もうすぐ謀反が起きる。
それは確信として、マイムの心の中に残った。
カグラは王子の出奔の原因と王女の身辺を探れと命令しつつ、もうすぐ何か起きると漏らした。矛盾している。
マイムは自分の勘を信じる。だってあの笑い。カグラは最後嬉しそうに笑った。腹に一物の笑い方だ。
謀反。
何をする気だろう。王族の幽閉か。殺害か。王とその側室、息子たちは間違いなく狙われるだろう。いやいや、それよりも真っ先に狙われるのはあの王女だ。
彼らの側近も危ない。幽閉どころじゃない、きっと殺されるだろう。
月明かりの下、黙々と歩きながら考える。そしてぴたりと足を止めた。
トモキも殺される。
初めて会ってから三年が経った。少年の幼さは無くなり、すっかり大きく成長していた。トモキは王女の話をするようになった。その内容は微笑ましくて心から笑った。本当に大切に思っているのだな、とも。あたしは誰かにここまで思われたことはあるのだろうか。否なかった。
もちろんカグラには報告しない。だれがあんな男にこんな話をするか。
トモキが殺される。
心臓の音がうるさい。呼吸が苦しくなった。自分が殺されるそれも嫌だったが、あの子が殺されるのは恐怖だった。
「あ、マイムさん」
トモキがいる。眼を疑った。
「どうしたの、こんな夜中に」
散歩、とトモキが答える。
「なかなか、寝付けないし、同室のオヤジの鼾がうるさくて」
ああ、ありがとう。同室のオヤジ。
相変わらずの世間話を聞きながらマイムは決心した。幸い周りには誰もいない。見ているのは丸い月だけ。
手招きをして、近づいたトモキの両肩を掴んだ。少年が顔を赤らめる。
「近々謀反が起きるわ」
トモキが目を見開いて、マイムの目を見た。この子だけは逃がしてあげたい。
弟と同じ名前をもつ男の子。
「誰にもいわないでね、でも宮中で騒ぎが起きた時は」
この手の中で冷たくなっていった弟。
「すぐに逃げなさい」
流行り病で死んだ弟。
「お願いだからあなたは死なないで」
****
「死んでも嫌」
食べることに異様な執着をみせる王女にも、苦手なものがあった。
菜飯である。絢爛豪華な宮の食事だが、健康のためか稀に菜飯が食卓に上ることがあった。残さず食べるよう、トモキが注意するとリウヒはツンと横を向いて拒否した。
「じゃあいいです」
ため息をついて、トモキが食事を再開した。リウヒが不思議そうにこちらを見ている。いつもは口うるさい教育係が、あっさり引き下がったのに不安を感じたのだろう。呻きながら不承不承、茶碗を手に取った。
「ほらほら、ちゃんと食べないと大きくなれませんよ」
笑いながら給仕をする女官たちに、だってこの青臭いのが嫌いなんだ、とリウヒは口を尖らせた。
どこか懐かしい気がする。かつて自分も同じようなことを言っていたのかもしれない。遠い昔の記憶。
昨夜、偶然マイムにあった。透き通った青い目で、間近から見つめられた。心臓が跳ねて、顔に血が上ったのが分かった。マイムのふっくらとした唇が動く。その唇から紡ぎだされた言葉は
「謀反が起きるわ」
現実感がない。しかし、頭から離れない。たしかにアナン王子が行方不明になってから、妙に静かだった。
謀反。
十分、考えられる事ではないか。カガミも予測している。もっとも予測しているだけで、何かしている訳ではないけれど。
いざそれが起きればどうすれば良いのか、考えなければならない。勿論、標的は王族だろう。リウヒも危ない。まず、リウヒを逃がすことだ。しかしどこに逃がせばいい。
突然、額に冷たいものがあたった。顔をあげると女官の一人がトモキの額に手をあて、もう片方を自分の額に当てている。
「お熱はないようですが」
「大丈夫か」
リウヒが心配そうに聞いてきた。すでに王女の前の食器は下げられる途中で、菜飯の茶碗もきれいに空だった。
すみません、もういいですごちそうさま…。トモキはひとりでフラフラと外に出た。
あっお前、人に食べるよう言っておいて残しているじゃないか卑怯者。
リウヒの叫び声が聞こえたが、無視した。
「どうしたのかしら、トモキさん」
「今日は何かおかしいわねぇ」
「もしかして恋煩い?」
きゃーと三人娘は声を上げる。リウヒがまさかと青ざめた。
「そういえば、きれいな女の人と、よく一緒に話しているらしくてよ」
「トモキさんもお年頃ですものね」
「温かく見守りましょう。ね、殿下」
女官たちに好き勝手に言われていることは、まったく気が付かずにトモキは東宮の庭園にでた。日差しがまぶしい。今日も暑くなるだろう。
御影石のそばに座って石に身を寄せた。ひんやりしていて気持ちよい。
謀反。
どうなるのだろう。女官たちや教師たちも逃がさなければならない。シラギにも報告して…。いや、まずはリウヒだ。どこに逃がせばいい。
思考が堂々巡りして何も思いつかない。
庭の真ん中でへたり込んで御影石に抱きついているトモキを心配して、顔見知りの警備兵が声をかけてきてくれた。
何でもない、とトモキは答えた。昼餉を食べ損ねて腹が減っているだけだと。
本当は叫びだしたかった。
謀反が起こるんです。みんな死んでしまうかもしれないんです。だから逃げて…!
