭を下げる。
「本当にありがとう」
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ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
どこか遠いところへ行ってしまおうか。
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