言えない。多分マイムは、危険を冒して教えてくれた。口止めもされた。
「いい天気だなあ」
警備兵が空を見上げ呟く。まったく、本当にいい天気だった。抜けるような青空。呑気に雲が二つ、ぽっかりと浮いている。蝶が三匹、絡み合いながらトモキの前を通りすぎていった。頭を石に付け目を閉じる。
今はこんなに美しくて平和だというのに。
夜。
結局トモキは誰にも何も言えずに、自室の寝台で丸くなっていた。勿論寝付けない。
シラギやカガミ、女官たちに、何か起こるかもしれない、と何度も伝えようとしたが、無理だった。突っ込んで聞かれるのが怖かったのである。下手に話して、マイムに迷惑がかかる可能性があった。しかし、命にもかかわる事なのだ。
明日、絶対話そう。
詳しく聞かれたら、とぼければいい。そう思い、蒲団をかぶろうとした瞬間。
爆発音が近くで聞こえた。
連続して三度、四度。
トモキは勢いよく飛び起きると、窓に走った。身を乗り出すようにして外を見る。
まさか、まさかこんなに早く起こるなんて!
西宮が燃えている。側室と二人の息子が住んでいる宮だ。炎の塊が屋根を飲み込み、さらに燃え上がった。本殿は見えないが、空が明るいことからして、燃えているのは確実だろう。熱気と焦げくさい嫌な臭いが風に乗って届いた。
急いでカガミを起こす。
「大変です!カガミさん、起きて逃げて!」
弾む肉を乱暴に叩き、蒲団をはがすとオヤジは身を縮こまらせた体勢で驚きのあまり固まっていた。よし、起きた。
カガミをそのままに残し、部屋を飛び出る。目指すはリウヒの寝室。月明かりがあるのが幸いし、全速力で走る。走りながら警備兵たちが、本殿の方に走っていくのが見えた。
下の方では、人の叫び声、馬の嘶きが、走っていても聞こえて混乱している様子が分かる。
本殿は…巨大な紅の化け物が暴れまわっていた。のたうち回り、咆哮し、燃え盛る手で柱を抱いた。瓦を吹っ飛ばした。
その迫力たるや、思わず立ち止まって魅入ってしまいたくなる。しかし、トモキは走らなければならない。東宮に入った。騒ぎの中妙に静かで警備兵もいない。寝殿の扉の前には兵は立っていなかった。声もかけずに中に入る。走る勢いで入ったので、大きな音がした。
中央に大きな寝台があり、天蓋から薄布が垂れ下がっている。所々、金の刺繍が施されている薄布だった。その中で、人影が素早く動いて警戒心を露わにした声を出した。
「誰だ」
「トモキです」
言いながら、許しも得ずに薄布をまくるとリウヒが寝着で構えていた。左手は枕の下。
「謀反が起きました」
リウヒの顔に緊張が走った。
「ここから逃げます、寝着を脱いで待っていてください」
喰台を掴んで廊下に出た。まだ人の気配はない。リウヒの寝室の向いに衣装室がある。王女の衣や櫛などの装飾品が管理されている部屋だ。その中を漁る。闇に紛れるようなできるだけ目立たない衣を探す、ふとトモキは気が付いた。自分も寝着である。が、この際自分には構っていられない。
「これは…」
女官の衣だった。リウヒのお付きの三人娘。なぜ彼女らの制服がここにあるのだろう。しかし、濃紺でこれなら目立たない。リウヒの元に戻る。
王女は肌着のまま、待っていた。急ぎ女官の制服を身に付け、枕の下のものを帯下に入れた。
二人で部屋を飛び出し、走る。
どこに向かうんだ、と聞くリウヒに、城下へ、と叫んだ。
宮廷は広大なれど、広場のようなものはない。空中庭園は、本殿より下に位置するため危険である。となれば、外に向かうのが一番安全であった。
門自体が開いてないかもしれない。
しかし、状況が分からない今、行くしかない。
東宮を出る間際、トモキは掴んでいたリウヒの寝着に気づき、庭に投げ捨てた。
全速力で走る二人を、不審に思うものはいなかった。それどころではなかったのである。
突然、地響きのような音が聞こえた。続いて建物が崩れ落ちる音。
「ああっ!」
振り向いたリウヒが声を上げる。トモキも振り返った。
本殿が、崩れた。炎が勝利の雄叫びをあげるように、天に舞う。トモキの入廷時、その堂々たる佇まいで圧倒した宮殿の姿はもうどこにもなかった。今や、紅の化け物に包まれた黒いしばかねであった。
その時、後ろで笑い声がした。遠くで男が一人、両手を広げ大声で笑っていた。まるで嬉しそうな歓喜の声。銀色の髪が風に煽られ炎が紅くその姿を染め上げていた。もしかしたら、狂ってしまったのかもしれない。が、構っている暇はない。
立ち止まったリウヒを促し、再び走りだす。
正門をくぐりぬけ、長い階段を降りる。足が縺れそうになるのを堪えおりきると、そこは蜂の巣を突いたような大騒ぎであった。みな、一様にどこに向かえばいいのか分からず、どうしたらいいのか分からず、大声で叫びながら右往左往しているだけだ。ほぼ侍女や兵、下端の者たちであった。
「外へ!城下へ避難しろ!」
リウヒが叫ぶ。
彼らはうろんな目で少女を眺め、それから弾かれたように大門へ向かって走り出した。先頭を切るのはリウヒとトモキ。日頃の追いかけっこで培われた足が、こんなところで役に立つなんて。どうでもいいことをトモキはふと思った。
馬が一頭繋がれていたまま、暴れていた。嘶きながら前足で地を蹴っている。ご丁寧に鞍までついていた。
馬の方が早い。
とっさに判断したトモキは、その背に跨ると胴を蹴った。前を走るリウヒを馬上から掴み前に押し込める。驚いたのと、触られたのでリウヒが暴れた。
「暴れないでください。今落ちると死にますよ」
抱え直すとリウヒは大人しくなったが、走る馬の上でも分かるほど震えている。
大門についた。
幸いなことに門は開いており、人も少なかった。もしかしたら、みな外に避難するという発想がないのかもしれない。宮廷の中で暮らす末端の者は、手紙のやり取りは許されても外に出られない。親兄弟が亡くなったときだけである。自由に外に出るものは、王の勅命を受けたものか、王族、上位のもののみ。商人を除き、下端の者が出入りすることは許されない。ゆえに外の事に無関心になってゆく。
門番はトモキの顔に気づき、慌てて飛び出してきた。なにがどうなっているのか泡を食って問う。
「騒ぎが起きたんです。逃げる人たちが殺到するかも知れませんが、大通りに誘導してください。あなたも気をつけて」
馬頭を巡らし叫ぶ。再び胴を蹴ると、馬は嘶き前足をかいて走り出した。
夜が明けてきた。
都から大分と離れ、馬を歩に変えたころリウヒの様子がおかしいのに気がついた。真っ青になって震えが酷くなった。呼吸も荒い。トモキは無言で、馬をおり手綱をとった。
未だにトモキでも触れられるのを拒否する。胸が痛んだ。リウヒは黙って下を向いている。
ふと後ろを振り向くと、都から煙が昇っているのが見えた。普段なら朝日を受けて悠然と輝く宮廷の屋根が、今では消えてただ黒い煙を立ち昇らせているだけだ。
「宮が…」
同じく振り返っていたリウヒも同じ事を思ったのだろう。女官たちは、カガミたちはどうなったのか。シラギは、そしてマイムは。昨日の昼まではあんなに平和に見えたのに、あの小さな庭園も消えてしまったのだろうか。
謀反ならば、今宮廷に帰ってもリウヒが危ない。
しかし、これからどこへ向かおうか。金ももっていない。
シシの村へ戻ろう。
母に迷惑をかけるかもしれないが、そこしか行くところが思いつかない。
トモキは歩を早める。
陽が昇り、二人の姿を照らし始めた。
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ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
謀反が起こるんです。みんな死んでしまうかもしれないんです。だから逃げて…!
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